「この国から出て行け」。そう言われて、夫を撃ち殺された。妻が綴る愛の手紙

    凶弾に倒れた夫はまだ32歳。夢を追い、子どもを育てることを楽しみにしていた。

    「温かく抱きしめられることに慣れてしまった私は、もう眠れないかもしれない。そこは、心配することも緊張することもなく眠れる世界で唯一の場所でした」「人生にぽっかりと広がった空白をどうやって埋めたらいいか分かりません。でもね、絶対にがっかりさせないって約束します。私が大事な電子メールを書くときは、いつも校正してくれたじゃない。でもいま初めて、自分ひとりでやろうとしています。私はあなたを愛しています。あなたはこれからもずっと私の愛する人です」

    夫を銃撃事件で亡くした妻からの愛の手紙。

    Via facebook.com

    この手紙を公開したのはスナヤナ・ドゥマラさん。2月22日夜、夫のスリニバス・クチボトラさんはアメリカで凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。まだ、32歳だった。

    インド出身で、全地球測位システム(GPS)メーカー・ガーミン社で働くエンジニアだった。

    賑わうバーで「俺の国から出て行け」と叫ばれ、撃たれた。アダム・プリントン容疑者(51)は逃走先のレストランで「イラン人を殺った」と打ち明け、逮捕された。

    2月28日、インド・ハイデラバードでクチボトラさんの葬儀があった。妻スナヤナ・ドゥマラさんは片時もそばを離れなかった。

    葬儀後、ドゥマラさんはFacebookで、心を打つ手紙を公開した。世界中の人に向けたメッセージだった。

    「重い心で、言葉をつづっています。2017年2月22日水曜日、あの恐ろしい夜、夫を失いました。心の友でした。友達であり、親友でした。インスピレーションの源でした。私だけではなく、彼を知る全ての人にとって、頼りになる人でした。いつもみんなに笑顔を振りまき、特に年配の人には敬意を表していました」

    「私は3姉妹の末っ子。のびのびと育ちました。スリニバスがいたからこそ、勇気を持って、アメリカに来て勉強するという夢を追いました。だから今の私があるんです。自立して、独立した、強い女性です」

    「2016年5月に働き始めました。仕事を得るのに、彼は大きな助けとなってくれました。いつも勇気付けて、一緖に考えてくれました。落ち込むこともあったけど、4年間のキャリアブランクから再出発しました」

    「ここアメリカで、彼が最初に勤めたのはロックウェル・コリンズでした。飛行制御システム、特にプライマリ飛行制御コンピュータに取り組んでいました。飛行機の性能を向上させるものです。この開発に心血を注いでいました。夕食を食べにだけ帰って、また仕事に戻るような日もありました。帰宅は午前2時、3時でした。ロックウェルではとても幸せで、アイオワ州シーダーラピッズのような小さな町に住むことを気に入っていました」

    「でも、そこから大きな都市に引っ越すことを決めました。私が仕事を得て、自分の夢を追い求められるようにです。もちろん彼にとっても。すぐにカンザスを選びました」

    「多くの夢を持ってここに引っ越しました。夢のマイホームを建てて、彼がペイントしたんです。ガレージの扉も付けました。どんなことでも家のことをするのが、彼は大好きでした。私たちのため、そして将来の私たちの子どものために、この家を建てました。家族を作る第一歩でもあったんです」

    「とても残念なことに、私たちこの夢はいま、砕け散りました。すべては一人の人間のせいで。その行為が犠牲者の家族にどんな影響を与えるかなんて考えなかったでしょう」

    「あの夜、警察が我が家に来て、夫の命が危ない、通りすがりの犯人に撃たれた、と言われても、その言葉を信じられませんでした。現実味がなかった。繰り返して聞きました。『本当ですか?』『真実ですか?』『あなたが話している、その人間を見たんですか?』『身元が分かる写真を見せてくれません?』『あなたが話している人の身長は188センチほどですか?』。警察は、うなずき、そうだと答え続けました」

    「友人たちが私に付き添ってくれました。片時も離れず。シーダーラピッズから、アイオワ州から、ミネソタ州から、セントルイスから駆けつけてくれました。デンバー、カリフォルニア州、ニュージャージー州から、飛んできてくれました。いつも親切で、とても大切で、親愛なる友人に対して、最後の別れを告げるために。 ニュージャージー州とニューヨーク州からはおばたちが来て、世話をしてくれました」

    「彼が生きていれば、3月9日に33歳になっていたでしょう。いとこの婚約のために、ニュージャージー州に飛ぶ予定でした。彼はワクワクして今か今かと待ち遠しくしていた。この週末、旅行のために買い物をする計画でした」

    「違った展開になりました。私はインドに向かったのです。彼は棺の中でした」

    「私たちは6年間、友人として親しくした後に結婚しました。簡単なプロセスではなかった。 彼は自分の親と私の親の両方を説得しなければならなかったんです。私の家族とは何回も会いました。愛する娘にふさわしい立派な相手だと納得してもらうために」

