おことわり:摂食障害に関する記述を含みます。
みなさん、こんにちには。ジェシカです。 私はフィリピンとベトナムにルーツがあるアジア系アメリカ人です。アジア系女性として、東洋と西洋、両方の文化が持つ「美しさの基準」にぶつかる経験をいろいろとしてきました。
大学に入るとようやく、自分と外見が近い人がたくさんいる環境になりました。ここでやっと、そのままの自分が受け入れてもらえる、と思ったのです。
西洋的なきれいの基準に外れる状態だったのが、今度は完璧な東洋的美しさの基準に自分を合わせるために、さらに自分を変えないといけなくなりました。
ひそかに整形手術を受けていたり、現実離れした美しさをいつまでも称賛したりする人がいることを思うと、基準から外れている人を他人が批判したり、ありのままの自分を受け入れられずに悩んでしまったりする人が後を絶たないのも、ある意味当然です。
アジア系というコミュニティにはたくさんの国が含まれていて、それぞれにそれぞれの「美しさ」と特徴があります。

そこで、世界のBuzzFeed読者から、アジア系と太平洋諸島系の人に聞いてみました。手の届かない、達成できないこうした美しさの基準は、人々にどんな影響をもたらしているのでしょうか?
まず、たくさんの人が指摘したのが、「きれい」の基準への批判。そして疎外感でした。
1. 「自分の『アジア的な』特徴(丸顔、褐色の肌)を目立たないようにする反面、『白人的な』特徴を伸ばした方がいい、というプレッシャーはすごくありました」
@apopbf @jessicakuma_ there was a lot of pressure to downplay my “Asian” traits (ie round face, tan skin) and try to play up my “white” traits much more (like staying out of the sun, or even my parents putting whitening cream on if I got too dark) and it still makes me feel weird being tan as an adult
「日に焼けないようにするとか。肌が焼けたとき、親からも美白クリームを塗れと言われた。大人になっても、肌が褐色なことに違和感を持ってしまう自分がいます」
2. ヒスパニック系が多い地域で育って、もっとやせなきゃとずっと思っていました。中国人女性はすごくやせてて小柄というイメージだったからです。
私の目は二重で、それが「きれい」とされていることが、大きくなるにつれてわかっていきました。
27歳で香港に行ってみたら、自分は「太めで胸が大きくて背が高い」ってことになって、黙ってても私がアメリカ人だとみんなわかったみたいです。

3. 「ファットシェイミング(太った人へのからかいや差別行為)もあったし、髪が直毛じゃないからいつも短く切っていたし、色が黒すぎるとか白すぎるとかをネタにしたジョークや呼び方もあった」
@apopbf @jessicakuma_ there was fat shaming, regular haircuts to keep it short since my natural hair wasn’t straight, they had jokes and terms for if you were too dark AND too pale. by not upholding myself to these euro-centric standards, it felt like i didn’t look the way i was supposed to
「こういうヨーロッパ中心主義的な基準を自分は満たしていないから、理想的とされる外見から外れてるんだと感じた」
4. 自分の外見に対する自信のなさは、子どものときに親戚から「あんたは太ってる」と言われてきたことが原因のひとつだと思います。でも、そのほかに生活の実用的な面からもきています。
服を見れば、自分は東洋と西洋どちらの美の基準からもはみ出してるんだなと感じるんです。
中国系の私から見ると、同年代の他のアジア系女性はやせ型でかわいい服を着てるなと思います。
中国基準のサイズで服を探そうとすると、肩幅も腰回りも小さくて、自分はアジア系の基準だと「大柄」なんだなあと突きつけられます。
アメリカではモデルが背が高くてウエストが細いのは同じだけど、体形がカービーで砂時計型なんです。
そこまでは私の自尊心も傷つかないけど、アメリカの店で服を買おうとすると丈が長すぎたり、私に似合って良さを引き出してくれることがあまりなくて。
美の基準が、服みたいな実用的なところから、自分の身体に対するとらえ方にまで影響するのは嫌ですね。

