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性被害から立ち直るために脚本を書いた私は、初めて女優に泣くことを許した

「お前の代わりはいくらでもいる」「仕事が欲しければ俺と寝ろ」と言われ続け、それが当たり前だと思っていた。でも自分は役者にそんな思いをさせたくない。なぜなら、演劇によって救われたから。

睡眠薬入りのワインを飲まされ、レイプ被害に遭った映画監督まことは、カメラを持つことができなくなった。もとの自分を取り戻そうと必死なまことは、無意識に周りの人たちに対して暴力的になっていったーー。

こんなあらすじで2017年から3回にわたって関西と東京で上演された舞台「光の祭典」が、8月27日の東京公演で終了した。劇団「少女都市」も活動を休止することになった。

「少女都市」を主宰する葭本(よしもと)未織さん(26)は、劇団活動やこの舞台を通して、性暴力被害者の立ち直りの過程を見つめてきた。そして、自らの被害を公表した。

性被害の「治療」のような演劇

「私がレイプ未遂の被害に遭ったのは、2016年2月です。それから1年かけて、2017年3月に『光の祭典』の脚本を書き上げました。これは、私の治療のような演劇でした」

葭本さんは大学4年生のとき、演出に関して尊敬していた男性と食事をしたあと、記憶がなくなった。あとで男性から、ワインに睡眠薬を入れたことをほのめかされたという。

「光の祭典」の脚本には、主人公まことのこんなセリフがある。

お話の中では、女の子はいつでも強くて、どんなにひどい目に遭っても、きちんとそこから立ち直れる。......でも、おんなじことが起こった時、あたし、なんにもできなかった...

「脚本を書くことが被害について消化する作業でもあり、時間がかかりました。しかも2017年の初演では、私自身がまことを演じました。被害を受けたときの自分を自分で演じながら、これは自分のことだとは明かしていなかった。観客にとっても、共演者にとっても、難解な演出だったと思います」

「泣いちゃダメ」と言ってきた

「この作品のテーマは、性暴力の被害に遭った人がその後どうやって生きていくかということ。かわいそうがられたり、同情されたりするのではなくて、自分自身の足で歩いていくにはどうすればいいかということを書きました」

「演劇は、キャストやスタッフらみんなで作りあげていくものなのに、かわいそうな主宰者の物語だという見られ方をしたくなかったんです。だから2回目の公演でまことを演じた俳優にも、私は演出家として『泣く演技はなるべくしないで』と注文していました」

だが、3回目となる今回の公演では、主役には「もっと泣いていい」と伝えた。自身の被害についてメンバーに話し、どんな思いでこの脚本を書いたかということも説明した。

観客は、葭本さんが作品について語るアフタートークや記事で、この舞台が実体験をもとにしたものだと知ることとなった。

「3回目の公演にしてようやく、まことはかわいそうだと思われてもいいという気持ちが芽生えてきたんです」

あのとき告発すればよかった

初演の2017年春から大きく変わったのは、性暴力被害について声をあげる世界的なムーブメント「#MeToo」が起きたことだった。

2017年5月、ジャーナリストの伊藤詩織さんが、著名ジャーナリストから性暴力を受けたとして顔を出して記者会見した。その後さまざまな業界で、権威のある人物に対する告発が相次いだ。

複数の告発を受けて謝罪したある演出家は、葭本さんにも「役がほしいなら俺と寝ろ」といった電話をかけてきたことがあったという。

「もし私が告発していたら、そのあとの被害は起きなかったかもしれなかった。私も言えばよかったんだ、と思いました」

「光の祭典」にも、仕事をもらうために監督に「ギブアンドテイク」を求められた俳優らが、葛藤を語るシーンがある。

「演劇を始めてからずっと、お前の代わりはいくらでもいるという扱いをされ、使い捨てにされたり搾取されたり、正当な対価をもらわなかったりすることは当たり前だと思っていました」

「でも、私が考えたことや感じたことをもっと言っていいんだと、#MeToo の動きを見ているうちに、信じられるようになったんです」

被害に遭ってから、演出家や演劇の座組みを信じられなくなっていたという葭本さん。#MeTooに対する社会の見方や、観客の反応、キャストとの対話を通して、相手を信じて伝えたら、受け止めてもらえるのだと気づいた。

