最近の10代は「盛って自撮りする」と聞いたのでやってみたんですが、

やばくないですか? なんだこれは。
ここまでお顔が変わると、「だましてる」という罪悪感でいっぱいになる!
でも、盛り写真をSNSにアップする子もたくさんいるんですよね。そもそもどうして盛るんだろう? 現実とのギャップは気にしないの?
東大の研究者に会いに行く
謎を解き明かすべく東京大学にやってきました。
この方は、情報理工学系研究科 特任研究員の久保友香さん。

久保さんは、カラコンやつけまつ毛、カメラアプリなど“盛るためのツール”を「シンデレラテクノロジー」と名付け、7年間研究しています。

目標は「“盛り度”を測る数式を作る」ことだそうです。そんな久保さんに疑問をぶつけてみました。
ようやく庶民に降りてきた「盛り」技術
ーー最近の女の子って、すごく盛るじゃないですか。
そうですね。でも「最近の女の子」限定だとは考えていません。「嘘でもいいから一瞬だけでもキレイになる技術」が、一般社会にもようやく落ちてきた……というのが私の考えです。
例えば、美しい芸能人の方だって高度なメイク技術を使っていたり、Photoshopで加工していたりと、本当の姿はわからないですよね。
昔なら、平安時代のお嫁さんが白塗りにして、眉を剃り落としていたりとか。ああいうのも誰が誰かわからないですし(笑)
これらもすべて、本来の自分を隠す「盛り」だと言えると思うんです。

ーー言われてみれば芸能人は常に「盛ってる」状態ですね。
はい。こうした本来の自分を隠し、「理想の自分」に見せる盛り技術は、長い間、選ばれた人のみに許された技術でした。
しかし、現在はハイテクコスメやカメラアプリを駆使すれば、一般人である私たちも「理想の自分」を実現できます。
その技術進化をいち早く取り入れ、楽しんでいるのが若い女の子たちなんです。

「努力」を評価する女子の世界
ーーでもいくら理想に近づいたって、現実とのギャップがあるじゃないですか。
そう! 私も不思議に思って、たくさんの女の子にインタビューをしました。話を聞いているうちにわかったのは、理想と現実の「差」はあまり気にしてない子が多いということです。
むしろ、女の子が重要視しているのは努力の過程です。「盛る」って実はクリエイティブなセンスと努力が要求されます。トレンドを押さえつつ、コスメの使い方や、カメラアプリの使用センスで個性を出さなくちゃいけないので。
だから、完成した写真が上手に盛れていると、仲間うちではよしとされるんです。もはや「作品作り」に対する評価ですね(笑)

ーー職人みたいな世界ですね。
まさにそうです。あとわかったのは、「盛れすぎの坂」という微妙なラインがあること。理想の自分を目指すけど、やりすぎは良くないとされています。

ーーも、盛れすぎの坂! むずかしい問題ですね。
「ただ個性を出す」って簡単だと思うんです。でも、トレンドを守りつつ、個性を出すというのは創造的でむずかしい。大人からは同じように見えても、彼女たちには、それぞれの差異が見えています。
基本を捨てず、努力のプロセスを評価するという姿勢は、日本古来から伝わる「守破離」の美意識に似ているな、とすら思うんです。

「盛り」は新しいコミュニケーションの発明
ーー思ったよりクリエイティブな世界で驚きました。でもその画像をSNSにもアップするのって怖いんですけど……。
それが「盛る」には、個人をぼやかす効果もあることがわかってきました。リアルにつながっている友達とは、同じ美意識を共有しながら、自分を表現する。でも外の人から見ると、みんな同じように見える。生物の「擬態」のような効果があって。

ーーたしかに、盛り写真は個体認識しづらいです。本当に同じに見えるし。
自分も表現しつつ、表情で気持ちを伝え、アイデンティティもぼやかせる技術が「盛り」なんです。
私はこれを「SNS時代が生んだ新しいコミュニケーションの方法」だと思っています。顔文字が登場した時のような感覚です。


いつかは「盛り」という特別な言葉もなくなって、馴染んでいくと思っています。バーチャル上で努力してキレイに見せることは、ごく当たり前になるのではないかと。
ーーでも、元の顔と違う! と言われるのは怖いです。
私もまだ慣れません。でも、これだけいろいろと技術が進んでいるのだから、道具をうまく使ってキレイに見せることが正当に評価されてもいいと思うんです。
元の顔を強く崇めるって、腕力の強い人が権力者になるみたいな、すっごく原始的な発想だなと思っていて(笑)
だから、体重を測るように、「盛りの努力」を測れる指標をいつか作りたいなと考えています。