ミニオンズはなぜこれほど人気なのか

    グローバリズムにうってつけの、計算されたバカバカしさを体現するキャラクター。

    「バ・バ・バ、バ・バナナ……」

    私は、ザ・ビーチ・ボーイズのヒット曲「バーバラ・アン」をカバーするミニオンのクリップを再生して、自分のクラスの生徒(4~5歳)にいっしょに歌うよう言った。

    2015年の秋、私はベトナムのフエにあるESLセンターで英語を教えていた。センターは教師に、生徒との交流をはかる手段として、英語の歌でレッスンを始めるようにすすめていた。レッスンの1週間前、中秋節と呼ばれるベトナムのお祭りで、私の生徒たちは、月を模したミニオンのランタンを振っていた。そんなわけで私は、ミニオンだったら、きっと生徒の注目と信頼を得られるにちがいないと思った(この黄色くてグニャグニャした不可解な生き物は、当時ベトナムのいたるところで見られたのだ)。私はプロジェクターのスイッチを入れ、ブラインドをおろし、席に着いた。

    「バ・バ・バ、バ・バナナ……」

    みんながいっしょに歌い始めた。いいぞ、と私は思った。生徒たちは「バナナ」という言葉を習得しようとしていた。ミッション完了だ。

    「バ・バ・バナナ、ポテトーーー、トカティ、ポテト、バチャタ、バ・バ・バナナ、バ・バ・バナナ……」

    大変だ。生徒たちはすぐに、英語ではなく「ミニオンの言葉」を真似し始めたのだ。その日の授業では、私がアルファベットを暗唱するように言うと、彼らは「バチャタ」と叫び、座るように言うと「ポテト・トカティ」と叫んだ。その世界的な人気にもかかわらず、実はミニオンは、ESLにとってはクリプトナイト(スーパーマンを弱体化させる物質)だったのだ。

    青いオーバーオールとゴーグルを身につけた小さな黄色い生き物・ミニオンは、エンターテインメント業界にとってはカネを生み出す存在だ。2010年公開のコンピューターアニメーションコメディ『怪盗グルーの月泥棒』で、悪党グルーの子分として登場したのち、ミニオンは、彼らの起源について描く2015年公開の映画『ミニオンズ』で主役の座を与えられ、最終的に全世界で11億ドル以上の興行収入をあげた。また彼らは、2016年にユニバーサル・スタジオの公式マスコットにもなった。

    ミニオンは、ハリウッドのマネーマシンであるだけでなく、いまやもっともよく見かけるインターネットミームのひとつにもなっている。害のない日常的なジョークが添えられた彼らの似顔絵は、TumblrやPinterest、Facebookのニュースフィードなどを席巻している。スポンジ・ボブやミッキーマウス、ピクサーのキャラクター、コミックブックのスーパーヒーローといったものたちとは違い、ミニオンは際立った人格的特徴や物語を何も持っていない。

    子ども向けのアニメに不可欠の要素である、友情や愛、家族についての厳格な教訓も完全に欠けている。彼らはただ、アンチヒーローや悪役にへつらっているだけの存在だ。それなのに、ミニオン現象は勢いを増しつつあるようだ。今年の夏『怪盗グルーのミニオン大脱走』が封切られ、2020年には『Minions 2』の公開も決まっている。この中性的な黄色い不定形の塊は、人々の日常に定着したのだ。

    2010年代にミニオンが世界のポップカルチャーを制覇していく一方、政治の世界ではグローバリゼーションに対する反発が醸成され、外国人嫌悪の傾向もしばしば見られるようになっている。イギリスは欧州連合(EU)離脱を国民投票で決め、それに続いてアメリカも「アメリカ・ファースト」をモットーとする、リアリティ番組で人気を博したポピュリストを大統領に選んだ。

    インドや日本、オーストリア、フランス、オランダでは、「グローバリゼーションは労働者階級と中産階級の豊かさを剥奪した」という感情の反映として、極右政党がますます存在感を示すようになってきた。こうした文脈のなかで、ミニオンは不器用な文化的仲介者として機能し、ユーモラスに文化の相違点と類似点を明るみに出してきた。その不可解さが、ミニオンをグローバリズムにうってつけのキャラクターにしている。どこに行こうと彼らは好感と妥当性を獲得する。そして何よりも謎めいた存在となるのだ。

    ミニオンが地球をうろつく以前には、ハローキティがいた。かつてハローキティブランドには70億ドルの価値があると評価された。好景気に沸く日本で1970年代に生まれたハローキティは、北東アジアと東南アジアで人気を博し、その人気はやがて欧米にも到達した。ハローキティは誕生以来、「カワイイ」という日本のサブカルチャーを代表する標準的なマスコットとなっている。

    ファッションブロガーのミーシャ・ジャネットは、「カワイイ」について、小さくて弱いものに見られるような、デリケートなキュートさであり、「ハッピーでポジティブなあらゆるものの具現である」と述べている。この20年間、カワイイは、日本が輸出する主要な文化のひとつとなってきたが、これは偶然ではない。こうしたキュートさには、マス・アピールが本質的に備わっているのだ。子どもにとっては、それは単なる愛らしさだ。大人はこのイメージに、現実逃避、あるいは皮肉や風刺としてアプローチできる。大きな目と、間抜けで子どもっぽい振る舞いのミニオンは、日本のサブカルチャーとの共通点がある。

    ただし、何も考えずに親分に従う、キーキー声の愛らしい子分たちというアイデア自体がまったく新しいわけではない点には留意すべきだ。1999年に公開されたピクサーの『トイ・ストーリー2』(日本での公開は2000年)には、レストラン「ピザ・プラネット」にあるクレーンゲーム「スペースクレーン」のクロー(爪)を崇拝する緑色のエイリアン人形が登場していた。このエイリアンは、クローを見るたびに「神様」と合唱したが、ミスター・ポテトヘッドに助けられるや、今度は彼とその妻のミセス・ポテトヘッドを崇拝するようになり、笑えるほどデタラメな金魚のフンぶりを見せつけた。このエイリアンたちはディズニーグッズにもなったが、ミニオンのように世界的人気者にはならなかった。彼らが地球外生命というSFの比喩的表現をコメディー風に解釈した存在であるのに対し、ミニオンは完全な新種だ。

    ミニオンの声を担当し、『怪盗グルー』シリーズで監督を務めたピエール・コフィンによると、ミニオンはコメディー的な必要性に迫られて生まれた、「完全な偶然の産物」だったという。アニメーションチームは当初、彼らを「大悪党グルーの手先として汚れ仕事」をする「筋骨隆々の一大ギャング集団」としてデザインしていた。このようなギャングたちでは俳優スティーヴ・カレルが声を演じるグルーが面白みを失って「反感を買ってしまう」と判断したチームは、ミニオンを愛らしいキャラクターにすることにした。そしてこれが作品に、生意気で魅力的な間抜けさを添えることになった。

    『怪盗グルーの月泥棒』が公開されると、ミニオンは最も優れた即興コメディーの俳優でさえも夢見ることしかできない偉業を成し遂げた。つまり、主役のスティーヴ・カレルを食った、と一部の評論家が述べたのだ。また『Entertainment Weekly』誌も、「主役はスティーヴ・カレルかもしれないが、我々の興味を引いたのは、この黄色くて可愛いミニオンたちだ」と絶賛した。2012年、『怪盗グルーの月泥棒』は全世界で5億4000万ドルの興行収入を記録し、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」のライド・アトラクションにもなった。そして同年、『怪盗グルー』シリーズの親会社であるイルミネーション・エンターテインメントは、ミニオンを主役とする映画にゴーサインを出した。

    『怪盗グルーの月泥棒』と『怪盗グルーのミニオン危機一発』におけるミニオンは脇役だったが、『ミニオンズ』は彼らを主役とする長編映画だ。わけのわからないことをしゃべる黄色い生き物を主役とする映画に困難がともなったことは言うまでもないが、コフィン監督はその混沌を作品に取り入れてみせた。『ミニオンズ』のプロダクションノートのなかで同氏は、このプリクエル(前日譚)を、悪ふざけやギャグ、体を張ったユーモアを通して物語が語られる「サイレント映画の遺産」の一部と考えていると述べている。シンプルさを優先するこうしたコメディー哲学は、この作品の突飛で度を越したプロットの基礎となっている。このリスクが好結果をもたらした。『ミニオンズ』は史上2位の興行収入をあげたアニメーション映画となり、より大規模な予算で作られたディズニーアニメーション『アナと雪の女王』に肉薄した。

    ハリウッドが、彼らの「デリケートなキュートさ」に気づき、それを取り入れて外国市場へのリーチを試みるようになるのは時間の問題でしかなかった。ミニオンが2010年の『怪盗グルーの月泥棒』でデビューするまでの10年間に、北米市場以外の海外市場は次第に、北米市場よりも大きな富を興行成績にもたらすようになっていた。2010年には、海外市場のチケット売上は200億ドルに達し、興行収入全体の3分の2を占めるまでになっていたのだ。

    そして、こうした国際市場への注力が、作品のプロットおよびキャスティングに大きな影響を及ぼすようになった。世界中にロケ地を広げる『ワイルド・スピード』シリーズなどは、国際市場で高い利益を生み出すハリウッド映画の一角を占めている。マイケル・ベイが監督を務め、中国共産党の協力により制作された2014年公開の『トランスフォーマー/ロストエイジ』は、香港と北京の超近代性をショーケース化した作品で、中国の製品や映画スターを大々的に取り上げている。

    また、中国電影集団公司、アトラス・エンターテインメントなどによって制作された、2017年公開の『グレートウォール』(中国での公開は2016年)は、この2つの市場のブレンドを作品のプロットに公然と織り込んでおり、マット・デイモン演じる中世ヨーロッパの傭兵が、火薬を求めて宋(当時の中国の王朝)へと辿り着く物語となっている。

    こうした実験は、さまざまな結果を生み出した。『トランスフォーマー/ロストエイジ』は商業的な成功は収めたが、同作品中に出てくる中国の場面は、野暮な付属物のように見える。デヴィッド・S・コーエンは『Variety』誌に寄稿した記事のなかで、『トランスフォーマー/ロストエイジ』は中国政府を肯定的に描き、その一方でアメリカ政府を「滑稽あるいは悪魔的」な存在として描いていると批評した。また、マット・デイモンを主人公とした『グレートウォール』は、ホワイトウォッシング(白人以外の役柄に白人俳優が配役されること)などのキャスティングをめぐる非難に直面し、商業的にも失敗に終わった。

    『Vanity Fair』誌は2016年、エンターテインメント業界の現状を驚くほどシニカルに分析した、「今年、ハリウッドが中国に迎合するために講じてきたあらゆる手段にあなたは気づいただろうか?」という記事を掲載した。これらの作品には、外国政府に関するあからさまで肯定的な描写がちりばめられているが、プロパガンダの目的や一貫性があるわけではない。その代わりにこれらの作品は、2つの地政学的勢力の間で生じる議論や妥協をぎこちなく視覚化し、最終的には緊張状態を、緩和させるというよりは悪化させることになった。

    『トランスフォーマー』や『グレートウォール』と違って、『怪盗グルー』シリーズと『ミニオンズ』は、まったく新しいリアリティのなかで稼働している。つまり、「カワイイ」の美学を、アメリカのドタバタ喜劇と組み合わせることにより、世界にアピールするバカバカしさを形成しているのだ。これらの作品にみられる喜劇的緊張の出所はただひとつ、ミニオンが延々と繰り返す失敗だ。登場以来、ミニオンは主人に尽くそうとしてきたが、結果的に家来としての役目を果たせずに失敗を繰り返し、それが想像を絶する大惨事を引き起こしてきた。上司と部下の間にあるこうした喜劇的な緊張関係は、イデオロギーを問わず、共感を呼ぶ。歴史上の人物や政治、イデオロギーは、馬鹿げたイタズラやおならの中に崩れ落ちる。歴史的時代や文化の間で生じる対立を解消させるこうした作品のメッセージは、まったく政治性のないものになる。それはつまり、誰に対しても不快感をほとんど与えることなく、万人を喜ばせるよう計算されたバカバカしさだ。

    その結果、ミニオンは世界のポップカルチャーを征服することに成功した。ユニバーサル・ピクチャーズは2015年、記録更新となる6億ドルを『ミニオンズ』のマーケティングに投じ、アマゾンやマクドナルド、ミントキャンディーのTic Tac、コンバース(シューズ製造メーカー)などの企業と提携した。ミニオンは、数えきれないほどの商品にとってインスピレーションの源だった。自身の映画のシンボルとなった彼らは、「あらゆるところにいる」こととなった。

    マクドナルドの「ハッピーセット」やアマゾンのパッケージへの登場だけでなく、ユニバーサル・ピクチャーズはキャンペーン「#MinionsOnTour」も大々的に展開し、ミニオンが世界中を練り歩くこととなった。ユニバーサル・ピクチャーズは2015年夏、『ミニオンズ』の公開を記念する看板をイギリスのコーンウォール州にある同名の村に立てた(その後、安全上の理由から、看板の撤去が要請された)。大西洋を渡ったロサンゼルスでは、サンセット大通りの貴重なロケーションがミニオンに提供された。ドームシアター「ArcLight Cinemas」の屋根は、彼らによって覆われた

