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彼の前ではありのままでいられた私。ある出来事がすべてを変えてしまった

トーマスはずっと、私が私以外になることを望まなかった人間だった。ある時までは。

14歳になった夏、私は、ニューヨーク州ウエストチェスター郡にあるヨットクラブが運営するビーチサイドの軽食屋で、初めてのアルバイトを始めた。児童労働法の規則など完全に無視して、私は週60時間も働いた。軽食屋で働いていた他の人たちは、私より年上の、10代後半~20代前半の乱暴な連中ばかりだった。そこにいたコックのひとりがトーマスだった。

ビーチの小さな軽食屋では、性別によって仕事の内容がきっちり、かつ効率的に分けられていた。女性には表の仕事が割り当てられ、注文を取ったり、冷蔵庫にものを詰めたり、携帯電話(当時のBlackBerry)でこっそりテキストメッセージを送ったりしていた。男性は裏方で、調理をしたり、軽口を叩いたり、重いものを持ち上げたりする。

バイトを始めて少なくとも1週間、私はトーマスはおろか、誰とも口をきかなかったし、その間、怖くて何も食べられなかった。カウンターにいる女の子たちは、認められていない食事を1人前か2人前コックに作ってもらうために、全力を尽くさなければならなかった。女の世界と男の世界を分けるカウンターに寄りかかり、泣き言やいちゃつきを応酬してからようやく、コックのひとりが渋々、彼女たちにチキンナゲットを作ってやるのだ。私は客とお喋りもしたが、そうでないときは、自分より3歳以上も年上の同僚たちにびくびくしながら、店の隅に身を潜めていた。中学3年生にとって、3つの年の差は一生分違うと言ってもいいくらいだ。

眠気を催すのんびりとした平日の午後のことだった。トーマスは隅にいた私に向かって「大丈夫かい、お嬢ちゃん」と声をかけてきた。

私は腹ペコで死にそうだった。トーマスは私のためにベーコンと卵、チーズを調理してくれた。そうして私たちは友達になった。

トーマスは5歳年上で、体つきはひょろりとした材木のようだった。全身にタトゥーを入れていて、ひどいニューヨーク訛りの素っ気ない口調で皮肉をよく口にしていた。少なくとも一緒に働いている人間の半分とは付き合いがあるようだった。彼と、大勢いる彼のイタリア系アメリカ人の従兄弟たちは、カウンター越しにいつも口論していた。彼らは全員タバコを吸っていた。ほどなく私も吸うようになった。もっとも、私は上手く吸い込むことができなかったが。キッチンで働けば、休憩できるのは喫煙者だけだとすぐに気づく。私たちは交代でタバコを吸うことになっていたはずだったが、トーマスは時々、私と一緒に休憩に入った。音楽の趣味と、家族がアルコール依存症だらけということ以外、私たちには共通点などほとんどなかったが、それで十分だった。

この夏初めて、私は親に嘘をついて、トーマスや彼の薄汚いパンクな仲間たちの一団とともにおんぼろのボルボに乗り込むと、北へ向けて数時間ドライブし、アメリカ最大級のロックとエクストリーム・スポーツの祭典『ワープト・ツアー』(Warped Tour)のニューヨーク州会場へ出かけていった。そこで生まれて初めて、4人組のパンク・ロックバンド『アゲインスト・ミー』 (Against Me!)を見た。バンドのリードボーカルのトム・ガベルが性転換手術を受けてローラ・ジェーン・グレースになるずっと前の話で、私自身、自分の性癖に気づく何年も前のことだった。後に彼女は、音楽の面でもクイア(同性愛)の面でも私にとって大きな存在となったが、その当時、彼女や彼女のバンドは単に、私が無秩序な欲望や恐れでいっぱいになる途中で鳴っている、騒々しいBGMでしかなかった。

