今の気分?最悪です。尋ねてくれてありがとう。

    私は夫を亡くし、父を見送り、2人目の子どもを流産した。これらすべては6週間のうちに起こった。

    たった6週間のうちに夫を亡くし、父を見送り、2人目の子どもを流産したアメリカの作家、ノラ。周囲の人たちは心配して声をかけてくれたが、彼女は「大丈夫、元気」と同じ返事を繰り返していた。

    元気、元気、元気、元気、元気。

    2015年の私は、「元気?」という挨拶に、元気よと言い続けた。私は完璧に元気だった。たった数カ月の間に、夫を脳腫瘍で失い、父を癌で失い、お腹にいた2人目の子どもも失った。「失う」というのは死んだという意味で、海や、コストコの乳製品売り場で行方不明になったということではない。

    親友たちはもちろん、インターネットの世界では知らない人までが、私がどうしているかを気にして声をかけてくれた。そのたびに私は同じ返事を繰り返した。「元気」「大丈夫、元気だから」「元気、元気」と。

    実のところ、まったく大丈夫ではなかったし、元気でもなかった。脳腫瘍のせいでやせ細り、生気の消えた夫アーロンの亡骸を見ることは、とても辛い経験だった。2人目の子どもが子宮から吸い出されたことも衝撃の出来事だった。健康だった父が5か月で世を去ったことも大きな打撃となった。

    夜の数時間、アーロンが使っていたノートパソコンの前で背中を丸め、知り合う前の彼がいろいろな人に送った電子メールを読んだ。ほんのわずかなデジタル情報でも構わないので、彼が残したものを吸収しようとしていた時の私の気持ちを、あるいはその時考えたことを尋ねてくれる人はひとりもいない。私だけが密かに味わったとても感傷的で不快な感情は、私の周囲の人々には受け入れがたいものだったろう。だから私はそうした感情を隠し、あるいは、悲しいけれどウイットに富んだInstagramのキャプションで包んで、みんながダブルタップできるようなものに変身させた。


    アーロンと父が死ぬまで、そして流産するまで、私は大きな不幸とはあまり縁のない人生を過ごしてきた。他の人が不幸に遭遇した時、たとえば友人の父親が急死した時や同僚の子どもが急に入院した時など、彼らのことを思うといたたまれず、彼らと目を合わせることができなくて、その話題には極力触れないようにして、ほかのもっと楽しい何かに集中しようとしていた。もちろんそれは、相手を思いやってのことだった。失ってしまったもの、失うかもしれないものを思い出したい人間なんていない。天気のこととか、今日はまだ火曜日なのにもう木曜日のような気がしてしまう、といったことを話す場面で、自分が体験したばかりの最も辛い出来事を話したい人はいない。

    何か悲しい出来事を経験した人は、もろ手を挙げて賛成するだろう。

    私の周りの人たちがしたかったことは、私のためにレモネードを作ることであって、そもそも私がレモンなど注文していないという事実については深く考えないということだったのだろうと思う。

    喪失の悲嘆を受け入れるプロセスは、否認から始まるという。私の場合、否認していたわけではない。空っぽになったベッドのスペースや、シングルマザーになったという押し潰されそうな孤独感は否認できない。悲しみがどんなものかを、私は知らなかった。私は親が泣いているところをほとんど見たことがなかった。祖父母が死んだ時、両親が悲しんでいたのは葬儀までのようだったから、私もそうすべきだと思った。従うべき社会習慣も特にないので、私は自分のスタイルを貫いた。


    アーロンの葬儀では白いシャツを着て真っ赤な口紅を塗り、髪をラベンダー色に染めて弔辞を述べた。ビクトリア朝時代なら、未亡人は黒い衣装に身を包み、未亡人用の帽子をかぶっただろう。そうした服装は、彼女たちが経験したことを世間に知らしめ、彼女たちがどう扱われるべきかを示すサインだった。社会規範からすれば葬儀とは「元気」なものではなく、それを伝える装いをする必要があった。社会の側も、彼女たちが少なくとも2年間は喪に服し、それにふさわしい服装をすることを期待した。

    しかし私には、かぶるべき未亡人用の帽子はなく、周囲にシグナルを送る方法もなかった。見た目は、米中西部に暮らす31歳の母親そのものだったとしても、心の中には感情が吹き荒れていた。

    アーロンが死んだあとの1年は、心の奥底で次第に悲しみが恨みや怒りに代わっていくのを感じながら、孤独に過ごした。寂しさに腹が立ったし、周囲の人の夫はまだ生きていて、きょうの夜はどちらが子どもをお風呂に入れる番だったかというような贅沢な問題を持っていることに腹が立った。親切で優しくて素晴らしい人だったアーロンが死んでしまったのに、酒を飲んで運転して対向車と衝突しながらかすり傷ひとつ負わずに逃げられる人がいることに腹が立った。私がうちひしがれたふうに見えないので、元気そうね、と言ってくる人全員に対してむかついたし、人生の中で最悪だった1年を、何ともなく過ごしたように見せてしまった自分自身にむかついた。


    私には、「ああ、そうか!」という気づきの瞬間があったわけではない。私の意識はずっと薄暗いモードで点灯していたので、それが照らし出しているものに私が気づくまでには少し時間がかかった。つまり、私はずっと「元気」ではなかったのだ。悲嘆のプロセスは、私が生まれ持ったスキルではなく、避けられる運命でもなかった。

    「元気?(How are you?)」は、(特に中西部では)通りすがりに会う相手に何気なく投げかける反射的な挨拶だ。つまり、挨拶でそう聞いて来た人たちの多くは、私から本当の答えを聞く心づもりができていない人たちだった。そんなことできるはずもない!スーパーのレジで食料品をチェックする人は、挨拶として「How are you?」と聞いてくるとしても、ネガティブな感情を満載したダンプカーに対応するために給料をもらっているわけではない。では、友人や家族はどうだろう?彼らも十分な報酬を得ているわけではないが、「ほんとうは、今は本当に苦しい」と言われれば、それには対処してくれてしかるべき人たちだ。そういう相手になら、私も本当に素直に心のうちをさらけ出したいと思ったので、私が知っている唯一の方法、つまり書くことでそれを始めた。私はさまざまなメッセージを送った。

    「今は本当に辛い」

    「どうしようもなく悲しい」

    「ひどい友人でごめんなさい。でも、あなたと親しくいられる方法が私にはわからない」

    「元気?」という問いかけに正直に答えるようになってから、周囲との絆は以前よりも強くなった。

    インドの一部の地方では、未亡人は不幸を招くものと見なされ、家族によって家から追い出されるそうだ。私は……そういう目には遭わずにすんだ。私の寂しさは誰にも想像されなかったが、同時に、孤独を強要されることもなかった。私は、寂しさという小さな牢獄を作り、自らそこに入ってしまった。その牢獄は、「元気よ」と笑顔、そして、愛する人たちを失う悲しみという課題で私が「A+」の成績を上げていることをみなに確信させようとするInstagram投稿でできていた。

    私は今も毎日、牢獄から抜け出そうと努力している。辛い日々にこだわることなく、しかし辛いことを辛いと認めることで、そして、「ひどい気分」であっても全然構わないといつか思えるようになることで、それは実現できるだろう。


    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:藤原聡美/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

    ノラ・マクナーニ(Nora McInerny)はアメリカの作家。 『It's Okay to Laugh (Crying is Cool, Too)』の著者で、アメリカ公共メディア(APM)のポッドキャスト『Terrible, Thanks for Asking』のホストを務める。彼女はとても背が高い。