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Azmat Khan / BuzzFeed News

アフガニスタン。アメリカが建てた、誰もいない学校

アメリカは教育を、アフガニスタンでの戦争の輝かしい成果としている。しかしBuzzFeed Newsの取材で、多くの実体のない学校があることがわかった。

タリバン発祥の地、アフガニスタン、ザーリ地区。子どもたちはジョー・デネンノの体によじ登った。軍が配布するリュックサックに、まるでジャングルジムで遊んでいるときのように、ぶら下がった。デネンノは、「リュックライダー」と子どもたちを呼んだ。

24歳の中尉は、子どもたちと遊んでいただけではなかった。勉強も教えた。子どもたちの心を掴むために、軍が割り当てていたお金をいくらか使って学校を建てるよう、司令官を説得したりもした。

地元の長老やアフガニスタン教育省との交渉を支援していた2011年の夏、戦闘が激化した。彼の部隊の3人が撃たれて死亡し、さらに3人が地雷で吹き飛ばされた。アメリカ人を助けたアフガンの人々は、「ただただ残酷な拷問を受け、恐ろしい方法で首をはねられ」命を落とした、と彼は回顧する。

それでも10月上旬には、デネンノの生徒 (彼が握るショベルよりも背の低い子どもたち数人) が、アメリカ軍人や地元の治安部隊、政府当局者らと一緒に笑みを浮かべ、全員が集まって小さな集落カンダレイで新しい学校の起工式を行った。

軍のプレスリリースは、この起工式について「未来の子どもたちにとって」重要なことと称賛した。デネンノにとって、これは流血への「対策」であり、「このまやかしの勝利を追いかけるための手段」だった。「進歩はあった気がする」と彼は話した。

その約4年後、雨漏りしやすい屋根からは水がしみ出していた。25万ドル以上かけて建てた学校では、生徒の上に水が滴り落ちている。ドアは半分に切り取られ、中には完全になくなっているものもある。登校する男子生徒約200人 (女子はいない) は、水道も使えない。学校は、地元の軍閥の懐を肥やした。学校を建てる土地を寄付する代わりに、軍閥はアメリカ軍から何十万ドルにも及ぶ金を受け取ったのだ。

アメリカ軍は、10億ドル以上を投じた教育を成功事例として、声高に宣伝してきた。作戦が行き詰ると、政府当局者は何度も学校の建設数や、女子の入学者数、配布した教科書数、研修を受けた教師の数、投入した金額など都合の良い統計を持ち出し、アメリカが武力介入して以降の13年間と、2千人以上のアメリカ人の死を、正当化するのに利用している。

しかしBuzzFeed Newsの調査 (これは、この国全土の学校に対する視察や、アメリカやアフガン国内のデータベース、文書、150を超えるインタビューなどに基づいて計算)では、この主張が大いに誇張されたものであり、学校、教師、生徒たちは、書類上にだけに、幽霊のように存在していることを明らかにした。アフガニスタンの子どもたちを教育するというアメリカの努力は、短期的な政治的・軍事的目標によって、骨抜きにされた。政府は、誇大広告をばらまいてきたことを認識している。

BuzzFeed Newsは、アメリカ合衆国国際開発庁 (USAID) が、2002年以降に改装ないし建設したとする全ての学校のGPS座標と、建築業者の情報、またアメリカ軍が資金提供した学校建設に関する国防総省の記録文書を独占入手した。

そして、アフガニスタンの7つの地域に存在するアメリカが建設した50の学校を抽出調査した。

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BuzzFeed Newsが訪問した学校のうち、少なくとも10校中1校以上はもはや存在しないか、運営されていないか、そもそも建設すらされていなかった。USAIDは回答の中で「遺憾ではあるものの、戦闘地域では一時的に閉鎖している学校が見つかることは、驚くべきこととまでは言えない」と述べた。

運営実態がある学校でも、入学したと正式に記録されている数よりも、生徒数がはるかに少ないことを、BuzzFeed Newsは突き止めた。アメリカが正規の学校教育を特に受けさせたいと考えている女子生徒たちについては、公式な記録上で約40%多く数えられていた。

BuzzFeed Newsが入手したUSAIDのプログラムの報告書からは、同機関が2006年の時点で入学者数の水増しを認識していたことがわかるのだが、アメリカ政府当局はこの数字を、議会やアメリカ国民に対して引用し続けている。

実際に建設された学校に関して、ヒラリー・クリントンが国務長官だった2010年に議会に提出した数字では、680回以上建設ないし改修を行ってきたことになっている。USAIDは、この数を何年にもわたって主張してきた。2014年までの時点で、この数字は「605回以上」にまで低下している。何ヶ月にもわたって正確な数字を出すよう求め続けたところ、この機関はBuzzFeed Newsに対し、数字は長く主張してきた学校数よりも、少なくとも117校少ない563校だったと明らかにした。

もう1つの主な資金提供源となっている軍は、戦争が始まって以降、いくつの学校に資金を提供してきたかは把握していないと述べた。先月、国防総省はBuzzFeed Newsに対し、2008年以降、軍は786校の建設または改修に資金提供をしてきたと明らかにした。今月、報道官はこの数字を605校に訂正し、この新しい数字には「新たな建設、改修、あるいは単に机や教科書などの用品を寄付しただけのものなど、様々なプロジェクト」が含まれていると話した。

アメリカが実際に建設した学校に関しては、アメリカ政府当局者は議会に対し、高い水準のものを建設したと繰り返し強調してきた。しかし2010年、USAIDの監察官は、30校への現地視察に基づく評価書を公表した。4分の3以上が物理的問題や劣悪な設備、生徒を「不健全、場合によっては危険な状況」に追いやる物資不足に苦しんでいた。評価書からは、アメリカの学校建設プログラムでは「国際建築基準法が守られていない」ことも明らかになった。

