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「忘れられているのだろうかと不安になる」阿蘇市から届いた被災者の手記

後悔、不安、感謝……。率直に記された、複雑な思い。

4月14日から続く九州の地震。熊本・阿蘇で一人暮らしをする知人に連絡を取ったところ、これまでの体験を書き留めたメモを送ってくれた。そこには、物資も情報も不足したまま、不安を抱えて暮らす様子が記されていた。

メモをくれたのは40代のAさん。匿名を条件に、メモの公開を許可してくれた。全文を紹介する。

Aさんのメモは、14日21時26分に起きた地震から始まる。この時、阿蘇市の揺れは震度5弱だった。

【14日。最初の地震。自宅】

木曜夜の地震、緊急地震速報に驚く。かなり揺れたが、落ちたものは特に無し。

米が無くなりかけていたことを思い出し、念のため米を買ってくる。これが後で役立つ。

心配した友人たちから連絡が来る。大丈夫だと次々に返事する。

水を貯めるように言われたり、ラジオがある?と聞かれたり、ガソリンを満タンにするように言われたり、靴を寝室に置くように言われたり。

そこまでしなくてもいいのではと思いながら、全部はしなかったけど、一部実行。これも後で役立つ。

興奮して眠れないかと思ったが、寝付くのは遅かったものの、眠ることができた。

【15日】

朝起きて、仕事へ。

夕方仕事で、熊本市内へ。

夕食は、馴染みのダイニングバー。

昨日の地震で棚のお酒がたくさんたおれ、とても散らかってしまったらしい。

しかし、働き者のマスターは、昨晩片付けて、今日はランチから営業してたとのこと。

ほっとする。

スーパーが閉まっていたそうで、無い食材あり。メニューが減っている。

お酒を飲みたかったが、昨日の地震で避難している人がいるせいか、熊本市内のホテルの空きが少ないことを知っていた。家に帰れる者は帰った方がいいと考え、お酒は我慢。

その割にゆっくりして、夜9時半過ぎに店を出る。

57号線を通って阿蘇市へ帰る。

余震注意の電光掲示版。道を外れていけば、被害が大きい益城。なのに、ここを走ってる分には、地震のことがわかるのはこの電光掲示版くらいだなあと思いつつ走る。

大津町で給油。まだ半分以上残っていて普段なら給油しないが、昨日の友だちの助言を思い出し、念のため給油した。本当に役立つことになるとは思っていなかった。

57号線をさらに東へ。阿蘇大橋(※翌日の地震で崩壊)付近も当然通過し、自宅到着。

疲れてて、上着とズボンを脱いだだけで、着替えずに寝てしまった。

【16日未明】

大きな揺れで起きる。木曜夜の揺れとは比べものにならない。

揺れが収まり電気をつけようとするがつかない。間違いかと思い、何回もスイッチを入れてみるが、つかないので停電に気づく。

真っ暗だが、トイレに行きたい。玄関に置いていた自転車が倒れているようだ。足で探りながら、トイレに入り、用を足し戻る。

ラジオにライトが付いていたことを思い出す。ライトをつける。本棚が倒れている。デスクトップのパソコンが机から落ちている。

ラジオで、やはり大きな被害が出てることが分かってくる。大きな余震が何度も。建物が潰れるのではと心配に。

ライトをつけて探すが、車の鍵、家の鍵が見つからない。焦る。やっと見つかる。服も着て避難できるよう整える。ちゃんと準備してなかったことを反省。

昨日買ったポリタンクにも水を貯める。暗くてよくわからないが、濁っているようだ。

町内放送が流れ、建物の外に出るよう言われる。しかし、本当に外が安全か分からない。しばらく室内にとどまる。

たまに町内放送が流れる以外は、車が通るだけ。それも多くない。静かだ。

駐車場の出入り口付近で建物倒壊などあれば車を出せないことに気づき、恐る恐る外に出る。車を移動させて、車内でテレビを見る。被害状況はまだ暗くてはっきりしないが、大変なことになっているようだ。

