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私は子供を欲しいと思ったことがない。そんな私は幸せだ

インドに住む32歳既婚の私が、子どもを持たない人生は「身勝手」だという考えから、どうやって解放されたか。

20代を通して私はずっと、自分の母性本能が目覚めるのを辛抱強く待っていた。同じ年頃の女性にはよくあることだ。そのうち、自分には母性本能が欠落しているのではないかと疑い始めた。子どもが嫌いなわけではない。親友の子どもや、仲の良い親戚の子どもと一緒に過ごすのは大好きだ。ただ、その時はまだ、自分の子どもを持つ気にならなかったのだ。

2年前に30歳になったとき、何かが変化した。周り中で、友人たちが、それぞれの人生の適切な時期に親になっていった。仕事と趣味に追われ、健康を心がけ、社会生活をこなし、子どもを育てる彼らを見ていると、その尽きることのないエネルギーと、周りの人たちのために、様々なことをし続ける心はどこから来るのだろう、と不思議に思ったものだ。

子どもを欲しいという気にはまだならなかったが、自分だけが浮いているような感覚は確かに感じ始めていた。というより、自分が子どもを持ちたくない理由を説明するのにうんざりしてしまった。頼みもしないアドバイスを大量にもらった。アドバイスの代わりに1ルピーずつもらえていたら、何年も前にリタイアできていただろう。

「お母さんが若いと、子どもが長生きするの。これはホント」

「妊娠するのが若ければ若いほど、男の子の確率が高くなるんだって。よく考えたほうがいい」

「子どもを産むなら今。責任を果たしちゃいなさい。そうしたら40代は完全に自由に過ごせる。先を考えないと、ね?」

親戚の集まりで子どもの近くにいると、もっと突っ込んだ話になった。

「ほら、あなたは子どもの扱いがうまいじゃないの。どうして自分の子が欲しくないの? こんなに子どもが好きなのに、分からない」

まるで、一定の時間、子どもを楽しく遊ばせられることが、良い母親になるために必要な唯一の条件であるかのようだった。たしかに、私は良い母親になるのかもしれない。それでも、自分がいまだに母親になりたくないとしたら、どうなのだろう?

親であるということは、大人であるという概念ととても深く結びついている。だから、親になりたくないという見解は、ことごとく一時的な気の迷いとみなされる。大人であれば結婚すべき。結婚しているなら子どもを持つべき(あるいは少なくとも試みるべき)。そして、親も、義理の親も、近所の人も、誰もが、出産というとても個人的なことのあれこれについて気前よくアドバイスしたがるのは、ごくあたり前のことになっている。

生物学的なタイムリミットが近づいてきていることを常に思い出させられた私は、自分が完全だと感じるためには「母親になる」という乗り物に乗らなければならないような気になっていた。だが正直なところ、赤ちゃんがいなくても自分の人生が不完全だとは思っていなかったし、夫も同じ気持ちだということは分かっていた。それなのに、どうして不完全だと感じたのだろう。今なら、自分が恥ずかしさを覚えていたのだと分かる。自分のDNAを持つ子どもを生んで育てることへのプレッシャーは現実のものだった。そして私はただ、子どもが欲しくなかった。

インドの人たちの多くは、インドの大家族が大好きだ。子どもを産むことに取りつかれるあまり、他人のことにおせっかいを焼く技術をみがいてきた。その結果、妊娠や出産に関する女性の個人的選択に首を突っ込むことを正当化してしまった。そのうち、どんなに自信がある女性でも、子どものいない人生につきものの孤立感を恐れる気持ちに負けてしまうのだ。

婦人科を訪ねて、避妊について相談することさえ、恥ずかしいと思う。

「どうして避妊リングをしたいのですか」

「もしあとで気が変わったときに、妊娠しにくくなったらどうしますか」

そして最悪なのがこれだ。「いつか後悔しますよ」

頼んでもいない、数多くのアドバイス。そのひとつひとつが、私たちインド人女性を、承諾していないのに監視し、文化的制約に合うように管理する。そうした文化的制約は独断的で、私たちからの現実的なインプットもなく勝手に設定されたものだ。そして、母親であることを選択していない女性に、母親であることを投影して、しばしば暴力的な影響をひき起こしている。

あなたが人生で何をしたいかに関係なく「親であること」を成功と受容のしるしとして見る世界。そういう世界では、子どもを持たないと決めると、怠けていて、子どもっぽく、反抗的だと見られる。子どもなしで生きるという私の権利と選択は、「身勝手」という汚名を着せられるのだ。

昨年、メーガン・ドームが編集した『Selfish, Shallow, And Self-Absorbed: Sixteen Writers On The Decision Not To Have Kids(身勝手、浅はか、自己陶酔:16人の作家による子どもを持たない選択について)』という本に出会った。挑発的なタイトルのこの本は、親にならない人生にまつわるタブーに挑んだ、雄弁で辛辣、正直な16のエッセイを集めたものだ。