今年BuzzFeed Newsは、アメリカが資金提供をした、50以上の学校のほとんどが廃墟同然となっていることを確認した。潰れた屋根や粉々に割れたガラス、板で塞がれた窓、突き出た電線、腐ったドア、その他の構造上の欠陥などで、使い物になっていない。BuzzFeed Newsが訪問した少なくとも4分の1の学校では、水道が通っていなかった。

2010年に、USAIDは監察官に対し、建物の状態がどうであれ、評価書にあるほぼ全ての学校は「本来の目的」のため、つまり生徒の教育のために使われていると述べている。現在でも、USAIDはこのような回答を繰り返している。請負人による監査訪問により、BuzzFeed Newsが検査したUSAIDの学校の85%が「2013年から2014年の間に本来の目的で運営が行われていた」ことがわかったのだという。

学校の建設が完了すると、USAIDと軍は学校をアフガン政府に引き渡し、政府がその管理責任を負うことになっている。

BuzzFeed Newsは、今までに公開されたことのないアフガン教育省の内部記録を入手した。教育省が2011年時点で活動していると公式に報告していた1100以上の学校で、実際には全く運営実態がなかった。州の文書によると、教員の給与(大部分はアメリカの資金で賄われている)は、幽霊学校に投入され続けている。

地元当局者の中には、この給与が結局は、タリバンの手に渡っていると断言する人もいる。実際、アメリカが資金提供をした学校プロジェクトが、残酷な軍閥や、悪名高い有力者の懐を肥やし、アメリカやアフガンの信頼を失う結果になっている。

学校によって、教育の内容はばらつきがある。数学や科学を教えるところから、モスクでコーランをただ暗記させるだけのところもある。アフガニスタンがソ連によって占領された時、アメリカはアルカイダやタリバンのジハード思想へと導く教育にも資金援助をした。この時はソ連に対抗するためだったが、この教育の結果は、アメリカへのテロという結果につながった。2002年以降、アメリカの資金提供は、大部分が教材に置き換わり、この国に新しい教科書を大量に送んだ。

そして確かに、アメリカが資金援助をした教員や教育課程、校舎は、数百万人のアフガンの子どもたちに少なくとも多少の教育を提供する上では役に立ってきた。特にカブールや他の主要都市では、アメリカが設立した学校は上手く機能している。これらの都市部の学校に通う多くの生徒は女子だ。

「USAIDがアフガニスタンで活動を開始した頃、この国は何十年にも及ぶ紛争で壊滅的な状態にありました」と、同機関は BuzzFeed Newsに向けた文書の中で述べた。「さらなる取り組みが必要」であることは認識しながらも、「何百万人ものアフガンの男の子や女の子が学校に通っており、USAIDや国際社会の投資の結果、数千人以上が大学に通い、アフガニスタンの成長を続ける労働市場に参入しています」と、同機関は語った。

しかし、アメリカの資金が集中的に投じられていたこの地域 (戦争での勝利の鍵となっていた地域)では、堂々と胸を張れるような成果は出ず、政府のアピールも嘘であることがわかった。場合によっては、教育を提供するアメリカの努力が裏目に出て、地元の人々に辛い思いをさせていることもある。間違っていたのは、政府の過剰な宣伝であり、アメリカがよく理解していない社会において道を踏み外してしまった崇高な思いであり、軍事的・政治的目的の達成の支えとするための人的援助や「ソフトパワー」を利用する中に潜んでいた落とし穴だ。

元USAIDのプログラム・マネージャーで、何年もアフガニスタンの教育に携わってきたオマー・カルガは、軍の対ゲリラ活動の目標が着実にこの機関の活動の中に入り込んで来ている様子を目にしている。USAIDの当局者とその請負業者は、大将から説明をするよう呼び出され、大将はこの機関の活動が軍の対ゲリラ戦略とどう適合するのかを尋ねた。

「目的は、いい数字をたくさん、短い間に出すことでした」と、彼は語った。「いい話が必要でした。勝利が必要だったのです」

この10年間、報告書が次々と出され、アフガニスタンで行われたアメリカの数多くの様々なプログラムで納税者の税金が無駄になった汚職や無駄遣いの事例が記録されてきた。しかし、アメリカの教育の取り組みは、ほとんど検証されてこなかった。これは、アフガニスタンにおける汚職を調査したアメリカ政府当局者でさえも認める事実だ。

「教育については、期待を下回っていることが明らかになるのを恐れて、誰も詳しく調査しようとは思いません」と、アフガニスタン復興担当の特別監察官のジョン・ソプコは言う。

想定をはるかに下回っている場所に、アメリカが他のどこよりも多くの援助金を投じてきた州がある。デネンノの学校があるザーリ地区。カンダハルだ。

「彼は我々の味方の軍閥でした」

平坦で乾燥した平原の中にある、冬も夏も灰褐色のザーリの泥壁の家々には、あへんの密売業者や軍閥、1994年にここで誕生したタリバンの支持者たちがいる。この地区は、アフガニスタン第2の都市カンダハルと、首都カブールや、その他の主な都市の中心部を結ぶ戦略的大動脈、ハイウェイ1号線にまたがっている。

2009年までに、タリバンの再攻勢はザーリ地区にまで及んだ。この地区はカンダハルへと通じる入口で、反乱軍がここを抑えれば、壊滅的なクーデターにつながりかねない。その次の年にかけて、数千人のアメリカ兵がカンダハルを守るために、この地区に配備された。戦闘はひどく、2011年までに、デネンノが所属する部隊である第10山岳師団のフォート・ドラム第3歩兵旅団戦闘団など、後続部隊が投入された。

