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「男らしさ」は男も女も幸せにしない

「男らしくない男」である僕が、どうやってありのままの自分を受け入れたか

僕はアパートのエレベーターを待っていた。接戦だったクリケットの試合を終えたばかりで疲れていた。その時、誰かが僕の胸をつかんだ。

「男のくせにおっぱいがあるぜ!」

こんなふうにからかうのは、思春期の男子ならよくあることだ。僕はその時12歳で、背が低く、太っていた。からかってきたのは、僕より少しだけ大きくて引き締まった体つきの男子だった。

その場にいた、汗まみれの細身の男子たちは誰ひとり表情を変えなかった。何人かは愛想笑いを浮かべたが、すぐに忘れてしまっただろう。

でも、僕は忘れなかった。

家に着くなり、鏡の前に立った。そして、「胸の脂肪」に初めて気がついた。

そして、自分が「男らしくない」ことにも気づいた。

12年後の今日に至るまで、僕は背中を丸め、胸のぜい肉を隠すようにして生きてきた。今はもうぜい肉がついていないが、それは問題ではない。

自分が同年代のほかの男子よりも太っていて背が低いと気がついたあと、自分の「不完全」なところが次々と見えてきた。

思春期の男子にとって、成長の証は輝かしいものだ。同級生があごや鼻の下にひげが生え始めたと自慢していたら、僕は自分の顔にも1本でいいから、ひげが生えていないだろうかと必死になって探した。大人っぽい顔になりたかった。

(たいがいは無駄な努力にすぎなかった。)

僕のことをろくに知りもしない親戚がやきもきして、もう少し背が伸びれば「賢そうに見えるのに」と言った。

同級生からは、鼻の下がつるつるしていて女の子みたいだ、と何気ない調子で言われた。

サッカーの試合で「負けたチーム全員がシャツを脱ぐ」という罰ゲームを課された時には、何も生えていない僕の胸元は冷やかしの的となった。

インドでは、男のあるべき姿が一般的に決まっている。それは見落としようがない。

いったん気づけば、いたるところで見て取れるのだ。

手始めに、メジャーなボリウッド映画の主演男優を見てほしい。彼らの二の腕は隆々としており、腹筋は見事に割れてタイトなシャツを破りそうだ。

こうした傾向は最近始まったわけではない。70年代に「怒れる若者」を演じて人気を博したアミターブ・バッチャンやシャシ・カプール以降、ここ40年ほどの間に大スターとなった男優たちの中には、ある種の男らしさのモデルとしてぴったりという人たちが多い。彼らはみな、長身で肩幅が広く、強くてたくましいのだ。

その男らしさは肉体的な特徴に限ったものではない。彼らが演じる役どころは、揃いも揃って喧嘩に強く、女性にもてて、市民を守る「本物の男」だ。

本物の男は、泣かず、人に頼らない。傷つくことはあっても、決して負けたりしない。

本物の男は頼もしい。洗剤やチョコレートドリンクのCMには、家族の面倒をかいがいしく見る女性が登場する(これはこれで別の問題だ)。一方、保険会社や自動車、住宅用ペンキのCMでは、家庭における理想の男性像が描かれている。家族を養う、冷静で頼りがいのある男性だ。

(「うちのパパは世界一強いんだぞ!(My daddy stroooongesttt!)」という映画のセリフがうるさいくらいに頭の中でこだましている。この文章の読者の方々にもそれがうつってしまったとしたら、謝りたい。)

インド人男性は、「男らしくて冷静な、男の中の男」になりたいという強い願望を抱いている。広告主たちは、モノを買わせるならそこにつけ込むのが一番であることを、良く知っているのだ。

政治家も、自分に票を入れさせるためには男らしさを強調するのが一番の近道だと承知している。そうでなければ、モディ首相の胸板の厚さがインド中で話題になる理由が説明できない。

しかし、「男らしくあれ」というプレッシャーはもっと身近なものだ。映画や広告、「我が国の首相の胸板は150センチ近い」という自慢から感じられるだけではない。

インドでは、「男の子は泣いてはいけない」と教えられる。

遊び場では、ちょっとした口喧嘩も、すぐに男らしさの自慢合戦となる。争いを避けようものなら、その後しばらくは「女々しいやつ」と呼ばれると考えていたほうがいい。

カップルなら、どれほど寒かろうが、愚痴ひとつこぼさずに彼女に上着を貸してあげなくてはならない。家に帰れば、夕食の席で両親が、どのような男に成長すべきか手本を示す。

僕の父親は、男子たるもの不平を言わずに働き、家族を養い、妻と子どもが満足した生活を送れるよう立派な大黒柱となるべし、と教えられてきた。祖父が父にそうした価値観を植えつけたのだ。

父は、祖父から受け継いだその価値観を、僕に教え込んだ。

そればかりか、潜在意識にも働きかけられていて、僕たちは日ごろの会話を通じて男性らしさを植えつけられている。「男ならしっかりしろ」「度胸を持て」「男になれ」。こうした表現はどれも「強くなれ」という意味だ(男3人の友情を描いたインド映画『Dil Chahta Hai(心が望んでいる)』の中で、アーカーシュが親友のサミールを励ますために「Mard ban(男になれ)」と言ったシーンを覚えているだろうか)。

一方で、弱さを表す表現を見てみよう。「女の子みたいに泣く」「女の子みたいに弱虫」「女みたいなヤツ」といった表現がある。

男の価値は、養ったり守ったりするための、身体的かつ精神的な能力と直結している、というメッセージが、周囲にはあふれている。そして、なぜかはわからないが、そういった能力は特定の体型や気質と結びついている。

男は強くあらねばならないのだ。

このようにして、思春期の間ずっと、ひげが生えていないとか、背が低いとか、あちこちで何気ないひと言を浴びせられるたびに僕は自信を失っていった。けれども、不完全な人間だという気持ちを他人に打ち明けたことは一度もない。

そんなことを打ち明ければ弱い人間だと思われてしまう。それは「女々しい」ことであり、男にとってこれ以上不名誉なことはない。

背が低くて太っていて、肌がつるつるしているだけで、男は弱虫なのだ。

背が低くて太っていて肌がつるつるしていて、おまけに感情的で傷つきやすい男など、男ではない。

だから僕は人知れず、バスルームで鏡を延々とにらみつけては、口ひげとあごひげがつながってくれないものかと願ってきた。

食べる量を必要以上に減らし、食事を抜いて痩せようと努力した。

必要もないのにひげを剃り、かみそりをあてれば、ありもしないひげが生えてくるのではないかと待った。

自分の気持ちが恥ずかしかったし、途方に暮れていた。自分のつらさを理解できる人はどこにもいないだろうと思っていたので、助けを求めようともしなかった。

しかし、やがて僕は、このみじめな状況から自分を救えるのは自分自身しかいないと考えるようになった。

そのための第一歩は、問題は自分の中に存在するわけではないと認めることだった。僕は、不完全な人間だと思わせるよう仕向けられた多くの外発的なきっかけに気づき始めた。自分はだめな人間だという思考をストップさせるために、まずは成功の基準を疑う必要があったのだ。

また、男らしさの定義が危険なまでに厳格なせいで、もっとも影響を受けているのは誰かがわかってきた。それはもちろん女性だ。

「女にもてる」ことで男らしさを証明しようと躍起になる男こそ、結局は女性の気持ちを度外視しがちだ。

「家族を養う」ことに躍起になる男こそ、女性の役割は厳しく決まっていると頑なに信じている。女は家にいて料理をし、家事をし、家族の面倒を見るものだと考えているのだ。

男女に求められる役割は固定されていると認めると、それを他人にも押しつけることになってしまう。そういった固定観念に従うことがいかに有害であるかを、僕は理解するようになった。

もちろん、気がついたからといって問題がすべて解決するわけではなかった。自分が不完全だと感じる日はいまだにある。

でも僕は徐々に、自分を責めなくなっていった。そしてついに、「男らしさ」を笑い飛ばせるようになった(僕の場合は「男らしさの欠如」だけれど)。今では、情けないもみあげや、凹んだ二の腕をジョークのネタにする。

鏡を見て、生えてこないあごひげをチェックすることも、他人が自分をどう思っているのかを気にすることもやめた。人から認められたいと思うことをやめ、自分で自分を認めようと努力するようになった。

このことは、僕の人生を根本的に変えた(例えば、チキンビリヤニを注文するとき、どんなに腹筋を割れさせようと頑張っても自分には不可能なのだ、という悲しみを感じることは、もうない)。

前よりも自由になった気分だ。けれども、インド中の遊び場では今でも、無数の男の子たちが、僕がかつて感じたように、自分は不完全だという思いを密かに抱いているはずだ。

そんな思いを抱く必要がなければいいのに、と思う。

正直に言って、自分の価値は身体的な強さや感情のストイックさで決まるという考え方は、ばかばかしいくらい古くさい。

かつての僕のような気持ちを抱いた男の子たちのためにも、インド社会がいずれ、男らしさとはうわべだけの作り上げられたイメージであると気づく日が訪れてほしいと思っている。

困難に直面した時は、男の子だって泣いたっていい。つらいと口にしてもいい。助けを求めてもいい。そう思えるようになってほしい。「男ならしっかりしろ」とプレッシャーをかけられ、それを乗り越えようとして、僕のように苦しい思いを独りで抱え込むことがないようにと願っている。

社会が変わるのを待つ間、シェービング用品にお金を注ぎ込まなくて済むのが、せめてもの救いだ。


この記事は英語から翻訳されました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan

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