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レイプ被害者が実名で声をあげる理由を知っていますか。

ジャーナリストの伊藤詩織さんが、手記『Black Box』を出版した。

まっすぐに前を見据える目。暗闇から問いかける。あなたは、レイプ被害に遭った人を、どんな目で見ますか、と。

今年5月、ジャーナリストの山口敬之氏にレイプされたとして、実名で記者会見をしたジャーナリストの詩織さん(28)。

2015年4月3日、当時TBSワシントン支局長だった山口氏に、就職に必要なビザの相談をするために会った。東京都内で食事をし、2軒目の寿司屋から記憶を失った。激しい痛みで目覚めたときはホテルのベッドの上におり、山口氏に性行為をされていることに気付いた。

そうした内容を語った会見から5カ月弱。姓も明らかにした伊藤詩織の本名で、手記『Black Box』(文藝春秋)を出版した詩織さんに、BuzzFeed Newsは話を聞いた。

彼のことなんて知りたくない

会見から3日後。詩織さんは起き上がれないでいた。食べることが大好きなのに、食べ物を口に入れて噛むことができない。お腹も減らない。固形物が1週間以上、喉を通らなかった。

まさか「あの夜」から2年も経ってから、自分がそんな状態になるとは思ってもみなかった。

会見した後も、詩織さんはメディアのインタビューに応じていた。BuzzFeed Newsの単独インタビューにもだ。

「会見のどこを切り取るかは報道する側の自由ですが、ゴシップの部分だけを切り取って報道されることもあります。伝えたいことをきちんと伝えたい。個別にお会いして直接お話すれば、わかっていただけると信じていました」

多くのメディアは真摯に対応してくれていると感じた。それでも質問は、家族やプライベートにまで及んだ。山口氏の情報までも、メディアを介して耳に入ってきた。

「彼がどうしているかなんて全く知りたくなかったのに」

インタビューの帰り道で倒れ、友人に病院へ運ばれた。耳を塞いでいても、目をつむっていても、情報はとめどなく入ってきた。

レイプ被害を公にするなんて勇気のある女性だ、シャツのボタンを開けて会見するなんてだらしがない、政治的な意図があるのではないかーー。

そんな情報の中にいたのは、自分と同じ顔をしている、自分の知らない「詩織さん」だった。携帯電話を友人に預け、「緊急の用件のときだけつないでほしい」と頼み、情報を遮断しようとした。

10日ほど寝込んでいる間に、気持ちを奮い立たせた。

「私は『被害者のAさん』ではなく、名前と顔のある人間として話そうと決心して会見をしました。それなのに、やっぱり潰れてしまうんだ、と言われるのは絶対に嫌でした。性的被害について声をあげられる社会にしたいのに、私が悪い例になってしまってどうする、ここで私が倒れていてはいけない。そう思って、またインタビューを受け始めたんです」

話したいのは「起こったこと」ではない

こうして実名で体験を語ることに、抵抗がない社会にしたい。ただ、「その後の反応や批判によるダメージは、他の誰にも経験してほしくありません」と言う。

それに、本当に話したいことは「起こったこと」ではないのだ。

「起こったことは起こったこと。たまたま私に起きただけで、別に特別なことではなくて、いつ誰に起こるのかもわからない。もし、これが私の妹や大切な人に起こってしまったら、ここで自分が何も語らなかったことに対してすごく後悔するはずだと思ったんです」

そのためにあえて「起こったこと」を話しているだけなのだ。

2015年4月4日午前5時頃、東京都内のホテルのベッドの上で意識を取り戻した詩織さんは、裸だった。

「はっきり言えることは、私はその時、私の意思とは無関係に、そして私の意思に反して、性行為を行われていたということです」(会見から)

足早にホテルから去り、「とにかく安全な場所に」と自分の部屋に戻った。

(その日に会う予定だった妹を)心配させるわけにはいかないと思った。今日は事件のことは考えないようにしよう、あくまでも予定通りに、何事もなかったように過ごせば、本当にこれは悪い夢だったことになるのではないか、そう思った。それが精一杯だった。(『Black Box』より)

モーニングアフターピルを処方してもらうために駆け込んだ産婦人科で、医師は「いつ失敗されちゃったの?」とパソコン画面から顔も上げずに処方箋を打ち込んだ。

性暴力被害者を支援するNPOに電話すると、「面接に来てもらえますか?」と言われた。

「混乱しているし、何も考えられないし、とにかく安全な場所にいたかった。レイプに遭ったらまずどうすればいいのか、どこに相談してどんな検査を受ければいいのか。そんな簡単な対処法くらいは教えてほしかったです」

4月9日に警視庁原宿署に相談した。

受付カウンターへ行くと、他に待っている人がいる前で「強姦の被害に遭いました」と言わなければならなかった。女性の警察官を呼んでもらい、2時間ほど経緯を話した後に、彼女は交通課の所属であることがわかった。刑事課の男性捜査員に対して、また同じ話を2時間以上した。

さらに2日後、管轄の高輪署の捜査員にまた最初から同じ話をすると、「1週間経っちゃったの、厳しいね」「よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ」と言われた。

「警察に行くまでに5日、私はかなり遠回りしてしまいました。病院、相談窓口、警察、声をあげられる環境......そうしたシステムが整っていたら、結果は違っていたかもしれません」

山口氏は2015年8月26日に書類送検され、2016年7月22日に嫌疑不十分で不起訴となった。詩織さんは検察審査会に不服申し立てをしたが、2017年9月22日、「不起訴相当」の議決が公表された。

真実は一つしかない

詩織さんは警察に行くのと同時に、山口氏とメールのやりとりを続けていた。

何事もなかったかのように連絡してくる山口氏に対し、最初は「自分さえ忘れてしまえば、すべて元通りになるかもしれない」とも考えた。

「彼は著名な方々ともお付き合いがあると知っていましたから、言ったら何が起こるのか、すごく怖かった。レイプ被害は顔見知りから受けるケースが多いことはあまり知られていませんが、会社の上司や同じ業界の人など、声をあげたら仕事ができなくなるかもしれない、夢を諦めなければならないかもしれない、と考えて言い出せない人は多くいるでしょう」

「ただ一つクリアだったのは、私は真実を伝える仕事をしているのに、自分の中で真実に蓋をしてしまったら生きていけなくなるだろう、ということでした。たとえ仕事ができなくなったとしても、真実は一つしかないし、その真実と向き合って生きることが、私には大切なことだったのです」

それでも山口氏のことを思い出すのは苦痛だったので、メールの文面の素案は友人たちが考えてくれた。

手記で公開しているメールのやりとりによると、仕事の可能性をちらつかせたり、「一方的な被害者意識を改めてもらいたい」と高圧的な態度に出たりする山口氏の返信が、多いときは1日に数回ある。

「メールの着信を確認するたびに気が遠くなる思いで、開くのがすごく負担でした。でも開いて返信しないといけないし、それは、それは、それは......大変でした」

謝罪の言葉を引き出そうとする友人たちを尻目に、詩織さんには怒りを感じるエネルギーさえなかった。

「もちろん誠実な言葉は聞きたかったのですが、彼に何かを期待したり彼を変えようとしたりすることは、私の立ち位置ではありませんでした」

「もし司法がちゃんと機能していたら、私がいま、ここまでする必要はありませんでした。捜査や司法のシステムを変え、声をあげられる社会にすること。私が声をあげるのは、このためなんです」

ネットのコメントをたどった

絶望の中で、自ら防犯カメラを確認したりタクシー運転手に証言を得たりして客観的な事実を積み上げた詩織さんは、山口氏の不起訴を不服として検察審査会に申し立て、冒頭の会見を決意することになる。

信頼する知人から、リクルートスーツを着て会見に臨むようにアドバイスされたが、断った。

水着、スカート、制服......。幼い頃、痴漢などの性的被害に遭ったとき、「そんな服を着ているからだ」と周囲に言われたことが何度もあった。何を着ていようが責められるべきではないし、ステレオタイプな「被害者」のイメージを壊したかった。

案の定、ネット上の書き込みにはこのような内容があった。

「白いシャツをきっちり着て、しくしく泣いて、言葉を詰まらせて退場していたら、今ごろみんな信じていたのに」

友人のSNSを通して写真を見つけ出した人から「笑ってるじゃん」とコメントされた。「泣くか怒ってくれないと伝わらない。被害者なら被害者らしくしてくれないと」と警察官に言われたこともあった。

声をあげる態度を批判する人、政治的な関わりを邪推する人。「被害者らしくない」からといって、最も伝えたいことが伝わらないのはもどかしかった。

「なぜ私がこの話をするのか、理解できない人が多かったんでしょうね。何もメリットがないのに、実名顔出しでこんな話をしないでしょう、という前提があるのかなと思いました」

ではどうすれば、声をあげた本当の理由をわかってもらえるのだろうか。

詩織さんは、ネット上のコメントを片っ端から確認していった。実際にどのような反応がどのくらいあり、なぜそんな反応をするのかをできるだけ知ったうえで、伝え方を考えようと思ったからだ。匿名のツイートでは実際は人物像はわからないが、プロフィールや過去のツイートまでチェックして、相手を理解しようとした。

口汚く罵ったり落ち度を指摘したりするコメントを見ていると、どんどん体が冷えてきて、呼吸が浅くなってくる。もう消えてしまうのではないか、と思うほどだった。

実際に「あの夜」に起きたこと。その後にまとわりついた数々の理不尽や屈辱。それらを経験する人が少しでも減り、少しでも救われるようにと願って書いた手記の原稿は、2週間ほど目を通せない時期もあった。

それでも詩織さんは、手記を書き、取材を受け、経験を語る。

結局、手記には、当時の記録にある「起きたこと」と取材で得た事実を「ノンフィクション」として書いた。手記の末尾では、山口氏も認めているそれらの客観的事実を整理したうえで、検察と検察審査会の「不起訴相当」の判断に疑問を投げかけている。抜粋するとこのような内容だ。

  • 山口氏と私は、ビザについて話すために会った。
  • そこに恋愛感情はなかった。
  • 私が「泥酔した」状態だと、山口氏は認識していた。
  • 性行為があった。
  • DNA検査で下着についたY染色体が山口氏のものと一致した。
  • 警察は逮捕状を請求し、裁判所は発行を認めた。
  • 逮捕状の執行が、当時の警視庁刑事部長の判断で突然止められた。


「残念ながらレイプは、誰にでも起こりうることです。まずは司法で裁いてもらいたい。ただ、もし司法で裁けなくても被害者が責められるのではなく、『話しても大丈夫、助けを求めてもいいんだ、一緒に考えていくから』という社会に少しでもなれば、と思うのです」

声をあげると「なぜか」と問われ、声をあげなければ「いない」ことにされる。伊藤詩織さんのメッセージを受け止めなければ、何も変わらない。

BuzzFeed JapanNews