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「村が嫌いだった、だけど戻った」 被災したふるさとで青年が見つけたもの

福島第一原子力発電所から約25キロ、DASH村から南に4キロに位置する葛尾(かつらお)村。そこで地域おこしに取り組む青年がいます。

DASH村から南に4キロ、そこがぼくのふるさとだ。

Hiroshi Ishii / BuzzFeed

TOKIOが開墾したDASH村(浪江町)に隣接する葛尾村。ぼくはそこで生まれ育った。写真は生家だ。

高校を卒業してすぐに上京し、紆余曲折を経て今はBuzzFeed Japanに勤めている。

「ザ!鉄腕!DASH!!」でDASH村企画が放送されていたころ、テレビを通してふるさとの景色を観るのが楽しみだったし、「あれが地元の風景なんだ」とよく自慢(自虐)したものだ。

葛尾村

葛尾村の総面積の約80パーセントは山林だ。春には桜と山つつじ、夏は深緑、秋は紅葉に包まれる。

葛尾村

その自然の見かけだけは、今でも変わらない。

避難指示解除、その後。

被災前は約1500人が暮らした葛尾村。

2016年6月12日に避難指示が解除されるも、生活基盤が変わってしまったり、帰村後の不安から、村に戻ったのは290人余り。(3月1日現在)。半数以上が65歳以上だという。

そんな過疎の村で地域活性化に取り組む青年がいる。

地域づくり団体「葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ)」の代表・下枝浩徳(したえだひろのり)さん(33)だ。

Hiroshi Ishii / BuzzFeed

彼はぼくの2歳年下の幼なじみだ。

ぼくはいつも、彼を「ヒロノリ」と呼んできた。だけどこの記事では、きちんと「下枝さん」と記してみよう。彼への敬意を込めて。

下枝さんは東京で就職したのち、2011年の震災を機にUターンをした。

2012年に設立した葛力創造舎は、少人数の集落でも幸せに暮らすための生業づくりと、地域を担う人材育成を行なう団体。村にとって最適な復興の方法を探り、その幅を広げながら地域づくりに取り組んでいるという。

その活動は多岐にわたる

葛力創造舎 / Via katsuryoku-s.com

村内のコメ生産農家と協力し、商品開発を目的とした水稲栽培。

葛力創造舎 / Via katsuryoku-s.com

福島県産のモチ米を使用して、関東で餅つき大会を開催した。

葛力創造舎 / Via katsuryoku-s.com

地域を担う人材育成を目的としたマネージメントやコミュニケーションの指導など、村外の若手に向けた講習会なども行なっている。

同じ村の出身として誇りに思う一方で、素朴に疑問に思うことがある。

なぜ、被災した村でこんなことを?

震災から8年が過ぎ、ぼくは改めて葛尾村の価値を考えてみた。

ため息がでるほど豊かな自然がある。しかし、娯楽や観光資源は乏しい。葛尾を繁栄する手段なんてあるのだろうか…?

これについて下枝さんはこう話す。「葛尾の良さってお互いに助けあう『結』の文化だと思ってて。それがしっかり残ってるのがいいんです」

葛尾村のバリューは「人と文化」

Hiroshi Ishii / BuzzFeed

田んぼの季節は隣近所で助け合い、野菜が採れたらシェアをする。その文化が今でも当たり前に残ってる。

下枝さんはこの土着的な習慣と人間関係に着目した。

「村のコミュニティは閉じた世界ですけど、その中にはイノベーティブで持続的なコミュニティがあった」

村のコンセプトやアイデンティティを考えた結果、田植えに行き着いたという。村の文化や食べ物、全ての軸にあるのは「コメ作り」。それをひたすら突き詰め、田植え体験をコンテンツ化することができた。

提供画像

「葛尾の人の生活や文化は実は外から見たらすごいんじゃないかと思う」

これは未来に対して提案できることではないかーーそう下枝さんは考える。

村を出てやってきたこと

Hiroshi Ishii / BuzzFeed

下枝さんは県内の高校を卒業後、関東の大学へ進学した。

なんの因果か、そこで学んだのは災害対策だった。

「とにかく面白い教授がいる大学に行こうと思ったから、学部はどこでもよかった。そうして見つけた方が、液状化現象の専門家だったんです」

災害対策を学びながら地域関係の学生活動やボランティア活動に没頭した。海外を放浪してみたこともあった。村では体験できない"おもしろそう"なことには迷わず飛び込んだ。

