「歴史の転換点」だった911テロから15年 平和にならない世界、 風化する記憶

    世界で続くテロを「対岸の火事」と眺めてはいられない

    2001年9月11日朝、ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた旅客機が2機続けて突っ込んだ。

    黒煙を上げて崩れ堕ちるツインタワー。粉塵に覆われた街を逃げ惑う人々。テロの惨劇を写した映像が世界中で流れ続けた。

    YouTubeでこの動画を見る

    youtube.com

    テロが発生した日付から「911テロ」とも呼ばれる史上最大規模のテロ事件は、世界中に衝撃を与えた。

    現代まで続く混沌の原点。歴史の転換点ともいわれる。


    ブッシュ米大統領(当時)は「テロとの戦い」を宣言。国際的テロ組織アルカイダのウサマ・ビンラディンが首謀者だと名指しした。

    1カ月後、アメリカ率いる北大西洋条約機構(NATO)は、ビンラディンが身を寄せたアフガニスタンのタリバン政権に対し、開戦に踏み切った。

    NATOはアフガニスタン政府を崩壊させた。しかし、あれから10年以上が過ぎても、アフガニスタンの治安は不安定なままだ。

    オバマ大統領はアフガニスタンでの戦争に勝利し、退任する2017年1月までに米軍を撤退させることを公約に掲げてきた。しかし、タリバン勢力を完全制圧できず、2015年11月に計画を変更し、17年以降も米軍の残留させると発表した。

    アフガンだけではない。アメリカは「イラクが保有する大量破壊兵器」を理由に2003年3月、イラクに侵攻した。

    フランス、ドイツなどの反対があったが、押し切った。日本は侵攻に賛成し、支援した。

    開戦から約2カ月後、ブッシュ大統領はイラクでの大規模戦闘の終結を一方的に宣言した。大量破壊兵器は、結局見つからなかった。

    ここでも混乱はつづき、イラク国内での死者は民間人、米軍ともに増え続けている。イラク戦争で犠牲となった民間人の死者数を公表している非政府組織「イラク・ボディー・カウント」によれば、2003年の開戦から今年4月までに16万3500人以上が死亡した。


    ビンラディンは2011年5月、潜伏していたパキスタンで米軍によって殺害された。オバマ大統領は「正義の遂行」を高らかに宣言した。

    しかし、事態は収束を迎えるどころか、イスラム過激派によるテロは頻発し、世界の情勢はますます不安定な状態に陥っている。

    米政府は、2011年12月にイラクから完全に撤退した。しかし、混乱するイラクの国内情勢を突いて、イラク、シリア、リビアの国境付近でイスラム国(IS)が勢力を拡大した。

    911テロを原点とした中東諸国、そして世界の混乱は、現在でも続いている。


    風化する日本人の犠牲

    しかし、この世界史の転換点となり、日本にも大きな影響を与えたテロ事件について、記憶は急速に風化しているように見える。

    3000人を超えた911テロによる死者の中には、日本人24人も含まれていた。

    住山一貞さんは、一人息子の杉山陽一さん(当時34)を失った。陽一さんは日本の銀行のニューヨーク支店で働いていた。

    息子を亡くした直後は「特攻機でもあったら犯人の洞窟に突っ込んでやりたい」と思うほどの怒りがこみ上げたという。帰らぬ我が子に対する思いを歌った短歌や俳句をまとめたも出版した。

    住山さんは今年、東京都中野区でテロ事件の展示会を開いた。5年前にも同じような展示会を開いたが、その時は東日本大震災が発生した年でもあり、生々しい事件の写真などの展示は控えた。

    しかし、今回は事件現場の写真や息子への思いを綴った詩も飾った。犯人への怒り、そして、テロの記憶が風化しているとの思いもあるからだ。

    減っていった取材、薄くなる日本人の記憶

    事件直後は「迷惑と思うほど」取材が殺到した。だが、時とともに、取材される回数は減っていった。

    「息子の友達など関係者は今でもよく覚えてくれている。しかし、一般的には日本人が24人も亡くなったという記憶は薄くなっている」

    住山さんの年齢は79歳。911テロの記憶が日本の社会で風化しているのは「ある意味、私の責任ではないか」との思いがある。

    「私は文章を書くのも上手くない。喋るのも上手くない。あんまり自分自身を前面に出してはいけないと思ってきたが、年も年で自己主張する最後の機会かなと思って。だから、展示することは私の犯人に対する抗議。大げさに言えば私なりの『テロとの戦い』です」


    憎しみの背景を知ろうとした日本人遺族

    東京都品川区で居酒屋を営む白鳥晴弘さんも、911テロで大切な息子を亡くした。今年で76歳になる。

    高校卒業後、渡米した息子の白鳥敦さんは36歳で生涯の幕を閉じた。白鳥さんは、テロリストたちが無差別な攻撃をするまでに至った背景を知りたかった。

    「何故、テロ攻撃をするのか」「アフガニスタンに行こう。現地の人たちと直接会って聞いてみよう」

    そう思い立ってアフガンに行くと、アメリカの誤爆で親族を亡くした人たちや、クラスター爆弾で歩けなくなった子供達がいた。

    深い悲しみを抱きながらアフガンの人たちと交流する中、白鳥さんが見つけた一つの答えがある。

    「テロや憎しみの連鎖をなくすには、心の交流しかない」

    ブッシュ元大統領への抗議

    テロから10年経った2011年9月、世界貿易センターがあった「グランドゼロ」に911記念博物館ができた。除幕式に、白鳥さんも遺族として駆けつけた。

    式にはオバマ大統領と、ブッシュ元大統領の姿があった。白鳥さんは自分で作った紙を手にして、抗議の声をあげた。「爆撃だけではテロはなくならない」という思いがあったからだ。

    「私の息子は911テロで殺されました。イラクやアフガニスタンの子供は今でも苦しんでいます。あなたにとって正義とは何ですか」

    連鎖するテロの原点を忘れないで

    白鳥さんは、息子への思いやアフガニスタンの子供に対する支援活動をまとめたを出版した。しかし、自分で読み返すことはない。思い出したくはない記憶だから。

    目に涙を浮かべ、語気を強めてこう語った。

    「人間は愚か。そういうことになってみないと考えられないけれど、実際に、国内で起きる可能性もある。世界でもたくさんのテロが起きている」

    「その原因は何なのかと、いつも頭の片隅に置いて考えて欲しい」

    大手町にあるモニュメント

    911テロの日本人犠牲者のうち12人は、富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)とグループ会社の関係者だった。住山さんの息子もその一人だ。

    東京・大手町にある、みずほフィナンシャルグループ本社の前には、犠牲者を追悼するモニュメントがひっそりと立つ。ニューヨーク市消防局から寄贈された世界貿易センターの鉄骨も飾られている。

    普段、立ち止まる人は少ない。

    毎年9月11日にはみずほフィナンシャルグループの幹部が献花をし、犠牲者と平和への祈りを捧げている。