ゲームができないお母さんとポケモンGOの2カ月

    ピカチュウとれてよかったね。

    実家に帰省したら、母親が熱心なポケモントレーナーになっていた。

    ポケモンGOリリースからもうすぐ2カ月。

    直後のあの熱狂はずいぶん前に感じるし、もう飽きたという人も多いかもしれないけど、うちのお母さんは全然飽きてなんかなくて、あの日からこれまでずっと、ものすごく楽しそうだ。

    「いま一番強いのはねー、ナッシー」「見て見て、これが初めてジムリーダーになった時、ギャラドスで」

    「そうだあの角にスーパーあるじゃん? あそこレアポケモンいっぱい出るからついでに寄ってきたらいいよ」「……待って、今近くに知らないのがいる!ちょっと外行ってくる!」

    ……完全にポケモントレーナーだ。

    わたしより全然すごい。まだレベル15だよって言ったら「え、弱いじゃん」と真顔で返された。


    レベルは23(翌日24になっていた)、図鑑は現在92匹、一番強いポケモンはナッシー(CP1867)。

    コイキングを乱獲して何匹もギャラドスを生み出している。苦手なはずのカタカナ用語もいつのまにかたくさん覚えている。モバイルバッテリーを持ち歩くようになっている。


    すごい。世界、回りすぎてる。

    あれだけ「スマホよくわからない」と言ってたのに、ポケモンに引っ張られてデジタル化してる。

    最近ほんとにポケモンばっかやってるからね、って父親に笑われてるのも衝撃だった。

    わたしと弟がゲームに没頭するのを咎める側だったじゃないか。そんなにポケモンの名前覚えられるんなら九九を全部覚えるなんて楽勝でしょ、と目くじら立ててたじゃないか!


    マリオもぷよぷよもできなかったけど

    父によると、リリースしてすぐはテレビの報道を見ながら「これ何が楽しいのかな?」「歩きスマホ危ないじゃんね」とぶつくさ言っていたらしい。

    ポケストップって何? どういうルールなの? とニュースを見ながらいろいろ質問されてめんどくさいから、まぁ1回自分で触ってみたら? と何の気なしに言った。

    ゲームなんて1つも入ってない母のスカスカのiPhoneにインストールして、ユーザーネームまで勝手に決めてセットアップしてあげた、のが始まりだったという。

    ゲームを開いて最初の1匹をフシギダネに決めて(「ピカチュウにできる裏ワザ知ってたら絶対ピカチュウにしたのに!お父さんが教えてくれなかった」)最初のポケモンに遭遇して、ボールを投げて、捕まえる。うれしかったらしい。

    「うまく捕まると、ボールに入ったあとに『やったー!』って出るでしょ。あれがうれしい。やったー! ってなる」

    「マリオとかゼルダとかぷよぷよとか、母さんがやってみても、まずうまく走れないしジャンプもできないし、ブロックの落ちるスピードについていけなかったもん。だからゲームはできないものって思ってたんだよね」

    「でも、ポケモンGOはできたんだよ。歩いてたらポケモンが出てきて、ボールをまっすぐ飛ばせばいいでしょ。だからこれが、初めてできたゲーム」

    近所の仲良しの友達も巻き込んで、今日はピッピを捕まえたとか、あそこにサイホーンが出たとか、毎日LINEで報告したりスマホを見せっこしたりしてるらしい。

    何それ。小学生の頃のわたしじゃん。ゲームボーイがスマホになっただけじゃん。


    「川にギャラドスが出た!」

    「川にギャラドスが出てみんな騒いでる」。こんな文言をLINEの画面の上で見るなんて!

    その日も父と母は2人で連れ立ってポケモン捕獲のために駆け回っていた(休日のレジャーとして定番になりつつあるらしい)。

    わたしは平成元年生まれ、初代ポケモン赤緑を白黒のゲームボーイでやりこんだ世代なので、ポケモンと自転車と聞くとおなじみのゲームBGMが頭の中を流れてしまう。もちろん父母には聞こえていない音でしょうが。

    家から最寄りの駅へ向かう川沿いは、たくさんポケモンが出るホットスポットになっている。2人もいつも通りざくざくとコイキングやヤドンをゲットしていた。近くの神社のお祭の夜で人が多かった。

    橋のたもとでうろうろしていると、見たことのない黒い影が画面の右下に現れた。

    「……これ、ギャラドスじゃん!!」


    ギャラドスだ、えーすごい、野生で出るんだ、すごーい! と2人がはしゃいでいるのを耳にして、近くを通り掛かる人もささやきはじめる。

    ギャラドスだって。え、ギャラドスいるの!? ほんとだ、ギャラドスじゃん!

    あれよあれよというまに何の変哲もない夕方の川べりに人が集まりだす。ざわざわしながらスマホを片手にたむろう老若男女。高校生の男の子は「Twitter見てソッコー来た」って言ってたらしい。

    無事になんとかゲットして、大物に遭遇したことがうれしくて、いろんな人が集まって同じこと楽しんでるのもなんだか面白くて、気分が高揚して、すれ違う人に話しかけちゃうくらいだったらしい。

    「お兄さん、あっちにギャラドスいますよ」

    「……えっマジっすか! 行きます!」


    父親からLINEで「川にギャラドスが出た」と送られてきた時、RPGで新しい村にたどり着いて初めて出会った村人Aが語る言い伝えみたいだ、ってげらげら笑いながら、ちょっと泣きそうになった。

    1996年から20年経って家の近所にポケモンがいる世界になった。父も母も普通に呪文のようなカタカナの名前を口にしてるのすごい。

    ポケモン、完全に現実じゃん! これが2016年!


    1カ月で1億ダウンロード超えでギネス記録、とかそんな数字より、母の話を聞いている方が、うまくボールを当てようとがんばる姿を見ている方が(下手だけど)、ポケモンGOってマジで世界を変えてるんだなって思った。

    少なくとも母の世界は変えてる。だからわたしの世界も変わってる。

    このゲームが成し遂げたこと、そういう何かなんだと思う。いつか母も「飽きる」んだろうけど、そこじゃないんだ、そういう話をしたいんじゃないんだ。

    やっぱりピカチュウがかわいいなぁ、って図鑑を開いてにこにこしてる。今一番ほしいポケモンを聞いたら、迷って迷ってラッキーって答えた。

    そうだね、ラッキーもかわいいよね。

    見つかるといいね。会えるといいね。