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シリア政府軍のアレッポ制圧にはどういう意味があるのか

シリアの内戦で最大の激戦地となってきたアレッポを全域を政府軍が制圧した。民間人の生活は叩きのめされ、街からの脱出が始まった。

アレッポの通りに横たわる死体は腐敗し、建物の内部は軍用機が落とした爆弾により破壊されていた。子供たちが泣き叫んでも、なだめられることはなかった。食物は不足していた。政府軍の前進をかわしていた兵士たちは、乏しい弾薬の在庫が尽きてしまい、迫り来る敗北を見つめていた。市民たちは、早朝の寒気の中でうずくまった。政府軍に殺されるか、さもなくば捕まるのを待つ彼らに、激しい雨が降り注いだ。

「状況は非常に悪いです。言葉に表すことができません」と、東部アレッポの中にある自由シリア軍の一部隊の活動家であり、広報官であるモハメド・シークは13日朝早く、BuzzFeed Newsに語った。アレッポの半分を占める包囲された飛び地では、残った反体制派が持ちこたえていた。そこにシリア軍隊とアサド政権の忠実な外国の民兵の集まりが一つになって迫っているなか、彼は接続が不安定なメッセージングアプリを通じて話してくれた。

「負傷者がいるのに手当てすることもできない。赤ん坊たちが泣いているのに温めてやることも、安全な場所に置いてやることもできない。道端の家族をかくまってあげることもできない。ひどすぎる」

過去5年間に渡り、アレッポを、反政府勢力が守っている東部と、シリア政府が統治する西部の間のおおまかな境界線として機能しているクエイク川の全域で、盛大なお祭り騒ぎが起きた。浮かれたアサド政権支持者たちは、クラクションを鳴らしてデモ行進した。ロシアのメディアは、シリア政府軍が5平方キロメートル足らずの広さに反政府勢力を閉じ込め、アレッポの98%を制圧したと報じた。

この国最大の都市であり、経済の中心であるアレッポをアサド政権が制圧した。それは、アサドと彼の支持者にとっては大きな勝利であるが、アメリカを含むそれ以外の人々にとっては、この戦争をさらに困難にする現実だ。

国中にある飛び地に反政府勢力を封じ込めることで、政府軍はさらに勢いづく。そうした反政府勢力には、アレッポ行政区北部でトルコ軍に支援されている穏やかな反政府勢力や、アメリカに支援され、この国の北東地域でIS(イスラム国)と戦っているクルド人が含まれている。おそらくシリア人の移住はさらに進み、また、周辺諸国にいるシリア人たちは速やかな帰郷の希望を捨てるだろう。難民問題に直面し右傾化しているヨーロッパには、新たなシリア難民が殺到するだろう。

アレッポの陥落は、イランに率いられたシーア派イスラム教徒陣営(レバノンのヒズボラと。他の中東諸国および非国家主体を含む)にとって戦略地政学的な勝利を意味する。そして、サウジアラビアに率いられたスンニ派にとっては敗北を意味する。

テヘランの新聞「Jomhouri Eslami」の一面には「アレッポは解放された」という見出しが躍った。「アレッポの解放は、テロリストと彼らのアラブと西側の支援者たちにとって大きな恥だ」

多くの批評家はアレッポの窮状を、シリアにおける西側の政策やモラルの失敗であるとみなしている。アメリカ、フランス、イギリスを含む世界勢力は、もともとはアサドの独裁政治と戦った反政府勢力を支援していた。しかし、反政府勢力のイスラム教徒的なあり方や、シリアを自分たちの勢力範囲の一部であると何十年にも渡りみなしてきたロシアとの対立の可能性を憂慮した西欧諸国は、結局、彼らに背を向けた。

14ヵ月前、現政権のためにシリアの戦争に強力に介入したロシア政府にとって、東部アレッポの陥落は今年の最新の国際的な勝利である。ドナルド・トランプの当選もロシアにとっては勝利だ。彼は公然とロシアのリーダーシップを称賛し、反体制派に対するすべての支援を終了すると約束した。