「今なら、かわいそうな主宰者の物語に矮小化して観る人はいないだろうと思えます。たまたま人生にそういうことが起きてしまって、それは許しがたい大きな出来事だったけど、そこからどのようにして生きているのかということを伝えたい」

もう一つの「復興」

「光の祭典」は、もう一つの立ち直りの物語でもある。

1995年1月17日。葭本さんは2歳の誕生日に、兵庫県芦屋市の自宅マンションで、阪神・淡路大震災を経験した。

母親に手をひかれて炎と瓦礫の街を歩き、西宮市の甲子園駅にたどり着いたら、そこには日常と同じような光景があったように見えたのを何となく覚えている。仮設住宅で育ち、毎年1月17日はずっと鎮魂の日だった。宝塚市の高校に入って初めて、同級生から「誕生日おめでとう」と声をかけられ、驚いた。

「震災については同じ演出をしても、関西と東京では受け止められ方が違いました。どんな表現で伝えればよいのか、悩み続けてきました。でも、何かしらの『痛み』や『喪失感』のようなものを持っているという点は、誰もに共通しているのではないかと思うようになりました」

「光の祭典」の登場人物は、それぞれが何かに傷つけられ、誰かを傷つけ、幸せになることを求め続けている。

「どうにもならないものによって失われた日常を、自らの手で取り戻す。自分に起きたことを自分で引き受けることによってはじめて、今よりももっと自由になれるのではないでしょうか」

劇団を休止する理由

今回の公演を区切りに「少女都市」の活動は休止し、葭本さんは執筆に専念する。作品をつくり続けるための資金調達の意味もあるという。

「自分が演劇で使われる立場だったとき、お金は出ないし使い捨てにされるのが当たり前でした。でも、せっかく私と一緒にやろうと思ってくれた人との関係性を私はずっと大事にしたいから、長く続けられる方法を模索したいのです」

2017年に「少女都市」を旗揚げしたとき、父親から「どうしてそんなに不幸になろうとするんだ」と言われたことが頭に残っている。そう言われるまでは、自分の感情や体調をないがしろにしてでも、頑張ることや結果を出すことにこだわっていた。その目標を、役者やスタッフにも無理強いしてはいなかったか。

「演出家って、役者を潰したり壊したりすることが簡単にできてしまうんです。指導ということだけでなく、立場を利用した強要などもそうです。役の上の人物は死にませんが、役者という生身の人間は死ぬことがあるんです」

私は女優を脱がさない

葭本さんは、エッセイを連載をしているAMでこのように書いている。


わたしは、決して女優を脱がさない。


なぜなら人間の肉体は何よりも魅力的なもので、脱いでしまえば最後、舞台の上からストーリーは失われ、ただ裸体の美しさだけが残るから。……というだけではない。


正直もう飽き飽きなのだ。


美という大義名分の下で個人が殺されるのを見るのは、もう飽き飽きなのだ。


ここに宣言しよう。



すべての女優、あるいはカメラの前に立たされたことによって女優と名付けられた女よ。こんなことに意味なんかないみたいな顔して、カメラの前で脱がないでほしい。諦めと虚脱でうつろになりながらカメラを見つめないでほしい。


そんなさまを見るのは、もう懲り懲りだ。だからわたしが止めさせる。

ありとあらゆる芸術が、人権よりも尊かったことは一度も無い。

芸術の名の下で行われてきたおぞましい暴力を、わたしは決して許さない。


わたしが舞台の上につくるのは、幸せの極地である。そこに暴力は介在しない。


執筆にしても舞台にしても、ひとつの作品をつくり上げるのに、1年以上の時間をかける。「セルフカウンセリング」とも呼ぶその長く苦しい作業を、何のために続けるのか。

「陳腐な言い方ですが、観客や読者に自分自身を大切にしてもらいたいからです」

「自分はこんなもんだとか、大したことないとか、そんなふうに思わないでほしい。あなたの人生はあなただけのものだから。暗い道を照らす懐中電灯みたいな存在になるために、これからも作品をつくり続けていきます」

葭本さんは拠点を地元・兵庫に移し、「希望と克服の物語」を伝える活動を続けていく。