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逆指名で巨人→バイト生活13年、G戦士がキャリアコンサルに転身するまで

元プロ野球選手と広告会社社長のキャリア論

1994年に行われた野球の世界選手権で、高校生として史上初の日本代表入りを果たした怪物投手がいた。

187cmの長身を全身バネのようにしならせ、当時世界最強との呼び声が高かったキューバ打線を零封。150km近い速球を投げる左腕は「超高校級の逸材」と将来を嘱望されていた。

その男は、元プロ野球選手・小野仁(41歳)さんだ。

1996年にはアトランタ五輪に出場し、同年のドラフト会議で逆指名を受けた読売ジャイアンツに入団した。

プロ入り後は初先発、初勝利。多くのファンが小野さんの活躍を期待したが、プロ1年目は1勝どまり。翌年に2勝を挙げるも、その後は勝ち星に見放された

2002年にはトレードで大阪近鉄バファローズに移籍。新天地で再起を図ったが、投球フォームの改造を繰り返すことで制球難に。わずか1年で戦力外通告を受け、小野さんから “プロ野球選手”という肩書きはなくなった——。

知識も経験もない。僕には何ができるのか。

「引退後は、ひたすら人目に触れないように生きていた」

そう語る小野さんの第二の人生は、アルバイトを転々とする日々だった。配送業、清掃業、焼き鳥屋など、13年間で8つの仕事を渡り歩いた。

「数年前までは夢も目標もなかった」が、現在は都内の企業でアスリートのセカンドキャリアを支援し、自らも第二の人生を本格的に歩んでいる。

野球一筋でビジネスの知識も経験もなかったという小野さんは、どのようにしてキャリアを切り拓いたのか。

「採用人材の99%は業界未経験者」というインターネット広告代理店・イーエムネットジャパンの山本臣一郎CEOが、小野さんに「社会人経験ゼロの状態からのキャリア形成論」を聞いた。

この記事は、インターネット広告代理店「イーエムネットジャパン」の提供でお送りします。

高収入アルバイトを転々とする第二の人生

小野:プロ野球選手としてのキャリアを終えた後、僕は“逃げの人生”を歩んでいました。やっぱり「野球=成績」なので、僕の中で成績を出さない限り失敗という認識があって。戦力外通告を受けて引退した事実に、どこか後ろめたさがありました。

履歴書を書く際も、経歴に「読売ジャイアンツ」とは書かず、「株式会社・読売」と書いていました。元プロ野球選手と思われたくなくて……。相手が何も言ってこない限り、自分からプロ野球選手だったことは言いませんでしたね。

数十年にわたって100%の情熱を傾けてきた野球がなくなり、自分は一体何をすればいいのか。ゼロの状態からもう一度、100%の情熱を傾けられるものは僕の中に全然なかった。とはいえ、嫁もいるので食いつないでいかなければならない。

そう思ったとき、ふとタウンワークに手が伸び、時給1000〜1200円の高収入アルバイトを探して働き始めることにしました。これが僕の第二の人生のスタートです。

実際のところは、「これをやりたい」と思って始めた仕事ではなかったこともあり、全然長続きせずに職を転々としました。

山本:僕はプロになったわけではないのですが、小野さんの気持ちはすごくわかります。

高校生のときにラグビーを始めて全国大会にも出場したのですが、当時はラグビー選手になることしか考えていなくて。

高校卒業後は親にわがままを言って、オーストラリアにラグビー留学もさせてもらいました。ただ、試合中に首を大怪我したのがきっかけで、上のレベルに行くのを諦めなければなりませんでした。

当時、22歳。それから数年間はなかなかやりたいことが見つからず、何となく仕事をする毎日が続きました。

努力の仕方がわからなかった

小野:そこから、どのような経緯でネット広告業界に?

