羽生善治が語る、二度と会えないライバル・村山聖の思い出

    「東の羽生、西の村山」と並び称された彼との思い出。

    1996年に前人未到の七冠を達成し、現在まで20年以上にわたり将棋界のトップに君臨する羽生善治三冠。

    将棋を知らずとも、この名前を知っている人は多いだろう。

    その天才を追い詰める存在として、かつて「東の羽生、西の村山」と並び称されたのが、故・村山聖九段だ。

    羽生と同世代の棋士として、10代のうちから頭角をあらわし、実力の拮抗したライバルとして熱戦を繰り広げた。

    幼少期から腎臓の難病「ネフローゼ」を抱えていた村山は、プロ入り後に癌を患う。入院や手術を繰り返しながら、将棋を指し続けた。

    最高クラスであるA級まで上り詰め、幼い頃から夢見たタイトル「名人」を射程に捉えたが、道半ばで病に倒れた。1998年に29歳の若さで亡くなった。

    将棋に人生を捧げ、今なお棋界に影響を与える村山九段。彼の半生を描いた映画「聖の青春」の公開を記念し、10月19日に開催したイベントで、羽生三冠と同名小説の原作者である大崎善生さんが思い出を語り合った。

    プロの中でも異質な存在

    羽生は1970年生まれ、村山は1969年生まれ。羽生が1985年にプロ入りしたのに続くように、村山も翌年に四段昇段を決めた。

    「10代から亡くなる直前まで、期間として言えば短いは短いかもしれないですが、村山さんとは貴重な思い出がたくさんあります」

    羽生は、村山との出会いをこう振り返る。

    「やはり最初に会った時のインパクトが、すごかったですね。関東と関西で離れていたので、お名前は知ってたんですけど直接会う機会はなくて」

    「プロになりたての頃はどうしても荒削りですが、村山さんの将棋は特に『こんなのが最初の作戦で大丈夫?』と心配になることもありました。対局している姿も苦しそうというか辛そうな感じで、二重の意味で大丈夫なのかな? と」

    「そんな状態で、指す将棋がとんでもない冴えと切れ味。その二面性に、棋士の中でも異質なタイプなんだなとしみじみと思っていました」

    網走に行くと村山さんを思い出す

    羽生は、村山との対局以外での思い出を聞かれ、一緒に過ごした時間について話す。

    「関西で対局が続いた時、3日間滞在したのですが、真ん中の1日は暇で。将棋会館3階の棋士室に村山さんが毎日“常駐”しているのは有名な話だったので、せっかくなので会いに行きました」

    「行きつけの食堂に連れて行ってもらって、いろいろな話をしました。村山さんは勝負の時は厳しい、険しい感じですけど、日常は結構気さくな人」

    「高倉健さんの話をしていたのが印象に残ってますね。特に『網走番外地』が好きだと話していました。今も、網走に行くと村山さんのことを思い出すんです。村山さんは網走に行ったことがあるわけではないと思うんですけど」

    村山の師匠、森信雄七段と親交の深い大崎が続ける。

    「森先生が好きなんですよね、B級映画。村山くんにもいろいろ見せていたんだけど『師匠の見る映画はつまらん』と好みは合わなかったらしく。でも、『網走番外地』だけは気に入ってこそこそ見てたらしいですよ」(大崎)

    「羽生さんと一緒の空気を吸いたい」

    村山を演じる松山ケンイチさんは、「この映画のヒロインは羽生善治さん」と話している。実際、村山にとって、羽生は多くの棋士の中で特別な存在だったと大崎は言う。

    「村山くんは関西から東京に上京する理由を『羽生さんと一緒の空気を吸いたい』と言ってたんですよ。だから……吸えてよかったんじゃないでしょうか(笑)」(大崎)

    羽生は笑ってこう答えた。

    「それは村山さんが言ってたんですか?……初めて知りました」

    「実際、対局も結構してますからね、同じ場所にいた時間はかなりあったと思います」

    1997年のNHK杯決勝、村山はほとんど勝ちを決めていた将棋で、秒読みに追われてミスをし、羽生に敗れた。これが棋士として、人生で最後に敗北した対局となった。

    その後、公式戦で5連勝し、そのまま病を隠して1年間の休場を発表する。近づく死を意識する中、最後に自ら会いに行った棋士も羽生だった。

    「村山さんが最後に会った棋士は多分羽生さんなんですよね。東京から広島へ戻って入院していて、もうその時は危ない状態だったんですけど、広島に仕事で来ていた羽生さんにどうしても会いたいと。お父さんに車で会場まで連れて行ってもらって、ここで待っててくれ、会ってくる、と」(大崎)

    羽生も当時を思い起こし、こう続けた。

    「その時が最後になるなんて夢にも思っていなかったです。……村山さんて、いつもひょっこり現れて、気がついたらいなくなっているんですよね」

    「最後まで彼は病は隠していたので……そんな風に会いに来てくれたことはうれしかったですね。休場は発表していましたけど、当然翌年元気な姿で出てくると思っていました」

    記憶に残る「あの一手」

    村山の死から20年近く経つが、村山の思い出やエピソードが棋士やファンの間で話題にのぼることも多い。

    「記憶って面白いもので、負かされた横歩取りの将棋のある一手を今でもよく覚えています。将棋の内容というより、その瞬間の村山さんの手の動きがずっと頭に残ってるんですよね」

    「すっと伸びる感じで、でも村山さんらしい大胆な力強さがあらわれた手だったんです」