彼が戦闘の前哨地域に到着すると、デネンノは真っ先に、子どもたちに気が付いた。通える学校もなく、十数人の子どもたちが基地周辺にたむろし、キャッシュ・フォー・ワークのプログラムにつられて集まっていた。2011年の3月になる頃には、自分の時間を使い、彼とその通訳者は、子どもたちに現地語のパシュトー語で基本的な読み書きを教え始めた。

ホワイトボードの上に、子どもたちはその小さな手で、アルファベットの書き方を練習した。このアルファベットは、デネンノが大学やフォート・ドラムのパシュトー語の授業で学んだものだ。彼は、ペンシルベニア州の田舎で学校の教員をしている母親に写真を送り、母は教材や鉛筆、紙、クレヨンなどの寄付を集めて協力した。

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1ヶ月も経たないうちに、75人近くの熱心で大はしゃぎの生徒が集まった。デネンノはこれで彼らをタリバンから引き離し、彼らに本物の将来を提供できると考えた。「皮肉屋と言われるかもしれませんが、30代や40代の今の世代は、手遅れだと思います」と彼は語った。「恐ろしい残虐行為が行われている中でも、子どもたちは素朴な目を持っています」

だが、子どもたちが基地にいることには、危険も伴った。アフガンの子どもたちが基地で殺されれば、地元の反感が爆発することになりかねない。しかし、彼が子どもたちにこれ以上は教えられないと言っても、「子どもたちはみんな泣き出した」と彼は振り返った。

アメリカの反ゲリラ戦略の一環として、将校らは、司令官の緊急対応プログラム (CERP)の一環としての人道的プロジェクトには、最低限の監査だけで金を惜しみなく使うことができた。ポイントは、診療所や学校、道路など、地元住民が望むものを提供することで、彼らを味方につけることだ。そこでデネンノは、難なく15万ドルの資金を得て、基地近くの建物を仮校舎として使うために改装した。

常設の校舎を建てる場所を探す中で、デネンノは、アフガン教育省や地元の指導者との交渉を始めた。そして、アフガニスタンの忌まわしい汚職や複雑に絡み合った歴史にすぐにぶつかることになった。多くのアメリカ人がそうであるように、この歴史については、ぼんやりとしか理解していなかった。

ソ連の占領に対するアフガンの戦いは、完全武装で動き回るムジャーヒディーンの民兵を煽り立てた。ソ連が1989年に撤退すると、互いに敵対するようになり、チェックポイントを定め、強奪やレイプ、略奪で金と影響力を得ようと攻防を繰り広げた。彼らはもはやムジャーヒディーンとしてではなく、トパキアン、つまり軍閥として知られるようになった。

その中に、ザーリ地区を制圧したハビブッラー・ジャンがいた。ハビブッラー・ジャンは、重要なハイウェイ1号線沿いにチェックポイントを定め、チェックポイントの「通行税」から得て蓄えたお金で、彼はさらに多くの武器と男たちを連れてきたのだが、彼は強奪と残虐行為で悪い評判も得るようになった。多くの地元住民は、嫌悪感を抱いた。

1994年春、ハビブッラー・ジャンを含む3人組の司令官と関係を持つある軍閥が、聖職者オマル師の家の近くチェックポイントで2人の女性を誘拐した。堪忍袋の緒が切れたオマル師は、女性たちを解放するために、宗教的なゲリラ部隊を結成したが、結局チェックポイントで全裸の遺体を見つけることになった。地域の怒りで勢いづいた彼らは、この地域の忌まわしい軍閥たちを一掃し、イスラムの法と秩序を押し付けた。こうしてタリバンは誕生し、オマル師は指導者となった。2年足らずのうちに、タリバンはカブールを占拠した。

ハビブッラー・ジャンは国を逃れたが、アメリカがタリバンを2001年に倒すと、彼は戻り、チェックポイントを再び置いた。2000人以上の男たちが彼の指揮下に入り、そしてすぐに議会で議席も獲得した彼は、ザーリでは最も有力な男となった。タリバンが2005年に勢力を伸ばし始めると、アメリカ人は彼に支援を求めるようになった。

わかりやすく説明するとこうだ。アメリカは、そもそもタリバンを作るきっかけとなった、非常に抑圧的な軍閥と手を組んだのだ。

ハビブッラー・ジャンが2008年に殺害されると、彼の兄弟と彼が信頼を寄せていた司令官ハッジ・ララが後を継いだ。西洋諸国やアフガンの数多くの情報源によると、彼は警察や民兵などの混合軍を掌握し、アメリカとの治安維持契約を勝ち取っている。デネンノが到着した2011年頃までに、ザーリ地区はアフガニスタンのどの地区よりも規模の大きい地元警察部隊を有するようになった。これらの警察官らは今までと同じように、チェックポイントを置き、地元住民らを閉じ込めた。

ハジ・ララの監督下にあるザーリの警察や民兵は、容疑者の拷問や市民虐殺の罪で繰り返し訴えられている。国際危機グループが最近発表した報告書によると、爆弾を仕掛けた疑いで警察に逮捕された22歳の男性の遺体を引き取るよう依頼されたこの地区のある当局者は、拷問の跡だらけの遺体を発見したという。「一般人は地元警察から身を守るために、自分たちで民兵を結成するんです」と、この当局者は語っている。

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携帯電話で連絡を取ると、ハジ・ララは、人権侵害に関わっていることはもちろん、武装した男らを自分の管理下に置いていることも否定した。

ほとんどのアメリカ人兵士は、ハジ・ララとハビブッラー・ジャンが兄弟だとは知らず、ましてやハビブッラー・ジャンがタリバン誕生を助長する役割を担ったことを知る人などは全くいない。「ハジ・ララのことは気に入っていました」と、デネンノの部隊に所属するある兵士が言った。「きっと彼には悪いことをした過去があるでしょうが、我々にとってみれば、彼は役に立つ存在でした」。彼はこう付け加えた。「彼は軍閥でしたが、我々の味方の軍閥でした」

確かにそんなところはある。実際、ハジ・ララは否定しているものの、二股をかけているとの評判もあった。デネンノが言うように、彼はタリバンの司令官と「個別に話して」いた。

軍の最も一般的な支払い形態は、賠償金だ。アメリカ兵が無実の非当事者を殺害した場合や市民の家屋を爆破した場合、あるいは誰かの羊を殺した場合には、司令官は賠償金を支払った。その金額は、たいては控えめな額 (100ドル以下から2万5000ドル以上)だが、合計では250万ドル以上に及び、有力者はその一部をかすめとることができた。デネンノは、ハジ・ララが「アメリカ人からお金をもらいたいので、このエリアを爆破しろ」とタリバンに言っていたと話す。

それでも、ハジ・ララは政府支持派の民兵を掌握し、ザーリ地区の最大部族集団アリザイのリーダーとなった。アメリカ人には彼を完全にタリバンの手に渡す余裕などなかった。彼は、デネンノが言うように、「悩みの種」だった。後でわかることだが、彼デネンノが学校を建設する上で必要としていた男でもあった。

「数値目標は強調されていた」

タリバン政権が崩壊した当時、アメリカ政府当局は、学齢児のうち、たった約3人に1人しか正式に学校に在籍しておらず、その中に女子はほとんどいないと見積もった。そこで2002年4月に、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、アフガニスタン復興の野心的課題を発表し、その基礎となるものが、教育だった。

この挑戦は壮大だった。多くの貧しいアフガンの家族は、子どもたちに働いてもらうために、学校に通わせていない。国民の多くが、女子は教育を受けるべきではないと考えている。そして何より、教育を活性化させるというアメリカの取り組みは、戦争の最中遂行された。危険なため、監察官は多くの学校を訪れることができず、BuzzFeed Newsが訪問した多くの学校は、爆弾や爆撃で破壊されていた。

それでも、お金の流れる栓は開いたままで、現在までにUSAIDは、学校建設や教員の研修、誕生したばかりのアフガン教育省の立ち上げなどの事業に、7億5000万ドル以上を投じてきた。

しかし、目標は子どもを教育するだけではない。教育は、アメリカの短期的な軍事的・政治的目標の達成を進める手段でもあった。2003年、国家安全保障会議(NSC)が主導する「成功加速化」プログラムはUSAIDに対し、作業を急ぎ、2004年6月までに314の学校設立を完了するよう要求した。理由はこうだ。アメリカは、アフガン大統領選挙の前に成果、つまり統計上の成果が欲しかったのだ。

NSCの指示の結果、USAIDのパトリック・ファイン局長は、ワシントン・ポストが初めて入手した2004年10月の内部メモの中でこう書いている。「設計仕様も、選定や調査を経て合意した場所も、建設するまでのプロセスも、(教育省や保健省あるいは)恩恵を受ける地域社会との適切な相談も何もなく、助成が行われた」。彼はこう続けている。目標数値が「強調され、USAIDには、プロセスを引き続き急いで進めるよう迫っていた」

不当利得者らは、その突貫作業を食い物にした。無駄遣いや明らかな不正の金額の完全な算出は、いまだかつて行われていない。汚職が何年にもわたって隠蔽されているからだ。

ある主計官が2006年に、USAIDの最大の契約先、ルイ・ベルジェ・グループが何年にもわたって同機関から何百万ドルも詐取していることを示す証拠を持って、連邦捜査官のもとを訪れると、調査は2010年の後半まで機密として管理された。その時になって初めて、司法省は2人の幹部が詐欺の罪を認めたことを明らかにし、秘密裏に行われていた取引について発表した。この会社は、新しい財務管理を実施し、7000万ドル近くの罰金を払うことと引き換えに、刑罰を免れ、政府の契約を引き続き獲得することを許された。そしてゆすりが現れたため、USAIDはこの会社に対し、罰金の10倍以上の額に相当する契約を会社に発注したのだ。

BuzzFeed Newsは、長く人目に触れてこなかった別の汚職事例も発見した。

2004年5月、この機関が学校建設を急いでいた時、ミネソタ州に拠点を置くキリスト教系人道支援団体Shelter for Life Internationalが、USAIDから、32の学校と20の診療所を建設する1400万ドル相当の契約を受注した。このような契約ではよくあることだが、Shelter for Lifeは工事そのものを行わなかった。その代わりに、営利を目的とするFive Stones Groupに下請けに出したのだ。

しかし、7月になるとShelter for Lifeは、元職員の1人が言うように「その現状に納得できず」、契約を中断し、既に支払い済みの資金を返金するか、その責任を取るよう求めた。匿名を条件に語ってくれた Shelter for Lifeの元職員によると、監査役が突き止めたのは、Five Stonesの事業実施者ティモシー・アリッシュが、何十万ドルもの大金を、引っ越し費用やマンションの改装、高級車の購入などの贅沢品に使っていたということだった。この元職員によると、Shelter for Lifeは、ランドクルーザー4台やハイラックス6台など、一部の資産をアリッシュから取り戻せたものの、追加資金の20万ドル近くは取り戻せなかった。

アリッシュには電話やSMS、メール、親族などを通して繰り返し連絡を試みたが、回答は得られなかった。

USAIDはBuzzFeed Newsに対し、「資金の全額の返還を求めた」と話し、Shelter for Lifeによると、その資金は現在でも月賦払いで返金され続けているという。またUSAIDは、2010年には、アフガニスタンで資金提供をした全ての建設プロジェクトを過去に遡ってチェックする新たな監査プロジェクトを開始したと語ったが、このプロジェクトは実行はされているものの、監査官は治安の脅威があることから、多くのプロジェクトの現場を訪れていない。