私は生まれて初めて、私と同じような人たちがいることを知った。実在する人たちの体験談。その充実した人生のすべてには、子どもは含まれない。エッセイを読んでいくうちに、インドでいかに、もうひとつの選択のことが語られていないか分かった。悩んでいる最中の友だちや、すでに子どもはつくらない方向に傾いている友だちとのプライベートな会話以外では、私は自分の意見を自由に口にした記憶がない。

ドームが編纂したこの本は、多様な視点から見た「もうひとつの選択」をうまく描き出している。それぞれの視点を持つようになった背景や経験がさまざまなら、子どものいない人生を意識的に選択した理由もさまざまだ。だがどの著者も、100パーセント充実した、幸せで満たされた人生を謳歌してきた。ドームの本は、子どものいない人生を選んでもいいのだと思わせてくれた。言い訳する必要はないのだ。決して自分勝手で浅はかではないのだ。

「そのうち乗り越えるよ」という人たちがいる。そういう人たちは、私が十分に考えた上で、意識的にこの生き方を選択している事実を、見ようとはしてくれない。

ドームはこうしたことについて、前書きで素敵なことを書いている。「そろそろ、『自己認識』と『自己陶酔』は違うのだということを学ぼう」

この本の中で私が一番好きなエッセイは、ジーン・セイファーによる『Beyond Beyond Motherhood(母であることの先の先に)』だ。特に次の部分に感動した。

「後悔のない人生はない。認めようと認めまいと、大事な選択のすべてに、得るものと失うものがある。そのことに気づいてさえいないかもしれないが。一生涯、完全に自由だという母親はいない。しかし自由は、私の幸福になくてはならないものだ。私が、母親が持つ子どもとのつながりや、子どもへの影響力の大きさを知ることはないだろう。失うことは、未来の可能性を失うことも含めて、人生では避けられないことだ。すべてを手にする人はいないのだ」

この文章は、今の人生を選んだ私を元気づけてくれる。将来後悔するかもしれないと思い悩むことはできない。親になる人が、彼らの道理にかなったさまざまな理由で子どもを持つことを選択するように、これは、今の私にとって最も道理にかなった選択なのだ。

私がこれまで受けたアドバイスはすべて、この選択が一時的なものだという前提の上になされている。人々は、必ず通過することなのだからと、懸命に私の説得を試みる。「チャンスを逃して後悔しない?」「あなたとご主人は、人生で新しい何かを経験したくないの?」「親にならないと、歳を取ったら誰も面倒見てくれないって思わないの?」浮かんでくる唯一の答えはずっと変わらず、断固とした「ノー」だ。

私にとってこれはずっと、もっとも自然な選択のひとつだった。大人になってからのほかの多くの決断と違い、まったく不安を感じなかった。子どもが欲しいと思わない点はさておき、この国や世界全体が向かっている方向には、この世に命を誕生させたいと思わせるような、前向きな、あるいは背中を押してくれる要素は見つからない。

正直言って、私の子宮内部で起きることや、女性としての機能をどう使うかは、私自身の問題であるべきだ。そして、私のパートナーやかかりつけの医者、私が相談しようと決めた人以外は誰も、私が子どもを欲しくない理由を知る必要はない。

『Babes in the Woods(森の中の赤ちゃん)』で、コートニー・ホデルがまさに的確なことを書いている。「子どもは欲しくないという話をするときは、どうしても言い訳しているように聞こえてしまう。身勝手で、整理整頓されすぎた生き方が良いものだと、説明しようとするようなものだ」

善意のアドバイスに動揺したり、そのせいで自分の選択を考え直したりしたことはない。子どもを持つ理由はただ一つ。子どもを持ちたいと思うから、だ。結婚してもうすぐ8年、32歳の私には、子どもを持ちたい気持ちが湧いてきていない。そして、そのような感情はこれからも湧いてこないかもしれない。そのことを今、穏やかに受け止めている。

著名なフェミニスト作家ウルバシ・ブタリアは、エッセイの中でこう書いている。「子どものいない人生が何と呼ばれようとも、それは結局、もうひとつの生き方に過ぎない」。「子どもはいないけれど――あるいはたぶん、子どもがいないから――、幸せで、満たされて、充実した人生なのだ。そのことを疑ったことのある人のために、断言しよう。それは良い人生だ」

メーガン・ドームの本は、子どもを持たないと決めた女性やカップルが経験するようなさまざまな状況を取り上げている。印象に残ったエッセイ『Beyond Beyond Motherhood(母であることの先の先に)』には、私が理解するのに2年かかったことを、簡潔な言葉で表現している。

「本当の自己受容、本当の解放とは、限界を偉そうに否定することではなく、限界を認めることだ。女性は子どもがいてもいなくても満たされうる。それは事実であり、認められるべきことだ。すべてを持っていなくても、きっと十分なのだ」

この選択は、まだ私の手の中にある。私は、そういう時代に生き、そうさせてくれる家族や社会経済的地位の中で、生きていることに感謝している。健康で、安全で、自分自身の体を自由に使えることをありがたくと思う。自分で選択し、その選択に従って生き。また、その選択の良いところと悪いところすべてを穏やかに受け入れる。その全ては、限りなく解放的なことだ。


この記事は英語から翻訳されました。翻訳:浅野美抄子/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan


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