「イスラム国」の機関誌が19日、「ジハーディ・ジョン」が死亡したことを、訃報を出し、明らかにした。ジハーディ・ジョンは2015年2月、ジャーナリストの後藤健二さん、湯川遥菜さんらを殺害したとみられている。
ジハーディ・ジョンは、多くのイスラム国の動画に、黒い覆面の姿で登場していた。
ジハーディ・ジョンの本名はモハメド・エンワジ。ロンドンにに住む、クウェート出身の若者だった。
エンワジは、8月17日、クウェート生まれ。警察官だった父と、母、弟の4人でイギリスに1994年に移住した理由は、1990年のイラクのクウェートへの侵攻から逃れるためだったと、ガーディアン紙は伝えた。
エンワジ家は1993年にイギリスに移住した。
エンワジは、西ロンドンにある小学校に通った。
小学生の頃のジハーディ・ジョン
将来はサッカー選手になりたいと思っていたようだ。
小学校時代の同級生はエンワジについて、あるケガが彼に与えた影響について語っていたという。
1999年、エンワジは、北ロンドンにあるテクノロジー系の高等専門学校で学び始めた。
他の同級生は、サンデーミラー紙にエンワジは学校でいじめられていたと話している。
「ある女の子が、たくさんの人がいる前で『息が臭い』といってから、彼は口に手を持っていくようになった。その時はみんな笑った。彼も笑い飛ばそうとしたんだけど、彼が傷ついたのは明らかだった。目に涙がたまって、校庭の隅の方へ行ってしまった」
エンワジは当時モスクには行かなかったけれど、近所の水タバコのバーには顔を出していたと、デイリーメール紙は伝えた。
エンワジは学校の先輩がいた「ロンドンボーイズ」というギャングに参加した。
ロンドンボーイズのエンワジの仲間の一人には、ソマリアでアメリカの空爆を受けて死亡したアルシャバーブの元幹部ビラル・ベルジャウィもいた。
2006年から2009年まで、エンワジはウェストミンスター大学に通い、情報システムとビジネス・マネージメントを学んだ。
エンワジは在学中、様々なイスラム過激派のラリーにも参加。
大学を卒業した2009年、エンワジは友人2人とタンザニアを旅したが、入国できなかった。
その後、エンワジはクウェートに行き、ITの会社で営業の仕事をした。
ガーディアン紙によると、彼の当時の上司は「彼はこれまでの私たちの最高の社員でした」と彼の元上司は話した。落ち着いた人でした」
ただ、なぜイギリスではなくクウェートで仕事をしようとしているのか、不思議に思ったとも付け加えた。
エンワジはクウェートとロンドンを行ったり来たりしていた。
エンワジはCAGEに、ロンドン滞在中に英国諜報機関から連絡を受けた、と話した。クウェートに戻ろうとしたところ、英国当局にビザをキャンセルされたという。
2013年初めごろ、エンワジはモハメド・アル・アヤンに改名した。彼の父が旅行が楽になるのではないかとアドバイスしたためだ。
名前を変えた後もエンワジはクウェートに入国できなかった。入国できないことが確定した後、エンワジは西ロンドンの自宅から消えた。彼の家族は、トルコとシリアの国境地帯にいる難民を支援しに行ったと思っていたという。