Updated on 2020年1月6日. Posted on 2019年12月28日

    「長渕剛が僕より先に息子を抱いた」ラッパー般若が語る父と息子への思い

    ラッパーの般若に密着したドキュメンタリー番組『『music Bean #001 般若』』が12月30、31日にヒストリーチャンネルで放送される。2歳で離別した父との記憶、20歳でハーフだと知った心境、息子の誕生がもたらした変化。そして公私にわたる長渕剛との交流…。般若の知られざる素顔に迫った。

    Ryosuke Kamba / BuzzFeed

    ラッパーの般若に密着したドキュメンタリー番組『music Bean #001 般若』が12月30、31日にヒストリーチャンネルで放送される。

    人気番組『フリースタイルダンジョン』で初代ラスボスを務め、武道館公演も成功させるなど、日本のヒップホップシーンを代表する「顔」のひとりだ。

    2歳で離別した父との記憶、20歳でハーフだと知った心境、息子の誕生がもたらした変化。そして公私にわたる長渕剛との交流…。般若の知られざる素顔に迫った。

    Ryosuke Kamba / BuzzFeed

    記憶になかった父。10歳の頃、突然電話がかかってきた

    ――番組を見て、般若さんにとっての家族の存在の大きさをすごく感じました。お父さまとは小さい頃に離別されているそうで。

    親父はとにかくいなかったです。2歳ぐらいまで一緒だったって話は母から聞かされましたが、僕の記憶では本当にいなかったんですよね。

    父に会ったことも生涯で3回ぐらいしかないです。

    ――お父さまと初めてお会いしたのはいつですか?

    10歳の時に突然電話がかかってきて、サーカスに連れて行ってもらった記憶があります。

    初めて会った時の心情は、なんか複雑でしたよね。抱きしめられたのは覚えています。

    ――お父さまに会いたい、という気持ちはあったのでしょうか。

    子どもの頃、親父がいなくていじめられたりとかしてたんで、やっぱりちょっと…。ただ別に、すごく寂しいなっていう気持ちもなかったです。

    そこまで深く考えないようにしてたのかもしれないですね。

    小さい時に存在や温もりを知って離れたわけじゃなくて、存在自体が元々なかったんで。

    Ryosuke Kamba / BuzzFeed

    父との死別

    ――最後にお会いしたのは。

    高校1年生の時、渋谷で会ったのが最後でした。電話で具合が悪いから会いたいって言ってて、声もあんまり出てなかったんですよ。

    会った時はまともに歩けない状態で、手すりに捕まってました。俺よりも大きい人だったんですけどガリガリになってて。驚いて「えっ?どうしたの?」って聞いたら、ガンだったんですよ。

    もうすでにガンが転移しまくってたんですよね。その数週間後に亡くなりました。

    当時僕が高校1年でサッカー部の合宿があって。見舞いに行かなきゃと思って合宿が終わって次の日の日曜日に、親父から言われた病院に行ったらもう死んでたんですよ。

    …っていうか、「いない」って言われたんです。

    ――「いない」…?

    父の名前を伝えたら「そんな人いない」って言われて。「多分ここのはずなんですけど」って僕が名前を名乗ったら、ちょっと病院の中がざわざわし始めて。

    いろんな事情があって、僕の本当の苗字と親父の苗字が違うんですけど。院長先生に関係性を聞かれたので、「実は僕、息子です」って言ったら、もう3日ぐらい前に死んでると言われて「えっ…そうなんですか」みたいな状態だったんですよね。

    あんまりその時ちゃんと受け入れられなかったというか、わけわからないじゃないですか。

    とりあえず病院から伝えられたことを家に持ち帰りました。親父の体がもう病院にはなかったんで。

    ――葬儀なども済んだ後だったということでしょうか。

    言える範囲で言うと、親父が東京の人間ではなかったので、親父の親族がいる所に引き取られてました。

    その時に親父の出身地を初めて知りましたね。そこだったんだみたいな。後々いろんなことが発覚していきました。

    ――最後に渋谷で会った時はお話できるような状況ではなかったんですか。

    いや、話せはしたっすね。どんな話をしたのかは覚えてません。話せはしたんですけれども、体力的にだいぶキツそうでした。それだけは覚えてます。

    Ryosuke Kamba / BuzzFeed

    20歳をすぎ、自分がハーフであることを知る

    ――ご自身がハーフであること知った時の心境は。

    「そうなんだ」ぐらいの感じでしたよ。

    親父が韓国籍であることを知ったのが、20歳ぐらいでした。僕が15歳の時に親父が亡くなって、墓がある所に行って向こうの親族とお話をした時はまだわからなかったんですよ。

    20歳ぐらいの時にもう一回行った時に言われて、「えっそうなの? 本当に名前違うじゃん!」って。

    ――お母さまが意図的にお伝えしなかったということでしょうか。

    そういうことになりますね。

    ――お父さまに対する「複雑な感情」というのは、国籍のことも含めてなぜ教えてくれなかったのか?という思いが大きかったんですか。

    そうですね。でもそれは母親が止めてた部分もあるんで、きっと。

    その話とは別ですけど、母親にはやっぱり感謝してますよ。だって女であることを選択する前に、母親であることを選択してくれたから、自分があるってことなんで。

    ここの選択を間違ったがゆえに、今、世の中では悲惨な事件も起きてるじゃないですか。

    Ryosuke Kamba / BuzzFeed

    息子の誕生。自分より先に長渕剛が息子を抱いた

    ――息子さんが生まれるまでは、お父さまに対する憎しみもあった?

