なぜ、陰謀論がはびこるのか? 本気で論破しまくる本を出した歴史学者が語る怖さ

    「教科書に載っていない」という売り文句が好きな人は必読。

    “本能寺の変に黒幕は......いない!” 歴史本にありがちな陰謀論の数々を、学者が本気でボコボコにする本が最高に痛快だ。

    「大人げないと私もわかってます。でも、誰かがマジレスしないといけない」

    ベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の著書であり、『陰謀の日本中世史』(角川新書)を3月に上梓した気鋭の歴史家・呉座勇一さんに話を聞いた。

    なぜ、マジレスが必要か。なぜ、陰謀論がはびこるのか。

    ――歴史学に照らして「トンデモ」と呼ばれるような説を、マジレスでバッサバッサ斬っていますね。この本を書くきっかけは?

    本屋に行って歴史コーナーを覗くと、フィクションだかノンフィクションだかわからない「歴史エンタテイメント」が山ほど積まれている。そしてそこには、「隠された真実」「メディアが決して報じない」などと帯文が書かれている。

    徳川家康が明智光秀と提携して織田信長を討った、という「家康黒幕説」があります。丹念に史料を読めば、まるで論理が成り立っていないことがわかる、この説をあつかった本が、出版社の公称で30万部も売れているんです。

    さすがにまずいんじゃないか。歴史学からのマジレスが必要だ、ということでこの本を書いたんです。Twitterでは、「プロボクサーが喧嘩自慢の不良を殴っている」なんて言われますが、歴史学からすれば事実とはとうてい言えない陰謀論がこれだけ支持を得ているのだから、仕方がないと思っています。この点は本気です(笑)

    ――たしかに、「本能寺の変の真実」と言われると、私も興味をつい惹かれてしまいます。

    私たち学界にも、陰謀論が出回るようになった責任の一端はあると思っています。

    そもそも「歴史的事実」が社会でイシューになるのは、近現代の事象が多いんです。南京大虐殺論争や従軍慰安婦問題は、その最たるものでしょう。それは未だに国際政治に影響をもたらす重要事項だからですね。それに比べると前近代の陰謀論については、歴史学者はあまり関心を寄せない。

    では、なぜプロの研究者たちが学会で「本能寺の変」を取り上げないかというと、明智光秀が謀反を起こした理由を明確に語った信頼できる史料が存在しないからです。決定的な新史料が出てこない限り、光秀の動機は「わからない」し、まして黒幕・協力者がいたかどうかなんて、検討しようがない。史料が少ないので議論は既に出尽くしてしまい、研究のフロンティアがないんですね。

    だから、歴史学のプロが「本能寺の変」について語ることがなかった。もちろん想像を交えれば、いくらでも話は作れますが、それはもう学問ではありませんからね。

    しかし、日本史上屈指の英雄である信長がなぜ死ぬことになったのか光秀の後ろで糸を引いた黒幕はいるのか、いるとしたら誰なのか、というのは国民的な関心事なんですね。そこにプロと一般との間に、大きなギャップがあるんです。

    ミステリーとして「何か裏があるんじゃないか? 真相を知りたい」という需要につけこんで、「みんな騙されているんです。これが本当の歴史なんですよ」と囁き、「みんなが知らないことを知っている私」と読み手を自己満足させるために、ビジネスとして絶えず燃料を投下する。

    読者の欲求に応えるものを提供しているという意味において、ある種のポルノや、自己啓発本とも近い構図だと思っています。

    ――歴史への具体的言及だけでなく、「なぜ人は陰謀論に騙されるのか」という普遍的な問題にも触れています。陰謀論という言葉を、「特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという考え方」と定義していますね。

    陰謀論の特徴は共通しています。

    因果関係をあまりに単純明快に説明したり、論理の飛躍があったり、結果から逆行してそれらしい原因を求めたり。「教科書には載っていない」と謳って。それは、憶測や妄想を教科書に載せるわけにはいかないからですよ。

    後世の人間は歴史の結果を知っていますから、「勝者は全てを計算して見抜き、抜かりなく実行したに違いない!」と思いたい。このため、結果的に戦国乱世を勝ち抜いた織田信長は、全てを見通していた大天才と見られがちです。「本能寺の変」に多くの黒幕説が出てくるのも、信長へのある種の英雄願望と、あっけない最期を遂げた明智光秀への過小評価から来ています。つまり、「めちゃくちゃ優秀だった信長が光秀ごときに簡単にやられるわけない! 黒幕・協力者がいるはずだ!」という発想です。

    でも、現実はそんなに単純じゃない。信長も光秀もすべて先を見通して行動していたなんて、ありえないんですよ。私たちだってそうでしょう?

