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二度と戻れない家から、一つだけ持って出たものは? これが実際に選ばれたものだった

思い出と悲しみが、そこに詰まっている。

二度と戻れない家から、一つだけ持って出るとしたら、あなたは何を選びますか?

母国から逃げざるを得なかった人たちが実際に家から持ち出したものを展示する「難民コレクション」が、4月15日から3日間、東京・渋谷のWhite Space Omotesandoで開かれる。

会場には100を超える品物が展示されるが、ここでは一部を紹介する(説明文は展示からの引用)。

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リー・レイは軍人に脅かされた記憶を忘れるためによくこのボロボロのボールでサッカーをしていた。彼は少数民族の一人であるため村から追い出された。リーはレフュジー(難民)の窮状を喚起するためにこのサッカーボールを寄付しました。

無名の彼女は、友人たちに自らの脱出経験を語るため、毎日毎日このペンを使い手紙を書いた。しかし、それらの手紙は投函されることなく、ジャングルを抜けタイへと向かう途中に渡った川で、全て無くしてしまった。

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この無名の男性が少数民族であると隣人が知った時、彼は村から追い出された。数日後、彼が村に戻ると自宅は焼かれていた。焼け跡から使えるものを拾い、ジャングルを抜けタイに向かう道のりで食料と交換したり、雨風を避けるためにそれらを使った。その道のりの最後で唯一手にしていたものは、このヘアワックスの入れ物だった。

ジェニはこのコップを持って、より良い人生を求めた。彼女が被害をうけた性暴力、正確に言えば30歳も年上の夫から受けた暴力から逃れるために。

ウー・レイは弦が切れ音程がずれているにも関わらず、このギターを手放さなかった。気ままに音楽を愛することができた頃を忘れないためだった。タイに向かうことを余儀なくされた彼の唯一の所持品。

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キ・レイ・サエは少数民族であるためにビルマ軍に追われ、家族と故郷から逃げる際、この歯ブラシを家族と一緒に使った。その道半ば、汚れた川の水でしか歯を磨くことができなかった。

ヒテイ・レイは診療所でアシスタントを務めていた。タイに向かっている際、逃避行を共にしていた妊婦の痛みを和らげるためにこの痛み止めを使った。

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ジュンドは南アフリカに避難した際にこれらのスニーカーを履いていた。ジンバブエからの道のりは全て徒歩だった。

プレイ・メイは軍人に追われている時に、この錆びたナイフでジャングルをかき分けて進んだ。少数民族であるという理由で、村を離れなければならなかった。

ロー・ラ・セイはかつて家族や街の人々に食を提供していた。家族経営ビジネスの思い出としてこれらの貝殻を所持していた。

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サディオ・イブラヒム・アイザックは銃弾で負った傷により足を失った。最近、彼女の足にフィットする特注の義足を買えるほどのお金が貯まったことから、この中古の義足を寄付することを決めた。

ラン・ヘイ・ウィンはタイに避難する際、このラジオを使い天候と軍人の位置を確認しつづけ、兵士たちから逃れていた。彼女は少数民族であることを理由に村を追われた。

国際難民支援会(RIJ)のジェイン・ベストCEOは、日本における難民問題の理解を高めようと、2年前から今回の展示の企画を始めた。

昨年10月からタイ、ミャンマー、南アフリカとケニア4カ国を訪れ、難民となった人たちに協力をお願いした。難民たちから、それぞれが大切にしていたものを寄付してもらい、それぞれの品物に関する思い出を聞き取った。

「物・ストーリー・名前をきちんと正確に伝えるのに時間をかけました」

それぞれの品物を見るだけでは「無垢なもの」に見える。しかし、そこには「実際に起こった悲劇が包まれている」。それを感じてもらうのが、企画展のコンセプトだという。

ベストさんは、展示会を訪れた人々に願うのは「共感」だ。

「どんなシンプルなものでも、難民の人たちにとってはとてつもなく大きな意味があるのです。シンプルなものに、たくさんの思い出が詰まっているということに気づいて欲しいです」

アイテムに共通しているメッセージは何か。ベストさんはこう語る。

「これらのアイテムには、ポジティブなメッセージがあります。人々を安全へと導いたのです。ナイフは道を切り開き、薬は痛みを和らげ、音楽は心を癒したのです」

「難民、と聞くと過酷で悲惨なストーリーが連想されがちです。しかし、そこにたくさんのポジティブなものもあります。皆、より良い生活を求め努力しているのです」

バズフィード・ジャパン ニュース記者

Eimi Yamamitsuに連絡する メールアドレス:Eimi.Yamamitsu@buzzfeed.com.

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