このことは恐らく、デネンノが活動する州のカンダハルにShelter for Lifeが建設したNimatullah Khan小学校で起きていることを、USAIDが把握していなかった1つの理由かもしれない。この小学校は15万ドルの費用をかけて完成し、2005年9月にアフガン政府に引き渡され、ナワバードの小さな村に位置している。少なくともUSAIDの記録ではそうなっている。

しかし現地住民や現職、元職の地域教育課長らは、このような学校はナワバードには1度も存在したことがないと話す。確かに、この村には小学校があるが、全て泥で作られた借家の中にある。

BuzzFeed NewsはUSAIDにその調査結果を伝えたところ、学校には第三者の監査役が訪問したと同機関は話したが、それがいつのことかは明らかにしなかった。予定されていた2回目の検査は「この地域の不安定な情勢により」行われなかったと、同機関は語ったが、衛星画像ではこの学校に「確認できるような損害」は見られないと話した。Shelter for Lifeは、ニマトゥッラー・カーン小学校のGPSの位置とされる場所を示した文書と、その建設写真を出した。

どちらにも、BuzzFeed Newsが発見したことを彼らが認識していたことを示すものはなかった。 つまり、GPS座標はナワバードのニマトゥッラー・カーンという名の学校のものではなく、違う名前の別の学校のもので、偶然にも悪名高いカンダハル警察長アブドゥール・ラジクがいる別の村に位置する学校だったのだ。入口の看板には、誰にちなんで名づけられたのかがはっきりとわかるようになっていた。「アブドゥール・ラジク中学校」だ。

国家警察の大規模な部隊や、その他の武装した民兵らを掌握しているラジクは、南アフガニスタンで最も有力な軍閥として広く知られている。また彼は、違法な殺害行為や麻薬密売、拷問などの罪でも訴えられており、これらは何年にもわたって人権監視団体やジャーナリストらも記録している。ラジクには連絡を取ってコメントを求めることはできなかったが、これらの罪に関しては過去に否定している。

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この学校がどのようないきさつで、ナワバードではなく、彼の家族の村に置かれることになったのかは不明だ。はっきりしているのは、アブドゥール・ラジク中学校には、建設されて以降3年間、誰もいないということだ。この地域の住民の中には、通う人がいないからだ。この地区を担当する元教育課長が説明するように、ここは「村からは非常に遠く、砂漠の中にあるだけ」だ。一方、ナワバードの子どもたちは、小さな泥の学校に通い続けている。

2008年から少なくとも2013年8月まで、USAIDはアメリカの侵攻以降、この国に680以上の学校を建設または改修してきたと主張していた。この数字は、同機関が新聞での悪評に反論するためによく使っていた数字で、クリントン国務長官が議会に提出した報告書はもとより、USAID監察総監室のTwitterブログ記事プレスリリース報告書などで繰り返し発表されてきたものだ。

しかしこの2年間、USAIDは密かにこの数を減らし、建設または改修したと言わなくなった115以上の学校に何が起きたのかは説明していない。BuzzFeed Newsが回答を強く求めたところ、USAIDのアフガニスタン・パキスタン担当室長のラリー・サンプラーは、同機関は「学校建設の事務的定義をより厳格なものに見直した」と語った。

「人々の支持をお金で買うのです」

デネンノが常設の学校を建設する場所を探して行動していた時、ザーリ地区の二アズ・ムハンマド・サルハディ知事は、最適の場所を知っていた。そこは幹線道路からすぐの場所で、アメリカ軍の基地からも遠くはなかった。彼らはこれを進めるために、地元の長老たちとの会議、シューラを何度か召集した。そしてこの時に、ハジ・ララが介入してきたのだった。

彼は、土地は彼のものだと主張した。

アフガニスタンでは、書面の土地の証明書はめったに存在せず、彼が実際に土地を所有していたのかは不明だ。しかし、ハジ・ララは、どんな紙切れよりも大事な2つのものを確かに持っていた。民兵と、どうしても協力を得たいと思っている占領軍、つまりアメリカ人を支配する力だ。ハジ・ララは、土地の売却を望んでいたが、教育省は土地の寄付を求めた。

ハジ・ララは自分の立場を貫き、このプロジェクトは止まった。しかし、戦争は止まらなかった。タリバンの下部組織の司令官は、アメリカ人のために働くアフガン人を狙い、殺害した。8月と9月のたった数週間で、タリバンの司令官は、信頼していた情報提供者5人を殺害したと、デネンノは語った。

それから間もなく、アメリカのパトリック・フランク大佐が、Haji Lalaの屋敷にお茶をしにやって来た。アメリカとアフガンの5つの情報源によると、彼は学校と診療所を両方建設できるだけの十分な土地について取引を行い、その場を後にしたそうだ。必要だったのは、少しの賄賂だった。

「診療所の契約を貰えないかと、彼らに持ちかけました」とハジ・ララは説明する。「彼らは同意してくれました」

その後すぐ、ハジ・ララの建設会社は、学校の隣に建設する診療所の軍事契約を37万5000ドルで獲得した。サルハディ知事によると、地元の人々が彼のところに仕事の質に関して苦情を言いに来るようになった当時、診療所はまだ建設途中で、彼は使い古しのレンガを使う診療所の建設業者に忠告したのだという。ハジ・ララは、建物は上手く建設されたと話した。フランク大佐は、軍の報道官を通じてコメントを拒否し、国防総省は診療所や学校に関する質問には回答しなかった。

診療所は、2012年8月にオープンした。軍の記録では、10月には質の検査が行われず、12月には、「壊れたものは直すという指示」の下で、改善を行うための追加資金5万7000ドル以上が確保された。