ソフトバンクのスマホはずっと繋がらない。AUのガラケーで友だちや親族数人に電話。それぞれに連絡役になってもらい、安否を伝えてもらうよう伝える。ガラケーは車で充電できるようにしてなかったので、こまめに電源を切る。

ニュースでは阿蘇市で建物倒壊し死者が出てるとの報道。(※NHKによると、18日現在、阿蘇市内では、建物倒壊による死者は報告されていない)

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【16日朝】

明るくなる。

家の周りの建物には、目に見えて壊れているものはない。

車が多く通り出す。町内放送は流れない。ラジオとテレビを消すと本当に静か。パトカーも、消防車も走っていない。

8時過ぎ、様子を見に車で出かける。少し進むと混んでいる。なぜ混んでいるかは分からないが、避けて脇道へ。コンビニはあいていない。

食料品店に人の列。とりあえず並ぶ。お茶やパンなど売っている。どれも1つ50円。まわりの人の話では、ドラッグストアも開いていないらしい。ガスはつくらしい。

私の番の前に、パンは売り切れ。バナナがある。嬉しい。バナナとカップ麺2つとお茶で200円。すぐ食べられるものを買って安心する。

自宅付近に戻る。近所の人に、食料品店が開いていたことを教える。

スマホが少しだけ繋がり、心配するメッセージが、LINEやFacebookに入っていることが分かる。しかし、投稿できない。そのうちはっきり圏外の表示。

ガラケーで連絡がついていなかった人への連絡を済ませる。

ずっと静か。とても良い天気。水色の空。暖かな日差し。しかし、車が何度も揺れる。

やっと少し眠る。

【16日昼。夕方からは雨が降り始める】

昼過ぎ、市役所へ。車の渋滞は、給油のための列だったと判明。

市役所は、市の職員がたくさんいる。暇そうではないものの、声をかけられないという感じでもない。何をすればいいか分からなさそうな様子。

近くにいた職員に、念のため避難所と炊き出しのことを聞く。「避難所は間も無く開設される。炊き出しはするが、具体的な目処は立っていない。皆に行き渡るかもわからない」とのこと。物資が足りないらしい。

あまり放送がないのは、いろいろできていないからと分かる。しょうがない。

湧き水がいつもより勢いよく出ている。きれいな水はあまり貯められてないので、以前買ってあった小さなタンクに湧き水を入れる。

この後、いくつか水の湧き場に行き、変わらず湧いていることを確認。

市役所まわりから少し足をのばす。古い建物で倒壊しているものが時々ある。

ニュースで見たとおり、阿蘇神社の楼門なども倒壊。「なんでこんなことに」と言うおばあさんとすれちがう。報道の人がカメラを構えている。たくさんいて驚く。

車の中でも安全だし、避難所には行かず、そのまま車で過ごすことにする。避難所はプライバシーがなさそうで、車内でも安全そうだし、行く気になれない。

営業していない店の駐車場にも、車が駐まっている。車内で過ごしている人が多くいる様子。

電波がいくらか回復し、メール、LINE、Facebookに返信、投稿。

しかし、まだ安定していない。送るのに時間もかかるし、圏外にも急になる。

家に戻ると水が止まっている。

汲んであったきれいな水でご飯を鍋で炊く。

米を食べる。カップ麺は、最悪生で食べられるので後回し。

水が出るようになる。汚いが水は出る。ありがたい。トイレが流せる。

避難所開設と避難勧告で町内放送流れる。やっとの町内放送。災害の時はうるさいくらい放送が流れると思っていたが、そんなことはなかった。

ヘリコプターの音がたまにするくらいで、思いがけない静かさ。

夜を迎える。自宅内は建物が壊れなくても閉じこめられたり、何か倒れてきたりするのではと思い、車中泊。

風が強くて、地震で揺れているのか、風で揺れているか分からない。

【17日】

あまり眠れないまま、朝を迎える。

天気良くなってくる。

市役所で道のことを聞く。大津町(※阿蘇市の西、熊本市との間にある町)のほうの道、できるだけ開通を早くしようと頑張られているらしい。現状では、山都町(※南方の町)に行って大回りするしかないらしい。

