イスラム教徒は「善良」でなければ権利を主張してはいけないの?

    イスラム教徒を人間として、あるいは同じ国民として見るか否かを、その礼儀正しさやアメリカ人というイメージに合致するかどうかで決めるべきではない。

    「アメリカから出国しちゃだめだ」というメールが友人から届いた。ドナルド・トランプがイスラム圏7カ国の国民のアメリカ入国を制限するという、厄介な大統領令を出した直後のことだ。

    私のSNSフィードには、拘束される人々や抗議活動、不透明な先行きについてのニュースがずらりと並んだ。友人は、イスラム系パレスチナ人のルーツを持つ私も、そうした悪夢のような事態に巻き込まれてしまうのではないかと心配してくれていた。空港で足止めされ、イスラム教について質問を浴びせかけられてしまう、と。

    でも、自分はそんなことにはならない。私のパスポートはアメリカ国籍を示す紺色をしている。アメリカ生まれなのだから当然だ。両親が必死の思いで手に入れてくれた私のパスポートからは、ルーツがわかることはない。それに、空港係官は私を見ても、アラブ系やイスラム教徒だとは思わない。髪はくすんだブラウンだし、瞳はハシバミ色。肌も白い。

    ただし、いったんフルネームを名乗れば眉をひそめられる。サラ・マーヘル・ヤシン。アメリカ人にはあまりなじみのない名前だ。同じように外見は白人として通用する父親も、私と似た体験をしている。空港係官は「ヤシン」という名前を見たとたんにおしゃべりをぴたりと止め、口を閉ざす。そして、気まずい沈黙の中、目の前の人間が危険な存在かどうか見定めようとするのだ。

    居心地が悪いのはほんの一瞬でしかない。けれども、ヒジャブをつけていたころは、空港でのセキュリティチェックは何かとストレスが多かった。ドイツのシュトゥットガルトでは、ぶっきらぼうな係員に、持っていた巨大なリュックサックの中にある怪しげな物体を取り出すよう言われた(それは、口紅の形をした単なるペンだった)。

    スペインのバルセロナでは、薄ら笑いを浮かべた男性係員に、ヒジャブを取って髪の毛を見せろと命令された。パスポートに髪の毛の色が記載されておらず、写真にも写っていないことに私が気づいたのはそのあとだ。フィラデルフィアでは、私のポニーテールがどうしても気になる職員に、頭を叩かれて調べられた。私はカチンときてこう言った。「ただの髪の毛ですよ」

    ヒジャブをつけるのをやめた当初は、人ごみを歩いていても誰にも見られないので、まるで透明人間になったようで、いい気分だった。白人に思われるのは気楽だった。世間が前よりも親切になったような感じだ。失礼な態度を取る人はほとんどいなかったし、じろじろ見られることも減った。「本当の出身地はどこ?」と聞いてきたり、英語が上手だと驚く人もいなくなった。

    白人と思われることは、私の国籍を疑問視する人がいなくなることを意味した。アメリカ人だと証明する必要がなくなり、普通に存在できるようになったのだ。けれども、7年ほど前、ヒジャブをつけるのをやめてから、最も大きく変わったのは別のことだ。それは、常に「いい人」でなくてもよくなったことだ。

    これでもう、電車のドアのところに立ちはだかって道を開けようとしない通勤客に対してムッとした態度を示してもいい。町でいやらしい言葉をかけられたら怒鳴り返してやることもできる。のろのろ歩く人を押しのけて追い越しても、その見知らぬ他人が、20億人近いイスラム教徒全員に対して意見を変えるんじゃないだろうかと不安になる必要もない。

    私は突如、ただの個人として見られるようになった。どんなに行儀が悪かろうと、それは私個人の問題だ。でもそこで、重要な疑問が浮かぶ。今までそうではなかったのはなぜなのだろう?

    私は、14歳の時にヒジャブをつけ始めた。2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生して、ニューヨークの世界貿易センタービルが倒壊するほんの数カ月前のことだ。

    その後の8年間、ヒジャブは、自分がイスラム教に関わるあらゆることを受け付ける窓口であることを示す目印のようなものだった。赤の他人から「ラグヘッド(raghead:(宗教上、頭に布を巻いたりする人に対する蔑称)と呼ばれたり、イスラム教について議論を吹っかけられたりした。それは単に、私が見るからイスラム教徒だったからだ。

    そして、何か聞かれても、それには答えられないと思ったことはなかった。高校の同級生にウサーマ・ビン・ラーディンやアルカイダについて質問された時も、「はっきり言って中東の政治のことなんてほとんど知らないの。だってまだ15歳だし。それより、ジャスティン・ティンバーレイクの好物についてなら答えられるかも」と返してみようとは思わなかった。

    ノースカロライナ州の州都ローリーに住んでいたころは、そうした偏見に満ちた態度に対して、南部ならではの礼儀正しさに輪をかけた丁寧さで対処しなくてはならないというプレッシャーを始終感じていた。母は私にしきりにこう言い聞かせた。「サラ、ヒジャブをつけたら、あなたはイスラム教徒の代表者として見られるのよ」。私が好むと好まざるとにかかわらず、母は正しかった。

    多くの人にとって、言葉を交わした初めてのイスラム教徒が私だった。それが最初で最後の機会でさえあるかもしれない。だから、誰かがドアを開けてくれたら、大げさなくらいにお礼を言った。レジ係が無礼だったり、私が英語を話せないと思い込んだりしても、礼儀正しく接した。

    大学内の教会で熱弁をふるう牧師から初めて指をさされて「君は地獄に落ちる」とわめかれた時は、泣きながら図書館に駆け込んだ。「ヒジャブをつけたままシャワーを浴びるの?」とか「親が決めた人といつ結婚するの?」などという、ばかげていて個人的に立ち入った質問をされたこともあったが、それでも私は辛抱強く答えを返した。

    その人がヒジャブ姿の女性に対して何かを期待していて、私の言動がそれに合わないと、決まって、「ヒジャブをつけたほかのイスラム教徒の学生と違うのはなぜか」と聞かれた。イスラム教の女性はみな、1つの有機体に属する、心を持たない細胞だとでも思っているのだろうか。

    大学では毎春、ノースカロライナ州の最貧地区に住む高校生を対象にキャンプを実施していて、私は毎年ボランティアをしていた。すると、私に会ってイスラム教徒に対する考え方が変わったと打ち明ける高校生が毎年必ず1人はいたものだ。ある高校生は私のところにやってきてこう言った。「あなたに会うまでは、イスラム教徒はみんなテロリストだと思っていた。テレビでそう言っていたから」

    それでも私は、ただにっこり笑って、礼儀正しく接した。イスラム教徒は残忍で不気味な存在だ、と思っている人の敵意を解消しなくてはならなかったからだ。そうした出来事は、相手の感情に比べたら重要なものではない。あるいは、相手が無知である証拠にすぎず、人々の考え方を変えるのが自分の責任だということを、ただ受け入れるしかなかった。

    彼らがそう思うようになった原因は、大衆文化やニュースにはびこる猛烈な反イスラム感情にあり、そうした感情が9・11後にイスラム社会を監視し、イスラム系を逮捕することを正当化している、と考えることは許されなかった。イスラム教徒ではない友人たちは、気にしないのが一番だよ、としきりに忠告した。

    けれど、それは彼らが、そうした出来事を、より大きく組織立った不平等の一部として見ていなかったからだ。それが見えていれば、不平等を変える上で自分はどんな役割を果たせるのかについて、彼らも考えたはずだ。

    イギリスの大学院に進学してまもなく、私はヒジャブをつけるのをやめた。その後、ノースカロライナに里帰りすると、周囲の人間が私に対して気楽に接するようになった気がした。街を歩いていても見知らぬ人にじろじろ見られることはないし、言葉を交わした時に、移民二世なら誰でも聞かれたことのある「実際はどこの出身なの?」という質問もされなくなった。

    今では、他人との日常的な交流のほとんどは記憶に残らない。外出時に嫌な目に遭うのではないかと身構える必要がなくなり、精神的負担が大きく取り除かれた。でも私はやがて、あることに気がついた。「敵意を向けられる」ことが日常の一部と化していた時、その背後には、「なぜお前はアメリカにいるのだ?」というメッセージが潜んでいたことに。

    多くの意味で、私は何も変わっていない。今まで通り、ただのアメリカ人だ。ただ、何かを証明しなければという必要性だけが消えていた。それについて考えれば考えるほど、違いに気づくことが多くなり、怒りは膨らんだ。自分のコミュニティとルーツの象徴を取り払わなければ、長い間、必死になって母国だと思おうとしてきた国に受け入れてもらえなかったのだ。

    ヒジャブをつけていたころは、テロについて説明や謝罪を求められることがよくあった。そんな時は、テレビで報じられているような事件は、イスラム教全体のごく一部のよからぬ人間の仕業だと考えるようにしていた。しかし実際には、テロを解釈するのにイスラムだけを理由にするというロジックがまったく見えていなかった。タリバンやアルカイダのような原理主義者について理解したいのであれば、イスラム教ではなく、全体的な歴史や政治について論じるべきではないのだろうか?

    20億もの人間が全部同じだという見方をするなんてばかげている。それよりもおかしいのは、1つのグループの基本的権利を認めるにあたって、なぜか、その必要条件が集団的な「善」にあるとすることだ。アメリカに住むイスラム教徒、いや、社会の主流から排除されたどんなコミュニティや集団にとっても、主流派の見方には多様性や複雑性が入り込む余地がないのだ。

    イスラム教徒は皆が善良だと言い張ったり、イスラム教の本当の意味を説明したりしたところで、結局は、「すべてのイスラム教徒をひとまとめにして議論してもかまわない」というお決まりの間違った観念が強化されるだけだ。

    ネットで拡散したCNNの政治評論家、バン・ジョーンズのコメントを例に取ろう。彼は、イスラム系アメリカ人に対する否定的な認識に戦いを挑み、番組内でこう述べた。「もし隣にイスラム系の家族が住んでいたら、きっとあなたは世界一幸せな人になるだろう」。しかし、イスラム系の家族は、隣人に対してフレンドリーに接しなければ、自分たちの権利が奪われていることに異を唱えてはいけないのだろうか?

    昨年の大統領選期間中、ヒラリー・クリントンはトランプの反イスラム的な物言いに対抗するべく、原理主義との戦いにおいてイスラム系アメリカ人のもつ価値をしきりに強調し、批判を浴びた。アメリカのイスラム教徒は、国家安全に貢献する場合においてのみ価値を持つというのだろうか?

    こうした疑問は、トランプが入国禁止の大統領令に署名をして混乱が起きた時にも生じた。「悪しき侵入者」という設定は、トランプの主張の柱だ。それは、メキシコ国境沿いに壁を建設する話であっても、イスラム系移民に対する「厳しい審査」の話であっても、変わらない。

    そして、難民の権利を認めようと主張するメディアは、難民がこれ以上ない過酷な状況に直面しながらも、どんなに親切で心豊かな人々であるかを報じる。スティーブ・ジョブズが実はシリア難民の息子であったという画像やニュースもあちこちで見かける。

    けれども、それにどんな関係があるというのだろうか? 難民にもひどい人間はたくさんいるし、ジョブズのような大金持ちにはならない人がほとんどだ。だからといって彼らに、難民として入国したり戦争から逃れたりできる権利がないということにはならない。

    難民の地位は国際的に認められており、それを承認するかしないかは、彼らがどれほど「善良」であるかとか、iPhoneに次ぐ素晴らしい発明を生む可能性があるかという点に左右されるべきではない。

    イスラム教徒を人間として、あるいは同じ国民として見るか否かを、その礼儀正しさやアメリカ人というイメージに合致するかどうかで決めるべきではない。ニカブ(髪と顔全体を覆って目だけ出すベール)をつけた女性が、空港の航空カウンターで無愛想な態度をとったとしても、国土安全保障係官からチェックされるべきではない。私が住みたいのはそういう世界だ。

    9・11後のしょうもない状況のひとつに、「イスラムは平和の宗教か?」という問いがある。善意ある識者たちの多くは先を争って「イエス」と答えたが、私に言わせれば、そんなことは「どうでもいい」。

    そんな議論をしても、宗教の名の下で行われるテロを終わらせるという難題は、解けない。この問いはただ、イスラム教徒たちを、不公平かつ居心地の悪い状況に置くだけなのだ。つまり、「この問いには自分のすべての行動で答えなければならない」と思うような状況に。


    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan