自死を選んだ夫の、最後の言葉は「ありがとう」だった。

    「国相手に裁判するなんて勇気あるね、なんてよく言われるんですけど」「人間が目の前で壊れていくのを見ていた怖さに比べたら、全然たいしたことじゃないです、何もかも」

    「国会議員・公務員の皆さん どこ向いて仕事していますか?」

    森友学園への国有地売却問題をめぐって公文書の改ざんを強いられ、54歳で命を絶った財務省近畿財務局の赤木俊夫さん。

    彼の死から2年を経た今年3月。妻・雅子さんは、夫が生前に書き残した手記を「週刊文春」を通して世に公表し、国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手取った裁判を起こした。

    一人の女性が、国を相手に裁判を起こす。その勇気はどれほどだろうか。

    悲しみと怒りを抱えながら、「真実が知りたい」と今も奮闘し続ける雅子さん。

    夫婦2人でこれからまだまだ幸せな思い出が作れたはずなのに。もっとたくさんの時間を過ごしたかったのに。最愛の夫・俊夫さん――トッちゃんへの思いを聞いた。

    「財務省に殺された」と思った

    ――俊夫さんが亡くなった日のことをお伺いしてよろしいでしょうか。雅子さんご自身が発見されたんですよね

    はい、そうです。2018年3月7日のことでした。

    その日は私、仕事があったので、朝いつものように家を出たんです。当時、彼は鬱がかなりひどくなっていて、普段は布団かコタツの中でずっとうずくまっているような状態だったんですが、その日だけは玄関まで私を送りに来てくれて。「ありがとう」と一言言ったんですよね。

    なんだか嫌な予感がして、気持ちが悪いまま仕事に向かいました。

    昼間に何度かメールを送ったら、返事が1行だけ返ってきて少し安心しました。でも夕方以降、一切返事がなくなったので「ああ、これちょっとおかしいな」と……。慌ててタクシーで自宅に帰りました。

    急いで家に駆け込んだら、リビングで首を吊った状態の彼を発見しました。

    一目見てもう助からないな、とわかったんですけど、私は「財務省に殺された」と思ったから、救急車じゃなくて警察に電話しちゃったんですよね。110番。

    そうしたら電話口の方に「あなたは今110番にかけているけど、すぐに119番にかけ直しなさい」って。あ、そこは回してくれないんだ、自分でやらなきゃいけないんだ、って妙に冷静に思ったのを覚えています。

    馬乗りになって、前日にたまたまテレビで見ていた心臓マッサージをしました。「よう頑張ったなあ、つらかったなあ」と話しかけながら。

    目の前で人が“壊れていく”恐怖

    ――雅子さんは、亡くなる直前まで、俊夫さんが何に苦しんでいたかはご存じなかったんですよね。

    「大変なことをしてしまった」「内閣がひっくり返ることをしてしまった」とは聞いていたんですが、具体的には知らなかったです。

    数日前に財務省の改ざん――当時は「書き換え」だったと思うんですけど――のニュースを見て、夫がやったのはこれだなって一瞬でわかりました。

    ――著書『私は真実が知りたい』の中では、俊夫さんが改ざんを苦にしてどんどん心を病んでいく様子が克明に描かれています。何があったのかわからないまま近くで見守っているのはどんな気持ちでしたか。

    もうただただ、しんどかったです。人間って、こんな風に壊れていくんだなって……ものすごい恐怖でした。

    明るくて大きな声で笑う人だったのに、多趣味でいろんなことを楽しんでいる人だったのに、日に日に表情が亡くなって、大げさじゃなく別人になって。

    「国を相手に裁判するなんて勇気あるね」なんてよく言われるんですけど、私としてはそういう感覚はほとんどなくて。

    あの怖さ……人間が目の前で壊れていくのを見ていた怖さに比べたら、全然たいしたことじゃないです、何もかも。

    「本当に悪者なんていないと思うんです」

    ――改ざんに関わった関係者のことを一方的に責めるわけでなく、「告発することで悪者にしてしまう人がいる」「この人もかわいそう」と葛藤する姿が印象的でした。

    そうですね……。例えば、池田さん(俊夫さんの直属の上司)は、本当はきっと悪い人じゃないと思うんですよ。夫もすごく好きで信頼していたから。

    というか、財務局に勤めている人で本当に悪者なんていないと思うんです。それぞれ立場が会って、家族があって、いろんなものを守るために少しずつ嘘をつかなくちゃいけなくて。

    本当のことが言いたくて、でも組織の論理の中で自由に言えなくて、今も苦しんでいる人がいると思うんです。嘘をつかずに本当のことを言えるのが一番楽でしょう?

