約100年前のパンデミックを、カラー写真でもう一度振り返る
1918年、スペイン風邪が流行し、世界人口の約3分の1が感染した。ウェブサイトMyHeritageは、当時撮影されたモノクロ写真をカラー化。その中から16枚を紹介する。

今から約100年前、「スペイン風邪」と呼ばれる新型のインフルエンザが世界で流行した。1918年のパンデミックから2年後、当時の世界人口の約3分の1がスペイン風邪に感染し、5000万人以上が命を落とした。
スペイン風邪の感染者には、疾患のない健康な成人が多かった。特に第一次世界大戦中、塹壕内で密接して戦っていた兵士たちの感染リスクは、非常に高かった。結果、敵兵の攻撃よりもスペイン風邪が原因で死亡するも米兵の方が多かった。
アメリカでは、感染拡大を抑えるための予防措置が、広範囲に取られていた。店の従業員、理容師、歩行者、警察官など、多くの人々はマスクをつけて生活していた。公共の場は頻繁に燻蒸消毒され、礼拝などの集会や裁判は、一時的に屋外で行われた。
スペイン風邪と新型コロナウイルスのパンデミックには、類似点がある。家系図の作成や祖先の検索ができるウェブサイトMyHeritageは、スペイン風邪のパンデミック下で撮影されたモノクロ写真を、独自の高度な技術を用いたソフトウェアでカラー化した。
現在と同じ色使いで、当時を振り返る。

1918年撮影。マスクを着用して客の髪を切る理容師。

1918年撮影。マスクを着用して客の髪を切る理容師。
1918年撮影。マスクを着用して客の髪を切る理容師。

1918年撮影。カナダ・アルバータ州に貼られた「マスクの作り方」を説明するポスター。

1918年撮影。カナダ・アルバータ州に貼られた「マスクの作り方」を説明するポスター。
1918年撮影。カナダ・アルバータ州に貼られた「マスクの作り方」を説明するポスター。

1918年撮影。ニューヨークでマスクを着用して交通整備を行う警察官。

1918年撮影。ニューヨークでマスクを着用して交通整備を行う警察官。
1918年撮影。ニューヨークでマスクを着用して交通整備を行う警察官。

1918年撮影。フィラデルフィア海軍造船所(当時はフィラデルフィア海軍工廠)に貼られた、スペイン風邪の警告ポスター。同造船所では、30人の死者が出たと記してある。感染を拡大させるため、唾を吐かないよう警告している。

1918年撮影。フィラデルフィア海軍造船所(当時はフィラデルフィア海軍工廠)に貼られた、スペイン風邪の警告ポスター。同造船所では、30人の死者が出たと記してある。感染を拡大させるため、唾を吐かないよう警告している。
1918年撮影。フィラデルフィア海軍造船所(当時はフィラデルフィア海軍工廠)に貼られた、スペイン風邪の警告ポスター。同造船所では、30人の死者が出たと記してある。感染を拡大させるため、唾を吐かないよう警告している。

1918年撮影。フランスへの派遣前に、シアトルの街を行進するアメリカ陸軍第39連隊。アメリカ赤十字社のシアトル支部が作ったマスクが、兵士一人ずつに与えられた。

1918年撮影。フランスへの派遣前に、シアトルの街を行進するアメリカ陸軍第39連隊。アメリカ赤十字社のシアトル支部が作ったマスクが、兵士一人ずつに与えられた。
1918年撮影。フランスへの派遣前に、シアトルの街を行進するアメリカ陸軍第39連隊。アメリカ赤十字社のシアトル支部が作ったマスクが、兵士一人ずつに与えられた。

1918年撮影。写真の清掃員はニューヨークの通りを掃除しながら、「死ぬよりは(マスク姿で)おかしな見た目でいた方が、死ぬよりはマシだ」と言っていた。

1918年撮影。写真の清掃員はニューヨークの通りを掃除しながら、「死ぬよりは(マスク姿で)おかしな見た目でいた方が、死ぬよりはマシだ」と言っていた。
1918年撮影。写真の清掃員はニューヨークの通りを掃除しながら、「死ぬよりは(マスク姿で)おかしな見た目でいた方が、死ぬよりはマシだ」と言っていた。

1918年撮影。屋外でミサを捧げるため、サンフランシスコの聖母被昇天大聖堂外の階段に集まった信者たち。

1918年撮影。屋外でミサを捧げるため、サンフランシスコの聖母被昇天大聖堂外の階段に集まった信者たち。
1918年撮影。屋外でミサを捧げるため、サンフランシスコの聖母被昇天大聖堂外の階段に集まった信者たち。

1918年撮影。サンフランシスコの屋外で、簡易的に設置された法廷。

1918年撮影。サンフランシスコの屋外で、簡易的に設置された法廷。
1918年撮影。サンフランシスコの屋外で、簡易的に設置された法廷。

1918年撮影。マスクと防護服に身を包む医者、陸軍士官、報道記者たち。スペイン風邪の患者を治療する病院の視察を行っていた。

1918年撮影。マスクと防護服に身を包む医者、陸軍士官、報道記者たち。スペイン風邪の患者を治療する病院の視察を行っていた。
1918年撮影。マスクと防護服に身を包む医者、陸軍士官、報道記者たち。スペイン風邪の患者を治療する病院の視察を行っていた。

1918年撮影。ワシントンD.C.のウォルター・リード病院で、スペイン風邪患者の脈を測る看護師。

1918年撮影。ワシントンD.C.のウォルター・リード病院で、スペイン風邪患者の脈を測る看護師。
1918年撮影。ワシントンD.C.のウォルター・リード病院で、スペイン風邪患者の脈を測る看護師。

1918年撮影。ワシントンD.C.に設置された、赤十字の救急車ステーション。

1918年撮影。ワシントンD.C.に設置された、赤十字の救急車ステーション。
1918年撮影。ワシントンD.C.に設置された、赤十字の救急車ステーション。

1918年撮影。全身を覆って感染を予防する米兵。

1918年撮影。全身を覆って感染を予防する米兵。
1918年撮影。全身を覆って感染を予防する米兵。

1918年撮影。患者の受け入れ準備をする、セントルイス赤十字のメンバー。

1918年撮影。患者の受け入れ準備をする、セントルイス赤十字のメンバー。
1918年撮影。患者の受け入れ準備をする、セントルイス赤十字のメンバー。

1918年撮影。ルクセンブルク・オレリックにある米陸軍野戦病院のインフルエンザ(スペイン風邪)病棟。

1918年撮影。ルクセンブルク・オレリックにある米陸軍野戦病院のインフルエンザ(スペイン風邪)病棟。
1918年撮影。ルクセンブルク・オレリックにある米陸軍野戦病院のインフルエンザ(スペイン風邪)病棟。

1918年撮影。ソルトレイクシティにある、スペイン風邪患者専用の炊き出し場。

1918年撮影。ソルトレイクシティにある、スペイン風邪患者専用の炊き出し場。
1918年撮影。ソルトレイクシティにある、スペイン風邪患者専用の炊き出し場。

1918年撮影。子どもたちに配給をするボランティアの人々。

1918年撮影。子どもたちに配給をするボランティアの人々。
1918年撮影。子どもたちに配給をするボランティアの人々。

この記事は英語から翻訳・編集しました。 翻訳:髙橋李佳子