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僕は30歳で破産した。でもそれは失敗の代名詞ではなかった

まさかこんなことが自分の身に起こるとは思っていなかった。

郵便受けの鳴る音が、階下から響いてきた。僕は慌てて階段を駆け下り、郵便物を確認した。新しいクレジットカードが届くことになっていたのだ。「ダンさんに良いお知らせです。あなたは審査に通りました」。数日前に、そう告げるメールが来ていた。すでに借金を抱えている人たち向けの「高金利クレジットカード」の発行を専門とする会社からのメールだった。

利用限度額は最大で1200ポンド(約17万円)と宣伝されていたので、たぶん700ポンド(約9.8万円)ぐらい大丈夫だろうと僕は高を括っていた。ところが開封してみると、僕に認められたのは最低額の200ポンド(約3万円)だった。来月いっぱいを食いつなぐにも足りない額だ。

20代の終わりへと突入する感覚は奇妙だ。ソーシャルメディアのフィードは、オールナイトパーティで目を真っ赤に充血させた友人たちの写真から、婚約や結婚式、赤ちゃん、家、ペット、昇進などの写真へと変わり始める。多くの人たちにとっては家庭が生活の中心になり、人生のさまざまな節目や、達成したマイルストーンなどが目に見えるかたちであらわになる。アボカドトーストの写真をしきりに人に見せたがっていた人も、やがては、9カ月間身ごもって出産した自分の赤ちゃんの写真や、この数年間、頭金を貯めて手に入れた家の鍵などの写真を共有するようになる。

人生のそんな時期に突入しつつあった僕は、ひたすら不安だった。友人たちが新しい家の玄関先でシャンパンのコルクを抜く写真を見る一方で、借金問題のアドバイスを得るようと慈善団体「シチズンズ・アドバイス」のウェブサイトを一心不乱に読み耽っていたからだ。

「破産」は、それまでの僕には縁遠い言葉だった。それがどんなことを伴うのかさえよくわかっていなかった。破産は、結婚生活の破綻や事業の失敗、中年の危機などの破滅的なことが重なって、もう何もかもがおしまいになった中年に起こるものだと僕は思っていた。クレジットカードやローンの借金はいくらかあるが、若くて、そこそこ成功しているライターである僕が、真剣に考えなければならないものだとは思えなかった。

ここ何年かクレジットカードに頼って生活してきたのだから、最後はなんとかなるだろうと僕は高を括っていた。水平線はいつも見えている。だが、ある日突然、それは姿を消す。借金、そしてクレジットカードへの信頼は、人の判断力を激しく損なう。私は、かさむ一方の借金を、まるでそれが太陽か、ニュースキャスターのピアーズ・モーガンであるかのように扱い、なるべく直視しないようにしていた。しかしやがて、世間知らずと無知は、まったくの愚かさに形を変えた。何かが破壊される必要があった。

26歳のとき、僕の生活は、「ライターの仕事もするフルタイムの正規雇用」から、「ほかの仕事もするフルタイムのライター稼業」へと変わり始めていた。最初のころは、時おりのオーバードラフト(当座貸越)や数千ポンドの未払いローンを除くと、ほとんど借金はなかった。管理も把握もきちんとできていた。ところが、4年後の2016年、いよいよ破産に向かおうとしていた時の僕は、クレジットカードやローン、オーバードラフトによる借金総額が3万5000ポンド(約491万円)相当にまでかさんでいた。

ちなみに、もしあなたも学生ローンを組むつもりなら、ほどほどの6万ポンド(約842万円)程度にしておくべきだ。これは、僕が生まれてから今までに、毎年2000ポンド(約28万円)ずつ借金してきた計算になる額だ。なお、検討中の方に忠告しておくと、破産したとしても学生ローンは帳消しにならない。

僕は、ローンやクレジットカードの返済を一度も忘れたことがなかった。督促状が来ると思うと恐ろしくて、いつも期日通りに支払っていた。時おり、夜遊びで散財したり、旅行に出かけたりすることはあったにせよ、借金については自分の責任をきちんと果たした。問題は、増え続ける支払いを遂行するには、とくに収入が滞り気味の月には、さらにお金を借りねばならず、その結果、脱出不能に近い渦状の借金サイクルが始まってしまうことだった。

いろいろな請求書に対する支払いが遅れようと、一部のローンとクレジットカードの毎月の返済は後回しにできない。だから、不足分を補うために借金する。こうして、フリーランス稼業と増大する借金は、一触即発のパートナーシップを形成していった。

