アメリカに亡命できた「LGBT難民」たち、その苦難の物語

    「同性愛は、70以上の国で違法とされている。これらの国に暮らすLGBTQの人々は文字通り、命を脅かされている」

    「LGBT移民」の権利を守る団体「イミグレーション・イクォーリティー」は12月、写真家スティーブン・ラクストン、および、ニューヨークのLGBTコミュニティセンターと手を組み、LGBT移民たちが直面する苦難や不公平を、本人の写真とともに紹介した。LGBTはこの10年間で驚くほど市民権を獲得したが、世界には今も、LGBTと認めることが死刑を意味する地域が数多くある。今回発表されたLGBT移民たちの悲痛な物語は、平等を実現するには、いくつもの障害を乗り越える必要があることを思い出させてくれる。

    ラクストンはその中から11人を選び出し、それぞれがどのように差別に耐えてきたかを写真付きで紹介してくれた。

    11人の移民たちが、祖国の同胞や当局から受けた残酷な扱いは、2017年の世界では考えられないものばかりだ。しかし残念ながら、私たちが暮らす国ではあり得ないことが、世界の大部分ではいまだに現実として起きている。同性愛は70以上の国で違法とされている。これらの国に暮らすLGBTQの人々は文字通り、命を脅かされている。あまりに多くの国で、愛情を表現したり、自分に正直に生きたりするだけで、終身刑に処されてしまう。同性愛が死刑に値する国もある。こうした国では、LGTBQコミュニティーに属する人々への虐待はごく普通のことだ。

    この記事を読んだ皆さんが11人の人生を理解してくれることを願っている。決意を持ち、自信にあふれ、感動を与える人々として彼らを受け止めてくれること、そして、この11人を含むLGBTQ難民たち全体に共感してくれることを願っている。また、他国のLGBTQコミュニティーが直面する問題を意識すると同時に、皆さんが自国で享受している公民権の重要性を認識してくれることを願っている。

    オリバー、ナイジェリア

    オリバーは、ナイジェリアの首都アブジャで、LGBTQの権利を守るための活動に従事していた。活動家であることはほとんど知られていなかったが、所属する人権団体が全国放送のテレビ番組で取り上げられたことをきっかけに、殺害の脅迫を受けるようになった。オリバーはアメリカへの亡命を決意したが、新天地でも苦労が待っていた。アメリカで初めて直接的な人種差別を経験した彼は、現在LGBTQの権利と人種間の平等の両方を求めて戦っている。アメリカ市民となったオリバーの夢は、ナイジェリアに戻り、現在のような活動を続けることだ。「アメリカのパスポートを持っていることで、私はいくらか守られています。だからこそ、私は活動に打ち込み、声を上げることができるのです」とオリバーは話す。「私の願いは、ナイジェリアがもっと受容的な国になることです。しかしそのためには、国民が戦わなければなりません。だからこそ、私は戻らなければならないのです」

    タマラ、トリニダード・トバゴ

    タマラは、トリニダード・トバゴで生まれ、10歳のとき、アメリカにやって来た。トランスジェンダーで不法滞在者だったため、「自分に正直に生きる自由」のない祖国に強制送還されることを恐れていた。現在は亡命を認められたタマラは、アメリカ市民であることについてこう述べる。「私にとって、とても大切なことです。ここが故郷であり、安全な場所であると感じています」。現在は、新しいキャリアを夢見て、マンハッタンでヘアメイクの学校に通っている。

    テア、リベリア

    テアは、リベリアの有名なHIV/エイズ活動家で、2012年にワシントンDCで開催された「国際エイズ会議」に招待された。ところが、アメリカの有名紙に同性愛者として取り上げられたため、母国で殺人の脅迫を受けるようになった。さらに、故郷の自宅も破壊され、リベリアに戻らない方がいいと家族から言われた。結局、アメリカへの亡命が認められ、現在は、学校にもう一度通うこと、まともな仕事に就くこと、南部に定住することを夢見ている。将来の夢は、湖畔に家を建てることだ。

    イシャラー、メキシコ

    イシャラーは、人々に刺激を与えてくれる女性で、有色人種のトランスジェンダーとして力強い活動家でもある。メキシコの故郷にあるLGBTQ人権団体で広報担当者を務め、反LGBTQの立場を取る州知事候補への抗議行動を主催していた。しかし、殺人の脅迫が続き、2013年7月、安全のために祖国を出るという難しい決断を下した。ところが、アメリカとの国境で拘留され、1カ月後、保釈金を支払って自由の身となった。そして2年半後、アメリカへの亡命を認められた。安全のためにメキシコを離れることにはなったが、イシャラーは今も変わらず、LGBTQコミュニティーの権利やニーズを訴えるさまざまな組織での活動を続けている。地域医療センターのケースマネージャーという仕事も持つ。「毎日が充実していて、とても幸せです。フルタイムの学生でもあり、政治学を専攻しています。目標は弁護士になることです。忙しい日々ですが、私はそのために戦い、ついに望んでいたものを手に入れました。再び自分の人生を送ることができて、最高の気分です」