小国町(※北方の町)のほうへは杖立温泉まではいけるとのこと。

自衛隊や他県の警察が来ているので入れないわけではないと思っていたが、阿蘇市に入るルートがあることが具体的に分かり、少し安心する。

情報はあまり集約できていないとのこと。Facebookがまだまとまっている。避難所でも分かるかもしれないとのこと。

避難所へ。そんなに混み合ってはいない。夜は違うのかもしれない。

水とイチゴが配布されている。名簿に名前を書いて貰うことになっているそう。避難所で寝泊まりしなくても貰えるとのこと。食料と水はまだまだなんとかなりそうなので、貰わずに帰る。米を買っていなければ、ガスが使えなければ、こんな余裕のあることは思えなかっただろう。

避難所で、市の職員の方に、情報がまとめられているところがあるか聞くが、無いとのこと。申し訳なさそう。

ソフトバンクの電波が安定しない。いきなり数時間圏外になったりする。

阿蘇市内の友人と連絡とれる。食料を持って行き、夕食を共にさせてもらう。

阿蘇大橋寄りの地域。市役所付近より、道路の状態が悪い。車は通れるものの、大きな段差もある。壊れている建物も目につく。

プロパンガスがあるが、なるべく使いたくないので、練炭などで調理をしているとのこと。水は出ない。電波もこちらより悪いようだ。

暗くならないうちに帰る。

余震が少しマシになったのと、建物が安全そうなので、部屋で寝ることにする。地震は、少なくなったようだが、まだまだ揺れる。

しかし、結構揺れても、ラジオで「先ほど地震がありました。震源地は〜」といったアナウンスがない。ひょっとしたら震度が小さいのかもしれないが、体感では違う。もう阿蘇は、忘れられているのだろうかと不安になる。

ラジオは、せめて熊本向けの放送だけでも、地震や道路、インフラ、給水、避難所などの情報を流し続けてほしい。

57号線と豊肥本線(※大分〜熊本間の鉄道)が根本的に寸断された。復旧はどれくらいかかるのだろうか。

電気も物流も回復の目処が立たない。

農業どうなるのだろう。出荷ができないだろう。

電気と物流が回復しても、人が来るわけではない。観光はどうなるだろう。

NHKでは、広域避難を専門家が提案していた。離れるのはつらいでしょうが、と専門家は言ったが、土地への愛着だけで、離れられないわけではない。

仕事がどうなるかも分からないところに行けるのか。

離れれば、助け合いもなくなるだろう。見通しが立たないまま、離れられる人は少ないのではないか。つらさはもちろんだが、それだけではない。

【18日】

18日朝、水が止まっていることに気づく。スマホ充電切れ。充電しに車へ。テレビを見る。民放の中には、地震関連の文字情報もないところもある。もうそんな状況なのだ。東京が一緒にもっと揺れていれば違うのかもしれないと思う。

書き終えたのに、圏外。

私はとても恵まれている。家の中に入れるし、家も頑丈で、室内で物が倒れないようにすれば眠れる。車もあるしガソリンも直前に入れていた。ガスも使える。水も汲める。

もっと大変な人がいる。阿蘇市でもいる。

関心を長く持って欲しい。取材を広くして欲しい。声が届かない人がたくさんいる。産山村の震度が高いが、特に報道されていないのではないか。無事ならいいが、どうなっているのだろうか。

ラジオから、森高千里の「この街」が流れてきました。泣ける!

生まれた街じゃないけど、この町が好きです。

バズフィード・ジャパン ニュース記者

Kazuki Watanabeに連絡する メールアドレス:Kazuki.Watanabe@buzzfeed.com.

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