    ここから先のことは僕の中で言えないこともあるんですけど、それはありましたね。

    ただ、これは聞いた話なんですけど、親父は僕が2歳ぐらいまで一緒にいて、やっぱり僕と離れることに対して物凄く辛かったんだと思います。それは理解できます。

    ――般若さん自身に息子が生まれて、そういう感情がわかってきたということでしょうか。

    いろいろわかってきましたね。もう、そうなっちゃったものは仕方ないんで。息子に対して寂しい思いをさせたくないっていうのは正直あります。

    同じ思いをさせたくないっていうのは、人としてあります。

    ――息子さんが誕生した時のことを教えてください。

    あの時のことは言葉に言い表せないかな。多分、特別な感情ってやつなんじゃないのかなって思います。女性にはかないませんよ。そこは一生かないません。

    ――病室に長渕剛さんがいらっしゃったそうですね。

    兄貴(長渕剛さん)が来てくれて。

    プライベートでも仲良くさせていただいてるんですけど、「生まれそうです」って言ったら、「わかった」って言って仕事終わらせてすぐ来てくれたんですよね。

    僕が息子を抱く前に、兄貴が息子を抱くっていう前代未聞な事件が起きまして。

    病院の人たちもえっ?みたいな状態になって。「大きいパパだ」って本人は言ってました。確かに、大きな意味では間違いではないですね。

    ――長渕さんらしいですね。

    そうなんですよね。僕その後に岐阜でライブがあったので、そのまま兄貴が新横浜まで車で飛ばして送ってくれました。

    車内で「どうせお前のことだから(息子が生まれたことを)曲にするんだろ」って言われて、「それしかできないですよ」っていう話をしました。

    ――『家訓』では、まさにお子さんへのメッセージをラップしていますね。

    《今からいうこと三つ守れ 一つ目は挨拶だけはしとけ

    勉強や運動できなくても 大きな声でそれだけはしとけ

    二つ目言うからよく聞いとけ 俺より先に絶対死ぬな

    どんなにでっかい喧嘩をしても 母ちゃんだけは大事にしとけ》

    (「家訓」 / 般若)

    そうですね。あともう少ししたら、また違う形の曲もできていくのかもしれないですね。

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    息子は2歳からフリースタイル。超英才教育

    ――息子さんの誕生によって作風にも変化が表れたりしましたか。

    どうなんですかね。僕が決めることじゃないですよ。よく聞かれますけど、家庭と仕事っていうくくりは、またちょっと別なのかなと思うんです。

    それで縛られるんだったら、僕、音楽やめてると思います。そんなやつの音楽とか言うことなんて、全然面白いと思わないんで。

    ただ息子も段々大きくなってきて、僕が曲で何を言ってるかを聞いて「親父、普通じゃねーな」って多分ちょっとわかってきたっぽいです。

    ――気付いてきた。

    そうですね。あと僕自身が車の中とかで、息子と2人の時にずっとフリースタイルやってるんで。

    息子も2歳くらいからフリースタイルのようなものをずっと繰り返してます。今5歳になりました。

    ――だいぶ上達してきたのでは。

    何かやってます、シャウトしてますね。大体文句です。保育園とかで何かあったみたいなことを言ってますね。

    ――超英才教育。息子さんもラッパーになりたいとか?

    いや、それは多分ないんじゃないかな。あと「やめたほうがいい」って言いますね。その情熱と熱い気持ちを、もっと他のことにぶつけたほうが、多分いいと思います。

    ――それは般若さんご自身が苦労されたから?

    それはありますね。どんな職業やっても苦労はすると思うんですけれども。でももちろん、その辺は本人がやりたいと言うなら尊重したいですよ。

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    もしも今、亡き父とお酒が飲めるなら…


    ――『家族』の歌詞にもありましたが、今もしお父さまとお酒を一緒に飲めるとしたら、どんなお話をされたいですか。

    《親父、元気か? 俺たちは元気だ

    最後に報告が、俺は揺るがないものを手にした

    それは、家族だ だから、頼むな

    俺が死んだら約束通り 2人で酒呑もうな》

    (「家族」 / 般若 feat.KOHH)

    それは電話の向こうで親父が言ってたセリフなんです。僕が酒を飲める歳までは生きたいけど恐らく難しいだろうな、みたいなことを言ってました。

    ただ、親父に一個だけ、「だろ?」って言いたいことがあって。

    僕が中3ぐらいの時、サッカーやってたんですよね。当時Jリーグが超流行ってた時なんです。

    親父が電話で「将来何になりたいんだ?」って言うから、「Jリーガーになりたい」って言ったら、「それは一握りの世界だから無理だ」みたいなことを結構真剣に言われて。

    けど親父、今の僕を見ろよみたいな思いはあります。まあ、なぜ親父がそう言ったのか、段々とかってきたところもありますけどね。

    ――般若さんが武道館立ったこと知ったら喜ぶでしょうね。

    多分、今の状況を見たらビックリはすると思うんですよね。あいつ、こんな風になったんだなって。


    ドキュメンタリーとライブ、2部構成の『music Bean #001 般若』は、スカパー!やJ:COMなどのヒストリーチャンネルで12月30日23:00~26:00、31日21:00~24:00に放送される。

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