イベント全体が、すさまじいほどの異性愛に満ちあふれていた。ピット内で互いに体をぶつけ合いながら、われわれは『レッド・ブル』で興奮したティーンエイジャーの群れと化し、フェロモンの雲を突き破ろうとしていた。私が望んだことは、男の子たちに気に入ってもらうことだった。気に入ってもらったらどうなるのか、私にはわからなかった。彼らに拒絶されることが怖かったが、彼らに愛されることはもっと恐ろしかった。こうして私は、目眩がするような夏を重ね、自分の限界を試し続けた。

独立記念日の7月4日には毎年、店でパーティーがあった。店にとってはその季節最大のイベントで、フェイス・ペイントをしてポップコーンをほおばり、ジントニックを浴びるほど飲み、サッカー地のスーツに身を包んだヨット愛好家たちの熱心な手に、われわれは導かれていった。花火が始まり、お客たちが軽食と酒で満足すると、私たちも店を閉めて裏の狭い路地に集まった。どこかから取ってきたビーチチェアーを、セメントの上を引きずってけたたましい音を立てながら持ってきて、その上にだらしなく体を投げ出す。私たちはメキシコの「コロナ」ビールを飲み、くだらない話をした。

ある年われわれは、フェンスを乗り越えて、軽食屋とプールを隔てる冷たい小石だらけの狭い砂地に忍び込んだ。ヨットクラブの会員たちはとうに帰ってしまっていた。誰も水着を持っていなかったので、全員下着姿になった。ビールで勢いづいた私は、油の臭いが染みつき、客が食べ残した料理の汁で汚れていた私の赤い仕事用ポロシャツを、肩から簡単に外した。酔っぱらったまま何度かプールを楽しく往復したあと、私はコックのひとりにキスまでした。その時の私は14歳、いや、15歳だったかもしれない。相手はいくつも年上だった。プールの反対側の端から、水と蒸し暑い夏の闇の広がりを通して、トーマスが、注意深く、とがめるように、そして嫉妬さえしているような表情で、私を見つめているのを感じた。その瞬間、私は彼に守られていると感じ、自分が彼より強くなった気がした。

月日は流れた。トーマスはパンクバンドを始め、私は大学に進学する年になった。トーマスは同じ彼女とくっついたり離れたりを繰り返し、私は男性とデートするようになっていた(その相手とはそれから5年近く付き合った)。バイトのない秋と冬、トーマスと私は、お互いの家族や大きな出来事について、「どうしてる?」という感じでメールで連絡を取り合った。また夏が来ると、べとつく暑さと飲み過ぎてぼやけた頭に苦しみながらも、トーマスと私は、仕事終わりには彼のポンコツ車でウエストチェスター郡内をドライブして、タバコを吸い、われわれを失望させる周囲の人間についての不満をぶちまけ合った。

大学生活が半分終わった頃、資金提供を受けてインターンシップに参加することになり、7年ぶりに軽食屋でのバイトには戻らなかった。さまざまな理由で、バイト仲間のほとんどとは疎遠になっていたが、トーマスとだけは連絡を取っていた。トーマスは、大学が休みになって実家に戻った時には時おり私を訪ねてくれた。そして二人は、初めて出会った頃の愚痴っぽい愚かなティーンエイジャーのように、行き先も決めずにドライブし、すべてのティーンエイジャーがそうするように、「いつかはここを抜け出してやる」という壮大な計画を練った。

大学を出てから初めての夏は、悲惨なものだった。大卒者の決まり文句通り、これから先の人生に何をすればいいか、なんのプランもなかった。しばらくは大学の入試課で仕事をした。週末はほとんど、コネチカット州からニューヨーク・シティーに通い、友達以上・恋人未満のガールフレンドと一緒に過ごした。彼女とはふたりが学生だった頃に大学で知り合ったが、彼女のほうは大学生活がまだ1年残っていた。

あるすがすがしい夏の夕方、何もすることもなく、ほとんど誰もいなくなったキャンパスにいた私は、トーマスからパーティーに誘われた。随分前に『ワープト・ツアー』に行って以来、お互いの友人と過ごしたことはなかった。だが彼は、私に会いたいので、車で迎えに行って故郷まで連れて帰ってやると言った。往復で2時間かかる行程だ。私と、友達以上・恋人未満のガールフレンドはちょうど、メールで「間接的に攻撃的」な喧嘩をしている最中で、私は腹を立て、イライラしていた。だからウォッカを3杯グイと飲み干すと、パーティーに行くから迎えに来て、トーマスに言った。

パーティーの会場は、誰かの親の家の、分厚いカーペットが敷かれた地下室だった。暗闇の中で何度かつまづきながら、隠れた裏口に着いた。中に入った瞬間、来るんじゃなかったと思った。トーマスの友人たちは酔っていて、私に色目を使ってきた。彼らは、トーマスの長年の友人ではなく、彼が簡単にいちゃつける若い娘を連れてきたと思っていた。私はバスルームでビールを一気飲みし、なんとか逃げ出す方法を考えたが、車もないし家からも遠かった。

トーマスは私を見つけ、もっと静かな別室に隠れていようと言った。私は、うん、と言い、ありがたいと思った。

ドアを閉めると、地下室に響き渡っていたハードコアな音楽の騒音が和らいだ。私は、ふたりで入った部屋の様子をとても鮮明に覚えている。広々としていて、大きな黒いソファーと、音を出していないごちゃ混ぜのサウンドシステムと、小さな簡易キッチンがあった。外のパーティーが終わるのを待つ間に必要なものはすべてそろっていた。簡易キッチンをあさって何か探し出し、ひどい映画でも見ていれば、なんとか夜を過ごすことはできそうだった。

「君はとてもきれいだよ」とトーマスが言った。

いつものことだ。彼は四六時中、かわいいとか優秀だとか言って、私を褒めてくれた。私はこうした彼の言葉を、兄ではないが、昔から家族ぐるみで付き合っている友人のコメントとして受け取っていた。真心がこもっていて、暖かく、親しみのある言葉。ちょっとだけいちゃつきもあるが、基本的には無邪気な言葉だと思っていた。彼の褒め言葉はずっと、特に、もっと若くて、10代特有の不安感にさいなまれていた時には、私の心の慰めとなっていた――彼にはそのことは一度も言っていなかったが。学校でどんなヘマをやらかしても、ボーイフレンドができては離れていっても、トーマスはすぐそばで待っていて、私を元気づけてくれるとわかっていた。

私は「ありがとう」と答えた。

ふたりで黒いソファーに座っていると、どういうわけか、トーマスが私にキスをしてきた。

私は、最初は驚きと不快感を感じたが、ごくわずかの好奇心もあった。こんな状況をこれまで一度も考えたことがないとは言えなかった。トーマスとそういう意味で親しくなりたい気持ちはなかったのだが、元彼はいつも、トーマスが私をかわいがりすぎると疑っていた。私も、もっと若い頃の同性愛をカミングアウトする前は、1度や2度、そう考えたこともあった。

現実には、トーマスは私の好きなタイプではなかった。大柄で大雑把、仕事も安定していないし、髪型もほぼ丸刈りに近い。まだ自分がストレートだと思っていた頃に私がデートしてきた、小柄で穏やかな男の子たちとはまったく違っていた。

私は、彼の気持ちを害さないように注意しながら、彼の胸を手で押し返し、そっと離れようとした。「私は同性愛者なの」と私は言った。「だからボーイフレンドとも別れた。今は女の子とデートしている」

「そりゃクールだね」とトーマスは、少し息を切らしながら言い、明かりを消してまた私にキスをした。

無精ひげがチクチクとあたる、べとべとしたウェットなキスだった。腐った牛乳を飲み干したかのように、何かが胃から上がってくる嫌悪感があった。男性にまだ少し関心があったとしても、これは私が望んだものではなかった。

