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75色から成るセント=クレアの本は、色の起源や雑学、文化的な意味合い、ほとんど知られていない事実などを深く掘り下げている。パンクの同義語になったピンクから、軍事戦略を変えた茶色まで、いつまでも読んでいたくなるような色のコレクションだ。それでは、筆者のお気に入りをいくつか紹介しよう。
米国の都市部で薬物使用や暴力が急増して10年ほど経った1979年、アレクサンダー・ショース教授が、攻撃性を抑える方法を見つけたと発表した。その方法とは、ピンク色だ。ショース教授は1年にわたる実験でこの理論を導き出した。実験では、ピンク色を1分間見つめた若い男性たちは、深い青色を1分間見つめた男性たちより明らかに「気弱」なった。
シアトルにある米海軍矯正センターの指揮官2人は、拘置所の一室を、ショース教授のピンクに塗ることを決断した。ただし、セント=クレアによれば、半光沢の赤を追加し「完璧なペプトビスモル(ピンク色をした有名な胃薬)の色」にしたという。すると、指揮官たちを苦しめていた暴力がぴたりと収まり、その状態が156日も続いたという。指揮官のベーカーとミラーはさまざまなメディアでこの発見について語ったが、学術界では論争の的となった。現在、「ベーカーミラーピンク」はめったに見ることのない色だ。
信じられないかもしれないが、「頭の悪いブロンド」と最初に呼ばれた女性が実際に存在する。18世紀のフランスに生まれた女性ロザリー・デュテで、「美女として有名」だったという。両親はロザリーの早熟な美しさを心配し、男性の目から遠ざけるため、女子修道院に入れた。ところがロザリーは修道院を出て、英国の裕福な資本家のもとへ行った。そして、資本家の財布が底をつくと、ダンサー、高級売春婦、ヌードモデル、一般の関心を呼ぶ女性となったが、彼女のそうした生き方は愚か者という評判を呼んだ。
この評判は拡大し、ロザリーは1775年、パリで上演された一幕ものの芝居「Les Curiosits de la Foire」で風刺されるまでになった。ロザリーにとっては屈辱的だったようだが、率直にいって、屈辱なんて感じるべきではない。報酬はちゃんと得ればいいのだ。
かつてのオレンジ(オランジュ)公国は、いまや南フランスの一部だが、オレンジ(オラニエ)家、特にオレンジ公ウィレム1世は、オランダ誕生の基礎を築いた存在だ(現在のオランダ王家は、ウィレム1世の子孫にあたる)。ウィレム1世に対するオランダ人たちの忠誠心は非常に強く、オレンジ色は、オランダというブランドの象徴となった。
オランダ王家の肖像画を見ると、皆がオレンジ色の服に身を包んでいる。初期のオランダ国旗は青、白、オレンジだったが、色落ちしないオレンジの染料が見つからず、諦めることになった(現在の国旗は青、白、赤)。しかし、最も興味深いのはニンジンへの影響だ。セント=クレアによれば、「南米原産のニンジンは、現代のニンジンより硬くて苦く、17世紀までは一般的に紫か黄色だった。ところが、オランダの農民たちが100年をかけて、オレンジ色になるよう品種改良した」
人々が青を「エレクトリック」と表現するようになったのは19世紀後半からだ。トーマス・エジソンが電球の商品化に取り組んでいた時期と一致する。1874年に英国の生地屋が発行した業界誌には、「ダーク・エレクトリック・ブルー」という説明書きが添えられたベルベットが掲載されている。1883年の「Young Ladies' Journal」で紹介されている「外出着」にも、同じ説明書きがある。
エレクトリックブルーは現代性を示唆する色で、今も同じように使われている。例えば、映画『マイノリティ・リポート』や『トロン』とその続編では、エレクトリックブルーの光を放つ未来的な技術が登場する。『インセプション』や『ウォーリー』のスチル写真にもエレクトリックブルーが使用されている。
エメラルドは比較的希少で、もろく高価な宝石だ。一般的には、パキスタンやインド、ザンビア、南米の一部で産出される。しかし最近、「バイーア(Bahia)」と呼ばれるエメラルドが論争を巻き起こしている。2001年にブラジルで掘り出されたバイーアは、重さ約380キロ(セント=クレアによれば、「雄のホッキョクグマと同じくらい」)、推定18万カラットだ。
バイーアが発見されてから、いくつもの詐欺事件が起きている。あるときは7500万ドルの即決購入で「eBay」に出品され、現在、カリフォルニア州で大規模な訴訟が起きている。10人以上が正当な方法でバイーアを購入したと主張しているのだ。一方、ブラジルはバイーアの返品を求めて戦っている。バイーアの人気が高いのは当然だ。現時点で4億ドルの値が付いているのだ。
火山ガラスとも言われるオブシディアン(黒曜石)は長年、神秘主義者やオカルト現象を信じる人々の間で使用されてきた。ロンドンの大英博物館には、厚みのある円盤に小さな持ち手の付いたオブシディアンが所蔵されている。もともとはアステカ帝国の神テスカトリポカ(「煙を吐く鏡」の意)をたたえるためにつくられたものだが、スペイン人のエルナン・コルテスがアステカ帝国を征服した後でヨーロッパに持ち込まれ、最終的には、エリザベス朝時代の占星術師兼哲学者ジョン・ディー博士の手に渡った。
ディー博士は、「自分の魂を呼び出す」ためにオブシディアンの鏡を使ったと伝えられているが、当時、このような活動は珍しいものではなかった。ディー博士はオカルト現象を信じていただけでなく、エリザベス女王にアドバイザーとして仕え、鏡や霊能者を介して「天使と会話」し、洞察を得ていた。ところが16世紀後半、キリスト教が悪魔や魔術の問題にとりつかれたようになり、すべての黒いものが悪と関連づけられるようになった。この鏡が破壊されなかったのは単なる幸運ではない。ディー博士は交信していた天使の一人から助言を受け、28冊におよぶ霊媒師たちとのやり取りの記録をすべて焼却したのだ。驚くことに、ディー博士が神秘主義者だった証拠は何一つ残されていない。
シルバー(銀)は高価なだけではない。迷信や神話と関連づけられてきた長い歴史がある。スコットランドには、シルバーのリンゴがなるシルバーの枝は、妖精の世界につながっているという言い伝えがある。また、毒に触れると色が変わると言われていたため、銀食器が重宝されていた。
17世紀半ば、ドイツの町グライフスバルトで、オオカミ人間たちに侵略されたという知らせがあったときには、住民たちがシルバーの弾丸を込めたマスケット銃で応戦した。もちろん、この神話はそれで終わりではない。オオカミ人間から吸血鬼まで、あらゆる怪物を殺すためにシルバーが使用されている。
トープ(Taupe:褐色を帯びた濃暗灰色)は、1世紀以上にわたって問題を巻き起こしてきた。1880年代、米国のアーティスト兼教師アルバート・ヘンリー・マンセルが、色をマッピングする標準的な方法の開発に着手。1930年、共通色名の変更、追加を経て、A・メルツとM・R・ポールが『Dictionary of Color(色の辞書)』を出版した。この本は現在も利用されている。
色の定義は驚くほど困難な作業で、「トープ」という色は特に厄介だった。トープは「モグラ」を意味するフランス語で、あらゆる場所のさまざまな色と関係した色合いだ。しかし、メルツとポールは色の成り立ちにこだわっていた。そこで、2人は米国とフランスの動物博物館を訪れ、ヨーロッパモグラ属の標本を見て回った。実にさまざまなバリエーションがあった。Dictionary of Colorに掲載されているトープは、「フランスのモグラの平均的な色に正確に適合している」というのが2人の説明だ。セント=クレアによれば、「それ以来、トープは自由に野原で生き続けている」という。
1870年代のパリでは、年老いたアカデミック芸術の権力者たちがバイオレットにとりつかれていた。彼らはバイオレットを嫌悪していたのだ。エドガー・ドガやクロード・モネ、ポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロなど印象派の画家たちは、「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他による匿名協会」を立ち上げた。セント=クレアによれば、彼らの最初の展覧会の目的は、「ミッションステートメント、スローガン、そして何より、芸術アカデミーを鼻であしらうこと」だったという。
こうした匿名協会に対する、アカデミック芸術の権力者の批判は痛烈なものだった。権力者たちは特に、印象派の画家たちの作品に多用されたバイオレットを敵視した。「匿名協会のアーティストたちは危険なほど問題を抱えている」と信じた彼らは、「ビオレットマニア(violettomania)」という病名までつくった。ある評論家は、ピサロが描いたバイオレットの木を精神科病棟の患者の妄想になぞらえた。さらに、「アーティストたちは太陽の光が降り注ぐ風景を見過ぎて、世界がバイオレット色に見えるようになった」という仮説も提示された。1つの色がこれほどの争いを巻き起こすと、誰が予想できただろう?
この記事は英語から翻訳されました。翻訳:米井香織/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan