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40歳の僕は今も両親と実家暮らし

僕だって、フルタイムの仕事に就いて、自分で家賃を払う生活を送りたい。

40歳、フリーランスの僕。暮らしているロンドンの住宅価格はありえないほど高騰し、住んでいる実家を出たくても手が出ないのが現状だ。僕だって、フルタイムの仕事に就いて、自分で家賃を払う生活を送りたい。慈悲深い両親の存在はありがたいけれど、いつまで学生のような生活を続けなくてはいけないのだろうか。

いつものことなのだが、ベッドから1メートルも離れていない机に向かっていると、こんな想いが浮かんでくる──ここは、40歳になった自分がいたいと思っていた場所ではない。ここには黄金の便器もなければ、屋内プールもない。もちろん執事もいない。いまの僕の住居であり仕事場でもある場所は、僕が10代のころを過ごした、狭いシングルベッドルームだ。おまけに、わが家には70代になる同居人が2人いる。

いまの自分が置かれている状況は最悪だと言うつもりはない。自分がホームレスにならずに済んでいることに感謝しているし、両親がロンドン出身で、いまもこの街で暮らしていることを幸運だとも思っている。でも同時に、この抜き差しならない状況が苛立たしくもあり、恥ずかしくもある。率直に言って、こんな自分にガールフレンドがいることが不思議でならない。「うちに来ない?」という口説き文句も、その前に「両親に会ってみるのはどう?」と言っておかねばならない場合には、魅力的には聞こえない。

このベッドルームは僕のオフィスでもある。クリエイティブ系のフリーランサーである僕は自宅で仕事ができる。だが、これは単なる幸運な偶然などではない。パジャマ姿のままで仕事がしたいという強い願望があったわけではなく、必然が生み出した結果なのだ。

僕はこれまでずっと、オフィスという環境で働くことに大きな困難を抱えてきた。オフィスの社内政治にうまく対処できず、同僚たちとの交流に大きな戸惑いを覚えていた。この戸惑いが口論を引き起こしたり、退職せざるをえない状況に僕を追い込んだりすることもしばしばだった。

10年ほど前に最後の「まともな」仕事に就いていたころ、僕は人々が「うつ病」と呼ぶ、暗くて深い穴のなかに落ち込み、しばらくはまったく働けない状態になっていた。僕がアスペルガー症候群(AS)の診断を受けたのもこのころだった。仕事が長続きせず、職場の人間関係でトラブルを抱えていた理由が、それでやっとわかった。だが同時に、自分の人生、そして仕事へのアプローチを一から再考させられることにもなった。

僕は独立してフリーランスになろうと決意した。だが、家賃を払いつつ独立する術など僕にはなかった。場所はロンドン、おまけに僕はうつ病から立ち直ろうと必死でもがいている最中だった。フルタイムで働くことはできず、かといって国の世話にもなりたくなかった。残された唯一の選択肢は、両親のいる実家で暮らしながら、うつ病の改善を試み、キャリアアップをはかることだった。


5年後のいま、うつ病の最悪の状態は何とか脱することができた。アスペルガーとも、クライアントとの打ち合わせや、顔を出さないわけにはいかない集まりがあるときに普通の人を装える程度にはうまく付き合えている。だったら、なぜ僕はいまも両親といっしょに暮らしているのか?

結局のところ、ロンドンで家を買うなどということは不可能に等しいのだ。給料の高いフルタイムの仕事と多額の貯金があり、同じ立場のパートナーがいるのであれば、話は別だが。あるいは、ブルース・ウェイン(バットマンの正体である億万長者)であれば可能だろうが。若年層にとって「住宅すごろく」の駒を進めることがいかに難しいかを説く記事を目にする機会は多い。だが僕の経験では、その難しさは特定の年齢層に限った話ではない。

自分が生まれたロンドンに家を買うことを現実的な選択肢だと思ったことは一度もない。それどころか、歳をとるにしたがって、その見込みはどんどん薄くなっていくように思える。大半の人にとっては、法外な家賃を支払いながらも自身の住宅状況に何ひとつ安心感を得られない状態が続くのではないだろうか。そこに待ち受けているのは、大人になってからもずっと続く、まるで学生のような生活だ。

ほかの5人と共同生活し、YMCAのユースホステルのように、毎朝バスルームのドアの前に行列をつくり、収入の大半を大家に支払うという生活だ。しかもこの大家は、しっぽまで入れると体長120センチにも上る巨大ネズミがキッチンに出没しても、追い出されることを恐れる間借り人たちは文句を言わないことを知っている。

いま、僕の状況は大きく改善しつつある。体の調子は良い。うつ病も峠を越えた。素晴らしいガールフレンドもいる。数年前よりお金も稼げるようになった。人生はすこぶる良好だ。でも、いまだに僕の稼ぎは、家の購入を検討できるレベルには程遠い。いま家を出ても生活苦は目に見えている。率直に言って、一軒家のなかの一部屋に移り住むのが関の山だろう。それでは実質的にいまと何も変わらない。一体、僕はどうすればいいのだろう?

40歳にもなって実家で暮らしているという事実を人に教えたくはない。理由は言うまでもないだろう。誰といっしょに暮らしているのかについての質問をそらすうまい手がついに尽き、相手に事実を知られてしまうと、大抵はこんな反応が返ってくる。「うらやましい。私も実家がロンドンにあったらいいのに!」。僕だって、フルタイムの仕事に就いて、自分で家賃を払う生活を送りたい。住宅ローンを組むゆとりのある生活を送っているほうがいいに決まっている。

でも一体どうすれば、こんな僕が住宅ローンを組んで家を買えるだろうか? できるものならテレビ司会者のオプラ・ウィンフリーに尋ねてみたいぐらいだが、僕に想像できる唯一の方法は、実家で暮らしながら資金を貯めることだ。それだって一筋縄ではいかないだろうが……。

銀行は、フリーランサーがきちんとした仕事を得ているとは考えていないようだ。いまのご時世、経済的安定という観点から見れば、フルタイム雇用だって何の意味も持たないにもかかわらず。また物価も急騰しているので、努力したってまったく無駄かもしれない。まるでレゴで階段をつくって風船をつかまえようとしているような感じだ。


だから僕は、実家で、10代のころを過ごしたベッドルームで、この机に向かいながら、自分が路上生活者になっていないこと、両親がいまもロンドンで暮らしていること、とりあえず僕を家に置いてくれていること、立ち直るための拠点が得られたことの幸運を噛みしめている。けれども依然として、いつになったら僕がどこかに家を買えるようになるのか、あるいはそもそも買えるようになるのかどうかさえ、わからないままだ(もちろん、オプラがいまこの記事を読んでいれば話は別だが)。

僕の両親が若かったころがそうだったように、たとえ最低賃金でも、持ち家の夢は達成できてしかるべきだ。家を買うことは、いまなお人生における重要な節目と考えられており、自立した生活を送れるようになるうえで欠かせない大きな要素でもある。したがって高額所得者のためだけの選択肢であるべきではないのだが、その傾向は強くなる一方だ。

住宅の値段がばかばかしいほど高騰し、現実的な日常生活と不釣り合いになってしまった結果、人々はますます、死ぬまで借家住まいを続けるしかないという事実をあきらめて受け入れるようになっている。

いちばん悲しいのは、両親が亡くなり、彼らの家の売却益を相続する以外には、持ち家を手に入れる現実的な方法が僕には想像できないことだ。いま、僕がこの原稿を書いている家。人生の逆境にあった僕を迎え入れ、以来そこに住まわせてくれている慈悲深い両親なのに。こんなことは間違っている。

叩き出される心配のない家、家庭を築く場としての家、裸でウロウロしていても母親と鉢合わせることのない家。そうしたれんが造りの小さな立方体を所有することが、これほど困難であるべきではないのだ。


この記事は英語から翻訳されました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan



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