借金が形成するマインドセットは恐ろしいものだ。僕がクレジットカードを取得したのは20歳の学生のときだった。パブで飲むイングリッシュ・サイダー(りんご酒)とドラッグで限度額の1000ポンド(約14万円)に達し、まもなく支払い不能状態になった僕は、こんなものを2度と使うものかと誓った。

27歳になるころには、いまの自分の責任感なら、カードの使用を再開しても大丈夫だろうと思うようになった。しかし、失業して、高賃金の定職から、必死でやりくりするフリーランスのライター稼業へと生活が一変すると、クレジットカードの枚数が増え始めた。一部のカードが限度額に達すると、それを埋め合わせるために、金利がより有利なローンを組んだ。

そして、「念のために」複数のカードを手放さないでいた。知らず知らずのうちに、ローンの額が大丈夫に思えるようになり、再びカードを使っていた。カードからローン、ローンからカードが繰り返され、借金がより多くの借金を生む。借金生活とクレジットカードへの依存に慣れきってしまっているため、新しいクレジットが届くと、それを現金と同じように扱い始める。限度額3000ポンド(約42万円)のクレジットカードの到着は、さらなるマイナスではなく、ボーナスのように感じられた。

最後のクレジットカードが郵便受けを通り抜けるころには、僕のクレジット・レーティングは壊滅的な状態だった。僕がほかのカードやローンの申し込みを複数行っていることから、各社には、僕がクレジットに飢えており、焦っていることが一目瞭然だっただろう。わずか1年半前の僕は、1万5000ポンド(約210万円)のローンを問題なく組んでいた。そしていま、気づいてみると、高金利のクレジットカードで数百ポンドを調達するのにも四苦八苦していた。書類上の僕は、『シンプソンズ』に登場するギル・ガンダーソンそっくりになり始めていたにちがいない。

皮肉なことに、そのころの僕はライターとして比較的良い収入が得られる段階に達していた──もちろんキーワードは「比較的良い」だ。「まっとう」な仕事に就いている人たちの目には、僕の懐は潤っているように映っていたことだろう。ところが実際は、家賃や光熱費の支払いだけでなく、借金の返済に少なくとも700~800ポンド(約10万円前後)は毎月必要だった。この額の40%は金利をカバーしているだけだったので、借金の精算は一向に進まなかった。

自ら招いた窮地を脱するためには、数年間にわたる一貫した高収入が必要だった。そして、フリーランスのアートジャーナリズムの世界で「数年間にわたる一貫した高収入」という言葉は、「知的な人種差別主義者」や「望ましい痔」と同じぐらい矛盾した表現なのだ。

リサーチを繰り返した結果、僕は、犯罪に手を染めるビッグチャンスでも転がり込んでこない限り、破産を選ぶ以外に道はないという結論に達した。破産の申請には680ポンド(約9.5万円)がかかる。

僕はクレジットカードの最後の利用可能残高でそれを支払った。申請はオンラインフォームを使って行うため、割と簡単だ。僕は公式サイトのアドバイスや、さまざまなウェブサイトを読み漁っていた(体験談を求めて、子どもをもつ親向けのウェブサイト「Mumsnet」の掲示板さえ読んだ)。しかしそれでも、自分の身に何が起こるのか不安を感じていた。千差万別の結果が待ち受けているようだったが、僕のような若者の事例は何も見つからなかった。

僕はワインをしこたま飲み、記入したフォームを慎重に読み直した。異議を唱えられた挙げ句に申請を却下されることを恐れ、収入と支出に関する記述を何度も微調整した。そして「提出」をクリックした。48時間以内に、債務超過局からメールが届いた。僕に関して破産命令が下されたことを確認する内容だった。つまり、僕に支払い能力がないことに債務超過局が同意したということであり、僕の申請は認められたということだ。

破産手続きは、考えるだけで不安なものだ。それはいくつもの小さな不安と心配でできており、恐怖というハードルをいくつも乗り越えていくようなものだ。裁判所に出廷する自分の姿や、僕の家の玄関のドアを蹴破って、僕のレコードや本、あるいはパートナーのクルマなどを持ち去っていくスーツ姿の悪党たちの姿が頭に浮かんだ。僕が過去数年間に費やしたお金を1ペニー残らず調査するFBI規模の監査や、それに関係して、僕のあらゆる行動の詳細を提供するように強要されることを恐れた。

僕は仕事で、人々が憧れるヒーローたちや、グラミー賞を獲ったミュージシャン、アカデミー賞を獲った俳優にインタビューしてきた。しかし、破産管財人(破産命令の処理を任されている担当者)との面接という、恐怖とコンクリートが入り交じったかのような土砂崩れを前にしては、このような経験のどれも僕を勇気づけてはくれなかった。