「ずっと前からこうしたかった」。 トーマスは私の上にいた。

私はもう一度抵抗を試みた。「私には彼女がいるの。同性愛者なんだってば。今まで黙っていたけど、しっかりわかってほしい」

「俺たちは長い付き合いだ」と彼は暗闇で囁く。「君はとてもきれいだ。わかってたか?」

彼の友達がドアのすぐ近くまで来ているのがわかった。私のポケットには5ドル札が1枚入っているだけ。移動する手段もない。故郷に帰ることを、誰にも話していなかった。

「こんなこと、やめてほしい」と私は言った。彼は聞こえないふりをして体を近づけ、私の服を優しく1枚ずつ脱がせていった。

彼に、気持ちよくなりたいか、と聞かれたことは覚えているが、彼に私の答えを待つ気はなかった。ドレスを乾かそうとするかのように、簡易キッチンのカウンターの上に寝かされたことを覚えている。

この間じゅう、わき起こっていたもっとも強い感情は、深い失望に似たものだった。彼は、私たちの友情を台無しにした。それは、大きな違反のように思えた。すごく重大な損失。私たちの友情が危機に瀕していると感じた。

私は途中で「トーマス」と声をかけた。私は彼のファーストネームを省略せずに呼ぶ、数少ない人間のひとりだった。他はみんな、「トム」と短くして呼んでいた。私は、彼だけに語りかけているように話し、私がどんな人間か、彼に思い出させようとした。私たちはどんなときも、互いに対して正直だった。

10代の頃はずっと、男性の注目を痛いほど浴びながら生きることにだんだん疲れ果てていった。自分の周りに防御のバリアを張らずにいられたのはトーマスと一緒の時だけだった。彼のそばでは、特別賢くも、かわいくも、善良である必要もなかった。シフト開始前、私は、表に止めた彼の車の助手席に座り、軽食屋の向こう側に広がるロングアイランド湾を見下ろし、仕事が始まるまでの最後の貴重な時間に浸ってから、店に入って持ち場についたものだ。単調な日々の繰り返しが、そうした時間を共有することでより良いものになっていた。

「トーマス」。私はもう一度、彼の肩に手をかけて、私の上から降りるよう、彼が私を連れて行こうとしている恐ろしい道から外れるように促した。だが何をしても無駄で、彼は私の行為をさらなる刺激と受け取った。高まってくるパニックを鎮めるために、私はとうとう黙った。抵抗をやめたのだ。

いつ終わったのか覚えていないが、その後のことは覚えている。私たちは一緒にソファーベッドを用意した。私は、かなり明るい気持ちになっていた。休めると思うと嬉しかったし、自分の体をやっと取り戻せて嬉しかった。目覚めた時のことは覚えていないが、翌朝、簡易キッチンに立って、カプセル式のコーヒーを淹れ、部屋で眠っている彼の胸が呼吸とともに上下する様を見ていた。帰りのドライブのことも覚えていない。

その後の数日、彼はメールを何通も送ってきて、初めて会った時から私のことが好きだったと書いてきた(私たちが初めて会った時、実際には私はまだほんの子どもだったのだが)。 私と結ばれることを何年も夢見てきたのだという。私は、彼が知っているなかで一番賢く、一番美しいのだそうだ。

私は、力の限りを尽くして、彼が私を追いやった状況に対して、どんな本能的反応もしないでおこうと決めた。怒りと、悲しみと、嫌悪感に代えて、ぎりぎりの理性を選択した。彼にはもう二度と会わないとわかっていた(会いたくもなかった)。私の身に起きたことを誰かに話したら、人がそれをなんと呼ぶかもわかっていた。ここであえてその言葉を使うのは控えたい。

ジェンダー学や女性学の授業をたくさん受けてきたが、私は依然として私のままだ。フェミニストや女性として私が知っていることと、私が感じている、あるいは感じるのを恐れている、まとわりついて離れない混乱との間にある溝は、年月が過ぎるにつれて前よりも小さくなり、対処しやすくなってきた。だが、そのギャップを完全に飛び越えることはまだできずにいる。あの時私は、もっとも単純な事実を、無感覚という暖かくて安全な毛布に包んだ。そしてそのまま、ゆっくりと確実に、私自身を別の地点へと連れて行くに任せた。