大学院を卒業したのち、就職したのは土木関係だった。

「そこではトンネルの水抜きや地質調査などの現場監督をしていました。やりたい仕事だったけど、なんか働いててイマイチというか…」

辞表を提出した3月11日

就職して一年が経とうとした2011年3月11日の昼過ぎ、下枝さんは会社に辞表を提出した。

「でも当時の上司に考え直せって言われて。今考えると運命めいたものを感じますね」

その数時間後、地震が起きた。

下枝さんは一度辞表を取り下げ、有給を利用してボランティアを始めた。ボランティアと言っても当時はまだ、物資輸送しかなかったという。

「運送屋さんが全国の支援物資が集まる拠点になってたから、そこから南相馬市とかに物資を持ってったんです。で、空いた時間に葛尾に入りました」

村が嫌いだったからこそ…

葛尾村

「好きなことは色々やってみたし、綺麗なモノとか楽しいモノに自分から向かって行ったけど、それでも嫌いな村が残ってた」

「それに、結局自分は何も生み出せてないことに気づいたんです。だったら、それができる場所に行くべきなんじゃないか考えた」

自分にしかできないことを突き詰めた結果が、葛尾村だった。

「同級生で大学まで進学したのは俺だけで、大学で地域関係の学生活動をやってたし。あと、そこまで村に尽くす人っていないだろうなって思ったんです」

つくりたいのは「お金だけじゃない価値」

Hiroshi Ishii / BuzzFeed

東北では少しずつ価値観の変化が起きていると下枝さんは語る。

「お金のパラダイムシフトが起きているんです。お金の軸が少しずつ壊れてきて、その次の軸を見つけ始めてるんじゃないかなと思います。それが『出来ることのシェア』」

「スキルをどれだけ保有しているかが、これからの価値なんじゃないかと思うんです。何が出来るか、何を造れるか…その人がスキルをどれだけ抱えてるかが大事なんじゃないか」

「葛尾は自分で何かを生み出せる人の保有率が高いんです。それを掘り起こして、ビジネスに巻き込んで行く。それを、その人たちがやりがいを感じられる規模感でやれたらいい」

活動を続けられた理由

Hiroshi Ishii / BuzzFeed

これまでの活動は決して順風満帆だったわけではない。

団体の立ち上げ当初は、学生時代のグリーンツーリズムの経験を活かしながら、東京の人たちに向けた田植え体験や、郷土料理でのもてなしイベントなどを手探りで始めた。しかしなにをやってもうまくいかなかった

「ツアーをやったって収益は上がらないし、誰かが喜ぶって感じでもなくて。村の人をただ巻き込んで疲れてたって感じでした」

貯金がつき、家賃も払えず、アパートを追い出されたこともあった。車や事務所に寝泊まりした2013年。やれどもやれども収入は上がらない。先も見えない。

そんな状態でも続けられた理由はたった一つ、意地だと話す。

「ここまでやって何も残らないってありえない、何か作ってやらないと辞められないって思いました」

「意地でここまでできたのが、今じゃ自信になってます。辛い時期にいろんなものを学ばせてもらったんで」

「限界集落」この言葉に感じる違和感

Hiroshi Ishii / BuzzFeed

「なんか限界集落とか過疎って言葉って結局外の人が貼ったレッテルで、僕たちの価値観じゃない。都市の人の評価とは違う価値が葛尾には残ってるんです」

「震災の時も、"かわいそうな地域"とか言われたけど、意外とみんな強いからしたたかに力強く生きてるよって思っていました。そのギャップが気持ち悪かった」

「もともと東北は大和朝廷に征服された土地だからか、反骨精神が旺盛なんです。でもそこがクリエイティブで面白いと思うし、やっててよかったなと思います」

BuzzFeed Japanでは、あの日から8年を迎える東日本大震災に関する記事を掲載しています。あの日と今を生きる人々を、さまざまな角度から伝えます。関連記事には「3.11」のマークが付いています。

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