    ――でも、手記が公開された後も「再調査はしない」という意向を変えない財務省の姿勢などを見ると、どうしても憎しみも生まれてしまいませんか。

    うーん……財務省にはあるかな。そういう風に人を追い込んでしまっている組織にはね。別に許しているんですよ、佐川(宣寿)さんだって池田さんだって。

    裁判を起こしたのも個人を憎んでいるとか悪を裁きたいというよりは、知っていること喋ってくれたらいいのに、ってそれだけです。安心して真実を言える場を作ってほしい。ただそれだけ。

    夫と暮らした同じ部屋で

    ――著書の中で俊夫さんと雅子さんの2人の思い出がたくさん描かれていて、優しく誠実で明るい人柄が伝わってきました。「自殺に追い込まれてしまったかわいそうな人」である前に、幸せな時間が、人生がいっぱいあったんだなぁ、と。

    うれしい。いろいろ遊びに行ったり旅行したりしたけど、結局家の中で隣に座って本を読んでテレビを見ていた、普通にしていたら幸せだとも思わないようなことが幸せだったんだなぁ、と後からしみじみ思います。

    本当に大したことない瞬間がね、今思うと。

    ――今も当時と同じお家にお住まいなんですよね。

    はい。夫の部屋もある程度片付けましたけどほとんどそのままで。……一人で住み続けるのはどうなんかなぁと思いながら。

    ――辛くなることもありますか。

    慣れることは、ないですね。外で友達と会って楽しい日もあるじゃないですか。でも帰った時に一人の部屋で、一気に現実に引き戻される感覚はあります。「あ、トッちゃんはいないんだ」って。

    この春は新型コロナでなかなか外に出られなくなったのも苦しかったですね。家にいる時間が長いと「さみしいなぁ、ここに彼がいればなぁ」って気持ちはどうしても芽生えました。

    ――本当に仲が良かったんですね。

    ふふふ、そうなの。すごく仲良かったですよ。ずうっと一緒にいたので、今隣にいないのが不思議です。毎日不思議。また会いたいなっていつも思っています。

    ――会えたらなんて伝えますか。

    まずは「つらかったね、苦しかったね」っていっぱい背中をさすってあげたいです。

    今、私が裁判をしているなんて知ったらびっくりすると思いますよ。全然そんなことするようなタイプじゃない、似合わないから!

    でもそんな私が勇気出してやっているんだなぁって応援してくれていると思う。

    彼のために、頑張ります。そうじゃなきゃ、自分が後悔すると思うから。

    〈私の夫、トッちゃんは二度と返ってこない。でも私の人生は続く。真相がわからないままでは私は人生をリセットできない。(略)

    公正な第三者の手で再調査をしてもらおう。そして納得のいく説明をしてもらおう。それが私の願いだ。世論に訴え、世論を動かし、真相を解明するんだ。その時、トッちゃんは言ってくれるだろう。

    「ようやったなあ、まあちん。ありがとう」

    ……「まあちん」は、私、雅子の、トッちゃん風の呼び名だ。〉

    ──『私は真実が知りたい』より

    ◆雅子さんが起こした2つの裁判の概要

    1.公文書の改ざんを強制された精神的苦痛や過労が原因でうつ病を発症したとして、国と佐川宣寿元理財局長に、合わせて約1億1000万円の損害賠償を求めている。

    国の主張:俊夫さんが決裁文書を改ざんすることに強く抵抗していたこと、連日長時間労働が続いていたことは認めつつ、争う姿勢。改ざんと自殺に因果関係があったかどうかを今後主張していく予定。

    佐川氏の主張:「職務中に行った行為で他人に損害を与えた場合、賠償責任は国が負い、公務員個人は責任を負わないという判例が確立している」と主張。訴えを退けるよう求めている。

    2.俊夫さんの死は公務災害と認定しながら、近畿財務局はそう認定された理由を記した文書の開示を先延ばし、原則30日の開示までの期限を1年に延長すると通知している。速やかな情報開示を求め、こちらも国を相手に新たに提訴した。

    国の主張:「関連文書が多く、新型コロナに伴う業務体制縮小もあり、開示手続きが間に合わない」と対応の正当性を主張。訴えを退けるよう求めている。

    森友学園をめぐる公文書改ざん問題で、自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さん。 俊夫さんは、公務員として働くことを「僕の雇い主は国民。そんな仕事ができることを誇りに思ってる」と語っていました。 妻の雅子さんはいま「国会議員・公務員の皆さん どこ向いて仕事してますか?」と問いかけます。