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「アムラー」になれなかった40歳は、いつ引退できるのだろう。

アムロちゃん、私を置いていかないで。

ウォークマンでひたすら聴いた

なんて力強い歌なんだろう。「Don't wanna cry」を初めて聴いたとき、私は泣いていたのだろうか。

安室奈美恵さんを代表するこの曲がリリースされた1996年3月、私は大学受験に失敗していた。高校の職員室の壁には、同級生が合格した大学名が、名前とともに次々と貼り出された。3月1日の卒業式を過ぎても、私の名前はどこにもなかった。

卒業式を終えたのに制服を着て、進路相談のために高校に出向かなければならなかった。岡山県の山間にある小さな町の県立進学校だ。ウォークマンで音楽を聴きながら、畑に囲まれた一本道で力まかせに自転車をこぐ。イヤフォンが耳から外れ、コードが前輪に巻きついた。派手にコケた私を、見ている人はいない。地面に這いつくばって、無惨にちぎれたコードを回収した。

誰も私を知らない。私は何者にもなれない。

ごく平凡な、田舎の女子高校生だった。どうして同じ1977年生まれだというだけで、安室奈美恵さんを”同志”のように感じていたのだろう。

「アムラー」は遠かったけど、アムロちゃんは近かった

安室さんの髪型やファッションを真似する女性「アムラー」は、1996年のユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに入賞した。ロングヘア、ミニスカート、厚底ブーツのアムラーが街を闊歩していたというが、それは東京・渋谷の話だろう。

私が生まれた町には、そんな女性はいなかった。流行の服は「チョット違うダサめデザイン」に変換され、郊外型モールのテナントに1年遅れで並ぶのだ。プリクラもスーパールーズソックスも、まだ浸透していなかった。私が高校生のとき、世は女子大生ブームに沸いていて、女子高生ブームがやってきたときには、私は卒業していた。

そこに、都会と地方の格差や時差があったということを、当時は知るよしもなかった。

インターネットが普及しておらず、YouTubeやインスタグラムなんて想像だにしなかった時代。その点では、都会も地方も同じだった。

好きなアイドルや歌手に会えるのは、テレビ画面を通してだけだった。それでも「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」や「ミュージックステーション」、「COUNT DOWN TV」など歌番組は豊富にあり、夜にテレビをつけるとアムロちゃんが歌っている、というのが日常的な風景だった。

アムロちゃんになれなくてもよかった。見ているだけでよかったのだ。

髪を乱して踊り切り、呼吸を整えているテレビ画面のアムロちゃんに「今日もよくがんばったね」とこっそり声をかけていた。アムロちゃんは他の歌手のように、歌詞を間違えたりしない。「今日も失敗しなかったね」。いつしか、自分自身にかけるおまじないのようになっていたのかもしれない。

もう失敗したくない

3月24日に奇跡的に関西の私立大学に補欠合格した私は、取るものも取りあえず町を出て、ボロボロの下宿でひとり暮らしを始めた。

女子大生たちの洗練されたファッション、まったく知らないブランド名。どうやって話を合わせたらよいのか戸惑った。ただ一つわかったのは、カラオケで安室奈美恵を選ぶと失敗しない、ということだった。華原朋美だと女子ウケが悪いし、PUFFYだと男子ウケが悪い。安室奈美恵は誰かが必ず予約に入れるから、まず間違いない線だった。

そうやって無難にやり過ごしてきた大学生活の終わり頃。今度は就職氷河期という壁にぶち当たった。当時、自覚していたかどうか覚えていないが、リクルートリサーチによると2000年の大卒求人倍率は0.99倍で、1984年の調査開始以来、過去最低だったらしい。

ぶ厚い就活情報誌からハガキを切り取り、1枚1枚に住所を手書きして資料を請求する。その資料にはさまっているエントリーシートに自己PRを書き連ね、送り返す。80社以上に送ったが、ほとんど何の音沙汰もなかった。運良く面接まで進んでも、留学やボランティア経験のない小娘のつまらない話は、鼻で笑われるだけだった。

それは時代のせいだったのかもしれないし、私の能力や努力不足だったのかもしれない。

都会と地方の格差、世代間の格差。言葉にすると、なんだかとてもわかりやすい。楽になれるような気もする。だけど認めたくはなかった。

だって私の世代には、アムロちゃんがいる。アムロちゃんは失敗しないから。

19歳のままでいたかった

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第2志望だった新聞社に就職してからは、アムロちゃんのことはすっかり忘れてしまった。夜8時にテレビをつけることなんて、できなくなったからだ。新人記者はまず地方に配属され、いくつかの地域を転々とする。酔っ払った男性上司を車で送り届け、深夜3時に帰宅して、朝6時に出勤するような日が続いた。努力をしてもしなくても、うまくいかないことが多すぎた。

第1志望の会社に入れていたら、お給料は倍だったろうな。バブルの頃に入社していたら、今ごろ東京の本社にいたかもしれない。どうして地方勤務ではなく、丸の内の綺麗なビルで、お財布だけ入るバッグを持って同僚とランチするような仕事を選べなかったのだろう。2005年、27歳のとき、仮眠していた車のバックミラーで白髪を3本見つけ、私は会社を辞めた。

アムロちゃんはソロデビュー10年を迎えていた。出産、離婚、母親の死を経験してなお、力強いパフォーマンスを見せていた。もう、遥か遠い存在になっていたけど、私のメールアドレスにはずっと、「SWEET 19 BLUES」の「19」が入ったままだった。

40歳では引退できない

カラオケでは必ず誰かが歌い、結婚式では必ず華やかな女性たちが「CAN YOU CELEBRATE?」を熱唱する。みんなアムロちゃんが大好きで、アムロちゃんだけは、大好きだって堂々と言っていい存在だった。

転職、結婚、出産を経て40歳になった私はもう、昔のように小娘扱いされることはない。周りの目を気にせず、好きなものは好きと言えるし、年上だというだけで後輩に偉そうにすることもできる。

「不遇世代」と言われ続けた今の40歳は、同い年のアムロちゃんの姿を追いかけて、まだまだ頑張れると歯を食いしばってきたのですーーそう言えたらすごくカッコイイのだけれど、実際の私は、どうにかこうにか失敗しなかった代わりに、とりたてて成功もしなかったというほうが近い。

企業の経営者や政治家、オピニオンリーダーなどには同年代がちらほら出てきて、「ようやく私たちの時代の到来だ!」と期待するようにもなった。けれど結局、私は何者にもなれていない、何も花開いていないという事実を、アムロちゃんの「引退宣言」で突きつけられてしまった。

アムロちゃんに置いていかれてしまった。

何歳になっても、ふとテレビをつけたときに、歌っていてほしかっただけなのに。「今日も失敗しなかったね」と一緒にホッとさせてほしいだけなのに。それは、聴こうと思ってiPhoneで聴くのとは、ちょっと違う。

コンサートにも行ったことないし、買ったCDも2、3枚だけ。ファンの端くれとも名乗れない分際で、どんだけ傲慢なのか、と自分でも思う。でも、SMAPが解散したときは「日本中が泣いた」なんて大きな主語を使っていたじゃない。傲慢だっていいじゃないか。私の世代のヒーローは、アムロちゃんしかいないんだから。

働き始めて18年。アムロちゃんの25年にはまだ及ばない。「アムラー」になれず、何者にもなれず、何かを成し遂げた実感のない40歳は、いつ「引退」を決めればいいのだろう。このままズルズルと、愚痴を言ったり落ち込んだり、ささやかな達成を積み重ねたりしながら、働き続けていくのだろうか。

「Don't wanna cry」は力強い歌だけど、私はそれを聴きながら、たくさんたくさん泣いていた。来年、最後のステージで、アムロちゃんは涙を見せるのだろうか。

BuzzFeed JapanNews


Akiko Kobayashiに連絡する メールアドレス:akiko.kobayashi@buzzfeed.com.

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