イヴァンカに同情してはならない。彼女を恐れよ

    トランプ氏の娘の優美さの裏には、父と同じものの見方が上手く隠されている。

    ドナルド・トランプ氏の大統領選挙戦の最後の週、娘のイヴァンカは女性たちに向けて、父親のキャンペーンの宣伝映像を撮影した。彼女のことや彼女のブランドは愛していながらも、彼女の父親の語り口にうんざりさせられてきた女性たちに向けて、だ。

    この広告の中で、彼女はシンプルな黒のタートルネックを身にまとい、「私を育てた父親」という言葉を繰り返しながら、有名になれる人と無名の人との違いについて強調した。また「様々な点で私とほとんど似ていないように思える私の父は、実際には私に似ているのだ」とも語っている。

    だが危険なのは、多くの人が全く逆の判断をしてしまっているということだ。つまり、ドナルドとイヴァンカは違う、と考えているのだ。実際には、イヴァンカの振舞いや優美さは、ドナルドと相通じるものがある。

    彼女の過去に詳しく注目してみると、どういうことかわかるだろう。例えば、イヴァンカが少女だった頃、ドナルドと公に姿を見せた時などがそうだ。 彼女が小学生くらいの頃、彼は彼女を膝の上にのせ、何気なく腕を彼女に回している。これはハグではない。所有を表す行為だ。


    Ron Galella, Ltd. / WireImage
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    10代に差し掛かると、イヴァンカは大人の女性のようなポーズを自分で取り始める。父親のドナルドも、大人の女性を扱うようにイヴァンカに触れ始めた。ハーレー・ダビッドソン・カフェのオープニングで、まだ10歳前後のイヴァンカはデニムのアンサンブルを身にまとっている。ドナルドは彼女の後ろに座りながら、彼女の胸郭のあたりに手を置いた。

    1996年に開かれたドナルド50歳の誕生日を祝うパーティーで、当時15歳だったイヴァンカは袖がレースになった黒のシフトドレスを身に着けていた。ドナルドの手はウエストのあたりに回っており、彼は彼女を自分の方へと寄せ、耳元で囁いた。ピンクっぽく赤みがかかった、軽い紫色のアイシャドーを使った彼女は、明るく笑みを浮かべていた。楽しそうに。

    翌年、彼女はプレイボーイ誌に掲載された父のプロフィール写真でポーズを取った。イヴァンカは父親に寄り掛かって顎に手を当て、ほれぼれとした様子で彼を見つめた。

    1997年、彼女の顔つきは変化する。イヴァンカは17歳。父親は彼女のために「バレンタイン前夜パーティー」を開いた。輝かしい表情は、口紅をつけた、色白の、不機嫌な表情に代わった。彼女は胸元が大きく開いたイブニング・ガウンを身にまとい、タキシードを着た少し不満そうな表情の父親が、腕を以前のように彼女のウエストに手を回す中、顔を横に向けている。


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    この写真は不適切な関係を証明するものではないが、ある種の関係を暗示している。つまり、イヴァンカは幼い頃から所有物、または小道具として自分のことを考えるよう、訓練されていたということだ。

    成長する中でイヴァンカは、父親が女性を、彼女の母親のような美しく優れた女性までをも、新しい人と簡単に交換するできる使い捨て可能なモノとして扱う様子を見てきた。だから、彼女はまずモデルになった。トランプ氏の世界観では、これが価値の高い人物になる1つの手段だったからだ。

    その後、彼女は、無情なビジネスウーマンになった。なぜならそれも、価値の高い女性になるまた別の手段だったからだ。まず母親を、その後、80年代にトランプ・オーガニゼーションの副社長として採用されたバーバラ・レスを、手本とした。

    イヴァンカは父親と同様に、自分のライフスタイルをブランド化した。彼女のものの見方は、表にははっきり出てこないが、シンプルで、父親と同じだ。つまり、世界は純血の白人男性によって牛耳られるべきだという考え方だ。女性がその中で働くなら、適切な服を着て、適切な身体を持ち、適切な振舞いをする必要がある。