「誰も言いたがりませんが、人々の支持をお金で買うのも戦争の一部です。どこかの時点では避けられないことなのです」とデネンノは説明した。

アフガニスタンでは、アメリカが理解していない社会や、何十年にもわたる戦争や汚職でバラバラになった社会に多額の現金を投じる中、多くの段階で必然的なことだった。

アメリカ軍の記録では、デネンノの学校から30キロ近く南東の場所に、デーバ(Deh-e-Bagh)小学校が2012年に、実費で、水準を満たした状態で完成したと記録されている。記録の上では、便所や安全用の塀がある9部屋の建物ができたことによって、子どもたちは定期的に学校に通えるようになり、地元の長老たちやアフガン政府に対し、「目に見える形の地域の自慢や正当性の根拠」を提供するはずだった。

しかし、デーバ小学校には1人の生徒も姿を見せたことはない。2012年に一部が完成しただけで、そのドアは一度も開いていない。便所もなければ、水道も通っていない。ここを取り囲む安全用の塀もなく、建物は荒れ果てている。窓は割れたまま。部屋には、建設資材が散らばっている。

カブールに駐在するアメリカ軍当局者は、デーバ小学校の工事が国防総省の資金で行われたことを認めたが、こう付け加えた。「我々はこのプロジェクトの現在の管理状況に関して、これ以上の情報は持ち合わせていないため、この件に関しては、さらなる背景事情をお話しすることはできません」

BuzzFeed Newsは、どれほど腐敗しているかはさておき、地元有力者にアメリカの教育資金が流れているという嘆かわしい話について調査し、その事実を明らかにした。2011年、デーバの地権者グーラム・ハイダーが、ある土地の区画を譲渡することに同意した。この地区の知事アマドゥッラー・ナゼクは、地元企業のファティ・カーン建設会社(FKCC)と連携することを提案した。この会社は偶然にも、知事の兄弟が保有する企業だった。

2012年前半に建物の完成が近づいていた時、アメリカ政府が提供した10万ドル近くの規模の契約の約半分程度しか、資金は使われなかったと、ハイダーは語った。しかし、彼が境界壁を作るための資金を探していた時、FKCCはまだ資金は得られておらず、アメリカがお金を支出するのを待っていると、彼に語った。月日が流れるうちに、彼はFKCCが建設資金を横流ししていることや、彼に代金の支払いをする意図すら持っていないことに気付いた。

「ファティ・カーンに会いに会社を何度か訪れても、彼は姿を隠すのです」と、ハイダーは嘆いた。

カーンは、華麗なシャンデリアや房付きのカーテン、額縁に入った儀礼用の短剣などで飾られた、カンダハル市にある彼の事務所で、契約を受注したことを否定し、自社ではなく別の会社ワリ・ベラダラン建設が契約を獲得したと主張した。しかし、現在は削除されているFKCCのウェブサイトのアーカイブページによると、この会社はカーンの提携企業の1つだそうだ。

電話で連絡を取ると、ワリ・ベラダラン建設のある男性が名前を明かすことなく、「二度とこの番号に電話するな」と言ってきた。

ナゼクには、何度も電話やSMSで連絡を試みたが、返答はなかった。

2011年の軍情報部の内部評価文書は、アメリカがナゼク知事とカーンとの関係を十分に認識していたことを明らかにしている。

「(カーンは)ナゼクの個人アシスタントとしても、(この地区の) 開発プロジェクトの代表者としても活動している。これは表面上は、ナゼクがセキュリティ上の理由で、自分の家族以外の人物を信用できないことが理由だ」と、報告書には書かれている。「実際の理由は、ファティ・カーンのみを介して事業を行えば、ナゼクは、開発契約の全ての面を管理することができ、自分の利益を最大化できるからだ」

立ち消えになった安全壁を建設するお金をいまだ受け取っていないと話していたハイダーは、プロジェクト全体を事実上質に取っている。「支払いを受けられるまで、わざと学校を閉鎖したままにしています」と彼は語った。

ツケは、この村の子どもたちに回っている。新しい学校で授業を受ける代わりに、向かいにある窮屈なモスクで勉強している。BuzzFeed Newsが今年3月に訪問した時には、約50人の子どもたちが、外の芝生の上に放り出され、座って身体を前後に揺らしながら、クルアーンを読んでいた。

その中の1人が、ハイダーの10歳の娘ナシマだ。彼女は医者になりたいのだと言う。しかしモスクの学校では、彼女や他の女の子たちは、地元の指導者による宗教教育しか教えられない。稀にユニセフが資金提供をする巡回教員が数学などの教科を教えるが、読解の授業は、ナシマの兄弟のサナウラのような男子だけのものになっている。

子どもたちがおとなしくしていないと、モスクのアシスタントのティモール・シャーTが細い棒を持って、叩こうとする。「ただ怯えさせたいだけです」と、彼は子どもの方向に棒を振りながら説明した。

ある小さな生徒は落ち着いた様子で、「叩かれることがなければ、学習はありません」と答えた。

幽霊生徒、幽霊教師

アメリカ政府当局者は、アメリカの税金で教育を施している生徒の数を、自慢げに示してきた。「300万人以上のアフガンの女子や男子が、学校に戻っています。この数は、一番楽観的な目標数の150万人を大幅に超えています。」と、2003年に国務省は報告している。2年後、USAIDの当局者は、タリバン政権時よりも5倍の子ども (そのうち35%は女子)が学校に通っていると発表している。2008年には、この数字は600万人以上にまで上昇し、2012年までには、800万人以上にまで上った。

同じ2012年、ある軍の部隊が、デネンノの基地からハイウェイ1号線を数キロ行ったところにあるシェール・ムハンマド・ホタク小学校に、物資を配布した。この部隊の記録によると、50人の女子がこの学校に通っていたという。この部隊がFacebookに投稿した写真では、女の子も男の子も笑顔を見せ、新しいバックパックを取りに行っていた。USAIDと国防総省は共に、この学校に20万ドル以上のお金を投入してきた。