私はあんなことを望んでいなかった、とトーマスにメールで伝えた。

彼は怒り出した。そして、この特別な出来事、人生でもっとも重要な夜のひとつを何か醜いものに代えようとしていることが信じられない、と書いてよこした。

メールを介して、彼が手に負えない状態になり始めると、私は、漠然とした無関心という平安の中に深く身を沈めた。でもこの時は、私は彼にノーと言えた。彼を否定できた。それが支えだった。

ただ現実には、私は、自分でもまったく気づかぬうちに、彼を何年もの間、うまく否定し続けてきた。中学校を出たばかりの頃、軽食屋で働き出した最初の夏、若くて、怯えていて、孤独だった時から、彼は私に少しずつ近づいてきた。夏が来る度に、私が楽しいと思う無邪気なやり方で、彼は私にちょっかいをかけ続け、行こうと思えば行けたはずなのに、そこから先へ進もうとしなかった。そんなことはしないと、私は彼を信頼していた。

その間、私自身も気がつかずにいたことがある。彼と出会った時からずっと、私にはボーイフレンドがいた。つまり彼にとって、私はいつでも「他の男のもの」で、手出しできない相手だった。だが、私が初めて女性に恋をしてから数週間で、世界に対する私の見方は変わった。トーマスはそれを感じ取ったのだろう。彼はおそらく、私が彼を欲していないことを、今まで以上に感じさせられたのだ。

私が同性愛者だという事実は、いちばん良い受け取られ方の場合、「脇へ押しのけて無視していいこと」だった。最悪の場合は、「素早く、残虐な方法で正す必要がある欠陥」だった。だが私は、彼の心の中に去来していたことについて知らないふりはできない。私はかつて、多くのことを知っていると思っていた。トーマスについて、私たちが好ましいと考える種類の男性たちについて。暴力的で軽率な男性特有の残忍さがないと思えた人々について。

あの夜から1年間、トーマスは何度も私との接触を試みた。彼のメールの内容は辛辣さを増していった。が、最後にはそれも途絶え、彼とはそれ以来、音信不通になった。

数年前、彼の叔父の葬式で彼を見かけた。彼の叔父は、軽食屋での私たちのボスで、かけがえのない大切な友人で、私にとっても彼にとっても第二の父のような存在だった。昔一緒に働いていた仲間がすべて参列した葬式は、悲惨で陰鬱な再会の場となった。彼は教会の最前列に家族とともに座り、人目もはばからず泣いていた。私は、彼を気の毒とは思わなかったし、彼を許しもしなかったが、彼がもっと不幸になればいいと願うこともしなかった(そんなことをしたら、私は「悪い被害者」になってしまう)。

もしパラレルワールドにいたなら、葬儀のあとで私は彼に近づき、その広い肩に顔を寄せ、手を握っただろう。パラレルワールドでは、私たちは、風変わりで普通とは言えない友情をはるか未来まで続けていくことができただろう。私たちがいつもそう望んでいたとおりに。

だが、現実の私たちは、それぞれの心に痛みを抱えながら、何列も離れた席に座っていた。私は、彼が振り返って私を見はしないかとビクビクしていた。もしそうなったら私は取り乱し、適切に対応できない。そう思うと怖かった。私は、胸に連射のように蘇り始めた思い出が怖かった。亡くなったボスや、仕事場の友人、間抜けで破れかぶれのふざけあいの記憶。そうした思い出を、すでに過去のものとして振り返るのでなく、そうした思い出にいまだにひどく感傷的に愛着してしまう自分が恐ろしかった。だが結局、それらはどうでもいいことだった。私は一度も彼の顔を見ることはなかった。

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:藤原聡美、合原弘子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan


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