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「父親について何も描かれていないCM」。不毛な対立を洗い流し、男性の生きづらさを考える。

「さ、洗い流そ。」 話題の牛乳石鹸のCMを、男性学の研究者に見てもらったら......

牛乳石鹸が「親子の絆」をテーマにインターネット上で公開している広告動画が、Twitterなどで物議を醸している。

動画の主役である父親の描き方について「不快だ」という批判や、共感する声。それに加え、動画が発信するメッセージがわかりにくいとして、さまざまな憶測を呼んでいる。

BuzzFeed Newsは、男性学を専門に研究している大正大学准教授の田中俊之さん(社会学)に、この動画を見てもらった。

<親父が与えてくれたもの、俺は与えられているのかなぁ...>

YouTubeでこの動画を見る

牛乳石鹸公式YouTube / Via youtube.com

牛乳石鹸 WEBムービー「与えるもの」篇


まず、動画が伝えようとするメッセージがわかりづらいために、見た人たちが過剰に読み込んでいる感じがありますね。

最近のCMの炎上のケースは、ワンオぺ育児を描いたおむつのCM、女性の描き方が卑猥だと指摘された観光PR動画やビールのCMなど、女性に対して固定的な役割を押しつけたり差別的な要素があったりするものでした。

女性差別については、批判の論点がわかりやすい。それに比べ、男性が抱えている葛藤はそれ自体がわかりにくいものであるため、描き方も難しいし、見る人によって感想がわかれるのは当然だと思います。

CMについては、この2点はわけて考えたほうがよさそうです。

(1)リアルを表現できているのかどうか

(2)リアルを描きたいのか理想を描きたいのか

男性学を研究している立場としては、牛乳石鹸のCMでは(1)の点での歴史考証の甘さを、まずは指摘しておかなければなりません。

「家族に無関心な親父」と「優しいパパ」

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動画の主人公を演じている新井浩文さんは38歳。息子の誕生日に、部下と飲んで帰ってくる。

「あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる」というナレーションとともに、出勤する”親父”の背中が映る。キャッチボールではなく、ひとりで壁当てをする少年時代の主人公。風呂で親父の背中を流すシーンもあるが、親父の顔は映らない。

牛乳石鹸の公式サイトによると、CMの設定はこうだ。

職を転々として、裕福とはほど遠くて、家族には無関心で、無口で、無愛想で、そんな親父みたいになりたくなくて、必死で努力した。

大人になり、結婚し、子どもが生まれ、いま、あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。

「家族思いの優しいパパ」

時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか? ふとそんなことを思ったり。

父親の背中って?

いま30代の男性の父親にあたる世代に、背中で語るような権威があったというのは、無理があります。また、仮に権威ある父親だったとして、それを反面教師にするほど対称化している男性は少ないのではないでしょうか。

明治民法で規定された家父長制に象徴されるように、日本には戦前まで、権威主義的で厳しい父親像がありました。戦後、違和感はありつつも新しい家族観が浸透していきます。

1960年代には「マイホームパパ」が登場。「家族を大切にし、子どもにやさしく接するパパ」の役割が期待されていました。

いま30代の男性が子ども時代を過ごした1980年代は、新しい父親像が浸透しつつも、家族の就労状態は、母親は専業主婦かパート、父親はフルタイムが主流でした。国家公務員の完全週休2日制が実施されたのが1992年ですから、父親は週末も出勤し、ほとんど家にいなかったことでしょう。

つまり父親たちは、子どもとの直接的なコミュニケーションが不足していました。人間は、相手がよほどのカリスマでない限り、対話を通して影響を受けます。息子たちは父親の背中をかろうじて見ていただけで、学べるものはなかった。あるべき父親像に縛られて息子が苦しむほどにまで、父親の影響力はなかっただろうといえます。

昭和もいまも地続き

1980年代の父親がダメだったのだと言うつもりはありません。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のように昭和的なものを丁寧に描いて懐かしむのもいいですし、「マイ・インターン」のように年長者から学ぶ姿勢も大切です。このCMは、昭和的な父親の「幻想」を描いているだけなので、歴史に学ぶ姿勢に欠けています。

さらに、昭和の父親といまの父親を、古いものと新しいものとして「対比」させることも意味がありません。なぜなら昔もいまも、男性が経済的な責任と期待を背負っているという点は同じだからです。

先ほどの「マイホームパパ」は、「家族第一主義」のほかに「持家主義」という意味でも使われていました。つまり「家族を大事にしなさい」というメッセージと「マイホームのローンを含め、家族の生活を経済的に支えるために、仕事に励みなさい」というメッセージの両方が発せられていたのです。

「男は仕事、女は家庭」の性別役割分業がもっとも普及したのが1970年代でしたから、実際に父親の生き方を規定していたのは、後者である「一家の大黒柱」のほうでした。

では、いまの父親たちはどうか。男女の賃金格差は依然としてありますから、男性に経済的な責任があることに変わりはないんですね。昭和の父親もいまの父親も、地続きなわけです。

CMでは地続きなものを無理に対比させようとしているうえに、新しい父親像の提案もないので、結局、古さも新しさもなく、父親について何も表現できていません。

日本社会における「父親の葛藤」を的確にとらえたいのであれば、一家の大黒柱であれ、ということが前提になったうえで、仕事中心ではなく家庭中心になりなさいというダブルバインド(二重拘束)のメッセージがある、ということのほうでしょう。

男性の反応は

男性たちは、父親は働いて家族を支えるべきだという地面をずっと歩いてきているので、その足元を疑うことは難しい。疑えない男性たちのせいにするのではなく、社会構造の問題だととらえ直すべきです。

Twitterなどの反応を見ていると、個人的な感情や違和感を書いている人が多いですね。いろいろな見方があるのは当然なのでそれ自体はいいのですが、このCMは特にメッセージがわかりづらいために、「一見すればわかるはず」「こうとしか読み取れない」などと主観的な解釈をぶつけ合っています。こうした対立は不毛です。

感情の発露だけで終わってしまってはもったいないので、社会構造とどうリンクしているのかを考えていきたいですね。夫がゴミ出しで不満げな顔をして心がざわつくのも、夫が家族より仕事を優先してしまうのも、なぜなのかと考えを巡らせると、性別役割分業にひも付いていることがわかります。

それでいうと、このCMについて男性は、個人的な感情を表に出さず、一般論として分析するスタンスに回っている人が多い印象です。一連のジェンダーがらみのCMでも、リアクションするのは女性に偏っているようです。

放送作家の鈴木おさむさんのブログは、子育てについて男性が発信しているにもかかわらず、コメント欄の書き込みは女性とみられる人ばかりです。男性たちがジェンダーに関心が薄いという点は、認識しておいたほうがよさそうです。

新しい表現の可能性

男と女、新しいものと古いもの。こうした二分法だけで物事を理解しようとすると、対立を深めることになります。現実はもっと複雑で、女性だけがいつも抑圧されているわけでもないですし、新しいものが良くて古いものが悪いというわけでもありません。古いものはなんでも叩いていい、といった行動が、結果的にフェミニズムやポリティカル・コレクトネスの評判を落とすことにもなりかねません。

ネット上ではすぐ騒動になりがちですが、一度、家族や同僚など身近な人と、こうしたCMについて話し合ってみるのはどうでしょうか。自分の主観に「いいね!」を集めたいための発信にはならないので、自分とは違う見方についてじっくりと聞くことができるかもしれません。映画や本と違ってCMは短いので、興味や関心、立場が異なる人とも感想を共有しやすいはずです。

こうした議論を経て、自分の生きづらさを社会構造と関連づけて考えたり、新たな表現を生みだそうとしたりすることが、生産的な行動であるのだと思います。


Akiko Kobayashiに連絡する メールアドレス:akiko.kobayashi@buzzfeed.com.

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