5. 「16歳のとき、ターゲット(スーパー)でマスカラを見ていたら女の人が近づいてきて、『それであなたの目は直せないわよ』と言ってきました」
@jessicakuma_ When I was 16 I was looking at mascara at Target and some yt lady came up to me and said "sweetie thats not gonna fix your eyes" and if that doesn't scream Western beauty hostility I don't know what does.
「これこそが、西洋の美が持つ攻撃性なのだと思いました」
こうした美の基準と決別した体験を書いてくれた人もいました。
6. 白人が多いコネチカット州の郊外の町で育ちました。子どもの頃のいちばんの親友は背が高くて足が細くて、金髪、青い目でした。
10代のときはもうとにかく自分の外見が嫌で、その子みたいになりたくて。
そういうのが「きれい」だとされていたからです。
その後、中国と韓国にルーツのある自分の容姿は美しいと思えるようになって、西洋的な美の基準に自分を合わせようとしなくていいんだ、と気づけたのでよかったです。

7. 私が育ったのは主に白人が多い町で、同じ学年で非白人は片手で数えられるくらいでした。大人になる過程で、自分を「まあかわいいかな」と思えたことはなかったです。
周りはみんな肌の色が明るくてやせてて、私はみんなと全然違っていたので。
家では、両親が見ているフィリピンのテレビ番組などを通じて、フィリピン文化に接していました。
ASAPとかShowtimeといったフィリピンのエンタメ番組を見て、きれいだとみなされるにはどんな外見ならいいのか、もうひとつの側面に触れました。
でも実際のところ、西洋の美しさの基準とあまり変わらなかったんです。
フィリピンの番組も、肌の色が明るめでやせた子がメインのキャラクターで、その条件から外れる子が、ちょっと変わったサブキャラの位置づけです。
私自身、西洋と東南アジア(主にフィリピン)の美の基準に接した影響で、大人になる過程で自尊心が持てなかったのは確かです。
しかしその後、自分は必ずしも基準に合うわけじゃないし、そもそも基準に合う必要はないんだと思えるようになりました。
8. 西洋的な美の基準の影響で、自分はかわいくないと思っていました。ダークめな肌で、髪はカールしているので。目の色ももっと明るければかわいく見えたはずなのに、とも思っていました。
マレーシアの美の概念も変わりません。
肌が明るい女の人がきれいで好ましい、肌が浅黒いと劣っている、そんなふうに描かれています。
私は両方の基準に影響されて、自分の民族的ルーツと外見に対する自己嫌悪を内面化してしまいました。そこから自由になるまで、何年もかかりました。

9. 以前は、Tumblrで人気の白人の子みたいなファッションにすれば自分も注目されて好かれるかも、と思っていました。もう何年も、小鼻を小さくして鼻が高く見えるメイクをずっとしていました。
今23歳ですが、そういうのはもうやめました。
フィリピン人らしいこの鼻が、自分が受け継いできたものや血筋の表れだと思うようになったからです。
外見上の性質をめぐる基準は創作されたもので、そこで定義される美しさから自分が外れても、それに合わせるために自分を変える必要はないですから。
10. フィリピン、タイ、イタリアにルーツがあります。私はこの3つのどこの美しさの基準にも合わないし、西洋的な基準にも合いません。
長いこと、どこかの基準に当てはまりたいと思い、見た目をいろいろと変えてきたけど、やめました。
「私が満足させたいのは誰? 自分? それとも他人?」。そう考えました。
「今日の自分を、自分で『いいな』と思えるかどうか」を大事にするようにしたら、「この見た目ならきれいの基準に合うか」と考えるよりずっと気持ちが穏やかです。

