人間にしか指せない将棋はありますか? 棋士11人に聞くソフトへの愛憎

    「ソフトが棋士の実力を完全に上回った時、棋士の存在価値はどうなるのでしょうか?」

    プロ棋士の1人が、対局中に将棋ソフトを使用して“カンニング”した可能性があるとして、年内の公式戦への出場停止処分が下された。

    名人に並ぶタイトルマッチ「竜王戦」にも挑戦者として出場する予定だった。数日前に出場者変更なんて、異例の処遇だ。

    事態は将棋界にとどまらず、テレビや新聞、週刊誌も巻き込んだ「スマホ不正」スキャンダルとして、連日報道されている。

    「へえ、人間はもうコンピュータに頼らなきゃいけないんだ」なんて反応を見た。将棋ソフトの強さがプロが頼れるレベルになったのはこの数年のことで、一昔前には「人間に追いつくのはまだまだ先だろう」という楽観があった。取り巻く環境は随分変わった。

    だからこそ、急すぎる(と言っても、テクノロジーの世界はそういうものですが)進化にどんなスタンスを取っているかは棋士によって本当にさまざまだ。単なる賛成、反対ではなくて、それは戸惑いも含めた「愛憎」としか言えないように思う。

    「棋士の存在価値はどうなるのでしょうか」

    ソフトが凄まじい速さで進化し続けている現状をどう感じているか。ソフトとどんな距離で付き合っているか。そして「将棋指し」という職業はこれからどうなっていくか。

    11人の現役棋士へのロングインタビューをまとめた本が「不屈の棋士」(著・大川慎太郎)だ。

    表紙には「人工知能に追い詰められた『将棋指し』の覚悟と矜持」という言葉が踊る。本を開く前から重い。

    羽生善治三冠、渡辺明竜王というプロの中でも最高峰の2人をはじめ、積極的にコンピュータ将棋を学び取り入れている棋士、実際にソフトと対戦して敗北を喫した棋士、「強い相手」としてコンピュータとの対局を望む棋士、ソフトでの研究や学習に否定的な棋士、それぞれのタイプに複数人ずつインタビューしている。

    「トップ棋士とソフトは、今どちらが強いと思いますか?」「対局相手がソフトを使っているか気になりますか?」「ソフトとの共存共栄は可能だと思いますか?」「人間にしか指せない将棋はあるのでしょうか?」「ソフトが棋士の実力を完全に上回った時、棋士の存在価値はどうなるのでしょうか?」

    どの棋士も言葉を選びながら、それでもかなり赤裸々に答えているのに驚く。それくらい切実で、常に目の前に突きつけられている、考えることから逃れられない問題なのだろう。

    羽生善治三冠、渡辺明竜王の見解

    基本的に、ソフトの実力はすでに人間を超えているというふんわりした前提で話は進む。いつのまにかパラダイムシフトは起きていて、多かれ少なかれ現実を受け入れて、彼らはすでにその先の世界を生きている。

    羽生善治三冠は、投げられる質問に断言は避けつつ、人工知能の研究者から聞いた話や、自分がコンピュータの評価値を見ながら解説した時の所感などを交え、少し引いた姿勢で現状を分析している。

    自身も特定の局面の検索などにソフトを使っているらしい。「何を使っているかは言いません」。

    ――「いまいちばん強いソフトと対局したら勝つ自信はありますか?」という質問にはどう答えますか?

    本当にわかりません。もちろんソフトが強くなっているのはわかっていますが、具体的にどれくらいかというとちょっと想像がつきません。

    ――ソフトに疑問手を指摘されるのはおもしろくなかったりしませんか?

    バックギャモンの世界では、コンピュータの指し示す手と同じ手を指せるかどうかがすでに一つの強さの基準です。だから将棋の世界もそうなっていくのでしょうね。一局の正答率が何%とか。まだ85%じゃ大したことはないな、とか(笑)。

    ――対戦するしないは別として、羽生さんは今後、ソフトとどのように付き合っていくつもりですか?

    多かれ少なかれ影響を受けていくでしょう。これからの世代はソフトでの勉強を土台の一つとして強くなると思うので、一つの大きな流れになることは間違いありません。

    渡辺明竜王は、将棋界とスポンサーの関係、将棋ソフトと「共存」するには開発者に一定の収入があり、仕事として成立していなくてはいけないのでは? などお金の流れやビジネス面にも言及しているのが興味深い。

    これは大事なことですが、現状ソフト研究が浸透していても、勝つ人は以前と変わっていません。結局、総合的に頭のいい人が勝つことに変わりはない気がします。

    ――将棋界の未来について考えることはありますか。

    この20年くらいでなくなった仕事っていっぱいある。機械で代用するからいらないよって。(中略)それも全部時代の流れだからという言葉で片づけるのであれば、将棋界もそうなんですよ。ソフトが強くなることに関しては、なるようにしかならない。だから将棋界全体のおカネの流れがどうなるのかなども含めて、棋士がうまく立ち回れるかどうかですよね。

    話し手に応じてさまざまな方向に話は展開していくが、本書の中で筆者は「対局中に、ソフトでカンニングしようと思ったことはありますか」なんて質問はただの1度もしていない。棋士側からもそんな可能性を示唆したり心配したりするような回答は1つもない。

    多分、そんなことを聞くのは愚問だからだ。ありえないから。

    渦中の棋士は、2013年に電王戦に出場し、敗北した。本書の中でも、A級棋士の1人である彼が敗北したこの時を「ソフトへの認識が最も変わった瞬間」(佐藤康光九段)、「あれはかなりのショックでした」(行方尚史八段)と振り返っている人もいる。

    この本を読むと、今回の問題は単に「インチキよくない」とかそういうレベルの話じゃないんだなということが分かる。

    将棋指しという職業は、外から見たら高潔すぎるほどのプライドに支えられている。「なぜ戦い続けるのか」が彼らの問題意識の根幹にある。強くなる、の先にこれからは何があるのか。

    正直、ファンの側もソフトの実力が人間を凌駕してるのはもう分かってる。その上で「それでも頑張ってるから好き」とかではまったくないわけだ。全然違う。そこじゃない。

    じゃあ、私は将棋指しという在り方の一体どこを美しく、魅力的に思っているんだろう。

    「第1期電王戦」に出場し、Ponanzaと対局した山崎隆之叡王の言葉。

    ――電王戦に出てよかったですか?

    はい、それはもちろん。ソフトと触れ合ったことによって、自分の将棋の視野が狭かったことがよくわかりました。感覚というのは昔からの積み重ねです。僕がプロ棋士になってから将棋界に広まったような常識は疑ってかかるところがあったけど、子供の頃に身に着けた感覚は100%信用していましたから。(中略)将棋には自分の知らなかった別枠の常識があることがわかったし、それに気づけたのはうれしかったですね。

    ……よく考えてみると、「コンピュータが代替可能」な職業は将棋棋士だけではないわけだ。本当は私たちも。むしろ平凡な私たちの方がヤバいかもしれない。

    自分がこんなに切実な危機感を持つとしたら一体何が起こった時なんだろう。その時がくれば、何か新しい感情が生まれるんだろうか。