山本:求人募集を見かけて、たまたま応募したのがネット広告の会社だったんです。

その頃はまだネット広告黎明期だったのですが、面接官が「自分たちは新しい領域に挑戦していく」とおっしゃっていて、それがすごく格好良かった。自分もそうなりたいと思い、ネット広告業界に足を踏み入れることになりました。

小野:人の縁ですね。僕も今の仕事に出会えたのは、人の縁によるものです。40代間近で定職に就かない僕を見兼ねたのか、同級生から人材派遣会社を紹介してもらい、そこで働き始めることになりました。

その会社ではアスリートのセカンドキャリアを支援するプロジェクトチームを立ち上げました。現在は白寿生科学研究所という会社で、同じようにアスリートのセカンドキャリア支援を行なっています。

僕自身、野球以外に何ができるのかがわからず、第二の人生を踏み出せずにいました。現在はそうした苦い経験を踏まえてアスリートと面談を重ね、どうすれば競技人生で培ったものを仕事に生かせるのか、自分自身で気づいてもらった上で就職先を紹介しています。

山本:実際に働き始めてから苦労されたことは?

小野:もう苦労の連続ですよ(笑)僕は野球をやっていた頃、ありがたいことにこれといった努力もせず、トップになれてしまっていた。

高校時代は厳しい練習をしなくても球は周りの誰よりも速いし、遠投も余裕で120メートル。走るのも打つのもうまかった。

全部感覚でやっても通用していたので、努力の仕方がわからなくて……。だからこそプロで実績を残せなかったのですが。

山本:努力の仕方がわからないってすごいですね(笑) 僕は真逆で。周りの人たちから遅れをとらないように、とにかく情報をキャッチアップして、遅れをとらないように必死でした。

人生はやり直しが効く

小野:僕自身もそうですが、経験ゼロから仕事で実績を残すには時間がかかりそうです。なぜ御社は業界未経験者を積極的に採用しているのでしょうか。

山本:僕も未経験の状態から今に至るのですが、過去を振り返って強く思うのは、環境が人を作るということ。だからこそ、未経験の人がチャレンジできる環境を与えたいと思っています。

その一環として、ネット広告運用の基礎を学ぶための研修プログラムを作りました。新入社員は全員、「Yahoo!プロモーション広告 プロフェッショナル認定試験」と「Google Adwords 認定試験」の資格を取得してから、現場に出てもらっています。

以前は先輩社員について回るトレーニングが中心でしたが、研修プログラムを用意したことで、社員の成長が格段に早くなった実感があります。

小野:プロ野球で言ったら、ポテンシャルのある高卒を育成ドラフト枠で獲る感じに近いかもしれません。育成から支配下登録され、活躍していく過程を見られるのはワクワクしますよね。

山本:未経験の人は大きく成長していく無限の可能性を秘めています。これは経験者にはない大きな魅力です。だからこそ、努力して成長していく過程を見ることができたら、すごく嬉しいですね。

小野:山本さんが考える、未経験でも活躍する条件はどのようなものですか

山本:自分で学習していけるかどうか。あとは、当事者意識を持って働けるかどうか。これらがあるかどうかで、その人の伸びしろは大きく変わってきますね。

小野:僕は気配り、目配り、心配り、この3つを持てるかどうかですね。人の考えを読んで、いかに行動できるか。縁の下の力持ちになれる人間は社会に出ても必ず活躍できると僕は思います。

今の会社では学生向けの就職支援もしているのですが、スポーツをやっていた人ではプレーヤーよりも、マネージャー経験がある方が就職率がよかったりします。

山本:最後に小野さんから、未経験で新たな業界に進もうとしている人に対して何かアドバイスはありますか?

小野:僕自身の経験による反面教師ですが、夢・目標を持つことが何より大事だと思います。それがないと、何かあったとき、そのまま堕落していってしまう。でも、夢・目標があれば挫折してもリスタートできると実感しています。

自分も数年前までは夢・目標がない日々を送っていましたが、今は自分の会社を持つためにがんばっています。僕のような第二の人生のスタートを切らないように、アスリートのセカンドキャリアを支援していきたいですね。

イーエムネットジャパンは、SNS広告や検索広告を駆使して、お客様の課題を解決する外資系インターネット広告代理店です。未経験でもネット広告運用のスペシャリストになりたいあなたを後押しします。

Photos by 木村心保 for BuzzFeed