「芸能界の闇に公取が切り込んだ」は本当か ジャニーズ問題で注目を集めた両者が目指す芸能契約の近代化と日本の特殊事情

    日本の伝統的な芸能契約をどう合理化していくか。厳しい批判にさらされた業界団体が動いている。

    SMAPの元メンバーがテレビ出演できないように、圧力をかけたのではないかーー。

    公正取引委員会が、独占禁止法に関連してジャニーズ事務所を注意したというニュースは、大きな注目を集めた。芸能事務所が所属アーティストを縛る闇の世界に公取が切り込んだという風に報じるメディアもあり、ネット上では芸能事務所への批判の声が高まった。

    実態はどうなっているのか。取材をすると「公取vs.芸能事務所」といった構図とは違う、日本の芸能界の構造が見えてくる。

    芸能事務所の説明会の講師に公取が

    11月27日、大手芸能事務所も加盟する最大の業界団体「日本音楽事業者協会(音事協)」が、東京都内の本部で新しい「標準契約書」に関する説明会を、加盟事務所を対象に開いた。

    「標準契約書」は、芸能人(アーティスト)と所属事務所が契約を結ぶ際、その権利関係を明確にし、移籍トラブルなどを防ぐためのものだ。

    元々、音事協は同様の目的で「統一契約書」を作ってきた。加盟団体に強制はしないが、契約の参考にしてもらうためのものだ。今回、「強制していない」という点を強調するため、「標準契約書」と名前を変え、内容も改定された。

    説明会には加盟50社100人が参加し、満席に。公正取引委員会経済調査室の笠原慎吾室長も招かれた。

    「芸能界に切り込んだ」などとも報じられた公取だが、実際には標準契約書の改定に助言をしており、この日も独占禁止法上で問題になるポイントについて丁寧に説明をした。

    笠原室長は以下のような点について、注意を呼びかけた。

    • 契約終了後に一定期間芸能活動ができないような義務を課すこと

    • 移籍・独立の際には芸能活動を妨害することを示唆したり、実際に妨害すること

    • 契約満了時にアーティストが拒否しているのに一方的に更新できる条項を盛り込むこと

    • 著しく低い報酬での取引を要請や対価を支払わないこと

    いずれもSMAPや能年玲奈(現在はのん)さんらと芸能事務所の関係をめぐるニュースで話題になった点であり、ジャニーズ事務所が公取から注意を受けたと報じられた内容に重なる。

    今回の標準契約書の改定は、これらの点について公取の助言を取り入れている。

    「期間延長請求権条項(オプション条項)」の緩和

    これまでの「統一契約書」には、所属事務所は契約期間を満了したアーティストに対して、アーティストが望んでいなくても、1回に限り契約期間を、前回と同期間だけ延長を請求できるという条項があった。

    事務所としては、売れるまでに多額の投資をして、歌や踊りや演技をトレーニングし、さらにテレビ局などへのプロモーションをしてきたアーティストが売れるやいなや独立してしまっては、投資額を回収できない。そのために盛り込まれていた条項だ。

    一方でアーティストから見たら、自分が望んでもいないのに前回契約と同じ期間の契約を結ばされるのは制約がきつい。育成のために契約期間が長い若手であれば、同じ期間となると売れてからの一番の旬の時に移籍を制限されることになりかねない。

    公取は「投資の回収」という事務所の論理に一定の合理性を認めながらも、市場の競争性を高めるためにはこの条項の改定が必要であると意見し、音事協もそれを受け入れた。

    今回の「標準契約書」では、「事務所の費やした労力や金銭などと、アーティストの貢献が不均衡」な場合に限り、この不均衡を是正するために前回の契約期間内(同一期間ではなく、それより短くても良い)の再契約を請求できるという形に緩和した。

    「契約終了後のアーティスト活動の自由」を明記

    また、今回の「標準契約書」では、契約終了後にアーティストが別の事務所に所属したり、独立したりして芸能活動を続けることを禁じるような契約は無効であると明記した。

    「うちとの契約が切れたら、芸能活動は引退しろ」というような契約があれば、アーティストはその事務所の言いなりにならざるをえない。そういった契約を禁じる内容だ。

    音事協の中井秀範専務理事は「契約期間終了後に芸能活動を制限できないという規定は自明の理。憲法上の権利でもありますので、当然のこと過ぎて明文化してなかったのですが、今回は誤解がないよう明文化しました」と話す。

    公取「指摘を前向きに受け入れてもらった」

    この2つに代表されるように、今回の契約書はアーティストの権利をより強く守る内容が明記されている。

    笠原室長は「最終的にはこの標準契約書をもとにどういう契約が結ばれ、運用されるかによる」と前置きした上で、次のように今回の改定を評価する。

    「我々からの指摘を前向きに受け入れていただいた。音事協はもともと従来型のビジネスのままでは日本のエンターテインメントが衰退していくとの危機感を持っていた。今般の流れは、この際、業界の慣行で直すべきところを直し、新しいイノベーションを起こすために何が必要かを考えた結果だと理解している」

    笠原室長は、問題は芸能界に限らず、近年増えているフリーランスの働き方の問題にも広く関わってくると指摘する。

    「専属契約などで取引先が過度に固定されれば、人材の適材適所・最適活用が妨げられたり、取引先の選択肢がなくなる中でフリーランスが不当な搾取を甘受せざるを得なくなる」

    「個人の働き方の多様化でフリーランスが増えているが、自由で公正な取引環境が確保されなければ、人材獲得を巡る競争が阻害され、結果としてイノベーションも起きなくなる」

    「専属契約こそが日本の独特のモデル」

    音事協の中井専務理事は「芸能界の今後の発展のためには、透明性と説明責任を高めていく必要がある」と話す。

    芸能界の契約をめぐるトラブルは絶えない。SMAPや、口頭契約だった吉本興業などの大手の事例だけではなく、小規模事務所による極端に低い報酬やハラスメントなどの問題など。

    中井専務理事は「芸能事務所は許認可ではないので、個人でも始められるし、音事協に入っていないければ指導もできない。それでも音事協は業界団体として芸能界のあるべき姿を示していくことが重要だ」と話す。

    透明性と説明責任を持って、公正や契約体系を目指す点では音事協も公取も一致している。

    その上で昭和末期の統一契約書作成の時代から音事協の顧問弁護士を努めてきた錦織淳弁護士は「日本の芸能事務所とアーティストの関係はいわゆるフリーランスとは質的に異なる」と指摘する。

    「公正取引委員会が言うように、フリーランスが1社からしか受注していなかったら、発注者側の言いなりになり、不公正な取引になる危険性がある。だが、芸能事務所はアーティストと専属契約を結び、一緒に協力して実演家としての様々な成果物を世に売り出す」

    「また、互いに力を合わせてアーティストの市場価値、いわゆるパブリシティ価値を最大限に高めようと企業努力をする。そして、トラブルがあれば事務所が対応する。そういう運命共同体のような関係が日本では一般的だ。これは独立していろんな発注者と契約するフリーランスの働き方とはまったく異なる」

    アーティストの卵を発掘し、育成し、事務所を上げて売り出す。「数年がかり、人によっては10年以上かけてようやく日の目を見る。専属契約だからこそ長い目で投資できるし、投資額を回収するためには、一定期間の延長請求権も必要だ」と中井専務理事も同意する。

    専属性が抱える問題を克服できるか

    しかし、専属契約を背景として事務所側がアーティストの言動まで過度に管理する傾向はこれまでにもあった。一方で事務所が自主性を尊重したとして、薬物使用や反社会的勢力との交際など問題が発生したときには事務所も責任を問われる。

    アメリカのようにアーティスト個人がマネージャーや弁護士などと個別契約をする事例も話題となるが、中井専務理事は「マーケットが限られる日本でそれができるだけの財力があるのは芸能界のトップ一握りだろう」と指摘する。

    錦織弁護士は「専属性という日本の芸能事務所のモデルは維持しつつ、問題が発生しないようにその契約内容を合理化するのが音事協が目指す方向性だ」と話す。

    笠原室長が指摘するように問題が発生するかは運営次第の面もある。中井専務理事は「協会に強制力はないが、今後は自ら発信もしていくことで芸能界の発展のための啓蒙と支援を続けていく」と話した。