目の見えないわたしが「白杖一人旅」にでた理由

    視覚障害をもつある女性が、東京への一人旅を決心。そこで見つけた自信と勇気、そして東京のバリアフリーへの課題とは。

    目の障害を理由に、色々なことを諦めていたーー。そんな、女性がいる。

    彼女にとって、東京への一人旅は大きな挑戦だったという。なぜ、彼女はそれを「奇跡」と感じたのか。

    「諦めていた、動物園やショッピング、カフェ巡り……。どれも本当に楽しく体験できました。見えなくても、感じることができたんです」

    そう東京への一人旅の思い出を語るのは、丸山さん。41歳になる香川県在住の女性だ。

    2人の子の母でもある彼女は、生まれつきの病気が原因で、視力がほとんどない。光が若干、わかる程度だ。

    彼女はなぜ、旅に出たのだろうか。

    1人の人間としてみられる事が難しい

    丸山さんは網膜色素変性症という病気を抱えている。

    日本眼科学会によると、暗い所や夜、目が見えにくい状態となる夜盲や、視野が狭くなる、視力が低下していくことなどがを症状とする難病だ。

    丸山さんの病の進行が早まったのは、2人目の子どもを出産した34歳の時。視力が低下して1人での外出が不可能になり、ヘルパーを雇うようになったという。

    36歳で盲学校に入学した。39歳で卒業する頃には、ほとんど視力を失なった。いまではうっすら光が見える程度だ。

    「目が見えなくなり、一番怖かったのは1人で外出することです」

    そう語る丸山さん。人から助けてもらうばかりの毎日に、「自分は誰かの役に立てているのか、必要とされているのか」と、悩んだ時期もあったのだという。

    周りの態度が冷たくなるなどの態度の変化から「普段は一人の人間としてみられることが難しい」。そうも感じていた。

    そんな丸山さんを変えたきっかけは、仕事を持ったことだった。2016年に「あん摩マッサージ指圧師」の国家資格を取得したのだ。

    「人生が180度変わりました。社会の一員として、働けること、人に必要とされること、感謝されること、たくさんの人たちのおかげで、勇気と自信を持てるようになりました」

    1人で外に出るには、まだ自信が足りない

    いまでは機能訓練指導員、あん摩マッサージ指圧師として有料老人ホームで働きながら、治療院「カルム」を経営するようにもなった、丸山さん。

    それでもまだ、1人で旅をすることはできなかった。

    「仕事を初めて自信はつきましたが、やはり1人での外出は不安でした」

    丸山さんを一人旅へと後押ししたのは、自立していたいという思い、そして、東京に行って勉強をしたい、という思いだった。

    「障害者になったとしても、自立した人でいたかったんです」

    今年3月、まずは地元香川県からヘルパーに同行してもらい、観光を楽しんだ。また6月には大阪も訪れた。それでも、恐怖は大きかった。

    「人や音、光が多いことへの恐怖が勝ってしまって……。周りに気を配る余裕は、ありませんでした」

    とはいえ、練習を重ねたことは自信にもなった。「挑戦してみよう」と、一人きりで飛行機に乗って東京にくることを決意した。

    東京で感じた「バリア」の多さ

    「信頼できるヘルパーさんとの出会いも、東京に一人で行こうという気持ちを後押ししてくれました」

    一人旅では、ガイドヘルパーやSpotliteという視覚障害に関する情報を発信するWebメディアでの発信活動をしている高橋昌希さんがそのサポートに回った。

    高橋さんはこう語る。

    「丸山さんが事前に行きたいところを仰ったので、私はスケジューリングして誘導するだけでした」

    2回目の東京旅行となった今回の旅では、少し余裕が出て冷静に東京の様子を感じ取ることができた、と振り返る。

    「良かった点は、サービスが行き届いていること。 デパートのアテンドサービス、ホテルの視覚障害者への配慮、表参道のアロマサロンのお店の方、どの店に行っても、視覚障害者への理解があり、サポートがすごかったです」

    一方で、「バリア」の多さも痛感したという。

    東京の観光地をたくさん巡ったという丸山さんはこう語る。

    「特に新宿駅は、アナウンスの声が大きい為、電車が入ってきた音もわかりづらく、人も多いので、転落事故が多いのも納得できました」

    「視覚障害者は、空間認識と、聴覚で、ほとんど行動しているので、点字ブロックの上に人がいて、少しそれるだけで、方向感覚がわからなくなり、ホームに転落と言うケースがあるんだと思います」

    同行したヘルパーの高橋さんはこう語る。

    「ホームドアのない駅が目立ちました。また効率的な乗り換えルート、エスカレーターやエレベーターに近い乗降位置、有人改札の位置などを事前に調べておかなければ、移動が相当の負担になると感じました」

    東京のバリアフリー面の欠点に気づいた一方で、今回の旅は、丸山さんにとっては人々の温かいサポートに感謝するきっかけにもなったのだという。

    周りに、見えない人がいたら

    「私は、今回たくさんの方のサポートにより、白杖一人旅を実現することができました」

    そう丸山さんは旅を振り返る。

    「明治神宮で出会った外国人観光客の方が、しっかりとジェスチャーで伝えながら、英語がわからない私を手助けしてくれました。またANAの空港内でのアテンドサービスも素晴らしかったです。空港に到着した時から、飛行機に乗るまでの全てをサポートしてくれました。こうしたサービスがなければ、一人旅は不可能だったと思います」

    一方で、善意によるサポートであっても、不安を感じるケースもある、と語る。

    「山手線に乗った時に、いきなり声掛けをせず、体を引っ張られるのがとても怖かったです。多分、電車に乗るときに危ないと思い、手を貸してくれたんだと思いますが、サポートをしてくれるのであれば、『何かお困り事はありますか、何か手助けしましょうか?』と一言声をかけていただけるだけで、とても安心感があり、お願いしやすいです」

    手引きをする場合は、腕や手を引っ張ったり、背中を押したりするのではなく、肘を持ってもらうことが大切だという。ヘルパーの高橋さんはこう語る。

    「まず声をかけて、その人に聞く、というのが正解だと思います。もし断られてもへこまずに、また次に声をかけてほしいです。そうすると、視覚障害者の方も『ここは声をかけてくれやすい場所だな』と思って、外出する気持ちが湧いてくるかもしれません」

    視覚障害者の方へのサポートの仕方の詳細は、日本点字図書館のパンフレット「いっしょに歩こう」などにもまとめられている。

    「白杖一人旅」が、教えてくれたこと

    社会の一員として、働けること、人に必要とされること、感謝されることーー。今回の一人旅を通じて、そうした大きな自信を持てたという丸山さん。

    「たくさんの人たちのおかげで、勇気と自信を持てるようになりました。新しい方との出会い、体験、それは人生において私を成長させてくれました」

    旅から帰ってきたあと、Twitterにこんなことを書き込んだ。

    「皆さん、奇跡を信じますか。私は今回の東京への白杖1人旅では、たくさんの出会いと奇跡があった。勇気を出して一方踏み出すことで、新しい自分に出会え、来年の4月にまた東京に行くきっかけもいただけた
    目が見えなくなってから、こんな幸せな未来の自分と出会えるとは、思ってもいなかった」

    見えなくても、「こんなに素敵な体験ができ、たくさんの人たちの助けと親切により、幸せを感じることができる」ことを伝えたかった、という。

    「見えなくなっても夢を持つこと、勉強すること、新しいことにチャレンジすること、私でもできると言うことを、皆さんにお伝えし、他の方に勇気と自信を持っていただきたいです」