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難民の子どもたちの肖像 第二次大戦の時と、変わらぬ姿

第二次世界大戦以降、難民の4分の1以上は子どもたちだ。

2015年、100万人以上の人々が暴力から逃れるため故郷を離れ、陸路や海路を経てヨーロッパに渡った。欧州の各国政府は押し寄せる難民の波への対応に追われている。

2015年に安住の地を目指した多くの人々の姿は、1945年の第2次世界大戦終戦後に見られた姿と重なる。

ユニセフが編集したフォトエッセイの中で、第二次世界大戦後の難民と今日の難民の不思議なほど似通った姿を見ることができる。そして、その4分の1は子どもたちである。

(左)1945年頃のアルバニア、カバヤの難民キャンプで、泣く幼児を背負う少年。

(右)2015年、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国のゲヴゲリヤ近くで、泣いているところをなぐさめられる少年。

(左)1950年頃のギリシャ。紐でたくしあげたソックスを履き、大きすぎる大人用の靴を履く少年。

(右)2015年ゲヴゲリヤで、シリアの混乱から逃れてユニセフ支援のチャイルド・フレンドリー・スペースで衣類を着替えた後、息子Basherの靴紐を結んであげる父Jamal Majati。

(左)1949年イタリア、ナポリのSanta Genoveva Institute孤児院で、新しいドレスを作るための採寸時に微笑む少女。

(右)2015年Tabanovceで、新しい冬用の衣類を配給されるマケドニア旧ユーゴスラビア共和国、シリア、アフガニスタン、イラクからの難民。

(左)1946年頃のギリシャで、診療所が設置された校舎の窓から顔を出す少女たち。

(右)2015年、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国、ゲヴゲリヤの入国ポイントで行く手を阻まれ、大人と一緒にワイヤーフェンスの前に立つ幼い子供。

(左)1946年ポーランド。一家を待つ南部シレジア地方の牧場へと向かう途中、荷物の上で休息をとる難民の家族。

(右)2015年マケドニア旧ユーゴスラビア共和国。セルビアに向けて北へ向かう線路沿いで、毛布にくるまる少年。

(左)1946年頃のギリシャで、セモリナ粉にオリーブオイルやマーガリン、砂糖を加えて作られる菓子「ハルヴァ」を楽しむ難民の少女たち。

(右)2015年、ギリシャと国境を接するゲヴゲリヤで、線路沿いに立って菓子を食べる難民の子ども。

(左)1955年頃のギリシャで本を読む難民の少年。

(右)2015年セルビア。教材やおもちゃが揃うユニセフ支援のチャイルド・フレンドリー・スペースで絵を描く子どもたち。Preöevoを通過する長旅で疲れ切った様子。

(左)1945年アルバニア。 Kavaja難民キャンプの玄関前で赤ちゃんを抱いて立つ女性。

(右)2015年ギリシャ。イドメニに設置された一時滞在キャンプのテントの中で、1歳半の息子Hassanを抱くFatima Margeと夫Ali。

(左)1950年頃、イタリアでサッカーを楽しむ、体に障害がある子どもたち。

(右)2015年、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国の難民・移民収容センターでサッカーをする10代の子どもたち。子どもたちは、ゆっくり体を休め、心のケアを受けられる安全な場所を必要としている。