    トランプ氏の大統領選のキャンペーンでは、そのイデオロギーが明白になった。選挙戦では、イヴァンカが彼のイデオロギーを内面化してきたことが見えてきた。それだけでなく、彼女のライフスタイル、ウェブサイト、アパレルブランド、ハッシュタグの「#WomenWhoWork」を通して、女性の地位向上を装いながら、何百万人もの女性たちに、父のイデオロギーを売り込んできたことも露呈した。

    世間体政治 +ヘテロセクシャル優位の考え方+企業フェミニズム=イヴァンカニズム。つまり、最も新しく、最も巧妙な、ポストフェミニズムのブランドだ。

    イヴァンカは非常に賢い。しかし、その賢さや判断力は、システムがどのように機能しているか理解しているところからきている。この理解は、父親が有名な建築事業者である環境から、学びとったものだ。イヴァンカは内側からその構造を解きほぐすことができた。 彼女は文字通り、建物の中にいるのだ。そして、自分の置かれた現状を形作るイデオロギーを再生産する道を選んでいる。例えその表現の仕方がキュートで、Instagram向けのトーンを使っているとしても。

    彼女が育った世界には、トランプ氏や、彼が理解するところの資本主義や家父長制度だけでなく、ポストフェミニズムやクールな新しい異母姉妹、コモディティ・フェミニズムが織り込まれていた。彼女はこのようなイデオロギーを体現化しているだけでなく、それを凌駕しいる。

    服を購入することはエンパワーメントと同じことだということを、彼女ほど上手く表現できる人は他にはいない。そして同様に、その欠陥のある原理から、彼女ほどお金を作り出せる人は他にはいない。

    この状況の本当の悲劇は、イヴァンカほどの手腕を持った人でも、一度その環境に落ち着いてしまうと、その構造の中から抜け出すのがとても難しいということだ。

    彼女は、父親や彼の政治観を否定しない。ハイヒールを履いてカメラ写りバッチリのメークをして、隅に立ちすくむようなときでさえも、彼女の笑顔はびくともしない。彼女のブランドがボイコットされたことについて尋ねられたときのように、彼女は、彼女のブランドが「政治に利用されてはいない」とし、これまでも「政治に利用されたことはない」と主張するかもしれない。

    しかし、彼女のブランドは常に矛盾に満ちていた。イヴァンカのブランドは、女性が成功をつかむ主な方法は、彼女たちを過小評価して解雇するようなシステムを変えることではなく、そのシステムの要求に、自分自身を合わせていく方法を学ぶことである、ということをほのめかしている。

    これは目新しいことではない。この選挙運動は、トランプ氏が明確に支持しているものと、イヴァンカが暗黙のうちにしていることの間にある、つながりを事実上明らかにした。 そして、イヴァンカは、このイデオロギーに基づいて生きる女性たちの価値観を理解することを条件づけられてきた。そのため彼女は、このイデオロギーの犠牲者でありながら、自発的な参加者にもなった。

    「私は、これらの成功が次世代のトランプ一族につながっていくことに注力しています」と、彼女は著書「The Trump Card」に書いている。「結局、私たちトランプ家は理解を得るためにプレーしたりはしない。私たちは勝つためにプレーする。私はまるで父のドナルドのような口ぶりになっている。でも、特別なお父さんの娘なら、当然でしょう?」


    2006年、父のドナルドが出演していたリアリティー番組「アプレンティス」に登場し始めた後、イヴァンカは自身のブランドを作っていくための大がかりな挑戦を始めた。2009年「The Trump Card: Playing to Win in Work and Life」の出版の頃だ。

    イヴァンカが27歳の時に書かれたこの本には、2016年の彼女と見比べると、発展途上のイヴァンカが表現されている。デザインのカバーは安っぽく、イヴァンカの写真は光沢感が出過ぎている。帯に書かれたVogueのアナ・ウィンターの推薦コメント 「The Trump Cardは、心に訴える力があり、地に足が付いていて、スマートで、ユーモアのセンスがある」。これも無理し過ぎだ。

    トランプ・オーガニゼーションに無くてはならない存在になりながらも、彼女はまだ結婚していなかったし、3児の母にもなっていなかった。この本は、対象読者の20代くらいの、努力家の女性たちを非常に意識して書かれている。

