ドスン。
体と体がぶつかり、鈍い音が相撲部の道場に響き渡る。
二人はザザッと小刻みに前進し、ためらうことなく頭から突っ込む。
四つに組んでから体勢を変えまいと踏ん張ると、呼吸が強まっていった。押しに押されてジリ…ジリ…と足が土俵の上をこすっていく。
静けさの中、コーチが喝を入れる。
「正面から攻めろ」
わずかに呼吸のペースを変えた部員は、力を出し切り土俵際まで相手を追い詰め、体勢を崩さず正面から寄り切った。
「いまのは良い相撲だった」。コーチがそう励ますと、汗で額に張り付いた髪を整えていた彼女は、少し表情を緩めて「はい!」と力強く答えた。
神事の大相撲、スポーツの女子相撲
女子相撲は、神事である大相撲とは区別し、スポーツ競技として誕生した。現在、アマチュア相撲界で欠かせない存在になってきている。
オリンピックの正式種目を目指して、アマチュア相撲は1990年代から国際相撲連盟の設立や世界選手権を開催し、国際化を進めてきた。
満たすべき条件がいくつかある中、男女の競技でなければいけないことが、相撲のオリンピックへの道を妨げる大きな壁だった。
そこで1996年に立ち上げたのが「新相撲連盟」、現在の「日本女子相撲連盟」だ。
体の大きい男性同士が、裸でぶつかり合う。相撲のそんなイメージを覆すために、新しい相撲という意味を込めて「新相撲」という名で始まった。
日本女子相撲連盟の副理事長・西野勉さんは、相撲界では女子が相撲を取ることに対し、苦言を呈する人が多かったと話す。
「古い役員さんとかお年寄りの方で『相撲は男子のスポーツやろ』『そんな女の子にさせてどうするんや』って言う人がものすごく多かった。今でもおる」
しかし、女子たちの試合を観た多くが「男子より迫力がある」と、女子相撲のファンになるという。
「女子たちは、負けたらバァーッと泣いたり、負けん気が表に出たりしていて、ひょうひょうとしている男子よりも観ていて気持ちがええって言われる」
相撲に対する真剣さ。それが導いた変化
女性は相撲の土俵に上がってはいけない——。"汚れたもの" として、女性は長年、神聖な土俵に入ることを禁じられていた。
しかし、女子相撲の選手たちの相撲に対する真剣な思いや熱心さが、変化に繋がっていった。
「土俵に女子が上がると汚れるという迷信があったんやけども。もう、そう言うとられん状況になってきた」と日本女子相撲連盟の理事長・竹内晋岝さんは説明する。
「女性もみんな真剣にやっとるんやから」
当初は土俵上にマットを置いたり、まわしを縫い込んだ短パンを着用したりと、男子の相撲とかなり違うルールが作られた。
しかし、今はマットを敷かずに土俵に上がれるようになった(国技館と靖国神社の土俵には上がれない)。また、いつしか、まわしをレオタードの上から締める女子が自然と増えてきた。
着衣と競技時間が男性成人と比べて2分短いことをのぞいては、男子の相撲のルールとほとんど変わらない。
全日本女子相撲選手権大会は1997年から、そして国際大会は2013年から毎年開催されている。現在、日本の選手登録数は昨年の350人から約500人へと少しずつ増えている。
相撲は「運命」
日本大学も、オリンピックに向けて女子相撲の選手を増やすために、2000年から女子部員を受け入れ始めてきた。
現在、5人の女子部員たちが日本一を目指して週6日の練習に励んでいる。
部員の多くが父親や兄の影響で相撲を初め、小学校からずっと相撲一筋だ。
しかし、相撲をやっていると髪が抜けたり、肩を脱臼したり、首の骨にヒビが入ったりと怪我はつきものだ。練習中もテーピングを何度か施したり、サポーターを巻いたりしている。
「練習が嫌にならない日はない」「痛いしきついんで、できればやりたくない」と冗談交じりに語る部員もいる。
しかし、その後には「でもね、やめられない」と、本音が続く。
「ずっと相撲をやってきて、やめるという選択肢がない。だから、相撲をやっていて当たり前なんです」
「運命だと考えたほうが楽なのかもしれない」。女子主将の兼平志織さんが話すこの言葉に、ほかの部員たちが頷いた。
女子相撲の現状
女子相撲のピークは小学校から中学校までと言われている。しかし、その後彼女たちが相撲をする環境が整っていないのが現状だ。大学、社会人になってから相撲を続けるのは、限りなく難しい。
「ようやく数を数えられるくらいの高校が力を入れてきた。大学だって、関東と関西を合わせても5、6校しかないし、大学より先の受け皿がない」と日本大学の對馬英人コーチは問題視する。