アレッポ制圧は、ISを含むジハードグループを強く後押しする。ISは、アレッポ制圧にロシアと政府寄りの軍隊が注力しているのを利用し、パルミラの支配権を奪回した。パルミラの奪還はシリア政府とモスクワに打撃を与えた。

政府軍がこの夏、パルミラを取り戻したとき、そこでコンサートが開催されたことはよく知られている。しかし、このISの盛り上がりさえも、最終的にはアサド政権のアドバンテージになりうる。アサド政権はずっと、この内戦の位置づけを、アサド的な世俗支配 VS ジハド・ネットワークと結びついたイスラム過激派、という構図にしようとしてきた。

そのジハードネットワークには、以前はアル=ヌスラ戦線として知られていたJabhat Fatah al-Sham(旧アルカイダに結びつけられた反政府勢力グループ)も含まれている。このグループは、Ahrar al-Shamの比較的穏やかな聖戦戦士とともに、シリア北西部イドリブの大半を支配し、現体制との戦いを続ける。

「この5年の間、誰もヌスラを撃退できませんでした」と、イスタンブールのオムラン研究所のシリア人アナリストの、Nawar Oliverは語る。「今では、彼らはさらに強大になっています。いま最も強い派閥はJabhat Fatah al-Sham(旧アル=ヌスラ戦線)です、そして、ナンバーツーはAhrar al-Shamです」

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アレッポをめぐる戦いは、戦争がもたらす堕落の新しい側面を露呈した。シリア政府軍とロシアの同盟軍は、病院、パン屋、そして学校を繰り返し爆撃し、爆薬が詰まった樽爆弾と無数の地中貫通爆弾を住宅街に落とした。そして、市民生活を叩きのめすことでこの街を降伏させた。

「信じ難いことが起きています」と、爆弾が落ちた週末、アレッポのシリア人フォトジャーナリストのMilad Shihabiは言った。「6時間足らずで600人以上の負傷者と、81人の死亡者が運び込まれた病院がかつて存在したでしょうか」

東部アレッポのに囚われた何万もの人々の運命は、予断を許さない状態だ。最後の反政府勢力が維持している飛び地を求め、街の他の地域から逃れて来た家族は、壊れた家に避難し、食料を捜し回った。

ヒズボラの民兵で、アレッポで司令官を務める人物にBuzzFeed Newsは話を聞いた。この司令官によると、市民のみならず、武器を手渡して、体制に対して決して武器を取らないという誓約に署名すれば、反体制派の兵士でも体制に支配された地域に自由に住むことができる。

「多くの市民が反政府勢力側に来ます。そして、多くの反政府勢力は銃を引き渡しますが、彼らが逃げようとするとき、大勢が殺されます」と、彼は語ったが、彼はメディアに話す許可を得ていなかったので、名前を伏せるという条件で話をしてくれた。

Briefing on #Syria: Deeply disturbing reports that numerous bodies were lying in the streets… https://t.co/bc2275xe9B

「シリアについての報告。多くの遺体が道路に横たわっている。憂慮すべき事態」

13日午前、人道支援組織は、いまだ市内に取り残されている市民の未来について強い懸念を示した。多くの発砲の報告が浮上したのである。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報道官は、13人の子供と11人の女性を含む少なくとも82人の民間人がアサド側の武装勢力によって射殺されたことが「複数の信頼できる情報源によって裏付けられた」と報告した。

OHCHRのルパート・コルビルはこの声明において、「市民はこの紛争の間に耐えがたい代償を支払っている。反政府勢力がいる東アレッポの最後の地獄のような一角に残っている人々に関し、非常に不安な思いでいっぱいだ」と述べた。

ソーシャルメディア上で出回っている写真から、多くの人々が政府軍側に捕らえられたことが分かる。彼らはおそらく、人権保護団体が劣悪な環境と記したアサドの刑務所へ送られるのであろう。赤十字国際委員会は13日、政府勢力が反政府勢力の最後の砦に近づくなか、民間人の命を守るための嘆願書を出した。

その声明には「戦闘が新たなピークに達するに伴い、町は混乱に陥り、戦闘に関与していない数多くの人々が完全に逃げ場を失っている」と記されている。「人道的な大惨事は深まっている。さらなる人命の喪失は、戦争行為、そして慈愛の基本的なルールが適用された場合にのみ、避けることができるだろう」

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2012年夏、反政府勢力の連合が、アレッポ東部を占領した。当初、その東部の飛び地はシリア革命の安息地となった。そこには外国のジャーナリストたちが群がり、地元メディアと市民社会グループが突如次々と出現した。シリアの主要都市は、ここ数十年で初めて、ダマスカスの政府にその意志を強制されることなく自分たちの問題に対処し始めた。だが、アレッポの敗北は2011年の反乱当初からのシリア反体制派の軍事と政治の重大な誤りを要約するものでもある。

大部分が穏健な反政府勢力は、強硬派のイスラム教戦士が潜入するのを許した。そして戦士たちはイスラム法廷を設置し、イスラム法を強要し始めた。反政府勢力グループは、つまらないことで内輪で口論し、時には分裂し、再分裂して、大部隊、分裂、大隊と、ほとんど滑稽な万華鏡のように、新たなグループへと変化していった。

「グループの数の多さは負の要因でした」と、アレッポのシリア人活動家Moataz Mahliは、BuzzFeed Newsに語った。「そのため、過激派グループが主導権を握ったのです。シリアの全派閥の数を数えたいと思えば、その数は100以上になるでしょう。そして少なくとも50の派閥がイドリブとアレッポにいます」

2013年後半と2014年、シリア反政府勢力は、ダマスカスと西部アレッポの間で道路を切断し、一時は空港を包囲した。しかし、反政府勢力の分裂と指導力の欠如は、反政府勢力が西部アレッポの占領に数と士気で勝てないことと、そして政府を支持する軍隊にゆっくりと侵攻を許すことを意味していた。

過去数年にわたり、シリアの反体制派の政治家と反政府勢力は、シリアのクルド人を敵に回して戦ってきた。長い間虐げられてきた民族的少数派のクルド人は、アサドに対する戦いの協力者になったかもしれない。だが、反政府勢力の多くは、彼らを受け入れられないアラブ型国家のアイデンティティーを主張していたのだ。

街の内部にいた反政府勢力も、政権を退ける自分たちの能力を過大評価していた。彼らは初期の戦場での勝利と、政府の人的・物的資源が激減していたことに安心したのだろう。防壁と適切な防御施設を築くことも、支配下にある街のエリアにアクセスできるトンネルを建設することもできなかった。

2014年の初め、シリア人反政府勢力がISとの全面戦争に巻き込まれたことで、人員と、武器と、そして注意がアレッポからもぎ取られた。ISとの戦争はやむを得ないものだった。しかし反政府勢力は、当初はISを別の派閥として仲間に迎え入れており、ISの行き過ぎた行為や、外国人兵士を採用しようとする彼らの傾向を黙認した。

反政府軍勢力、弾薬や資金の流れを独自に生み出す代わりに、サウジアラビア、カタール、そしてトルコを含む諸外国の支援者に大きく依存していた。「アレッポ東部の反対勢力の指導者たちに、初めから軍隊の経歴があったわけではないのです。彼らはそもそも実業家でした」と、オリバーは語った。

2015年9月のロシア介入後、親政権派グループとの戦いの初期に一連の勝利をおさめていたことでつけあがった反政府勢力は、ロシア政府がシリアに抱く関心の危険性を見過ごしており、何カ月もの間いかなる潜在的協定もはねのけていた。一方、ロシアはますます残忍で殺傷力の高い兵器を使用した。

戦争研究所(the Institute for the Study of War:ISW)によると、今年の11月後半以降、ロシアがアレッポ東部への空爆を劇的に増やしたことで、親政権派の地上部隊はいくつかの主要地区を占領することができた。一方、反政府勢力の兵士たちは市内のより開放された、攻撃にさらされやすい地域へと逃げ出さざるをえなかった。

「反政府勢力とロシア軍とでは、軍事力に大きな隔たりがありました」と、アレッポのシリア人活動家、アブドゥル・ハミッド・アル・バクリは言った。「ロシア軍は、塩素やナパーム弾、リンなどの使用禁止兵器を搭載した戦闘機を使用しました。それにより戦いのバランスがくずれ、反政府勢力が無力になってしまったのです」

そうした失敗やロシアの空爆にもかかわらず、多国籍軍とシリア軍が手を取り合うようになった直後、アサド陣営の勝利がやってきた。ロシアの空爆に加え、アサド大統領の通常武装部隊、イラン人軍事顧問、ヒズボラの兵士、イラク人やアフガニスタン人の民兵、シリア系パレスチナ人の武装グループおよび他の民兵が、反政府勢力のみならず、アレッポの一地区を支配するシリア系クルド人と戦った。

「あなたがアレッポのひどい状況を目の当たりにすれば、ここまで持ち堪えたことがすごい、と言うでしょうね」と、イスタンブールを拠点としながら、昨夏の終わりにアレッポが包囲されるまで、定期的に足を運んでいた自由シリア軍の報道官、アサド・アル・ハナは言った。

政府軍がアレッポ市内に進軍する中、活動家のマーリは、包囲網から逃れ、可能であればアレッポを離れて地方に向かうことを検討しつつ、自分のハードドライブや他の機材を梱包している、と言った。「大切なものだけしか持って行きませんよ」と、彼は言った。

BuzzFeed Newsと話したヒズボラの兵士は、包囲されたアレッポ東部の住民たちの中には、国内の他の反政府勢力が支配する地域に脱出する方法を見つけることができている、と語った。

アレッポ東部が失われたにもかかわらず、シリア北部の一帯は、依然として反政府勢力の支配下にある。トルコとの国境沿いでは、事実上の安全地帯がますます拡大している。

しかし、イドリブのジハード戦士たちは、それよりはるかに広大な地域を支配している。アサド政権は、すでにシリア人反政府勢力やその支持者らを、政権側が勝利をおさめた国内の他の場所からイドリブへと移住させており、一部の人々は、イドリブがアサド政権の次のターゲットになるのではないかと恐れている。

「彼らがイドリブにやってきたら、大惨事になるでしょう」と、オリバーは語る。「イドリブには50万人以上の民間人がいます。この困難を極めた革命の歴史の中で大きな危機になるでしょう」

一部のアナリストは、アレッポの陥落で、アサド政権に対するシリアの蜂起は終わりだと話す人もいる。カーネギー中東センターの研究員、アロン・ルンドは、アレッポを失ったからには反政府勢力に残された選択肢はない、と書いている。 「アレッポなしでは、シリア人の反対勢力や彼らを支援する外国人たちは、安全に国の中心部で政権側に立ち向かう実際的な手立てがなくなるだろう。過去5年間のどの時点よりも難しい状況だ」と、ルンドは書き記している。

アレッポ市内で頑固に抵抗する数多くの活動家たちも同じ意見だ。「残念ながら、革命は終わった」と、マーリは語った。「私たちは革命を成功させたかったのです。しかし現実に起きているのは内戦であり、私たちの国で、諸外国が自分たちの利害を元に行動し、私たちは政治的圧力を加えるための道具になりました。自由シリア軍を支援する人もいれば、過激派を支援する人、政権側を支援する人もいるのです」

誰もがそこまで悲観的なわけではない。反政府勢力は、いまだにシリア南部、中央部、および北部の地域だけではなく、首都近郊の飛び地も支配している。2011年、アサド一族の50年にわたる独裁政治に反対して街頭でデモを繰り広げた、平和的抗議者の精神はいまだに生き続けている、と彼らは主張する。

「もちろん、アレッポが陥落したからといって革命は終わりません」と、シリア人活動家でジャーナリストで、最近、アレッポを逃れイドリブにたどりついたハディ・アブダラがBuzzFeed Newsに語った。「革命は信念であり、信念は決して滅びません。革命は土地ではありません。革命は殉教者たちの血なのです。拘留された人々の叫びなのです。私たちは彼らのために毎日を犠牲にしています。例え全世界が私たちの敵に回ったとしても、私たちは革命を続けます」

イスタンブールのアスマア・アル・オマールとムンツァー・アル・アワッドが本記事に協力した。


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この記事は英語から翻訳されました。


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Borzou Daragahi is a Middle East correspondent for BuzzFeed News and is based in Istanbul.

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