    しかし、イヴァンカ・ブランドを定義するようになったイデオロギーは、洗練されていないとはいえ、すでにすっかり導入済みだ。そこには、彼女の著書のタイトルが力強く思い起こさせるように、能力主義の基本概念がある。

    イヴァンカは「私たちの誰もが、勝ち目のあるカードを切られており、それを上手に、スマートにプレーするのは私たち次第なのだというシグナルを送る」ことを意図している。 私たちは 誰もがトランプ・カード(切り札)を持って生まれてくる。人種、性別、能力、教育レベルにかかわらず。そして、正しくそのカードをプレーしなければならない、というのだ。

    イヴァンカ自身は特権を持って生まれてきたことを認める一方で、実際にその特権が彼女に作用したとは思っていない。 「私は、肩書、血統、そして責任にもかかわらず、職場の他の若い女性とまるで同じなのです」

    彼女が成功し、トランプ・オーガニゼーションの中で「相応な」地位を得たのは、彼女の勤勉と献身のおかげだということになる。イヴァンカは陸上競技における段階式スタートの例えさえ使ってみせた。「あるランナーが大きくリードしているように 見えるかもしれませんが、結局は誰もが同じレースを走るのです!」と。

    これはアメリカン・ドリームである。そして差別是正措置のようなプログラムを認めない考え方を示している。それは、アメリカ経済がどう機能するべきかに関するトランプ氏の構想の中心だ。ドナルド・トランプは、単に他の誰よりも懸命に働いたから成功した、という考え方だ。

    つまり、医療費の支払いを心配する必要もなく、食べることにも困らず、最高の私立校に学費を全額納めることができるという、自分たちに生まれながらにして与えられた特権と、自分たちの人種によってもたらされた特権の両方を、無視している。

    しかし、自分たちに与えられた有利なスタートを認めることは、実際にトランプカードが不正に切られたことを意味する。そして本に書かれる形でもたらされる彼らのアドバイスが、すべての人々にはあてはまらないかもしれない、ということを示すのと同じになる。

    自分自身に与えられた特権を系統的に否定することで、イヴァンカは自分のように秀でていない人は、誰しもただ努力が足りていないのだと示唆している。システムが壊れているのではなく、ただそれを操ることができていない女性たちもいる。つまり、トランプ自身が言うように、彼女たちはただの負け犬なのだ。

    では、女性は勝利を手に入れるためにどう努力するのだろうか? 気品と欲しいものはすべて手に入れるという、補完的芸術を極めることだ。気品とは、イヴァンカにとって、身なり、家庭、そして行動という3つの主要点におけるマニフェストなのだ。

    「The Trump Card」の中で彼女は、「私のような職業的地位にある人にふさわしく、しかも私の精神や強気さや真剣さのすべてを一度に表現するようなスタイルを、今でも模索しています」と述べている。

    トランプ氏の選挙キャンペーンが開始するまでに、イヴァンカは自身のスタイルの路線を、低価格な服やアクセサリーに変更した。そうすることに決めたのは、需要に対応したからだ。

    「アプレンティス」の出演以降、「大人になったらイヴァンカのようになりたい」と思う少女たちから「山のような」ファンメールが彼女の元に届いた。 そして現在のアメリカ文化では、自分の憧れの人になるための最善の方法は、そのアイドルのライフスタイルを購入することなのだ。

    そのため、モデルからビジネスウーマンに転身したイヴァンカは、自分のライフスタイル、あるいは、少なく見積もっても彼女のライフスタイルが指し示すもの、が買えるようにしたのだ。イヴァンカはすでにジュエリーの販売を開始していたが、ジュエリーだけでは自分自身を定義することはできない。

    自分自身を定義するためには、服やバッグ、靴、そしてブログ、ブランド全体が必要だ。このブランドは、表向きはイヴァンカを反映しているが、実際は対象とする消費者グループ自体を、やや理想化された形で反映したブランドだ。

    Vogueで、イヴァンカのブランドのマーケティング責任者を務めるジョアンナ・マーフィーは、「私たちはビッグ・キャリアを目指しつつ、マラソンのトレーニングやフランス語の習得、家庭を持とうとするミレニアル世代をターゲットにしています。彼らの生活のどの局面も、仕事と同じように重要なのです」と宣言した。

    このブランドは、「フェミニンで」「ガーリーすぎず」「適度にセクシーで、いやらしくなく」「すみずみまで行き届いているが、度は越していない」と、ブランドブックの中で宣言している。

    ドナルド・トランプ氏自身の理想の女性像が、イヴァンカのブランドに姿を変えている。それは、ブランドと、そのブランドを消費する女性たちの両方が、くだらなさではなく 気品を目指すべきだということを示唆している。その考え方は、現代のビジネスウーマンの服をデザインするときには最大限の意味をなすが、同時に「気品」とはどんなものかについて、かなり限定的な定義を再度行っている。

    入念に仕立てられたタイトなライン。でも決してピッタリというほどタイトではないドレス。クローズドトゥのパンプスとヒールの高さが5㎝のブーツであふれている。

    ブラウスの数は非常に多い 。 ドレープが素敵に見えるのは、最大でも米国サイズのCカップの女性たちだけ、というスタイルのブラウスだ。流行に敏感だが、 決して最先端ではない。 非対称のシャツやドレスには、 文字通りの切れ味があるが、それはとげとげしさと同じものだ。アンテイラーよりもトレンディで、H&Mよりも作りがしっかりした仕事着を求める女性向けの服だ。白人ブルジョア層の考える気品を模倣したい女性向けの服でもある。

    「10年前とは全く異なる女性らしさを私たちは表現できるのです」と、イヴァンカは10月に雑誌「Town & Country」で 語っている。 「そしてそれが私のブランドが実際に抱いている何か、つまり、洗練された、適度にセクシーな審美眼なのです。役員室にもふさわしく、夫とのデートにも着ていけるような服なのです」 。言い換えると、権力の座から欲望の対象に移り変わる服だ。これは「あるべき形」、つまり異性愛規範、一夫一婦制を前提とした、性の対象に切り替わる服、ということだ。

    女性らしさについての同じような理解が、スタイル、仕事、家庭、遊び、旅行、名言集のセクションに分けられたイヴァンカのウェブサイトのマニフェストにみられる。イヴァンカの女性としての生活におけるどのセクションも、それに応じてフォーマット化されている。

    子どもの糖分摂取に対抗する5つの方法」 は、実践することで、太りすぎの子どもを持たずにすむ方法、「イヴァンカ・スタイルのインテリアを安く実現する」では、安っぽく見えない鏡を見つける方法、食事の計画を立てる方法では、アマゾンのプライムサービスでプロテイン・バーを注文することや、そして旅行中のトレーニングについて示している。なぜなら、「5ポンド(約2.3キロ)くらい簡単に増えてしまう」からだ。

    名言集は、Pinterestに投稿する準備万全のスーパーウーマンによる、やる気を起こさせる引用の寄せ集めだ。 「常に期待以上の成果を出す」「自分なりの女性らしさを身に着ける」「あなたは他の女性たちと競争しているのではない。すべての人々を相手に競争しているのだ」

    しかし、最も力強くイヴァンカのブランドを表現しているのは、「Women Who Work」のプロモーションだ。 21世紀型の、欲しいものは何でも手に入れる女性像だ。イヴァンカ自身は毛嫌いしているにもかかわらず、自由で包括的であることを明白に示す言葉が言い表している。「私の目標の一つは、素晴らしい人生を生きる方法を説き勧めないことです」と、イヴァンカは説明している。「あなたが家で働き、子育てをしているなら、それは仕事ではない、と言うつもりはありません。私は女性が働くとは何を意味するのか、という物語を破壊したいのです。私のブランドが主張するのは、女性は自分が望む人生を、自分で設計しなければならないということです」

    もちろんそれは、自分の人生を設計する道具を、女性たちが特権として与えられていることを前提としている。子どもたちと家にいる女性たちも同様に「仕事をしている」という考えが、唯一の「破壊」だ。それは新しい考えではないかもしれないが、確実により多くの消費者を自分のブランドに呼び込むひとつの方法だ。実際に、イヴァンカ・ブランドの「包括主義」は信じがたいほど限局的で、イヴァンカ自身の生活を正確に映し出すことはないにせよ、何とか再現に努める女性たちをターゲットにしているのだ。

    ベースラインでは、それは自分の人生をビジネス上の取引のように生きることを意味する。 イヴァンカは自分自身について、「常に交渉している」と説明し、ジャレッド・クシュナーとの結婚は、「私たちにとってこれまでに最良の取引でした!」と 言っている。

    クシュナーはイヴァンカを「一家のCEO」だと 説明した。 そして、もしこのように人生にアプローチするのであれば、「Town & Country」が言い表したように、「現代のスーパーウーマン」になることができる。きちんと油を差した ポストフェミニスト・マシンだ。

    「Women Who Work」への説明はイヴァンカ・ブランドの精神全体をあらわにしている。「働く女性たちを祝福しよう。生活におけるあらゆる面で」。 女性らしさを演じること、言い換えれば、途切れなく、終わることのない労働の中で、常にとらえどころのないイヴァンカの理想に近づくよう努力する、ということだ。

    この目的に向かって、イヴァンカのサイトは、「より良い、素早い決断を下す5つの方法」や「旅行中にゲームを続けるための6つのコツ」「平日を元気に乗り切るための4つの作り置きおかず」といったハウツーものであふれている。 女性は誰からも好かれるようにふるまうべきという考え方に挑戦する代わりに、実際にそのような女性になるためにはどうするかについての #LifeHacks を与えているのだ。 「1週間は168時間あります」と、時間管理の投稿では 声高に宣言している。「時間を上手に使いましょう」

    この残酷な真実は、ローズ・クオーツの色調に塗られている。気品があり、流行に敏感な、 カッコいい女の子のシーズン・カラー。細い体、または、運動選手のように鍛え上げたスレンダーな体形の、様々な民族性(しかしほとんどが白人)の女性たちを取り上げている。

    「働く」方法の理解は、失業したり、低賃金だったり、障がいを負ったり、職場で差別を受けたり、セクハラの対象になったりした場合にどうするかという、働く女性たちのほとんどが実際に必要としているアドバイスには決してふれない。

    イヴァンカが長年あたためてきた企画の一つである、有給出産休暇についてもほとんどふれることがない。なぜなら、イヴァンカ・ウーマンはシステム上の問題について文句を言わないからだ。 文句を言うのは悪趣味だ。彼女はヒール靴を履いて、ただもっと一生懸命、もっと長く働く。(イヴァンカは彼女のブランドを生み出した人たちにさえも同じ原則を要求していない。 イヴァンカの商品をデザインした受託業者は 有休出産休暇を1日も申請していない)。

    結局、 イヴァンカのサイトのターゲットとなるオーディエンスは、仕事をしようと奮闘する人々ではない。完璧に仕事をしようと奮闘する全ての人々なのだ。イヴァンカは、それを自分の父親よりも静かに示唆しているのだが、その事実は残る。

    イヴァンカ、そして彼女のブランドを受け入れるすべての人々は、負け犬たちにかまっている時間はないのだ。この負け犬という言葉には、自分に配られたトランプの切り札を、そつなく出せていない人が全員、含まれる。


    数週間にわたりイヴァンカのブランドの将来が問われた。正式なボイコットが開始されたのだ。リサイクルショップには、寄付されたイヴァンカ・ブランドの服が山積みされているというエピソードが出回り始めた。最近の世論調査では、イヴァンカ・ブランドのアイテムを買う女性は4人に1人以下であることを示している。

    そして売上が実際に低下したことを示す証拠がほとんどないまま、イヴァンカは完璧なビジネスウーマンであり続け、父親が選挙活動に自分を起用した広告を使うのを阻止した。彼女は「自分の選挙活動への結び付きが注目を浴びることで、自分の名を冠したビジネスに損害を与えることを危惧していた」のだ。

    しかし、だからといって、イヴァンカが父親の方針や世界観、それに彼と彼の支持者がそれらを公言したやり方(派手で、あからさまで、品のないやり方)に賛成していないということでない。

    イヴァンカ・ブランドの能力主義は、他の大勢のスーパーリッチが実践しているように、人種差別的、あるいは反ユダヤ的、性差別的な発言をしようとは夢にも思わないだろう。彼らはただ、人種差別と性差別を成立させ長期化させる政策に票を投じて歓迎し、反ユダヤ主義の問題については口をつぐんでいるにすぎない。

    イヴァンカが女性であり、しかもクシュナーとの結婚後は、正統派ユダヤ教徒になったことは、彼女のブランドの核心部にある認知的不協和をはっきりと示している。

    イヴァンカの友人の1人が取材に応えた「ザ・ハフィントン・ポスト」の記事によると、 共和党全国大会で演説を行う彼女の姿を見ながら、「私は、 イヴァンカは自分自身にウソをついているか、自分の父親がしていることを無理やり信じようとしているかのどちらかだと思いました。彼女が壇上で職場の女性たちについて話す一方で、群衆は基本的に『そのビッチを閉じ込めろ』と唱えていました」

    イヴァンカと彼女のブランドに見られる、ポストフェミニズム特有の悲劇に話を戻す。 彼女の父親のような男が勝利すれば、家父長制度の頂上にある自分の地位を維持することになる。イヴァンカにとっての勝利は、常に自分、そして、その延長線にある女性たちを、その王国の中で二次的なプレイヤーにすることだ。そこでは女性の価値は、年齢と自分の身体を「適度に」性的に望ましい状態に保つための厳しい訓練とその能力と相関して、増減する。

    もちろん、イヴァンカはそうは思っていない。自分の父親が、最初に自分の母親を、そして次に自分の継母を捨て、若い女性に走るのをつぶさに見てきたとはいえ、35歳のイヴァンカは、MILF(性的に魅力的な人妻)パワーの頂点にいる。 彼女は自分が現在君臨している権力構造を決して非難しないだろう。

    イヴァンカは自己再生能力が高い。自身の身のこなしや美しさ、そして「兵器並みの優雅さ」を使い、自分の父親の選挙キャンペーンによって傷つけられたブランドのパーツを癒やすだろう。そしてもし父親が彼女の勝ち目を脅かし続ければ、彼女は彼を切り捨てるだろう。

    これはネッド・レスニコフが 指摘した動きだ。これは、ファシズムやあからさまな人種差別を吐き出さず、その信条をより好ましく、はるかに危険な形で受け入れたナショナリズムを先導したマリーヌ・ル・ペンにとっては見事に功を奏した 。

    もちろん、ポスト・フェミニズムはファシズムでない。しかし、イヴァンカのブランドと、ブランドがこれほど効果的に宣伝するイデオロギーは、目立たないようにしていたとしても、退行的である。有給出産休暇を掲げない、その価値観の世界では、白人で、やせていて、異性愛者で、伝統的に美しく、健常者で、ブルジョア層の女性たちが常に「勝利」する。常に自分自身を現状の型に当てはめ、二級市民であることを「勝利」と考えているのであれば。

    イヴァンカイズムはトランプイズムと同じくらい有毒だ。 きちんと装った、成金の子どもたちにありがちな、断固とした無慈悲とともに、自分の両親が気品を手に入れようとする恥ずべき、ぎこちない試みを必死で無視しようとすることだ。

    イヴァンカは、自分の父親の選挙キャンペーンを振り返り、美しく、趣味の良い超高層ビルを建築するかもしれない。自分の父親のブランドを定義する、80年代を彷彿とさせるくだらないものが全くない、新しいトランプ・タワーである。それは現在のトランプ・タワーに集まる旅行者よりも、より裕福で、より有力な旅行客たちのための新しいメッカとなる、この上なく素晴らしいタワーになるだろう。

    そしてそれは、多くの人々に彼女の父親の罪を忘れさせるだろう。人々は、より好ましい、一見したところ政治と無関係に見える、ドナルド・トランプと同じイデオロギーを、猛烈に軋轢を生む形で受け入れるだろう。

    結局のところ、イヴァンカはパパっ子なのだ。変わった髪型で、身体に合わないスーツを着て、怒鳴り、長くてまとまりのないスピーチをし、Twitterでわめき散らし、偏執症的。このような、金持ちと権力者の投票者集団に受け入れられるのを困難にする特徴を持たない、人前に出しても恥ずかしくないアイコンを、トランプ陣営は求めていたのだ。

    そしてこういえるだろう。イヴァンカに同情してはならない。彼女を恐れよ。


    この記事は英語から翻訳されました。