僕は電話で、無愛想きわまりない男性の事前面接を受けた。その男性の話では、僕のパソコン類が押収される可能性は実際問題としてあるようだった。これらは破産法で僕の「ツール・オブ・トレード(商売道具)」と呼ばれるものだが、いったん破産管財人の手に渡り、それを僕が所持していても良いかどうかを彼女が判断するのだという。

破産管財人との面接は電話で行われ、僕は少しほっとした。というのも、単純なケースの場合、面接は通常、電話で行われるという知識を僕はどこかで読んでいたからだ。僕を担当した破産管財人は素晴らしい人だった。彼女はとても親切で、僕の揚げ足を取るのではなく、僕を助けるためにわざわざ回り道してくれているのがひしひしと感じられた。

破産管財人との面接の目的は、申請者がこのような状況に陥った理由と道筋を明らかにし、当人の現在の収入と支出を計算することだ。この作業は、申請者と「インカム・ペイメント・アグリーメント(IPA)」を取り交わして、債権者(つまり、申請者がお金を借りている人たち)への支払いを減額して継続させる可能性を念頭に置いて行われる。

すべての返済を継続しており、かなりオーソドックスで真っ正直な方法で借金地獄に陥っていた僕は、かなり「健全な」状態にあるようだった。不正行為をはたらいておらず、さらに、巨額のローンを組んでそれを浪費し、返済は一切行わず、その挙げ句に破産を宣告したような状態でなければ、だいたいは大丈夫なのかもしれない、という感情が自分の中にあふれ出した。ただし、これは手続きが終わってからわかることだ。この手続きが、とてつもなく不安にさせるものなのだ。

破産において、いわゆるミレニアル世代の一員であることの利点のひとつは、債務超過局がもっていけるものを僕が何ひとつ所有していないということだった。僕に家を買う余裕はないし、援助がなければ、この先もずっとないだろう。宝石やクルマなども持っていない。彼らが興味を示すのは、こうした大きな価値をもつものだけなのだ。

事実、手続きの最中でも、500ポンド(約7万円)以上の価値がある所有物のリストを作成するように言われただけだ。算定の結果、僕はIPAの履行に十分な収入があると判断された。その結果、さまざまな債権者に対して、これまで支払ってきた額の約10パーセントを今後3年間、毎月支払うことを命じられた。

僕は新しい銀行でベーシックタイプの銀行口座(クレジットスコアが低いなど、口座開設の最低基準に満たない人でも開設可能な口座)を開設した。というのも、破産者の銀行口座はすぐに凍結されてしまうからだ。大半の人々は、オーバードラフトやクレジットカードが利用できなくなると言われたら、げんなりし、フラストレーションもたまることだろう。

ところが、何年ものあいだクレジットカードとオーバードラフトに頼り切って生活してきた僕のような者にとっては、その言葉は深い安堵をもたらしてくれた。脚をひどく骨折したあとに、もう松葉杖の必要はないと医者から言われたときのように。

僕は、パソコン類はツール・オブ・トレードとして差し押さえの対象外にしてほしいと希望した。しかしまもなく、対象外とは認めないという文面の通知が届いた。すぐさま取り乱したメールをケースワーカーに送ったところ、結局それは業務上のミスだったことがわかった。債務超過局からの手紙には、「あなたが仕事に必要とするものすべてを差し押さえます」と書かれていたのだが、彼らは「差し押さえません」という内容の手紙を送ったつもりだったのだ。

少しずつ雲が晴れ、静けさと日常が戻ってきた。破産手続きは最初から最後まで不安とストレスに満ち、わからないことだらけだった。でもその一方で、僕の予想よりずっと簡単でスムーズだったし、担当者も親切だった。オンラインでの申し込みが1回と、電話での会話が2回。それが、僕が借金を精算するために債務超過局とやりとりしたすべてだった。

家のドアも蹴破られなかったし、パートナーの所持品をもっていかれることもなかった(そのようなことが行われることはない。念のため)。銀行取引明細書を細かく調べられることもなかったし、破産の2週間前にパブ「ウェザースプーン」で使った9ポンド(約1300円)に関して、スポットライトのもとで質問攻めにされることもなかった。

破産というプロセスは、破綻や障害をともなわないわけではないし、全ての人に良い方向に進むとは限らないだろう。また、事前に徹底調査も行っておくべきだ。しかし、もしあなたが僕の場合のように、実物資産をほとんどもたず、増大する借金を持て余している若者なら、破産もひとつの方法であることを知っておいて損はないだろう。破産は、ゴルフショップのオーナーになるという、あなたの叔父の一生の夢が砕け散ったときのためだけにあるわけではないのだ。


この記事は英語から翻訳されました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan



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