39歳で生まれて初めて音を聞いた 目と耳に障害がある人生を彼女は愛す

    ジョーさんは微笑みながら語る。「自分の人生が大好き」。

    「聞こえますか?曜日をもう一度言いますね。月曜日、火曜日、水曜日……」

    聴覚学者のゆっくりとした声が響く部屋で、ジョー・ミルンさんは、最初、少し驚いたような表情を浮かべた。そして、こみ上げる感情をこらえきれず、顔を覆って泣いた。

    「イエス、イエス。甲高い声が聞こえます」

    それが、ジョーさんにとって生まれ始めて聞く「音」だった。2014年3月、39歳のときのことだ。

    生後16カ月で全聾だと診断されていたイギリス人のジョーさんは、この年、内耳に電極を埋め込む手術を受けた。その4週間後、人工内耳が機能するかどうかを試した。

    「素晴らしいわ。さあ、笑って」

    立ち会ったジョーさんの母親が話しかける。娘が人工内耳のスイッチを入れた瞬間をビデオで記録しながら。ジョーさんは膝を抱えてうずくまりながら、泣き続けた。

    ジョーさんが人工内耳のスイッチを入れた瞬間を撮ったビデオはYouTubeに投稿された。39歳で音の世界と出会った感動が伝わるこの動画は、300万回以上再生された。

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    Tremayne Crossley / Via youtube.com

    人工内耳の手術をしても、100%聞こえるようになる保証はなかった。それでも踏み切ったのには、理由がある。

    ジョーさんは29歳の頃、視野が狭くなっていると感じ、医師に相談した。難聴だけではなく、視覚障害を伴う難病アッシャー症候群だった。完全に視覚を失う前に、聴覚が欲しかった。

    ジョーさんは昨年、自身の経験を綴った著書「音に出会った日」を出版した。今年4月には、邦訳もされた。アッシャー症候群や外見からはわからない障害を理解してもらおうと、FacebookTwitterでも障害について発信している。

    BuzzFeed Newsは邦訳の出版を機に来日していたジョーさんに取材した。

    手術前は、読唇術を使って会話を読み取り、口語で話していた。人工内耳がある現在、聞くだけで会話を理解するようになった一方、視野は「双眼鏡を逆から覗く範囲」まで狭まっている。だが、「目が使える限りは、思う存分使いたい」と、敢えて唇を読み続けている。

    私はジョーさんと向き合って大きく口を開けてゆっくりと質問をし、ジョーさんは口語で答えてくれた。

    「あの日のことは、はっきりと覚えています」

    人工内耳のスイッチを入れてから2年。「人生が変わったあの日のことを、はっきりと覚えています」とジョーさんは振り返る。

    「あの日、何か音が聞こえては、『何の音?』と聞いたのを覚えています。周りにあるもの全てが素晴らしく感じたのです。手術を終えてから、風とかどんな小さな音でも聞こえるようになりました。この世に存在するなんて知らなかった音がたくさんあり、驚きました。2年経った今でも、圧倒されています。今後数年間もきっと続くと思います。それくらい、とても、とても感動的なことでした」

    目に見えない障害への差別

    幼少期から首からぶら下げていた巨大な補聴器などが原因で、いじめを受けた。今の人工内耳は髪の毛で隠せる大きさ。だが、それがゆえに受ける差別もあるという。

    「ろう者である目印がなくなったのです。普通の人間のように見えるようになってから、人は陰で私の悪口を言うようになりました。耳が聞こえないことで不幸に感じたことは一度もありません。でも、世間がそう感じさせたのです」

    「いまだに差別は受けていると思います。障害全てが車椅子のように目に見える障害ではないということを、人々は知りません。目に見えない障害も存在することを理解し、人を外見のみで判断しないようにしなければいけません」

    たとえ、見えなくなっても...

    現在、アッシャー症候群と目に見えない障害への理解を広めようと活動している。

    「障害を持つ子供達を助けたいのです。思い返してみたら、私が目が見えなくなるのは運命。耳が聞こえなかったのも運命なのです」

    ジョーさんは、健常者に伝えたいことがあるという。

    「聴覚や視覚を大事にしてください。音楽をもっと聞いて。愛する人の声にもっと耳を澄まして。外に出たら一瞬歩くのを止めて、周りの音を聞いてみて。いつ五感があなたから急に奪われるか、誰にもわからないので」

    そして、自分自身に対してはこう思う。

    「いつか目が完全に見えなくなる日が来る。それでも、人生は一度限り。毎日を楽しめる自分の人生が大好き」