松重豊は、毎日1話ずつ小説を書くことにした。

「アイデアはどんどん浮かんだ」「これならいくらでも書ける」

    松重豊は、毎日1話ずつ小説を書くことにした。

    「アイデアはどんどん浮かんだ」「これならいくらでも書ける」

    俳優、松重豊が小説を書いた――。

    書き下ろし連作小説12編と、週刊誌で連載してきたエッセイ25編が収められた書籍『空洞のなかみ』が10月24日に刊行された。

    新型コロナに伴うステイホーム期間に一気に書き上げたという小説は、役者廃業を考え始めた「私」が主人公。

    長年第一線で活躍する松重さんだから書ける“役者あるある”の切り取り方が絶妙だ。

    「『何がやりたいんだろう? この人は』って思われているのが一番いいです」

    なぜ、名優が小説を? その答えから見えた、役者・松重豊の信念とは。

    小説を書き始めた理由

    ――あの松重さんがまさか小説? と驚きました。

    約2年エッセイを連載してきて書籍化が見えてきたところで、編集者さんから「エッセイだけだと埋まらないので、例えば対談とか加えますか?」と提案があって。

    どうしようかと考えていたところで、そのままステイホーム期間になっちゃったんですよね。

    足りないなら何か書くか、小説とか書いたら面白いかな、と思って手をつけてみたのが4月のことでした。

    ――これまでも小説を書きたい気持ちはあったのでしょうか。

    正直、特には。これまで誰かのセリフを読み込むばかりで、自分が作る側に回るとは考えたこともなかったです。

    でも、書き始めてみたらかなり楽しかったです。お金もかからないし、キャスティングも自由でしょ? ハリソン・フォードにもチューバッカにも出演してもらえましたもんね、タダで(笑)

    ――確かにハリソン・フォードをキャスティングしようと思ったら大変ですね(笑)

    アイデアはどんどん浮かんで、これならいくらでも書けるな、と思いました。1日1編ずつ書き進めていましたもん。

    ――かなり速筆ですね!?

    編集さんと「どうしますか? まだ全然いけますけど?」「ちょっと待ってください! ページ数確認します!」って。

    でもね、みんなステイホームで時間があって、「小説でも書くか」と思った人って僕以外もいっぱいいると思うんですよ。

    これからコロナエセ文学みたいなのがいっぱい出てくるだろうから(笑)、急いで出版して埋もれないようにしようと頑張りました。

    会津のみんなの「おとっつぁん」だから

    ――主人公は、出演しているのがどんな作品なのか、自分が何の役なのかわからないままその場の状況を見て「この状況、本能寺の変に違いない」など予想していきます。映画やドラマの“あるある”が散りばめられているのが面白いのですが、長く役者をやっていると、頻出するがゆえに妙に詳しくなってしまう歴史上の事件はいろいろあるのではないでしょうか?

    あります、あります。しかも、演じるのってだいたい特定の時代なんですよね、戦国か幕末か。

    今年の大河ドラマも明智光秀ですけど、これまでステレオタイプに悪役だった人が脚光を浴びている傾向は面白いですよね。同じ時代でも見方が変わりますし、人物像にも深みが出て。

    特定の時代が多いということは、当然出てくる人物もある程度限られるわけですが、例えば会津藩士をやっちゃうと、すぐに今度は薩摩藩士! ってわけにはいかないんですよ。会津のみなさんが「おとっつぁん」と呼んでくれているのに……ねえ?

    ――確かにそこは気まずさが……!

    もちろん役者だから発注があればいろんな役はやるんですが……それにしても、数年後にしれっと西郷隆盛の父ちゃんをやっていたら「なんだあいつ」ってなるでしょ。そういうこともありますね。

    ヤクザや刑事から「かわいい」へ

    ――「一年中ずっと刑事かヤクザの台本が鞄に入っている」という一節にもニヤニヤしてしまいました。

    40代は本当に刑事とヤクザばっかりでしたねえ。常にどっちかの台本が鞄に、は大げさじゃないですよ。

    「バイプレイヤーズ」ってドラマがありましたが、遠藤憲一さんも光石研さんも、もういろんな現場でもおなじみのヤクザ仲間でしたから。

    常に同時並行でやる、その在り方は大杉漣の影響かもしれないですね。現場ごとに与えられた要求にしっかり応えていく「300の顔を持つ男」。僕らは彼の背中を見てずっと走ってきたので。

    まぁ、最近そんな人たちが「かわいい」って風潮が出てきて、それもなんか戸惑いますよね。乗っかって「かわいい」役を発注してくる人もいますから。猫とか……。

    ――(笑)。ヤクザから猫まで。

    宇宙人もあるし、ゾンビもあるし。舞台では黒人奴隷も演じたことありますね。何者にでもなれる、のは役者としていう仕事の面白さであり覚悟だと思います。

    「松重豊っぽい」にとらわれない

    ――主人公の思考には、松重さんの考え方や実体験がベースになっている部分もありますか?

    自分がいま何の役をやっているかわからない、ってことは究極ないと思うのですが、役者の居方としては悪くない部分もあると思っています。

    「今日はこのセリフをこういう風に言うぞ」と事前に決めすぎている役者が、僕はあまり好きじゃないし、そうなりたくはない。

    同じ空間で相手役のセリフを聞いて、心が動いて、その動いている心がカメラにドキュメンタリーのように映れば、演技なんて成り立つんですよね。なので「何も考えずにその場にいる」というのはすごく大事なことだと思うんです。

    ――刊行にあたってのコメントでも〈40代を過ぎてから「自我や自意識は邪魔なものでしかない。空っぽの自分になるしかない」と自覚するようになりました〉とありました。

    役者は人に見られてなんぼな仕事だし、他人の目は常に意識せざるをえないんですけど、かといって、「見られている自分」を意識して作り始めるとダメだと思うんですよね。

    「松重豊がしそう」「松重豊っぽい」って世間が思うイメージにとらわれてしまうと、そこから先にいけない。新しいものにならない。「自分はこういう人間だ」と言い切ってしまうと、それが表現の邪魔になっちゃう。

    だから世間が持っている「松重豊」のイメージにどう応えるかより、どう抜け出すか、逸脱するかこそ考えないといけないんですよね。

    今回、本を書いたのも「役者」という器もほっぽりだした、とも言えるかもしれません。

    ――なるほど。松重さんが小説の世界に一歩踏み出した理由がわかってきました。

    自分は何を目指しているのかわからない、っていうのが一番精神的なバランスがとれていて、安定している状態な気がするんです。

    「松重さん、なんで小説なんだろう?」って人もいると思うんですが、それでいい、それがいいんですよ!

    「何がやりたいんだろう? この人は」って思われているのが一番いいですし、そうありたいですね。

    松重豊(まつしげ・ゆたか) 

    俳優。1963年生まれ。福岡県出身。明治大学文学部在学中より芝居を始め、1986年に蜷川スタジオを経て、2007年に映画『しゃべれども しゃべれども』で第62回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。2012年『孤独のグルメ』でドラマ初主演。2019年『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』で映画初主演。2020年放送のミニドラマ『きょうの猫村さん』で猫村ねこを演じて話題に。「深夜の音楽食堂」(FMヨコハマ)では、ラジオ・パーソナリティーも務めている。