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イヴァンカ・トランプと慎みの美学

イヴァンカは、誰も見ていないところでだけ、権力を行使している。

2月半ば、ある画像がネット上をにぎわした。イヴァンカ・トランプと、保守系政治解説者アン・コールター、大統領顧問ケリーアン・コンウェイ3人の写真を組み合わせた写真だ。それを見ていると、若干の残酷さを覚える。

イヴァンカは上品かつ控えめな女性らしさを醸し、コンウェイは自由奔放で醜悪かつ下賎な感じだ。知名度の高い保守派の女性は、ある特定の美意識を持つ傾向はたしかにありそうだが(髪は長いブロンドで、痩せた体をタイトなワンピースで包んでいる)、イヴァンカをコールターやコンウェイと同じ範疇に置くのは間違いだ。とりわけコンウェイとは違う。

コンウェイは労働者階級の意気込みをもって、世才とたゆまぬ向上心で政治の世界をのし上がってきた。一方のイヴァンカは場慣れしており、落ち着きはらっている。コンウェイはヒステリックなまでの激しさで政治的な操作や駆け引きを行い、支離滅裂な言葉を並べ立てる。一方のイヴァンカは、一寸の狂いもない正確な言葉づかいで話す――あるいは、まったく話さない。

父親が大統領に就任してから1カ月間、イヴァンカは沈黙を守ってきた。ソーシャルメディアに姿は現すものの、その言葉は伝わってこない。高級デパートのノードストロームが2月2日、「イヴァンカ・トランプ」ブランドの商品取り扱いを中止すると発表した時、イヴァンカは娘アラベラが中国の春節を祝って中国語で歌う動画を投稿した。

父親が、娘に対するノードストロームの扱いは「不公平」だとツイートしても、イヴァンカはマスコミに対して何もコメントせず、代わりに自身の写真を投稿しただけだった。ホワイトハウスで、「パーソナルアシスタント」だという幼い息子テオドールを抱っこしながら電話で話をする写真だ。

コンウェイが「イヴァンカの製品を買いに行こう」と呼びかけても、イヴァンカ本人は沈黙したままだった。同じ日にしばらく経ってから動画を投稿したが、その内容は、大手会計事務所アーンスト・アンド・ヤングのマーク・ワインバーガー最高経営責任者(CEO)が、働く女性を重要課題として取り上げたイヴァンカの功績を称えるものだった。

イヴァンカの沈黙と、矛先を巧妙にそらすやり方は、驚異的な成功をおさめてきた彼女のマネジメント戦略の大きな特徴だ。彼女の父親はものごとにすぐ反応し、カッとなりやすく、注意力散漫だ。

しかしイヴァンカは、用心深く自分を抑えながらメッセージを発信する。そうしたやり方は、ジャレッド・クシュナーとの結婚・出産を経て自らのファッションブランドを立ち上げて以降、「#WomenWhoWork(働く女性)」というライフスタイルブランドと一体化してきた。

#WomenWhoWorkは、ワークライフバランスを目指した明確なポストフェミニズム的アプローチを特徴とし、女性は誰もが「仕事をもって社会に参加する」と同時に、すばらしい母親になれることを示唆している。ただしそのためには、かわいらしいドレスを着て、スリムな体型を維持し、白人ブルジョア層の気品を漂わせることを目指さなくてはならない。すなわち、イヴァンカのようになればすべてが手に入るのだ。

父親が大統領選挙を戦っていた時、イヴァンカは#WomenWhoWorkキャンペーンを巧みに利用して矛先をかわした。父親が正式に大統領候補に指名された共和党全国大会でのスピーチでも、その後に続いたインタビューでも、彼女は、有給出産休暇と、男女同一賃金の重要性を強く訴えた。

父親もそれを受けて、自らの陣営におけるイヴァンカの立場――ならびにその主張――を根拠にこう発言した。「自分ほど女性を尊敬している人間はいない」。有権者の多くがそのメッセージを内面化した。

全米各地の集会で出会った数名の女性たちは私にこう言った。イヴァンカの落ち着きや気品、誠実だという評判を考えれば、その父親であるトランプは「そんなに」悪い人間ではないはずだ、と。そして、トランプは大風呂敷を広げ、偉そうにしているが、イヴァンカがそれをうまく抑えてくれるだろう、と彼らは考えていた。

イヴァンカの冷静さが、そういった見方を強めているようだ。父親がツイッターで次から次へと混乱を引き起こし、兄弟たちがとんでもない失策を犯しても、イヴァンカは「自分のスタイル」を堅持し、父親に追随しなかった。

イヴァンカのソーシャルメディア・フィードだけを見て暮らしていれば、大統領選挙中であるどころか、彼女がその一役を担っていることにさえ気づかなかったに違いない。そのころも今も、イヴァンカのフィードは、彼女の子どもたちと、非の打ちどころのない姿で育児にいそしむ母親としての写真、心に響く名言、そして#WomenWhoWorkのブランド戦略でいっぱいだ。父親が選挙キャンペーンで自滅したとしても、イヴァンカブランドは無傷でいられそうだった。

選挙戦が始まって以降、イヴァンカとジャレッド・クシュナーは、家族の周りに「フォースフィールド」を築き続け、政権内における権力と影響力を維持している。とはいえ彼らは、政策決定ならびにそれによって引き起こされる影響と直に結びつくような役職に正式に就くことは避けてきた。クシュナーは、(反縁故者法に抵触する可能性があるにもかかわらず)大統領上級顧問に起用されたが、一般にはそれほど影響力を持っているようには思われていない。

しかし内部の情報筋によれば、クシュナーは事実上、「影の国務長官」であり、正式指名された政府役人たちから寄せられる要求などを吟味・選別しているという。また、トランプ大統領の演説の一部分はイヴァンカが書いたとされている。

広く報道されているように、オバマ前大統領が出した「LGBTの権利保護を命じた大統領令」の無効化を止めさせたのはイヴァンカとクシュナーだ。これにより2人には、上級顧問兼主席戦略官スティーヴ・バノンと補佐官スティーブン・ミラーが展開する悪名高き攻撃的な陰謀を食い止める「理性の声」としてのイメージが定着した。

イヴァンカは、ホワイトハウスのあちこちに顔を出している。米海軍特殊部隊の隊員ウィリアム・ライアン・オーウェンズがイエメンでの掃討作戦で犠牲になった時、追悼式典に列席する父親に同行したのはイヴァンカだった。ファーストレディと年少の子供がニューヨークに残る中、イヴァンカとクシュナーはワシントンD.C.に移った。

イヴァンカは、父親と各国首脳とのプライベートな会談に同席し、有力者たちと朝食もともにする。自宅に大企業トップを招いて夕食会を催す。保育園費用を税控除の対象にすべきだという持論を唱えて、近く発表される減税案に盛り込むよう、ロビー活動も行っている。

トランプが上下両院合同会議の演説で、亡くなったオーウェンズを称えた時、未亡人となった妻の横には、メラニア夫人ではなくイヴァンカの姿があった。イヴァンカが重々しい表情でいたわるように拍手を送る姿をとらえた映像は、ニュースで何度も流された。

多くの人が、イヴァンカの役割をファーストレディのそれになぞらえている。ただし、それが正しいのは、ファーストレディ時代のヒラリー・クリントンと比較した場合だ。ヒラリーは、大統領の夫を支えることが主だったそれまでのファーストレディの役割を、政策アドバイザー兼ロビイストに一変させた。

ファーストレディとしての当時のヒラリーのふるまいには批判が集中し、彼女に対する支持率は過去最低水準を記録した。イヴァンカはヒラリーとは異なり、自らの権力志向をうまく隠している。丁寧に整えられたヘアスタイルと10センチのハイヒール、洗練されたシフトドレス、3人のかわいらしい子どもたちでカモフラージュしているのだ。イヴァンカの母イヴァナは、女性らしさを絵に描いたような人物だった。スラブ系で、容姿はバービー人形そのもの。トランプの横に立つととても映えた。

イヴァンカは、イヴァナが進化した「バービー2.0」だ。男性にとっては恋人としても結婚相手としても申し分なく、女性に敬遠されることもない。クシュナーと結婚する前のイヴァンカは、アンジェリーナ・ジョリーを思わせる妖艶さを漂わせていた。しかし結婚後は、すべてにおいてジェニファー・アニストン風だ。政治に無関心で不快感を与えない、とてもアメリカ人らしい女性。

クシュナーと結婚したイヴァンカは、自身の家族とそっくりなファミリーの一員となった。クシュナー家とトランプ家はともに不動産で財を成しており、父親が絶大な権力を持つ。自宅は同じくマンハッタン郊外だ。代々、資産家層に対する強い羨望と、自らの階級に対する不安を抱きつつ、資産家層をつねに意識してきたが、そのサークルにはなかなか入れなかった。

また両家には何かとスキャンダルつきまとっている。そのせいで、子どもたちは若いころから処世術を身につけ、父親の不始末から自分の身を守らざるを得なかった。しかしそんな中でも彼らは、父親との金銭的かつ感情的な絆を保ってきた。

なぜイヴァンカが、世間も認める父親の「お気に入り」なのか、なぜクシュナーが壮大な不動産ファミリービジネスのトップに立ったのか、それにはわけがある。2人とも「ステップアップ」したからだ。そしてその過程で、上品になるすべを体得した。特にイヴァンカは、父親の悪趣味なスタイルや、注目を集めるための派手な言動など、「下級の家系」が露呈するすべてをやめた。ひっきりなしに喋るのではなく、口を閉ざすことを学んだのだ。

トランプが大統領選を戦っている間、クシュナーは一切インタビューを受けなかった。イヴァンカも、それまで盛んに行っていたパブリシティを控えるようになった。インタビューを受けるメディアを選り好みし、最も洗練された雑誌などに絞り込んだ。

取材に応じたのは『タウン&カントリー』『ヴォーグ』『ハーパーズバザー』などだ。自身のファッションブランドについても、そうした優雅さとの統一を図っている。それは、彼女が公の場で身につける厳選された衣装と同様、「20世紀のフェミニズム台頭以前の時代」を連想させると、ファッションを研究するマイアミ大学のヘレン・シューメイカーは言う。

大統領選中、父親が偏見に一段と磨きをかけ、外国人を毛嫌いし、反イスラムへと傾いていく中、イヴァンカは、不快感を与えないよう、さらに自制した。彼女は、これまでになく人前に出たが、同時に目立たない存在になった。

ソーシャルメディアのフォロワーは激増し、コメントや父親への批判をひっきりなしに求められるようになった。しかしイヴァンカは変わらなかった。『ピープル』誌のインタビューでは、「私は娘であって、クローンではありません」と発言し、父親と意見が合わないこともあると述べた。ただし、公の場、人前では決してそんなところは見せない。イヴァンカがパワーを行使するのは、誰も見ていないところだけだ。

投票日当日に私は、「イヴァンカに同情してはならない。彼女を恐れよ」という記事を投稿した。当時の予想通りにトランプが敗北し、イヴァンカは悲嘆にくれるだろうという意見があったからなのだが、私は、彼女を恐れるべきだと書いた。

父親のアドバイザーたちと比較すれば、イヴァンカは「社会自由主義者」かもしれない。しかし、守られるべき人間は誰かという点では、父親と同じ意見だ(すなわちそれは、自分と身なりも行動も同じで、「身のほどを知っている」人間だ)。

表向きは政治に無関心なふりをしているが、実際は、最も危険なタイプの政治的動機を持っている。そして、自らが持つ権力を、「家庭を第一に考える女性」という美的センスで覆い隠し、「自分は何の役割も果たしていない」と公言する。だが、つねにそこにいることで、彼女がどれほどその一端を担っているかが伝わってくるのだ。

彼女のそうした姿勢は、ソーシャルメディアに投稿される画像の数々でも見て取れる。それが顕著に表れたのが1月29日の投稿だ。トランプの入国禁止令に対する抗議活動が盛んに行われる中、イヴァンカは、正装イベントに出席するためにドレスアップした夫婦の写真を投稿した。

イヴァンカが輝くシルバードレスをまとうその写真はすぐさま、難民の幼い子どもたちが救助用のアルミシートにくるまれている写真と比較された。そして、まるでマリー・アントワネットのようだと揶揄されたのだ。

一部の人の言葉を借りれば、イヴァンカのその写真は「政治的センスがない」「現状を把握していない」悪趣味なものだ。そしてイヴァンカにとって、趣味が悪いと言われることほどブランドを損ねるものはない。イヴァンカはそれ以降、投稿のタイミングと内容に関して、以前にもまして注意するようになった。

通常はTwitter、Facebook、Instagramに、同じ動画や画像を、たいてい1日1回投稿する。しかし、シルバードレスで批判を受けた直後の1週間は、たった1度の投稿にとどまった。それは娘のアラベラが中国春節を祝う歌を中国語で歌っている動画だった。自分(と家族)はもちろん他文化に好意を持っていると示唆するコンテンツだ。娘は中国語をしゃべる。それは、(一度も登場したことのない)ナニーたちから教わっているのだ!と。

イヴァンカは今でも、非難の矛先をかわしている。ただし今では一定の間隔を置き、父親の政策がもたらす重大な結果と結びついたり比較されたりしないよう配慮している。

トランプがメディアを攻撃している時、イヴァンカは、子どもたちと手をつないでホワイトハウスの庭を散歩する写真を投稿した。トランプがトランスジェンダーの子どもたちの保護政策を撤回した時は、最高裁判所前の階段で娘とポーズを取っていた。トランプがメディアを「国民の敵だ」と呼んだ日は、子どもたちをモンスタートラックのショーに初めて連れて行った時の画像を投稿した。

ほかにも、父親とともにNGO代表者と会って人身売買の防止策について話し合う画像や、アフリカ系アメリカ人起業家と会談した画像、サウスカロライナ州のボーイング社を訪ねた時の画像もある。

それらは、好ましくないものではないし、議論さえ生じないものだ。人身売買は撲滅するべきだと誰もが考えるし、女性には「参加する権利」があると思っている(ほんの少しであれば)。イヴァンカは、保育費用の税控除を訴えて議会でロビー活動をしている(メリットを受けるのは主に富裕層だ)が、それを表立って行わないのは、彼女にとっては議論を呼びすぎるものだからだ。

効果的なソーシャルメディア・マネジメントだと言ってもいい。あるいは、家庭的な側面と政治的な側面のバランスを絶妙に保っているとも言える。政治的側面には脅威がつきものだが、彼女の場合の脅威とは、彼女が権力を持っていることが明白になることなのだ。

ここ最近増加している反ユダヤ主義的な暴力行為に対し、ホワイトハウスが明確な態度を示さなかったため、イヴァンカは、少なくとも沈黙を破らざるをえなくなった。最終的にホワイトハウスは、「ユダヤ」「ユダヤ人」という表現を用いない声明を発表した。

イヴァンカも同様に、多義的な内容のツイートを投稿した。「アメリカは、宗教的な寛容さという原理の上に築き上げられた国家です。私たちは教会や礼拝所、宗教的な集会所を保護しなくてはなりません」。このツイートは、自分がユダヤ教信者であることを明らかにしていないし、ユダヤ教にも一切触れていない。「#JCC」(ユダヤ人コミュニティーセンターの略)というハッシュタグはつけられていたものの、大半の人は何のことだかわからなかっただろう。

権力に対する彼女のこうした姿勢は、父親ならびに自身のブランドに対する姿勢と同じだ。つまり、口はできるだけ開かないのが望ましいというわけだ。代わりにイヴァンカは、自らのイメージに繰り返し目を向けさせようとする。

「自分はトランプ家の人間だが、そのタイプのトランプではない。ホワイトハウスに出入りしているが、やっているのはよいことだけだ。働いているが、身のほどをわきまえている。自分のビジネスに熱心だが、ケーブルテレビに出てそれを擁護するような愚かなまねは絶対にしない」。イヴァンカは姿は見せても、声は出さないのだ。

イヴァンカが作り上げている世界。それは、当たり障りのないイメージと、念入りに仕立て上げられた姿、子どもたち、そして沈黙だ。それらが一体化し、きわめて21世紀的なプロパガンダ美学を生み出している。その美学は私たちの判断力を奪い、アメリカをふたたび偉大にするという名の下に彼女の父親が引き起こす、差別と破壊を覆い隠そうとするものだ。

その美学はまた、イヴァンカに弁解の余地を与えるものであることは言うまでもない。彼女のソーシャルメディアは、まるで犯罪者がアリバイをでっちあげるかのように入念に作り上げられた、もっともらしい否定の場だ。そして疑問は残る。未来の歴史学者たちは、イヴァンカがネット上に残す足跡を見て彼女を許すだろうか? それとも、意図的に無知を装う彼女を非難するだろうか?

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan


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