    納得しやすい、簡単な因果だけで過去を復元できると考えるのは傲慢だと思うのです。

    ――一方で、歴史は昔から、エンタテイメントを育む素材でもありました。

    私はエンタテイメントは否定しません。でも、今はフィクションだか、ノンフィクションだか、明確でないものが多いとは思います。きちんとした学問的検証の手続きを経ていないものを史実だと騙って売るのは、おかしいですよね。

    今の陰謀論と昔の陰謀論、一番の違いはここなんです。

    昔の陰謀論は、自分の正当性を確かなものにするために、プロパガンダとして政治権力が作っていた。だけど今は、お金儲けのために陰謀論を語る、ビジネスとしての陰謀論が多く生まれている。そこが現代的だと思うんです。

    ――マケドニアの少年たちが、政治的な意図を持たず、小遣い稼ぎのためにフェイクニュースを作っていたという話と、似ていますね。

    シュリーマンがトロイの遺跡を発見した例のように、本当にごく稀にそういうこともありますが、それも長年の追跡調査で確かめられること。通説は、さまざまな史料と状況証拠から成り立つものです。たったひとつの文書を見つけたとか、今までと違う解釈を少し試みただけで、いきなり崩せるほど、弱くはないですよ。

    たとえば、もし本能寺の変に徳川家康が関与していたのが事実なら、学界の通説を覆す大発見ですので、まずは学術論文として発表して、多くの歴史学者に当否を検証してもらうのが筋だと思います。明智憲三郎氏は日本歴史学会の会員だそうですから、論文の投稿は可能なはずです。しかし、学会発表や論文投稿はせずに、一般書の刊行と講演会の開催に専念している。その姿勢には疑問を感じますね。

    ――歴史学の営みについて、具体例を挙げていただけますか。

    たとえば、磯田道史さん(国際日本文化研究センター准教授)の『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』は、幕末の頃の、武士の家計帳簿を丹念に調べて、その生活の実態を示し、今まであまり知られていなかった「別の側面を提示した」点が画期的だったと思います。

    歴史学が明らかにできるのは、過去に起こった膨大な出来事のごく一部でしかないんです。史料を辿り、ほんのごくわずかの「確かなこと」を手掛かりに、因果や背景を紡いでいく地道な作業です。歴史学の発展とは、通説を一気にひっくり返すというものではなくて、膨大な史料を少しずつ読み解いて、未解明の部分に光を当てて行き、「ここまでは解明できた」という範囲を徐々に広げていくイメージです。

    皆さんが思っているよりも、歴史学はずっと地味な学問なんです(笑)

    本当に起こったことであれば、色々な形で痕跡が残るので、様々な史料を読まなくてはならない。この文書がすべてを解き明かす、なんてものはありませんし、この本さえ読めばすべてがわかる、なんてお手軽なものもありません。

    ――ただ、書店の一般向け歴史書のコーナーを見てみると…。

    陰謀論が受け入れられてしまう背景には、歴史エンタテイメントと歴史学、史実との区別があまり明確になされていないことが大きいと思います。

    この国で「歴史が好き」というとその実は、「歴史エンタテイメントが好き」ということを指しますね。「司馬遼太郎が好き」だとか。経営者もよく、『竜馬がゆく』や、塩野七生さんの『ローマ人の物語』なんかを挙げているのを見ます。

    長年読み継がれている良質なエンタテイメントですし、娯楽として消費する分には否定はしません。しかし、歴史的事実をある程度踏まえているとはいえ、フィクションの要素を含んでいることは忘れてはいけないと思います。歴史学と歴史小説は明確に違うものとして読むべきです。

    ここをゴッチャにしてしまうと、陰謀論に簡単に引っかかってしまうんです。

    ――書籍になった陰謀論という意味では、先の戦争や中国、韓国に触れたものも多いように感じます。

    ひどいですね。あえて名前を出しますが、ケント・ギルバートさんの本のように、史料をまともに読めない素人による極端な妄説が出版され、それが何十万部も売れています。明確にこれは問題だと思います。

    私たちは、歴史に対して、もっと謙虚でなければならない。

    「驚きの真実」「隠されていた事実」。そういうものから背を向けて、ひとつずつ、史料や仮説の確からしさを検討していく。謙虚さが必要です。教科書やマスコミが隠蔽しているわけではなく、慎重を期しているだけなんです。そうした歴史研究の難しさが、少しでも伝わればいいな、というのは強く思いますね。