    デニス、トリニダード・トバゴ

    デニスはトランスジェンダーの女性で、2004年、トリニダード・トバゴからアメリカにやって来た。「男女両方の集団から激しい暴力を受け、逃げなければならないと思いました」。その後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しめられたが、治療を受けることはなく、心臓発作を4度も経験するほど健康状態は悪化した。トランスジェンダーであることを理由に、差別を受け、何度も職を追われた。失望が最高潮に達したとき、地下鉄のホームで1カ月暮らすことを余儀なくされた。亡命申請が却下されたときは、もう諦めるしかないと思った。しかし、イミグレーション・イクォーリティーの助けもあってデニスは戦い続け、2014年10月、ついに亡命が認められた。デニスのアメリカンドリームは、「受け取った分と同じだけお返しできるようになること。自由の女神像が象徴している愛と自由を享受すること。自分が選んだ人と手を取り合って歩き、どこにいても恐れることなく、その愛を楽しむことです。アメリカの偉大さはアメリカの人々の中にあります。私は今、その偉大さの一部となっているのです!」

    マックス、ウズベキスタン

    マックスは、ウズベキスタンの首都タシケントに生まれた。同国では、同性愛は違法だ。25歳のとき、ロシアのモスクワに移住した。「私の人生はそこで始まりました。少なくとも友人たちの間では、ありのままの自分でいることができました。デートや初恋、私生活など」、ほとんどの人が10代で経験することを「25歳で手に入れました」。それは、ロシアが比較的オープンだった2003年のことだった。しかし間もなく、ロシアにおけるLGBTQの人々の状況は悪化し、マックスは偏見や暴力に直面した。警察が迫害を無視したり、迫害に加わったりすることもあった。2013年、マックスはアメリカに避難し、ニューヨークに定住した。ロシアの友人たちのことは心配だが、アメリカでの暮らしには満足している。画家兼グラフィックデザイナーとして働きながら、最近、結婚もした。「徐々に毎日を楽しむことができるようになり、恐怖の過去を忘れようと努力しています」

    バレンティナ、コロンビア

    バレンティナはトランスジェンダーの女性だ。祖国コロンビアの学校では、性的指向や、男らしくない仕草を理由に、クラスメートと教師からいじめられた。ほかの「好ましくない人々」とともに地域から出て行かなければ殺す、と脅されたこともある。警察に頼ろうとしたが、警察は保護を拒み、迫害されるのはバレンティナに責任があると言った。アメリカへの亡命を認められたバレンティナは現在、LGBTQ移民たちの権利を堂々と訴えている。先日もワシントンDCに行き、議員たちの前で身の上話をした。

    タレク、エジプト

    若かったとき、タレクはエジプトで別の男性にキスした罪で逮捕・収監された。この出来事をきっかけに、タレクは同性愛者として有名になり、仕事に就くことができなくなった。その後、アメリカ人との遠距離恋愛が始まり、観光ビザでアメリカを訪れた。2人の関係はすぐに終わったが、タレクは亡命を申請し、認められた。アメリカで暮らすことは「大きな意味があります。ついに自分自身を受け入れることができるのですから。エジプトでは、大きな恐怖と罪悪感を抱えていましたが、ここで暮らすようになり、傷を癒やすことができました。今は少しずつ、自分自身と自分の性を受け入れ始めています。そして、ありのままの自分を愛し始めています。想像したことすらありませんでしたが、2週間前、Facebookで公にカミングアウトしました。そのとき、私は心の平和を手に入れ、多くの人が支持してくれたことで、ようやく安心できました」現在、タレクはブルックリンに拠点を置き、フリーランスの建築家兼コスチュームデザイナーとして働いている。いつか有名なコスチュームデザイナーになり、ブリトニー・スピアーズやレディー・ガガの衣装をつくることを夢見ている。

    アリョーナ、ロシア

    アリョーナは、ロシア連邦に属するタタールスタン共和国出身の同性愛者だ。小さな会社のオーナーで、ジュエリーデザイナーでもある。2009年、自由と寛容さ、安全を求めてアメリカにやって来たときは、無一文で、ほとんど教育を受けておらず、英語もあまり話すことができなかった。しかし、イミグレーション・イクォーリティーの助けもあり、亡命を認められた。アリョーナはさらにグリーンカードを取得し、ジュエリーデザインの会社を立ち上げた。今では、6人の従業員を抱え、100%再利用のゴールドでジュエリーを創作している。2016年夏には、アメリカの市民権を得た。「アメリカ市民として宣誓した日は、それまでとても重かった体を持ち上げられたような気分になりました。これが自由だと感じました」

    セルゲイ、カザフスタン

    セルゲイはカザフスタンで生まれ、同性愛は心の問題であり、治療可能だと教えられて育った。後に、自分は同性愛者だと気づき、それでも問題ないと受け入れたが、決して公にしてはならないと考えていた。ところが、ジャーナリスト兼PRマネージャーの仕事でアメリカを訪れたとき、同性愛者として堂々と生きることは可能だと気づいた。帰国後、LGBTQとしての体験を思い切って文章にしたが、この勇敢な決断の結果、セルゲイは攻撃の的にされた。そして、アメリカへの亡命を余儀なくされ、現在はブルックリンで夫と暮らしている。さらに、学生として医学部進学の準備を進めている。

    サンディー、メキシコ

    サンディーは、トランスジェンダーの女性だ。メキシコで性同一性を理由に虐待され、1995年、アメリカに避難した。アメリカに到着したとき、自分のような恐怖に直面する人たちを減らすことに専念しようと決意した。ニューヨーク市スタテンアイランドにあるNPOで10年以上働きながら、衣食住に困っているトランスジェンダーの女性を支援したり、トランスジェンダーの若者たちの相談に乗ったりしている。最近、アメリカの市民権を取得したばかりで、次の選挙で投票することを心待ちにしている。


    この記事は英語から翻訳されました。
    翻訳:米井香織/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan