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6月4日夜、金曜ロードショーで『ボヘミアン ・ラプソディ』が地上波初放送!クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーのデビューからバンド最後のステージまでを、写真で振り返る。
デビューした年に開催した最初のツアーへ向けて、リハーサルを重ねている場面。(1973年7月8日)
メジャーデビュー1年後のロンドン公演の舞台裏。フレディ・マーキュリーは当時は派手なメイクをしていた。(1974年)
1975年に初来日。この時、空港には1200人を超えるファンが押し寄せた。(1975年4月22日)
ドラムのロジャー・テイラーとボーカルのフレディ・マーキュリー。エディンバラでのライブ風景。この年、クイーンはアメリカ、日本、オーストラリアなど世界中でツアーを行なった。(1976年9月1日)
クイーンのメンバーのアーティスト写真。この後、シングル『ボヘミアン・ラプソディ』は100万枚を超えるヒットを記録する。この曲はビートルズなどを抑えて今もイギリスで最も売れた曲とされている。(1976年9月8日 ロンドンにて)
左:ロジャー・テイラー、1977年のマディソンスクエアガーデン公演にて 右:フレディ・マーキュリー、1975年
アメリカツアーの楽屋の様子。(1977年1月)
初めてセルフプロデュースで製作したアルバムはイギリスや日本などで1位を獲得。世界中のミュージシャンの憧れの舞台でもあるNYのマディソンスクエアガーデンでライブを行なった。(1977年)
コンサートでパフォーマンスを行うクイーン。(1977年頃)
6枚目のアルバム『世界に捧ぐ』(原題:NEWS OF THE WORLD)を手に世界ツアーを開催。冷戦下のベルリンでもライブを行なった。(1978年4月28日)
ファンの間を縫って歩くフレディ・マーキュリー(1978年10月31日)
アルバム『オペラ座の夜』の200万枚を超えるヒットをうけて表彰を受けた。(1979年)
フレディ・マーキュリーはバレーのインストラクターからの指導を受けていた。(1979年8月)
当初、フレディ・マーキュリーの髭には賛否両論あったが今では彼のトレードマークとなっている。(1982年)
シドニーで会見を行い、ソロ活動をスタートした。1985年に初めてのアルバム『Mr.バッドガイ』をリリース。これが最初で最後のソロアルバムとなった。(1985年)
左:クイーンのミュンヘン公演にて(1979年11月1日) 右:クイーンのロンドン公演にて(1984年9月5日)
ストックホルムでライブを行うクイーン。(1985年)
1986年に行った世界ツアー『マジックツアー』。ウェンブリースタジアム公演では2日間で15万人を動員。フレディは大観衆の中で「ボヘミアン・ラプソディ」を歌い上げた。(1986年7月11日)
『マジックツアー』のイギリスのネブワークパーク公演では、30万人を動員した。この後、フレディ・マーキュリーの体調は悪化したため、これがクイーンとして行なった最後のライブとなった。(1986年8月9日)
左:アイルランドのスレーン城にて行われたコンサートにファンが駆けつけた。(1986年5月7日) 右:ネブワース公演ではヘリコプターから舞い降り、ライブがスタート。(1986年8月9日)
最後まで力強いパフォーマンスで30万人の聴衆を魅了。5年後の1991年11月24日、フレディ・マーキュリーはHIVによる免疫不全が原因で引き起こったニューモシスチス肺炎により息を引き取った。自身がエイズと闘っていることを世間に公表した翌日の出来事だった。(1986年8月9日)
この記事は英語から翻訳されました。翻訳:千葉雄登