写真で振り返る、原爆投下後の広島と長崎

    1945年8月6日に広島、9日に長崎の上空で、アメリカが原子爆弾を投下した。(※注意:負傷された方の写真があります)


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    長崎に落とされた原爆の放射性雲の様子。1945年8月9日、9.6キロメートル離れた香焼町から。アメリカの大型戦略爆撃機B29が「ファットマン(太っちょ)」と名付けられた原爆を落とした。午前11時をちょうど回ったとき、長崎の北部上空で爆発した。

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    原爆が街に落とされてから2ヶ月後、被害に遭った長崎の街を1人の男性が歩いている。

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    1945年、長崎に原爆が落とされた後の惨状。


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    1945年の原爆投下後、日本兵たちが長崎の被害を視察している。

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    (左)1945年、爆発の熱によって焼けて骨になった被爆者の骸骨が見つかった。(右)1945年長崎に原爆が落とされた後、壊れた十字架が荒廃した土地に横たわっている。

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    1945年8月6日に広島に原爆が投下された後、子どもががれきの中で座って泣いている。

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    1945年第2次世界大戦中、原爆投下後の広島の惨状。

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    (左)原爆投下の瞬間である午前8時15分で止まっている、広島のがれきの中から見つかった時計。(右)爆発による極度の熱によって刻まれた、広島の銀行の階段にできた人間の影の跡。

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    広島県産業奨励館は、1945年8月6日の原爆投下の中心地近くに建っていた唯一の建物。

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    体全体に火傷がある男性が、似島の陸軍輸送検疫所で手当を受けている。この男性は1945年8月6日に落とされた原爆の爆心地から1キロメートル以内にいた。

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    (左)長崎に原爆投下されたときにひどい傷を負った赤ちゃんを慰めようとしている、包帯を巻いた生存者。(右)広島の仮設病院の前で立っている医師。

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    1945年、広島の被爆者がカメラに自分の傷を見せている。

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    広島で入院していた生存者たちが、被爆による火傷で覆われた肌を見せている。

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    長崎の原爆投下で1945年に重傷を負った谷口稜曄さんが手当を受けている。彼は生き残り、2017年8月、長崎市内の病院で死去した。88歳だった。

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    1946年8月6日、若いカップルが荒廃した広島の街を眺めている。

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    (左)1945年、広島の役人たちが市役所のかつては豪華だった部屋で会議中。荒廃した街をどうやって修復していくか議論している。(右)広島の原爆投下の惨状を調査している人々。

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    原爆投下から1年後、被爆した広島の教室で、生徒たちが授業に参加している。

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    第2次世界大戦後、原爆孤児となった子どもたちが広島郊外で焚き火で手を温めている。

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    崩壊した広島の街の中、片付けられた道を歩く2人。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:高橋杏璃