女子部員たちも「部活としての普及」が大事だと口を揃える。相撲が盛んな地域の学校だと、相撲部で外部コーチが女子を指導してくれる。しかし多くの学校では、女子部員は扱いにくい、指導の仕方がわからないと入部を断るという。
日本大学3年生の鳥井本聖奈さんは、地元の青森を出て大関・豪栄道など18人の関取を輩出した埼玉栄高等学校に親元を離れて入学した。
面倒見の良い部活で可愛がってもらったが、初めての女子部員であることは大変だった。女子の更衣室がなく、トイレで着替えなければいけなかった。
また、恋愛禁止の学校だったため、男子と話すと先生に注意されていたという。
「話したら怒られるから、誰も話しかけてこない。練習はみんなでやるんですけど、部活の時は常に一人でした」
寮生活でも、男子寮に女子一人で行くのはよくないと学校側が判断し、食事も一人で済まさなければいけなかったという。鳥井本さん以降、女子部員は入っていないという。
「めっちゃ惨めだった」「めっちゃ泣きましたよ」と笑いながら話す、鳥井本さん。それでも、相撲を取るのが楽しくて、やめられなかった。
全国初の高校女子相撲部
全国初の高校の女子相撲部として、注目されている学校がある。京都市中京区の京都両洋高校だ。
2015年に始まった部活だが、現在、6人の部員が集まっている。市内に住んでいない生徒たちは、親元を離れて寮生活をしている。
高橋優毅監督によると、多くの学校では男子が国体など試合に出ている間は、女子の練習相手がいなくなるため、一緒についていくしかない。また、女子が練習合宿に参加するのも難しくなるという。
通常の練習でも、男子や先生に胸を借りるパターンが多いが、両洋高校では、女子だけで行動することができるのが利点だという。
大学相撲部出身の高橋監督は、自ら監督の役を挙手し、顧問の戸山麻生さんと一緒に試行錯誤しながら練習方法や内容を変えてきた。
戸山さんは、部活の顧問になるまで、女子相撲について一切知らなかったという。
「女の子がまわしをまくなんて恥ずかしいから、ほかの生徒から隠してあげんな(隠してあげなければ)」。そう思っていた。
「なんで相撲していて恥ずかしいの?」戸山さんは、部員たちから聞かれたという。
相撲をやっていることは恥ずかしくもなければ、隠すこともない。戸山さんはそう気づいたという。
「この子たちは純粋に、すごい気持ちでまわしを巻いてはって。それも恥ずかしい気持ちはなく、なんて言ったらいいんやろ……自慢の気持ちでまわしを巻いてるんやなぁ、というところがすごいと思います」
「練習していけば、勝てない相手はいない」
女子部員たちが相撲に対する気持ちを語ってくれた。
高校3年生の千覚原七奈さんは、兄が相撲をやっているのを見て、自分もやりたいと小学校1年のときに相撲の世界に飛び込んだ。
「相撲やっているようには見えへん」。そのようによく言われるが、技を使って自分より大きな相手に勝てることこそ、女子相撲の醍醐味だという。
「無差別級や団体戦では、自分より断然大きい相手と戦ったりする。力勝負だけじゃなく、技の勝負にもなってくる」
中には相撲を一度離れて戻ってきた部員もいる。
地元のわんぱく大会に出て負けたのが悔しく、それをきっかけに相撲を始めた、2年生の乾夕月さん。中学では、バスケットボールの部活に専念した。
「バスケ部の引退が近づいてから、もう一回相撲をやりたいと思い、基礎だけやっていた」
そんな中、中学3年の時に相撲大会に誘われ、乾さんは優勝。勝つ楽しみをまた知り、高校でも相撲をまたやりたいと思ったという。
「大会で勝つようになるまでは、頭突きが怖かった」と明かす。しかし、練習を重ねるにつれて恐怖を乗り越えることができた。
「女子相撲では、体格は決めつけられずに勝てる。練習していけば、勝てない相手はいない」
「まだまだわからないところが魅力」
高橋監督は、女子部員たちについてこう話す。
「女子も頑張っているのを見ている身からすると、やっぱり頑張っている子を認めてもらいたい。ただ性別だけで、判断しては欲しくないとは思います」
男子と同じく女子にも相撲で活躍してほしいと女子相撲が立ち上がってから20年。これからも、女子相撲にはまだ道があると高橋監督は見ている。
「男子の相撲とは違う女子の魅力があって、それがまだ未知なるもの。これが魅力です、と出せるものがない。まだまだわからないところが魅力だと思います。それを、この先、探し続けるんでしょうね」