    また、ミニオンはインターネットの世界にも浸透してきた。その抽象性ゆえにミニオンは、様々なミームにされている。どんなジョークや感情、慣用句とも、難なく結びつけられるのが彼らなのだ。

    ミニオンのミームが下品な場合はほとんどない。いくら悪くても、おならのジョークや、自分の料理を卑下する皮肉などに使われるぐらいだ。

    ミニオンは時おり、宿題や同僚への対処、家事などの日常的なタスクに対して抱かれる穏やかな反抗心を表現するのにも利用される。TumblrやSlack、iMessageなどでは、ミニオンは理想的なリアクションGIFになっている。彼らが登場する作品からのランダムなシーンは、無数の状況を描写できるのだ。彼らの遍在性そのものがミームになった。『ミニオンズ』の集中的なPRキャンペーンが行われていたさなかに、アイルランドのダブリンで巨大なミニオンのバルーンがどういうわけか解き放たれて、その後、道路を転がった。このときの様子をとらえた動画では、クルマが巨大なミニオンのバルーンと衝突し、最後にダッシュボードが鮮やかな黄色で覆われて終わる。この動画は、完璧なまでに不条理なメタファーとして無数のGIFにされた。そして、この形を持たない黄色い塊に、我々は降伏することになった。

    ミニオンは主として視覚的な現象だが、彼らの言語も間違いなく、彼らのもっとも紛らわしくて魅力的な特性のひとつだ。彼らによるザ・ビーチ・ボーイズ『バーバラ・アン』のカバーは、まさに原曲のダダイズム的爆発だ。クリップを見始めて15秒以内に、視聴者は歌詞を理解しようとするのをやめ、シンクロする間抜けなダンスステップを見て、ただ笑う。だが、このわかりやすさの欠如は意図的なものだ。ミニオンの奇妙な言語を考えるときには、「無意味な言葉に意味をなさせる、特別な魔法のようなリズムとメロディーを見つける」ようにしていると、コフィン監督は語っている

    ファン評論家から「ミニオン語」「バナナ語」などと呼ばれるこの意味不明な言語は、フランス語やスペイン語、英語、インドネシア語、日本語、イタリア語の言葉を結びつけたものだ。ナンセンスな言葉と言葉の間にちりばめられているのは一瞬の辻褄、つまり「ジェラート」「バナナ」といった言葉や少しばかりの慣用句だ。コフィン監督は、これら英語の言葉やフレーズを現地語に吹き替えて、ミニオンの言っていることが一瞬だけ理解できるというこの感覚をすべての国で再現することにこだわった

    『ミニオンズ』で悪役のスカーレット・オーバーキルの声を演じたサンドラ・ブロックは、ミニオン語を称賛している。まったく意味不明であるにもかかわらず、観客が「彼らが言っていることを感じとれる」というのだ。観客に「彼らが言っていることを感じとってもらう」行為は、このシリーズの戦略の一部にもなっている。

    人類学者のアナ・チンは「The Global Situation(グローバルな状況)」と題された小論文のなかで、グローバリゼーションを未来的なコンセプトとして描いた。つまり、「そこまで来ているが、まだ到着してはいないグローバルな状況を我々に見せることを約束する水晶玉」だというのだ。一方、ナショナリズムは過去への感情であるノスタルジアに根差している。ミニオンが指し示すグローバリズム的な未来は、ナショナリズムが蔓延する時代と対比をなしている。

    ミニオンは、「カワイイ」の美学の助けを借り、グローバル化にともなう現代の不安を最小限にさせる。不可解で苛立たしく、馬鹿げてはいるが、彼らが愛らしく無邪気であることは、紛れもない事実だ。外国市場に参入しようとする時のハリウッド映画会社の姿は、無理やり感があるとみられがちだ。そんな中、ミニオンはそのキャラクターで、どうしても生じる文化的混乱を楽しさに変えている。彼らは、「楽しむ」というシンプルな指示がひとつだけ添えられた、グローバリズムにとってうってつけの商品なのだ。


    Daniel Spielbergerはロサンゼルスを拠点に活動するライター。

    この記事は英語から翻訳・編集されました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan