映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は10億人の人の歴史を踏みにじる

    英国で政治家チャーチルを描いた映画がヒットした。だが英国に植民地として支配された歴史を持つインドから見れば、チャーチルは何百万人ものインド人を餓死させた人種差別主義者とうつるのだ。

    私の実家では、食べ物の好き嫌いを言ってはならない。「この食べ物をつくるために、誰かが時間と労力をかけているのよ」と母に昔から教えられてきた。

    私たちの家では、食べ物を無駄にはできない。自分が食べるものに、他の誰かが費やしてくれた時間と労力をありがたく思うことは、誰もがすること、あるいはすべきことだろう。

    しかし、私の家族がテーブルに乗っている食べ物に感謝する理由は、もっと深いところにある。私の両親は、インドとパキスタンの分割とそれに続く混乱と飢饉を経験し、そのトラウマを抱えながら生き抜いてきた。

    彼らは、飢えた人々が虫けらのように死んでいくのを見てきた。彼らにとって、そして、そのような両親に育てられた私にとって、食べ物とは「権利」ではなく、常に「恩恵」だった。

    私はこう言われて育ってきた。「私たちは最悪の飢えを見て、生き延びた。お前はそういう親を持つ子なんだよ」と。だから、私は決して食べ物を無駄にできないし、これからもしない。

    映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(原題:Darkest Hour、日本公開は2018年3月30日)のはじめの方に、チャーチルが朝食を取るシーンがある(ゲイリー・オールドマンの演技は素晴らしかった)。

    スクランブルエッグ、薄切りのベーコン、シャンペンとスコッチウィスキーが、クリスタル製の塩入れや胡椒入れ、磨きこまれたカトラリーと一緒に、銀のトレーに乗っている。時は1940年。チャーチルが首相になろうとする頃だ。手紙を口述筆記させながらイライラしたチャーチルは、その豪勢な朝食を脇へ押しやり、葉巻を吹かし出す。その朝食にはおそらく二度と手をつけないのだろう。

    この男がその3年後、現在のインド東部からバングラデシュにかけて広がるベンガル地方で300万人が餓死した、ベンガル飢饉を引き起こしたのだ。

    私の家族にとって、そして、ベンガル周辺の多くの家族にとって、食べ物との関係は、ベンガル飢饉にまでさかのぼる。75年たった今の時代に生きる私も、食卓にのぼる米に感謝の気持ちを持つ。

    ベンガルの人々は非常に長い間、自らが栽培した米を、イギリスの軍隊や市民を養うためにすべて取り上げられていた。イギリスによる食料の徴収は、世界の歴史でも最悪の飢饉の1つを起こすほどひどかった。

    飢えの軌跡を辿れば、非常に明確な支配構造が見えてくる。

    私たちは何百万人もの同胞を飢えで亡くしたが、このことが書籍で語られることはほとんどない。一方、パンやジャガイモが配給されていた時代のヨーロッパでの苦労や困難の話は、様々な場面で聞こえてくる。

    私の世代はそれほどの規模の飢饉を見たことがないし、おそらく、そうした飢饉を生き抜いた人のトラウマを表す語彙も表現も持ち合わせていない。しかし、世代を超えて語り継がれてきた当時の話を、誰もが聞いて育ってきた。

    友人の祖母は友人に、飢えた男性が「米を恵んでくれ」と訪ねてきたときのことを語った。祖母は急いで台所に行き、すでにかなり制限されて少なかった配給の貯えの中から、少し分けてやろうとした。しかし戸口に戻ってくると、男性は亡くなっていたという。友人の祖母に会ったことはないが、私の祖母も昔から、食べ物を分けてくれと頼まれたら決して拒んではいけない、と言っていた。

    礼節は消え、信頼は壊れ、約束は無視
    される。すべて、一握りの米のために。

    チャーチルは1896年、イギリス陸軍軽騎兵第4連隊の少尉としてインドに赴任した。

    彼がインドを、「俗物と退屈なやつだらけの、神のいない土地」と形容したことは有名だ。イギリスの首相となったチャーチルは1943年、ベンガル沿岸の農業地帯のほとんどを空軍基地に変えさせた。日本軍から植民地を守るためだ。

    映画『遠い雷鳴』で、ベンガルの田舎にある黄色と緑の肥沃な田が、ゆっくりと消えていくシーンを見たことを覚えている。まずは、灯油が足りなくなる。そのあと、すべてが壊れていく。礼節は消え、信頼は壊れ、約束は無視される。すべて、一握りの米のために。

    子どものころ、祖父母からいろいろな話を聞いた。当時物騒だったカルカッタ(現コルカタ)で、米を炊いたあとに捨てる余ったゆで汁のでんぷんを食べさせてくれと頼んで回る物乞いのことを。街の路上では、そうした人々が何千人も死にかけていた。チャーチルが、穀類を運ぶオーストラリアの船に、ベンガルを迂回させたからだ。

    ビルマにいた私の大おじと大おばは、飢えと渇きに苦しむこうした地域を通り抜け、故郷の町ノアカリ(現在はバングラデシュ)まで、ほとんどの道のりを歩いて帰ってきた。ようやく故郷にたどり着いたものの、大おじは疲労とトラウマから立ち直ることができなかった。

    別の友人は、皿の上の米は1粒も残さず食べるよう言われて育った。彼女の祖母は飢饉を生き延びたが、「明日、目が覚めたら何も食べるものがないかもしれない」という恐怖を決して拭い去ることができなかったのだ。飢饉が最悪の状態となったのは、彼女の祖母が17歳のとき。友人にその話を語っていたのは、70歳くらいのときだった。

    この男は私たちにとってのヒトラーだ。

    カルカッタでは、イギリスがつくった社交クラブが栄え、チョウリンギー通りの中心地には新しいレストランが次々にできた。その一方で、地方の女性たちは売春をするようになった。

    親は娘を売り、生き残った家族は金もなく、死者の魂を弔う気力もなかった。私のおばは、子どもたちを食べさせるために売春をする母親たちの話や、子どもたちを満足に食べさせてやれない申し訳なさに耐え切れず、子どもたちを殺してしまった父親の話をする。

    山と積まれた死体が、キツネや犬に食べられているころ、膨大な餓死者が出ているという知らせがチャーチルに届いた。しかし彼は、飢饉はインド人が「ウサギのように子どもを産むこと」に対する代償だと言ったという。

    チャーチルの答えは、「なぜガンジーはまだ死なない?」だった。

    このときチャーチルは、インドから食料をむしり取りながら、インド人兵士がたくさんいる英国陸軍を統率していた。

    ヒトラーと戦い、反ヒトラーの道徳性を称える一方で、彼自身はベンガルの飢饉につながる政策をとり、その政策を喜んでいた。インドの人口を「気持ちよく」間引けるからだ。

    この男は私たちにとってのヒトラーだ。

    だが、この男への憎悪は、世界のどこに見られるというのだろう?

    その代わりに、チャーチルを描いた映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は2018年1月、アカデミー賞6部門でノミネートされた。

    2017年に公開された『ダンケルク』(こちらはアカデミー賞8部門にノミネートされた)は、「白人ばかりの連合軍」という嘘で虚飾された映画だった。

    同様に、『ウィンストン・チャーチル』の脚本家は、映画の中のあるシーンを勝手に丸ごと、完全に都合よくつくり変えてしまった。

    チャーチルがロンドンの地下鉄に乗るシーンだ。首相が現れたことに驚いて立ち尽くす乗客たちに、チャーチルは、戦争についての意見を求め、彼らが和平交渉という案を拒絶するのを聞く。チャーチルは「古代ローマの歌」の勇壮な詩を暗唱し、その詩を黒人男性が締めくくる。そしてチャーチルは彼とハイタッチするのだ。

    しかし、ジョー・ライト監督が時代設定をあと数年遅くしていたら、おそらくチャーチルには、ベンガルの飢えた人々のための食料供給所で料理をさせたはずだ。

    イギリスは、自分に嘘をつこうとする中で、10億の人々の歴史をないがしろにする物語をつくっている。

    チャーチルは、有名な人種差別主義者だった。

    彼の頭の中にある進化論的な人種のピラミッドでは、白人のプロテスタントが最上部を占め、最下層はアフリカ人。ユダヤ人とインド人はその上だったという。こ

    のことは、多くの歴史家や知識人たちが書いてきたことで、ごく最近では、国連事務次長を務めたこともある作家のシャシ・タルールが、『Inglorious Empire :What the British Did to India(不名誉な帝国:英国はインドに何をしたのか?)』に著している。

    私はもちろん、チャーチルを英雄化し、ベンガル飢饉については何も触れずにいるこの映画(『ウィンストン・チャーチル』)には不満がある。

    しかし、もっと怒りを感じるのは、この映画がでっち上げようと決めたこのエピソードについてだ。

    チャーチルが黒人男性とハイタッチし、「古代ローマの歌」を暗唱して絆を深めるシーンによって、ただの戦争屋を人間味あふれる人物にしてしまうことは、単に歴史を歪曲しているだけでなく、素知らぬ顔で嘘をつくことにもなる。

    私は、ベンガルから何千マイルも離れたニューヨーク市内の映画館でこの映画を見ながら、自分の国の歴史について、その中でこの男が果たした役割について、私が知っていることすべてが揺らぐのを感じた。間違った認識を刷り込まされ、狂わされている感じだった。

    祖母の記憶、私たちが聞きながら育った話、子どものころから食べ物に対して感謝を持ってきたこと、そうしたことすべてが捻じ曲げられていたのだ。

    映画と文学を学ぶ人間として、歴史フィクションというジャンルのことは理解しているし、その限界もわかっている。私たちは何十年もかけて、ポストコロニアル理論(植民地主義や帝国主義に関わる文化・歴史を広範囲に取り扱うもの)を読み、何も語られていない歴史の境界から、物語を掘り起こそうと努めてきた。

    それなのに、私たちから搾れるだけ搾り取って去っていった70年後に、また別の白人男性が、映画館に座る私たちに向かって、イギリス人は君たちにとって実にいい人たちだったと語りかける。イギリス人には英雄しかいない、と語りかけるのだ。

    イギリスにとっては、チャーチルのような独裁者を英雄化し、輝ける過去の物語をつくり上げることが実際に必要だということはわかる。EU離脱問題に揺れる今の時代ではなおさらのことだ。恥ずべき暴力の上につくられた国には、称えるべき歴史が必要だ──実際には、称えるようなことをたいしてしてこなくても。だから嘘をつく。

    しかし、重大な国民的アイデンティティの危機に直面しているときに、戦争屋で人殺しでもある人物を、人間味あふれる人物に仕立てて、国民的英雄にしようとすることと、2世紀の間苦しめられてきた植民地の辛い歴史の真実を覆い隠してしまうほどの大きな嘘を、不道徳にもでっち上げることは、次元の違う話だ。

    イギリスは、自分に嘘をつこうとする中で、10億の人々の歴史をないがしろにする物語をつくっているのだ。

    もちろんそれは、今に始まったことではないのだが。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:浅野美抄子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

    BuzzFeed JapanNews