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伝説の写真家がとらえたスターたちの素顔

マリリン・モンローからレオナルド・ディカプリオまで。

伝説の写真家ダグラス・カークランドは60年に及ぶキャリアの中で、往年のセレブリティたちの数々の有名写真を撮影してきた。

雑誌『Look』でキャリアを始め、のちにあの由緒ある雑誌『Life』で働いた。BuzzFeedの取材に応じ、 とっておきの撮影秘話を披露してくれた。

マリリン・モンロー(1961)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

マリリンを撮影した当時、私はとても若い写真家でした。会って1時間ほど会話をしたのち、マリリンは 「ベッド、白い絹のシーツ、フランク・シナトラのレコードとドン・ペリニヨンのシャンパンが必要だわ。それがあれば、あなたと私はとても良い写真を撮れる」と言いました。

想像してみてください。カナダの小さな町出身の小僧が、どうすれば見事な写真を撮れるか、マリリン・モンローに説明を受けているのです。彼女はそのあと言った通りのことをしました。

興味深いのは、マリリンがすべての工程を自ら確認したがったことです。彼女に言われて私は撮影済みのフィルムを翌朝ラボに持っていき、同日午後に写真をもって彼女のもとへ戻りました。

フィルムを持って行ったのは夕方午後5時ごろでした。最初彼女は暗いサングラスをかけたままでサッと目を通し、思うほど良い仕上がりではないと言いました。

そして彼女はいったん姿を消し、サングラスを外して戻ってきました。写真を見る準備ができたようで、今度はもっと丁寧に見始めました。そこで彼女は写真と恋に落ちたのです。

私に振り返りこういいました「写真の中の女の子は、男性だったら誰でもベッドをともにしたいという思う子よ」。 そしてそれが、究極的に、彼女にとって写真撮影が成功したということだったのです。

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エリザベス・テイラー (1961)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

私のキャリアは、エリザベスから始まりました。当時、世界最大の映画スターでしたが、非常に重い病気にかかり、1年近く公の場から姿を消していました。

だから、人々が彼女を見るのはこれが初めての機会でした。エリザベスから撮影許可がもらえれば、でしたが。

(写真を見てみんなが気づくのは)気管切開手術の傷です。これは決意表明であり、自分らしさを表現するものだど彼女自身が当時感じていました。彼女に隠す気はなかったんです。何せ手術は彼女の命を救ったのですから。

オードリー・ヘップバーン(1965)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

オードリーはいつも人目を引き、美しい写真を創り出しました。写真を非常によく理解していたんです。写真の中でパッと明るくなり、写真撮影から最大の成果を引き出すコツを熟知していました。

決してわがままに振舞うことはなく、単によい写真を撮るためにすべきことをしたいという姿勢でした。私たちはとても気が合いました。

ココ・シャネル(1962)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

シャネルは第二次世界大戦後、ほぼ姿を消しましたが、1960年代初期に復帰し、そのファッションは再び人気を得ました。ジャッキー・ケネディやリー・リー・ラジヴィルなどの得意先のおかげです。

彼女が人前に姿を現すことは少なかったので、この写真たちによってまた一般から注目されるようになった面もあると思います。シャネルがファッションショーの準備をする間、彼女のサロンで1ヶ月近くを過ごしながら撮影しました。

そのショーはかなり特別なものでした。ご令嬢は才気あふれる方でした。

アンディー・ウォーホル(1970)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

アンディはアーティストでしたが、撮影はまったく難しいことはありませんでした。それがアンディ・ウォーホルと一緒にいることの素晴らしさでした。

とても丁寧で感じがよく、頼んだことはすべてやってくれました。撮影当日の朝9時に、シャトーマルモント(ロケ地でした)に到着した彼は、打ち合わせどおり仲間を同行していました。

前の晩は寝なかったようでした。でも全員、はっきりと眼が覚めてイキイキしており、カメラの前で過ごす用意は万全でした!

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ジュディ・ガーランド(1961)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

1ヶ月以上一緒に過ごした旅が終わるころ、彼女のスタジオで2人でいたとき、ジュディは人生の困難について話し始めました。

彼女の人生は私も直接目にしてきていました。カメラを三脚に取り付け、話し込むうちに、自分の人生が私にはどう映っているかを彼女は理解し始め、泣き出しました。

これは私が撮影したどの写真よりも気に入っている一枚です。ジュディが泣いているからでなく、正直な感情が現れているからです。

ジョン・レノン(1966)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

ジョンはビートルズから休みを取っており、1人でいました。彼の言葉で言えば「仲間たちに囲まれず」に、スペイン南部で『ジョン・レノンの僕の戦争』という映画を製作していました。

実に感じのよい人でした。本当に。まったく気取りがなく、もしあなたが彼と話をしても、あたかも友人の一人に話すかのように話をしてくれたでしょう。それがジョン・レノンでした。

心の底から、大好きな人でした。

アン=マーグレット(1971)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

アン=マーグレットは、ロサンゼルスからラスベガスまで自家用ヘリを連れてきていて、ある日の早朝、私たちはハイウェイに繰り出しました。

アン=マーグレットがバイクを走らせ、私は妻のフランソワーズが運転するトラックの荷台から写真を撮影しました。

ようやく私が、『撮れたぞ、アン=マーグレット!』と言うと彼女は写真撮影が無事終了したことを喜び、両脚を投げ出して、「ウィーーー」と声を上げました。その時のリアクションをとらえた写真が作品になったのです。

ピーター・オトゥール(1964)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

ロンドンにある彼の自宅で、撮影会の一環として撮影しました。私はキャノンのカメラを三脚に取り付けました。できるだけ明るくして写真を撮ろうとしていたのです。

そう彼に話したところ、彼が明かりをつけてあのポーズをとったのです。

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ジャック・ニコルソン(1975)

© All Images Courtesy of Douglas Kirkland. All Rights Reserved 2017. For Editorial Usage Only. No Commercial Usage Allowed.

まさかと思うでしょうが、これは雑誌『People』のために撮影した初期の写真なんです。私は予定通りにその日の朝早く、ジャックの家に行ったのですが、ジャックは寝過ごしていました。

結果としてジャックはスッキリとして生き生きしていましたよ。正直なところ、あの写真を撮ったのは、ジャックが火花のある写真を撮りたいと口走ったからです。彼はマッチを手に取ると、口にくわえて火を点けました。

そしてこういったんです。「マッチを吸ってみるよ」。そうしてこの写真が生まれたのです。

『タイタニック』(1996)

Titanic 1996 ©Douglas Kirkland All Rights Reserved

この映画が素晴らしいものになるかどうか、私ははっきりと確信を持てずにいました。なぜなら、撮影現場では様々な感情が入り乱れていたからです。

スタジオ側は、映画にお金と時間がかかり過ぎていると感じていました。でもジェームズ (キャメロン)は、この作品に強い思い入れを抱いていました。私たちはとても気が合い、お互いを理解し合っていたのです。

この記事は英語から編集・翻訳しました。