まず、以下の3択クイズにチャレンジしてほしい。
Q. 世界中の30歳男性は、平均10年間の学校教育を受けています。同じ年の女性は何年間学校教育を受けているでしょう?
1. 9年
2. 6年
3. 3年
Q. いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいるでしょう?
1. 20%
2. 50%
3. 80%
質問3: 世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?
1. 約2倍になった
2. あまり変わっていない
3. 半分になった
正解は、1問目から順に1,3,3。何問、正解できただろうか?
仮に文字が読めないチンパンジーが適当に答えたとしても、3分の1の確率で正解できたことになる。チンパンジーより、良い成績を出せただろうか。
こうしたクイズ、実は世界のエリートが集まる会場で試すと、多くのケースでチンパンジーの成績を下回るのだという。
20万部を突破するベストセラー『ファクトフルネス』(ハンス・ロスリングほか著、上杉周作、関美和訳、日経BP社)は、読み進めるうちに「世の中は悪くなっている」というわたしたちが抱きがちな思い込みから、解放してくれる、快感に満ちた本だ。
そして、実に、「上手い」本でもある。何が上手いのか。YouTubeの動画でも有名な、TEDトークを見ているかのような巧みなプレゼンテーション、読者を引き込む話の進め方だ。
突き詰めると、目次の通り、10の思い込みをデータによって粉砕する、という構成をとっている。
「世界は分断されている 」という思い込み(分断本能)
「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み(ネガティブ本能)
「世界の人口はひたすら増え続ける」という思い込み(直線本能)
危険でないことを 、恐ろしいと考えてしまう思い込み(恐怖本能)
「目の前の数字がいちばん重要だ 」という思い込み(過大視本能)
「ひとつの例がすべてに当てはまる 」という思い込み(パターン化本能)
「すべてはあらかじめ決まっている 」という思い込み(宿命本能)
「世界はひとつの切り口で理解できる 」という思い込み(単純化本能)
「誰かを責めれば物事は解決する 」という思い込み(犯人捜し本能)
「いますぐ手を打たないと大変なことになる 」という思い込み(焦り本能)
たとえば2章の冒頭は、シンプルな問いから始まる。
次のうち、あなたの考えに最も近い選択肢を選んでください
A. 世界はどんどん良くなっている。
B. 世界はどんどん悪くなっている。
C. 世界は良くなっても、悪くなってもいない。
この問いでまずは読者の注意を引いておく。そして、「直感に反するデータ」を提示する。
たとえば、1800年に85%だった極度の貧困率は2017年には9%になっているし、1800年ごろまで30歳だった平均寿命は70歳にまで伸びている。
直感的な思い込みと、データが示す事実。その落差がフックとなって、だんだん引き込まれていく。そして、その思い込みがどうやって形成されているのか、掘り下げていく。
なぜ、私たちは「世界は悪くなっている」となんとなく思い込んでいるのだろうか。それは私たちには、物事のポジティブな面よりネガティブな面に気付きやすい性質があるからだ、と続く。あやふやな過去の記憶、偏った報道、状況が未だ悪いのに良くなっている、とは言いづらい環境…。
いずれの章も人間の認知や思考、感情のパターン、あるいはバグを指摘し、それを避けるために、具体的にどうすれば良いのかの指針を示す。まさに、プレゼンテーションのお手本のような本なのだ。
「何を書いているか」だけを見れば、社会問題、しかも一般生活者の身近な問題ではなく、世界規模の貧困や寿命といった大事だが「遠い」問題だ。普通に考えると、20万部売るのはなかなか難しいテーマだ。
だが、導入のクイズや、思い込みと事実の落差の描き方、全体を通じるポジティブで接しやすい文体と雰囲気といった、「どう書くか」の部分で読者を引き込む。そして、読後に、「この本を読む前の自分とあとは違う」という感覚をもたらす。これが、Twitterなどでシェアしたい、人にも知ってほしい、と読者だけでなく、まわりの人をも巻き込んでいく勢いを生む構造になっている。
「マクロなデータだけで語れる問題ばかりではないよ!」と思う部分もある。私たちが日々頭を悩ませているのは、気候変動や人口動態でなく、家庭、職場、隣人をめぐるなんやかやだし、「寿命は100年前から伸びている」とマクロなデータで言われても、私たちの日常が救われるわけでもない。
それでも、日々のなんやかやから少し頭をあげて、世界という広い空間軸、過去100年の進化という広い時間軸で、物事を知ったり考えたりするのは、決して無駄ではない。
なぜならこの本が指摘する人間の弱点と、それを克服するための指針は、フェイクニュースがはびこる今の問題にも通じているからだ。人間の感情や認知につけこむ手法が悪用され、私たちはフェイクニュースをシェアしてしまう。そして誤った情報は誤った認識を生み、誤った行動を生み、私たちの社会を蝕んでいく。
誤った思い込みを壊す本として。根源的な人間の弱点を知る本として。そして読まれにくいテーマを読ませるためのプレゼン手法を学ぶ本として。複眼的に読める、3度美味しい本だと思う。