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「村が嫌いだった、だけど戻った」 被災したふるさとで青年が見つけたもの

福島第一原子力発電所から約25キロ、DASH村から南に4キロに位置する葛尾(かつらお)村。そこで地域おこしに取り組む青年がいます。

DASH村から南に4キロ、そこがぼくのふるさとだ。

避難指示解除、その後。

被災前は約1500人が暮らした葛尾村。

2016年6月12日に避難指示が解除されるも、生活基盤が変わってしまったり、帰村後の不安から、村に戻ったのは290人余り。(3月1日現在)。半数以上が65歳以上だという。

そんな過疎の村で地域活性化に取り組む青年がいる。

地域づくり団体「葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ)」の代表・下枝浩徳(したえだひろのり)さん(33)だ。

その活動は多岐にわたる

なぜ、被災した村でこんなことを?

震災から8年が過ぎ、ぼくは改めて葛尾村の価値を考えてみた。

ため息がでるほど豊かな自然がある。しかし、娯楽や観光資源は乏しい。葛尾を繁栄する手段なんてあるのだろうか…?

これについて下枝さんはこう話す。「葛尾の良さってお互いに助けあう『結』の文化だと思ってて。それがしっかり残ってるのがいいんです」

葛尾村のバリューは「人と文化」

村を出てやってきたこと

辞表を提出した3月11日

就職して一年が経とうとした2011年3月11日の昼過ぎ、下枝さんは会社に辞表を提出した。

「でも当時の上司に考え直せって言われて。今考えると運命めいたものを感じますね」

その数時間後、地震が起きた。

下枝さんは一度辞表を取り下げ、有給を利用してボランティアを始めた。ボランティアと言っても当時はまだ、物資輸送しかなかったという。

「運送屋さんが全国の支援物資が集まる拠点になってたから、そこから南相馬市とかに物資を持ってったんです。で、空いた時間に葛尾に入りました」

村が嫌いだったからこそ…

つくりたいのは「お金だけじゃない価値」

活動を続けられた理由

「限界集落」この言葉に感じる違和感

BuzzFeed Japanでは、あの日から8年を迎える東日本大震災に関する記事を掲載しています。あの日と今を生きる人々を、さまざまな角度から伝えます。関連記事には「3.11」のマークが付いています。

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