しかし、この3月に学校を抜き打ちで訪れると、女の子は誰一人として通っていなかった。代わりに、7つのテントからなるこの学校は、男子で溢れていて、中には椅子や机がない男の子もいた。彼らは石の多い地面に座り、アフガンの国旗がプリントされた、色あせたバックパックが隣に置かれていた。

これと同じように、BuzzFeed Newsがアフガニスタン全土であちこちの学校を訪れても、記録上の生徒数を下回った。2011年と2012年に、USAIDは生徒数やその他の重要な情報を確認するために、資金提供をした多くの学校に監察官を派遣した。それ以降は、同機関は在籍している生徒数と教員数を確定する上で、アフガン教育省が提供するデータのみにほぼ頼っている。しかし、いくら公式な統計を出したところで、数字はしばしば実態を誇張したものになっている。

例えば、USAIDが資金提供をしたクナル州のムジャヘッド・サメウッラー中学校では、男子が50人以下しかおらず、時には1教室あたり2人しか座っていないこともある。この数は、USAIDが2011年に行った教育の水準確保のための監査で記録された男子274人という生徒数や、アフガン政府がBuzzFeed Newsに現在の在籍生徒数として語った264人の生徒数の約5分の1でしかない。BuzzFeed Newsが訪問した学校のうち、比較データが入手できたところに関しては、全体として、公式発表の数字は生徒数を平均で5倍多く、また女子に関しては約2.5倍多く数えていた。

USAID独自の報告書も、何年にもわたって、誇張された入学者数に警告を与えてきた。2006年の報告書でUSAIDは、前の2年間に在籍したとされる5人に1人の生徒が「幽霊生徒」、つまりドロップアウトしたものの、在籍者として登録されたままになっている生徒であることを突き止めた。

在籍者数の推定は「小・中学校制度における在籍者数の増加が大きく取り上げられがちであり、最大で5分の1の生徒が退学していることから、制度の非効率な部分を過小評価する傾向にある」と報告書は述べている。

これに対する書面の回答の中で同機関は、この報告書は「在籍者数が水増しされたと述べているのではなく、ドロップアウトした生徒数も考慮すべきである」としか述べていないとする立場を貫いた。USAIDのある報道官は、この報告書は公表されたものだとは考えていないと話した。

2003年から2007年まで教育省に配属されていた時に、この調査結果の計算を手伝った統計学者のクレイグ・ナウマンは、教育省とアメリカ政府が「我々の分析をあまり気に入らず、公式には一度も承認しなかった」と話した。「なぜなら、具体的な政治的文脈があったからです。つまり、在籍者数が多いこと、特に女性の在籍者数が多いことが、戦闘やこの国につぎ込んだお金によって何らかの成果が出たことを意味するからです」。

USAIDと国防総省の両方で働いたことのある元職員たちによると、教育分野で働いているアメリカの当局者の間では、アフガン教育省が統計を膨らますのは常識だったと語る。実際、教育省は3年間も登校していない生徒でも、在籍者として数えている。

質問への回答の中で、USAIDはデータ改ざんの疑いについては真剣にとらえており、「引き続き教育省と連携し、信頼性を高めていく」と述べた。2012年の初めには、同機関や他の資金援助者らがその基準を3年から1年に引き締めるよう勧告した。現在までに、教育省はこのような引き締め策を実施していない。それでも、USAIDはBuzzFeed Newsに対し、「アフガンの全ての学校において、毎回、全ての出席者数を完全に把握すること」は不可能としながらも、一般的には「教育省が提供する全体的な出席者数には自信を持っている」と語った。

しかし、2011年と2012年にアメリカ政府と教育省の調整役を務めたエリザベス・ロイヤルは、「綿密な調査が欠けています。私は教育省の数字を報告しただけで、我々が行ったのはそれだけです」と話した。

アメリカ政府は、教員数に関しても、教育省の数字に頼っている。これらの数字は、給与の支払いに利用される。例え教員が授業をしていなくてもだ。

BuzzFeed Newsは、今まで公開されてこなかった2011年に関する教育省の内部データを入手した。データは、アフガニスタン全体で、1174の学校 (ほぼ12校に1校)が幽霊学校、つまり、アフガン政府が公式には開校したと主張していながらも、実際には開校も運営もされていない教育施設となっていることを示した。監査を行うには最も危険な州 (そしてアメリカがほとんどの援助金を投入してきた州)では、この割合は高くなっていた。DeNennoが活動していたカンダハル州では、2011年に教育省が開校していると公式に報告していた423の学校のうち、3分の1が機能しておらず、ヘルマンド州では半分以上に上った。

しかし、教員の給与は、これらの幽霊学校でも支払われ続けていた。またアフガンやアメリカの複数の情報源によると、現在でも支払いは続いているという。アフガン政府は、教員に給与を支払うために、独自の予算をいくらか投じているが、教員給与の3分の2は、アメリカが最大の資金援助国となっている世界銀行の基金を通して支出されている。世界銀行の基金はコメントの求めには応じなかったが、USAIDは、世界銀行の財務管理は幽霊教師に給与が流れるのを阻止していると述べた。

幽霊生徒の場合と同様、アメリカ政府は幽霊教師については何年も認識してきた。教育省に配属されたUSAIDの請負業者の元従業員ら複数人によると、2005年と2006年に教育省内部の作業部会は、給与のうち少なくとも1200万ドルが、実際にいわゆる幽霊教師に流れていたと算定したそうだ。BuzzFeed Newsが入手した、アフガン教育省に関する2013年のUSAIDの監査報告書では、「不適切な給与体系」が蔓延し、最も基本的な監査も行われていない教育省に対し、アメリカが10年以上にわたって何百万ドルものお金を投入してきたことが明らかにされている。

