シンガーソングライターのジェイソン・ムラーズ(Jason Mraz)。2002年にメジャーデビューを果たし、王道ラブソング『I'm Yours』から早10年。
ポジティブでパワフル、かつソウルフルな曲で、聴く人々を前向きにさせてきた。8月10日にリリースされた最新作『Know. / ノウ。』も、温かみのあるポジティブさが溢れるアルバムとなっている。
ジェイソン・ムラーズの歌に向かう姿勢や人生の葛藤、そしてセカンドライフとなりつつあるアボカド・コーヒー農園について語ってもらった。
自分のアイデンティティって…なに?
——王道ラブソング『I'm Yours』がリリースされてから今年で10周年ですが、アーティストとして、もしくは人として何が変わりましたか?もしくは変わらなかったことは?
『I’m Yours』が収録されたアルバム『We
Sing. We Dance. We Steal Things.』がリリースされた2008年は、ソウルワークや、自然のなかでヨガなど運動をたくさんしていたんです。
でも、アルバムが出てから、すごく仕事が忙しくなったり、アイデンティティに悩んだり……とにかく混乱することがあって。
そいうこともあって、今回のアルバムでは「当時は何をやりたかったんだっけ?」と振り返りたかった。それを意識しているという意味では、変わっていないと思います。
逆に変わったことは…歌詞で使う言葉かな。
10年前の僕は、正直、歌詞がどういう意味を持っているのかもよく理解せずに歌っていたんです。でも、無意識に僕が育ったアメリカ南部ヴァージニア州の方言やよく使われているフレーズを歌っていたりして。
それに気づいてからは、言葉を大切にするようになりました。
——アイデンティティで悩んでいたのというのは、アーティストとして…?
アーティストだけじゃなくて僕自身、全体として。
自分をアーティストとして公にさらけ出していると、常に監視されているようで。評価される時もあれば批判を受ける時もある。これが原因で、自分自身を過度に判断するようになってしまったんです。
「何者かにならなきゃ。完成した人間でいなきゃ」と。
そこで、よく帽子をかぶることで自分を「帽子の人」として見るようになったけど、僕以外の人も、僕のアイデンティティを衣装と結びつけるようになっちゃって。

苦しんでいたのは、毎回ずっと同じものでいたくなかったから。違うことをやってみたかったんです。
人生短いからこそ、やることとか服装、髪型、ヒゲを変えたらどんな感じになるのか知りたいし……とにかく未完成でいたい。
それでも、違うことをやっていると、やっぱり判断されたり評価されたりしているような気がして。でも、最近はだいぶ良くなってきたよ。
歳をとっていけばいくほど、「いいじゃん、そんなこと気にすんな。これが自分なんだから」と思えるようになってくるからかもしれない(笑)。
歌手、そして第2の人生
——アーティストの活動以外にも、農業を経営していると聞きました。
小さい頃、農園の近くに住んでいて、農業をするのが憧れでした。
両親の両祖父が、農家で。2人とも、日中は仕事をしながら街のすぐ郊外に住み、果樹園や庭園を持っていたんです。
そんなノスタルジーを感じることができるのと、自然と静けさを求めていたのもあって……サンディエゴ、ロサンゼルス、ニューヨークと住んできて思ったのは、都会はビジネスをするのには良い場所だけど、住みやすいわけじゃない。そこで2004年に都会を離れて、アボカドに囲まれている土地を買いました。
5、6年経ってから気づいたのは、前の農家の人たちが植えてきた木の責任は、僕にあるということ。放っておいても勝手に育ってくれない。
そこから木やフルーツを育て始めるようになって、実際僕自身もいくつか植えてみたら、大変な作業だと気がつきました(笑)。
うまくやっていくには、時間とお金をたくさんつぎ込まなければいけなくて。やってみてわかったのは、他の農家と同じく農業で生活するのはとても難しいこと。農家の人はどうやって家族を養っていけているんだろう、ともっと学びたくなったんです。
そうしたら、どんどんはまっちゃって……アボカドだけ頼っていちゃだめなんだとわかったら、もっといろんな植物を栽培しなきゃいけなくなって。
ここ数年、そんな感じで多種多様になるように増やしていったら、フルーツの種類が40くらいになりました。
誰も育てていない植物をやってみようとなった時に、コーヒーが思い浮かんだんです。アメリカで、コーヒーを栽培している人は結構少なく。
僕と妻は、実はコーヒー文化が大好きで。僕が歌手の仕事を始めたのがコーヒーショップだし、妻と出会ったのも、彼女が経営していたコーヒーショップだったんです。
コーヒーを2人で一緒に栽培できたら楽しいなと思い、コーヒー農園も始めました。
——話を伺っていると、農業が趣味を超えて第2の人生になっているように聞こえるのですが、実際どうでしょう?
完全にそうですね。もう必要以上のお金と時間を投資してしまったから、今さらやめるわけにもいかなくて。
音楽と旅しているから、農園にいられないときが多いけど、そんなときには一緒に働いている管理人がほぼ毎日、写真や情報を送ってきてくれる。
かなりの時間をかけて計画や管理をしているけど、農業はこれからも歳をとりながら続けていくんだと思います。
「車を何台も買うこともできたのに」と妻は言うけど、僕はフルーツの木を選びました。
「人生は一杯のコーヒーのようなもの」
——コーヒーをファンに注ぐイベントを開催しに来日するほど、大のコーヒー好きなんだとか。ご自身にとって完璧なコーヒーといえば?
コーヒーの素晴らしいところは、たくさんの方法で楽しめることなんです。
最近、「人生は一杯のコーヒーのようなもの」という言葉を目にしたんだ。どうやってコーヒーを作るのか、どういう感じでコップに注ぐのか。それがすべて。
僕の妻は、アーモンドミルクラテが好きで、エスプレッソのクレマとミルクフォームの甘さの組み合わせが大事なんです。彼女のためにミルクをスチームして、ラテアートでハートを作らせてもらえている。それが僕にとっての完璧なコーヒーかな。
コーヒーは工芸でもあるのが、醍醐味だと思います。すぐに消えてしまうものを作っているので、飲んだらまた新しい一杯を作ることができるのが、ものすごく楽しい。

——「人生は一杯のコーヒー」だとしたら、ムラーズさんの人生は、どんなコーヒーなのでしょうか?
僕はコーヒーを静かに楽しむのが、好きな飲み方で。
コーヒーは、落ち着かせてくれるような癒しにもなるし、手に持って感じる温かみが好きと言う人もいると思います。また別の人にとっては、懐かしみのある味で気分を持ち上げることができる飲み物なのかもしれない。
静かだけど気持ちを高めさせられるような、温かくて自然な感じ。
僕はこんな人生を歩みたいと思うんだけど、プロモーションの時期に静かでいるのは難しいですね。
大切な人へのラブレター

――4年ぶりのアルバムとなりますが、どんな心境ですか?
気分が良いよ。ほかの趣味に夢中になっていたから、4年と時間がかかってしまったけど…人生で経験することは、音楽に深みを与えてくれると思うんです。プロジェクトの間で一呼吸する余裕ができるしね。
それに、自分が乗れるような、ちょうどいい波を待っていたんです。
どの時代にも、それぞれの音楽の流行があるけど、アコースティックのシンガーソングライターは、何度も繰り返し現れて、厳密にはいなくなることはなくって。ある意味、音楽のお口直しみたいな感じ。
「オッケー。あれやこれやのエレクトロニック・サウンドはもう聞き飽きたかな」と、波に乗るタイミングを待っていた。
こうやって、また新しい波に乗ってハッピーな曲を歌えることができて、嬉しいです。

——これまで、「ラブ&ピース」をテーマとしていましたが、今回の最新作はどんな波なのでしょうか?
今回のアルバムでは、僕自身を励ますような曲や、大切な人へのラブレターを込めています。
落ち込んでいるときに、どうやって気持ちを切り替えられるのだろう。長い間、誰に「I love you」と伝えられていなかっただろう。そんな曲を書きました。
幸せであれば、それは成功
——今後の音楽活動に関しては、どのように考えていますか?
多様性かな。フルーツと同じように、音楽でもいろんなことをしていきたい。
これまで毎回似たようなアルバムを書いてきたような気がして。別に悪いことではないんだけど、アルバムの始まり方と終わり方や、中に入っている要素が同じなんです。
アーティストとしてもっと探検してみたい。昔に書いていたもので、まだ誰も聞いたことがない曲も披露してみたくて。もしかしたら、ヨガとか瞑想をするためのサウンドトラックとかも、ありかもしれないですね。もうちょっと、ふざけてみたい。
あと、インディーズバンド「Raining Jane(レイニング・ジェーン)」とまた一緒にアルバムを作りたいです。

コラボした『Yes!』は、一つの出発点だったと思っていて。このアルバムは、今までとは違うサウンドで、僕もすごく気に入っています。
チャートの順位入りを目指すんじゃなくって、単純にグルービーなものを作っていきたい。
やっていることに喜びさえ感じられれば、僕にとってそれは成功です。