「始まりは反グローバリゼーション」 トランプ氏側近が語った力の源泉

    トランプ大統領の側近であり、主席戦略官のスティーブ・バノン氏がBuzzFeed Newsに語った内容とは。

    ドナルド・トランプ氏の大統領就任式と、その後の大規模な世界的抗議行動は、現在の政治の有り様を具体的に示した。政治は1960年代以降初めて、真にグローバルなものになった。そして、1960年代の反動主義者や革命家には想像もできなかったようなテクノロジーによって結びついた。

    抗議行動は「西」へと広がった。 よりによって旧体制の拠点であるブリュッセルのモネ劇場前広場で始まった。ここでは2000人の人々が、トランプ氏が就任の宣誓をする間に黙とうをささげるために集まった。

    数時間後、抗議行動はシドニーとオークランドに飛び火した。太陽がのぼるにつれてヨーロッパ各国の首都で大きな抗議行動が始まった。ロンドン、ベルリン、そしてローマへ。その後、アメリカの多くの都市では、人々の記憶にある中でも最大級となる抗議集会が開催された。

    トランプ大統領の側近であり、主席戦略官を務めるスティーブ・バノンが「新しいグローバリズム」と呼ぶこういった動きは、まだはっきりと形が出来上がっているわけではない。しかし、大体の内容は見えつつある。

    フェミニズム、インターナショナリズム、そしてマイノリティの権利が脅かされることに対する強い懸念である。マイノリティの中でも特にイスラム教徒は、欧米ナショナリズムという炭鉱の中のカナリアのような存在だ。

    先週土曜日、トランプ大統領が就任した。そして7つの大陸で、人々は抗議のため集まった。南極大陸でも数十人の科学者がペンギンたちの間を歩いた。この出来事は国家のアイデンティティーの弱体化を示す一方、アメリカが未だに世界で唯一の超大国であり、最も高リスクの戦いをしているという事実も示した。

    トランプ氏の大統領就任式は狭量で内向きに感じられた。しかし、それも等しくグローバルな出来事だった。トランプ氏の大統領就任は、アメリカとヨーロッパ双方のナショナリストたちにとって、これまでで最大の勝利だったといえる。

    トランプ氏の就任演説を起草したスティーブ・バノンは、このことを早い段階から見抜いていた。2014年、バノンは、ヨーロッパ、アメリカ大陸、そしてインドに広がる「世界的な反乱」をこう説明した。

    「ダボス会議の参加者の命令にうんざりした中流、労働階級の人たちによる中道右派ポピュリスト運動」

    「グローバル・ナショナリズム」という言葉には皮肉が込められている。

    アメリカ人の伝統的な価値観は、フランス人やドイツ人の伝統的価値観とぴったり重なるのか? それはロシアの伝統的なナショナリズムと同じ地点につながっているのだろうか?

    20世紀、その違いは戦争へとつながった。そしてこの新しいナショナリストたちの関係図の中で、もう一つ着目すべきグローバルなつながりが、ロシアの資金の流れとメディアだ。

    バノンは、自己満足したエリート層に対する反動については、明らかに正しい。そして、ナショナリストたちが「グローバリスト」へ向ける目線が、誰に話しかけるかによって、反ユダヤ主義的である場合があることについても、バノンは正しい。

    しかし、グローバリストとは一体誰なのか? ダボス会議に集まるような人たちのことなのか?

    もちろんそういう人たちもいるだろう。私が今日、ワシントンで出会った人たちの多くは、グローバリゼーションの勝者たちである教育水準の高いプロフェッショナルだった。それとも、グローバリストとは、グローバリゼーションの敗者の声を代表する「ウォール街を占拠せよ」のオキュパイ運動参加者の末裔たちだろうか(バノンは、オキュパイ運動について、疎遠になった兄弟のようなものだ、と認めている)。

    「すべての始まりは、反グローバリゼーション運動です」

    土曜日の晩、抗議者たちが帰路につく頃、スティーブ・バノンは筆者に宛てた電子メールの中でこう指摘した。バノンは続ける。

    「トランプ氏のポピュリズムやナショナリズムは、反グローバリゼーション運動が問題提起した経済問題と親和性が高いのです」

    これまでのところトランプ氏は、左翼の抗議運動の要素を削ぎ落としていない。反グローバル運動とグローバル運動には共通点もたくさんある。どちらの立場にいる人も、ソーシャルメディアを利用する。

    また、BuzzFeedやブライトバート、 ハフィントンポスト、ガーディアン、ニューヨーク・タイムズといったグローバル化しているメディア企業を通じて自分の考え方を拡散している。

    1968年、パリの五月革命から世界中に広まった左翼運動には、共通する特徴が見られた。しかし、メディアを通じた緊密で瞬間的な感情の結びつきは、今までにはなかった新しいものだ。ソーシャルメディアが国際的なムーブメントとして、その強い影響力と気まぐれな有り様を示した例が「アラブの春」だ。

    アメリカでは、ソーシャルメディア政治は均質化すると同時に二極化している。

    世俗的なトランプ・ムーブメントは、ロシアやポーランドに追随し、伝統的な宗教的価値観を取り入れようとするのか?

    左翼は、社会的価値観と経済的価値観を結びつけ、統一見解のもとに、横断的な闘いをすることを受け入れられるだろうか?

    この二元的な闘いから身を引くことを許される人は世界にいるのだろうか?

    イデオロギーを信奉する人たちと外交関係者は、仲良くできた試しがないが、その理由は容易にわかる。

    反体制の機運で盛り上がるメキシコの若者の間が、トランプ氏と手を組むとしたら、彼らは誰を嫌悪することになるのか。 自国の挑戦的なナショナリズムをより色濃くした中国の指導者を、ダボス会議の花形よりも、トランプ氏は好むだろうか。

    欧米ナショナリズムの中心にある反イスラムの辛辣な言葉は、イスラム世界のナショナリストや政治的指導者と、どう共鳴しうるのだろうか (トルコのエルドアン大統領は、友好的な政治的指導者なのか、イスラム教の敵なのか。右翼が混乱しているのは示唆的だ)。

    アメリカのグローバリゼーションは、それが誰を除外するのか、ということに行き着く。除外されるのは保守派である。小さな政府を目指したレーガン主義は、アメリカの産物だった。その情熱は、ロンドンから東京、エルサレムに至る戦略的同盟国からさえも好奇心を持って見られたが、いずれもが医療社会化制度や、その他の「大きな政府」的な特徴に真剣に疑問を投げかけなかった。

    トランプ氏のナショナリズムは、明らかにヨーロッパからの受け売りだ。ビジネス志向の共和党のエリートが1960年代に民主党から信奉者を取り込んで以来、寄せ付けなかった、「血と土」の民族主義的な政治のあり方である。

    トランプ氏はこの金曜日、小さな政府の保守主義の方向に向かって注意を向けることはなかった。翌日の女性たちの行進では、保守派は壇上に上がることは許されなかった。そして今、こうした小さな政府を支持する保守派の人々には、党もなければ国もない。彼らが今後どうなるのかは分かりづらい。

    この記事は英語から翻訳されました。