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政治汚職より芸能スキャンダルが10倍読まれるネット 文春砲の舞台裏を聞いた

週刊文春の名物編集長から編集局長へと昇格した新谷学さんに聞くスクープの裏側とメディアビジネス。

スクープは時に隠された真実を暴き、時に「他人のプライバシーを食い物にしている」と批判される。その賞賛と批判を最も受けてきたのは、この人だろう。

週刊文春の名物編集長として知られ、この夏、編集局長に昇格した新谷学さん。

BuzzFeed Japanは視聴者への質問を募りながらライブでインタビューし、新谷さんにスクープの裏側から、メディアビジネスと報道の役割まで聞いた。

ぶっつけ本番の1時間インタビュー

新谷さんはこれまで、メディアでほとんど顔を出したことがない。「編集長が雑誌そのものより目立ってはいけない」という考えからだ。

しかし、「スクープで他人のプライバシーを晒しながら自分は隠れているのか」という批判に対し、「きちんと自分たちの考えを説明する必要があると感じた」ことから、今回のインタビューの申し出にも応じてもらった。

当日ぶつける質問は事前に知らせておらず、「スクープの裏側と批判」「メディアビジネスと週刊文春の今後」について聞くとしか伝えていなかった。

圧倒的に集まった質問はプライバシーを暴くことの是非についてだった

週刊文春は甘利明大臣の現金授受疑惑や舛添要一都知事(いずれも当時)の公用車旅行疑惑など政治的スクープだけでなく、芸能界の恋愛や不倫の記事が多い。

後者の印象が強いのはテレビやネットメディアが一斉に後追い取材をするからでもある。新谷編集局長はこう語る。

「人の人生を追い詰めようと思って取材したり、原稿を書いたりしているわけではありません。週刊文春の方針は『人間には表の顔も裏の顔も、建前も本音もありますよ』と伝えること。表のメディアが建前を報じるのであれば、文春は裏の顔を報じる。この人はこんなことを言っています。カッコつけてます。でも一皮むけばこうですよ、と」

「それ自体をけしからんという人はいます。けれど、今は政治家や芸能人、著名人が自らメディア化していて、(Twitterなどで)プライベートも含めて自分に都合のいいところだけ発信している。世の中に対して一定の権力、影響力を持っている人に関して、都合のいい発信だけで埋め尽くされていいのか。ミスリードされてしまうこともあります。不都合な真実、プライバシーだけど、知っておいた方がいいこともある。その役割を担うメディアがあっていいのでは」

新谷編集長時代の週刊文春の代表的なスクープ

確かに、政治家や著名人がメディアを通さず、自らネットを通じて発信する現代において、その言葉が本当なのか「裏の顔」を知ることは重要だ。

アメリカではトランプ大統領の発言をメディアが厳しくチェックしている。嘘や誤りが多いからだ。有力政治家の発言のチェックを専門にしている米国の団体Politifactによるとトランプ大統領の発言の7割に誤りがあるという。

でも、芸能人の恋愛まで追いかける必要はあるのだろうか。ライブインタビューでは、その点も質問した。答えはこうだ。

「これなら書く、これは書かないという判断はマニュアルで機械的にできるようなものではありません。読者の反応があれば、それだけ多くの人が知りたいということ。でも、そのために人の人生めちゃくちゃにして売ってやるということではない。報道の自由を振りかざすというよりは、読者の知りたい気持ちにリスクをとってでも答えたいと思っています」

メディアの編集長をしている立場として、新谷さんの発言は理解できる。「何を書く、何を書かない」という判断は非常に難しい。ある事実を知った上で書かないときは、なぜ書かないかの理由が必要になる。

新谷さんは2017年3月に出版した「『週刊文春』編集長の仕事術」の中で、こう書いている。

 私は、スクープには4種類あると考えている。
 「やる意義のあるスクープ」と「やる意義のないスクープ」。「売れるスクープ」と「売れないスクープ」だ。
 そして我々が目指すべきは言うまでもなく「やる意義があって、売れるスクープ」である。「やる意義もないし、売れない」ものは最初からボツだ。

 部数だけを考えれば、少しでも売れる可能性のある記事ばかりを並べた方が、目先の数字は良くなる。経済合理性を考えれば売れそうな記事に特化したほうがいい。しかし、それをやってしまうと、現場がどんどん死んでいく。というのも、週刊誌の記者は根っこの部分にみんな「自分たちなりの正義感」を持っている。少しでも世の中の役に立ちたいと考えている。(中略)

 そこで現実的な判断として、私が常に心がけていることは、売れそうな記事をラインナップに入れて、そこで部数を担保しながら、売れなくてもやる意義のある記事も掲載することだ。このバランスが大切だと考えている。

芸能人の恋愛事情を報じることに社会的に大きな意義があるとは思えない。だが多くの読者の関心事であり、読まれることは間違いない。

さらに新谷さんは、表の顔も裏の顔も報じることを、落語と同様に「人間の業の肯定」だという。

それぞれに、一理ある。だが、それを突き詰めると何が起きるのか。

甘利大臣の10倍読まれたベッキー・川谷報道

バンド「ゲスの極み乙女」の川谷絵音さんとベッキーさんとの不倫スクープと甘利大臣の汚職スクープは2週連続で出た。ネット上では川谷さんとベッキーさんの記事が甘利大臣の記事の10倍以上読まれたという。

さらにそのニュースをネットメディアが次々と取り上げ、テレビのワイドショーも一色に染まる。その結果、週刊文春が報じるに止まらない威力を持つ。

「文春砲」とは、1つの雑誌の枠を超えた、こうした情報の渦と流れが社会に波及する力全てを含んだ「総称」とも言える。

一方で、政治的、社会的なニュースの場合はそれほど拡散しない。それほど読まれないために他メディアはそれほど追いかけず、結果的に影響力は小さくなる。

欲望がむき出しになるネットの世界

さらにTwitterやFacebookでの拡散もこれに加わる。週刊文春が「人間の業を肯定する」ために報じたとしても、その読者や拡散した他メディアの記事を読んだ読者も肯定するとは限らない。むしろ、否定する人も多い。

新谷さんは「ネットの方が欲望がむき出しになっている」と表現する。ネットメディアの編集長として、ネット上のコンテンツの読まれ方を様々なデータから分析しているが、同感だ。

事実を丁寧に並べたり、深い解説が加えられたりしたものよりも、芸能人の恋愛や発言を追いかけたり、敵味方をはっきり分けたりする記事の方が読まれる傾向が強い。

読まれるからという理由で記事を出すのであれば、結果がデータで見えるネット上では、より過激な内容や見出しが増えていく。

ライブインタビューの後半で聞いたメディアビジネスと報道の役割については、改めて記事にする。