中には、幽霊学校がアフガンの子どもたちを食い物にして、有力者の私服を肥やしているという考えが、広く怒りを煽っている地域もある。アメリカの教育援助が実際にはアメリカの思惑とは正反対の効果を生んでいる。つまり、地元の人々が政府に敵対するようになっているのだ。

山が多いザーブル州では、州議会議員らが、教員の給与を着服するために利用されたと彼らの言う幽霊学校を記録してきた。BuzzFeed Newsが入手した教育省の内部データは、ザーブルの幽霊学校問題がどれほどひどい状況なのかを示している。教育省が2011年の時点で開校されているとしている234の学校のうち、実際には4分の3以上が閉まっていたのだ。

州議会議員のムハンマド・ダウド・グルザーは、閉鎖されていると彼や他の地元指導者らが言う学校の教員に対して、定期的に支払いが行われていることを示す最近の給与支払書類を見せた。

あちこちに存在し、よく知られた存在になっている幽霊学校は、アフガンのTolo TVで昨年放送されたザーブルのニュース報道の背景になった。憤慨した部族の長老たちが、欠陥だらけの学校制度について議論するために集結したのだった。

「カカに学校はあるか?」と、州議会議長が長老らでいっぱいになった部屋に向かって尋ねた。「ない!」と彼らは大声で返した。「ガウジャイに学校はあるか?」すると彼らはまた「ない!」と叫んだ。この光景は、さらに多くの地区や村の名前が出される中で、何度も繰り返された。

そしてある時、州の警察長が、支払い金を奪い取っていると思う人物について叫んだ。「教員の給与が州に支払われていることや、そのお金がタリバンに渡っていることは誰もが知っていることだ」

「でも、何もないよりはましです」

ハジ・ララの要求や、道端に仕掛けられた爆弾、斬首、その他にありとあらゆることがあっても、デネンノの学校は開校した。そして子どもたちも大勢集まって来た。そして当然、非公式な個人指導から臨時の学校、そして常設の学校へと、組織的な成長も遂げた。そこには、ペンシルベニア州で寄付を集めた母親がいた。そして、子どもの面倒見がよく、学校を上手く機能させたいと考えるデネンノもいた。

彼の成功によって、さらに多くの学校が誕生した。「ここには、いわゆる競争のようなものがあります」と、カンダハルでのアメリカの教育事業に深く関わるある高官は説明した。「そのため、ある司令官が別の司令官の部隊で何か注目すべきことを見つければ、その司令官は後に続こうとします。それが一つの形になっているのです。みんな、学校、学校、学校!と言い始めました」

2011年だけでも、アメリカが資金提供をした7校がザーリ地区に開校し、そのどれもがマスコミで大きく取り上げられている。「これは勝利です」と、アメリカ軍の上級曹長がそのうちの1校について語った。「まさに勝利です」。しかし、彼の学校やその他2つの学校は、ただの仮設テントの学校だ。常設の校舎のうち、少なくとも1つ (建設には30万ドル近くかかった)は、もはや運営されていない。これは、ザーリ地区の教育課長によると、この地域には、学校に通う生徒はいないのだという。

「50校建設したといっても、それだけでは何の意味もありません」とデネンノは語った。「数字が成果だと結論付けてしまうのは、茶番です」。彼は過去を振り返りながら、こう語った。「多くのお金があまりにも早く投入され過ぎたと思います。それを処理するインフラがほとんどない農村部は特にそうです」

CERPのプロジェクトの下での軍事支出は、大部分のプロジェクトで事務手続きがほとんど求められなかった。要は戦争での勝利につなげるためだ。しかし、このような柔軟性は、まさに、軍がアフガニスタンの教育の何にお金を使ったのかや、そのお金で何を得たのかを把握していないということだ。軍は、CERPのプロジェクトの多くが「調達データベースシステム」に組み込まれていないことは認めたが、「プロジェクトに関する詳しい記録は保管している」と語った。しかし昨年、国防総省は、アフガニスタン復興担当の特別監察官に対し、いかにそれを把握していなかったのかを物語っている。CERPのプロジェクトの40%以上について、国防総省は最終的に誰がそのお金を受け取ったのかを明言できなかったのだ。

BuzzFeed Newsの求めに対し、国防総省は実際に建設された学校の正確な数は出せないと語った。また、教育に割り当てられたCERPの資金のうちの2億5000万ドル以上が実際にどのように使われたのかも、回答できなかった。これらの数字を掘り下げるため、BuzzFeed Newsは情報公開請求を行い、CERPの資金の記録を入手した。だが、デネンノの常設校も含め、プロジェクト全体が抜け落ちていることがわかった。

「CERPのデータベースは無茶苦茶、まさに大失態です」と、この記録に詳しいある政府当局者は語った。「大失態といっても、それだけで済まされることでもありません」。

2002年以降、アメリカはアフガンの子どもたちに教育を提供するために10億ドル以上を投じてきた。しかし、アメリカ政府は、いくつの学校が建設されたのか、アフガンの何人の生徒が実際に学校に通っているのか、あるいは何人の教師が実際に教えているのかを把握していない。確かなことは、これらの数字がどれも発表されてきた数字よりもはるかに少ないということだ。

このような状況とは対照的に、デネンノは自分が建てた学校を成功と見なしている。

彼が建設を支援した学校の最近の写真を見ると、彼は腐食している建物の外壁にひびが入っているのを目にする。屋根は雨漏りし、水道が通っていないことも把握している。ここで女子が教育を受けていないことも知っている。

「建物は老朽化しています」と彼は認めた。「でも何もないよりはましです」


この記事作成にはBakhtyar Zadranが協力しました。


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