    「どんな質問にも笑顔で答えるんです。そんな魅力があって、すぐに私の家族の一員になりました。お気に入りの義理の息子、義理の弟、叔父になりました。 彼がここにいないのは、まだ信じられません」

    「家族を大切にする人で、家で料理したご飯を食べるのが好きでした。毎晩、私は二人のためにお弁当を詰めました。彼は自分でやるのが嫌だから、面白い言い訳を考え付くんです。こんなことを言っていました。『もし僕がお弁当を詰めたら、後で食べるものが何か分かっちゃうだろう。でも君が詰めるなら、サプライズがあるのさ』」

    「子どもが大好きでした。子どももすぐに彼を好きになって。家族を増やしたいと思っていて、ちょうど数週間前に病院の予約をとりました。彼は生前、こう打ち明けました。『ナニ(彼は私をこう呼びました)。体外受精をすることになるなら、お金を貯めなきゃね』。これを書いている今、私たちの夢が砕け散ったことが、とても辛いです。子どもがいたらって本当に思います。スリニバスの面影を見て、彼のようになるように育てることができたでしょうから」

    「彼の父親の仕事はとても収入の低いものでした。スリニバスは3人兄弟の真ん中。息子たちを育て上げるために父親がどんなに苦労したか、いつも話してくれました。両親にたくさん恩返しをしなければならないとも」

    「スリヌ、ご両親は間違いなくあなたを誇りに思っていましたよ。私たちの元から旅立たないでほしかった。兄弟、特に弟からは、愛される存在でした。弟というより、息子にように可愛がっていましたね。2015年11月に弟が結婚したとき、あなたは本当にうれしそうだった」

    「兄弟3人はみんなとってもいたずらっ子だったそうです。ご両親、彼本人、そして兄弟から聞きました。3人が笑い始めると、5分後には大騒ぎになって、けんかになって、家の中の何かが壊れたって。そう彼が言っていたのを覚えています」

    「お父様はとても厳しくて、兄弟たちをいつも勉強に集中させたかったそうです。いつも勉強させようとして、3人を追いかけて行って、座らせて勉強させるようなこともあったそうです。兄と弟はいつも最初に抜け出すことに成功したけど、スリヌはいつも置いてけぼりで、3人分しかられたそうです」

    「誰かが亡くなるような事件が起きるたびに、私たちは心配していました。彼に心から何度も話をしました。 私たちは夢をかなえ、実現するためにここに来たんです」

    「彼は、私たちが善良なことを考え、善良であるならば、良いことが起こり、私たちは安全であると言って、安心させてくれました。しっかり抱きしめて、眠るときには安心感をくれました」

    「スリヌ、温かく抱きしめられることに慣れてしまった私は、もう眠れないかもしれない。そこは、心配することも緊張することもなく眠れる世界で唯一の場所でした」

    「スリヌ、愛する人、人生にぽっかりと広がった空白をどうやって埋めたらいいか分かりません。でもね、絶対にがっかりさせないって約束します。私が大事な電子メールを書くときは、いつも校正してくれたじゃない。でもいま初めて、自分ひとりでやろうとしています」

    「私はあなたを愛しています。あなたはこれからもずっと私の愛する人です」

    「答えをもらっていない質問がいっぱいある。答えてくれたなら。でも、答えをもらう唯一の方法は、いまや、反対側にあるあなたの新しい家に行って、あなたに会うことですね。いつ、その日がくるのか、分からない」

    「彼を失ったことに向き合うために助けて下さった皆さん、心からありがとうございます。ガーミン社とその従業員に感謝します。祈りを捧げ、スリニバスの思い出を話し、共有する機会を下さって、ありがとうございました」

    「(マイクロソフトのCEO)サトヤ・ナデラさん、(上院議員の)カマラ・ハリスさん、ツイートでご支援してくださってありがとうございます」

    「(FacebookのCEO)マーク・ザッカーバーグさん、(GoogleのCEO)スンダー・ピチャイさん、サトヤ・ナデラさんたち、どうか人権を擁護する運動を率い続けてください。心からお願いします。愛を広げ、この憎しみを止めなくてはなりません。今日、ガーミン社の従業員に起きたことは、明日、皆さんの従業員にも起こり得ます。私の家族が経験したようなことは、他の誰にも起きてほしくない」

    「この質問を繰り返して投げかけます。何を基準に、良い人と悪い人を区別するのですか。もちろん肌の色によってではありません。では、区別するのは何ですか? こういう話は数週間だけ話題になっても、だいたい人々はその後、忘れてしまう」

    「でも、闘い続けなければなりません。人々の心から憎しみを根絶するために。では、国は憎悪(ヘイト)犯罪を止めるために何をしてくれるのでしょうか?」

    「すべての移民の心には、こんな問いがあります。私たちはここの一員なのでしょうか? この国は、私たちが夢見た国のままでしょうか? ここで安全に家族を築き、子どもを育てられるのでしょうか?」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。