自分と同じような人の存在がメディアなどで表現・体現されていないという「レプリゼンテーション(表象)」の不足に触れた人もいます。
11. 「レプリゼンテーション(というかそれが欠けてること)は、自分に対する自己イメージを形成するのにすごく大きく影響しました」
@apopbf @jessicakuma_ Representation (or lack thereof) had a huge role in shaping how I viewed myself - as a child I was mostly exposed to Eurocentric beauty standards or East Asian beauty. I could never see myself anywhere as a Fil-Am. I've only recently been able to see myself reflected in media.
「子ども時代に身近にあったのは、だいたいがヨーロッパ的な美しさの基準と東アジア的な美しさでした」
「フィリピン系アメリカ人の自分を投影できる存在は、どこを見てもいませんでした」
「最近やっと、自分を重ね合わせられる人をメディアで見るようになったところです」

12. 「私は生まれつき髪がカールしたフィリピン人ですが、家族は全員ストレートの髪なので、自分だけが違うとずっと感じていました」
@apopbf @jessicakuma_ Growing up Filipino with naturally curly hair, I always felt different when all of my family members had straight hair. Filipino shampoo ads certainly didn't help. I wish I had the resources I have today on how to care for my hair and if properly cared for, it's just as beautiful
「フィリンピンのシャンプーの広告も、全然救いにならなくて」
「髪の扱い方について、今みたいな情報源が昔もあれば、正しくやればちゃんときれいなんだとわかったのに、と思います」
13. 「目が一重なので、(目元の彫りを深く見せる)カットクリースのアイメイクが流行ったときは、すごくもやもやしていました」
@apopbf @jessicakuma_ Being monolid — it was very frustrating when the cut-crease eye shadow trend happened. I struggled with it and wished that I had a different set of eyes. When I found the eye-look that matched my set of eyes, I was so happy!!
「うまくいかないし、こんなじゃなくてもっと違う目ならよかったのに、って」
「自分の目に合ったアイメイクがわかったときは、とにかくうれしかった!」

東洋的な美の基準と、そこから受けた影響についての声も紹介します。
14. インド系ですが、母親が肌は明るい色がいい、明るい肌のほうが上なんだ、という考えをずっと持っていました。肌の色を明るくするために何か飲まされたり、顔にいろいろ塗らされたり。
インドがイギリスの植民地だったことと関係があると、個人的に思っています。
独立してずいぶん経つのに、そのような心理が変わってないのは悲しいです。
—Anonymous
15. 「『東洋の美』という概念から、中学生のときに中国のてんそく(小さい頃から足に布などを巻き、足が大きくならないようにする風習)に憧れて妄想していました」
@jessicakuma_ "Eastern beauty" got me fantasizing about Chinese foot binding in middle school just so I could maybe be a petite Asain beauty like the size of my feet was my biggest hurdle 🙃
「これをやれば小柄なアジア系美人になれるかもしれない、足が大きいのが自分の最大のネックなんだ、と考えていました」

16. 何がきれいかの基準をいちばん突きつけられるのが、家庭でした。家族と親戚が集まる場が特にそうです。6歳のときに親と親戚から「あんたは太ってる」と言われたのを覚えてます。
今思うとめちゃくちゃおかしい。
10~12歳の頃、やせるとほめられて太ると親戚にからかわれたのは、自分の身体に対して抱くボディイメージを確実にゆがめました。
高校の頃はさらにひどくなりました。
食事を抜いて、過食しては吐いて、その痕跡を隠すためにガムを大量買いしたりして。
やっと本当にやめられたのは、大学に入って、支えてくれる友人グループができてからです。
それが精神的にとてもよかったです。過食をほぼやめられるようになりました。
吐く行為が再発したのは、1年生と3年生のときに1回ずつだけ。
それでも、常に自分の気持ちをきちんと見つめて、リスペクトをもって自分を大切に扱うのは簡単ではないのです。
—匿名希望
紹介してきた体験談から、自分たちには手に入らない美しさの基準がアジア系アメリカ人にどんな影響をもたらしているのか、垣間見えるのではないでしょうか。
複数の文化が交差する世界で、模範的とされる美の基準を体現した人を常に目にし続けることが、私たちの自己認識にどれほど強く影響を与えてきたか。
記事で紹介した声は、これをざっと示してくれる例だといえます。
同時にアジア系アメリカ人コミュニティでは、誰もがある程度、美しさの基準に影響を受けていることも表しています。
この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan