高齢ドライバーによる事故が相次いでいる。ここ3週間だけでも、報道によると計5人がはねられて死亡した。
「どこを走ったか覚えていない」
横浜市で10月28日、集団登校していた小学生の列に軽トラックが突っ込み、1年生の男児が死亡した。逮捕された男(87)は「どこを走ったか覚えていない」と話した。事故前日から車で徘徊していたとみられる。
11月10日には84歳が、12日には83歳が、13日には82歳が、いずれも死亡事故を起こしている(=年齢はすべて事故当時)。
こうした事故を受け、政府は対策を検討。来年3月からは、75歳以上の免許更新時の認知機能検査で医師の診断を義務づける。警察庁は運転免許の返納を促しているが、2015年に自主返納した65歳以上は27万人で、前年末の免許保有者の2.5%だ。
「私はまだ若い」「俺だけは大丈夫」
「『生涯現役』という言葉がある限り、免許の自主返納は進まないでしょう」
こう話すのは、高齢者の取材を続けているノンフィクション作家の新郷由起さん(49)だ。著書『老人たちの裏社会』では、「生きる喜び」を見出すために万引きやストーカーなどの犯罪に手を染める高齢者の実態を書いた。
免許返納には、高齢者の「生活の足」を奪うという深刻な社会問題が立ちはだかる。新郷さんはそれに加え、「生涯現役」という意識が返納を躊躇させる、と指摘する。
「私はまだ若い、俺だけは大丈夫。そう話す高齢者がとても多い。運転するのは、近所のスーパー、郵便局、入浴施設、病院の4カ所に行くときだけで、慣れている道だから事故を起こすはずがない、と慢心しています」
こんな調査もある。立正大学の所正文教授(心理学)が「事故を回避する自信があるか」と年代別に尋ねたところ、「60代」を超えると「自信がある」と答える人の割合が増え、「75歳以上」では全年代最多の53%にのぼっていた。
高齢者はなぜ、自分の能力を「過信」してしまうのか。新郷さんはこう考える。
「長く生きてきたからこそ、自分の技能と判断力に自信がある。また、たいていの場合、本人が自覚している”老い”と実際の衰えには相応のギャップがあるものです」
新郷さんは、高齢者の「ハート年齢」と「現実年齢」の「8掛け説」を唱える。
「現代シニアは総じて気が若く、80歳の男性に、80歳だとして話しかけると、かみ合わない。64歳だと想定して話すと、相手も喜ぶし話が通じやすいのです」
「さらに、今の高齢世代は、高度経済成長期に働き盛りだった世代。今日よりも明日、明日よりもあさってがよくなる右肩上がりの暮らしが当たり前だったため、体力や判断能力が衰えていく自分を受け入れがたい。特に、成長のアイコンであるクルマを手放すことは、『生活の足を失う』という物理的な変化だけでなく、心理的ダメージも大きいのです」
性と健康の「生涯現役」
東京・銀座の美容クリニック。最近、Vゾーンを医療脱毛する高齢の女性が増えている、と看護師は明かす。陰毛が白髪になるとレーザーが反応しなくなると知り、慌てて駆け込んでくるのだという。
「介護される時にボーボーだったり白髪だったりすると恥ずかしいからだそうです」
アンチ・エイジングはシニアマーケットとして確立している。シニア層は旅行やネット利用にも精力的だ。一部の週刊誌の見出しには「死ぬまでSEX」の文字が踊る。老いることは罪、年を取ったら負けーー。そんな強迫観念に突き動かされるように、積極的に活動する高齢者たち。
「地域でボランティアをしたり、何らかの形で働き続けたりといった社会的な『生涯現役』を目指すのは素晴らしいことです。でも日本では、『生涯現役』が性や健康の意味のみで語られることが多い。それを目指すために、自己の身体能力を過大評価せざるをえない。私はまだ若い、俺だけは大丈夫、と考えがちになります」
いつまでも若々しく、元気でありたい。「生涯現役」を是とし、老いることに拒絶反応を示す。それは高齢者だけでなく、子ども世代や、社会の願望でもある。
善良な老人という幻想
「きんさんぎんさん」として親しまれた双子姉妹が100歳を迎えたのは1992年。当時、日本の100歳人口は約3000人だったが、今年の敬老の日(9月15日)時点ではおよそ20倍の6万人超となった。
「所在不明者を差し引いても、東京ドームに入りきらないくらい。急激な超高齢化に社会が追いついていません」(新郷さん)
高齢者の人数が増えれば当然、高齢者の多様化もあるわけだが、私たちのイメージは「きんさんぎんざん」のままで止まっている。しかし、新郷さんの取材では、「年寄りだから許してもらえる」と言い放った確信犯の万引き老人もいた。福岡県みやま市では昨年11月、93歳の女がミニバイクの男子高校生をひき逃げして重傷を負わせたうえ、証拠隠滅のため車を修理に出していた。
「善良で柔和で、誰とでも仲良くできる、守られるべき"社会的弱者" ーー。つくりあげられた理想の高齢者像によって、私たちは『高齢者には同情しなければならない』と考えがちです。たとえ、それが子どもをひき殺した容疑者であっても。浮かばれないのは被害者です」
加害者が認知症と診断された場合などは、責任能力がないとみなされ、不起訴になる可能性がある。
「加害者が資産のない生活保護受給者や所得の低い年金受給者だった場合、損害賠償を請求できないこともあります。余命が短いぶん、償う機会も少ない。被害者にとっては『やられ損』でしかありません」
高齢者の犠牲にしない
新郷さんは、来年6月に発売予定の新刊『暴力老人』で、「老年法」の新設を提案している。「少年法」の老人版のイメージで、超高齢化社会における老人犯罪を裁くという趣旨だ。老化の個人差を年齢で線引きできるかなどの課題はあるが、まずは被害者救済の重要性を強く訴える。
「安倍政権は今年度、低所得の高齢者に3万円を支給しました。バラ撒くくらいなら、それを『老年基金』などとして被害者救済に充てられないか。高齢者のために若い世代が犠牲になるという構造にメスを入れなければなりません」
高齢ドライバーによる死亡事故の増加の背景にあるのは、高齢ドライバーの人数の増加だ。免許の返納が進まない限り、これから先もしばらくは増え続ける。重大事故にならなくても、あちこちで今日も小さな事故が起きている。自動運転車や踏み間違えにくいアクセルなどの技術開発とともに、法整備も待たれる、と新郷さん。
「交通事故は単発で、過失とされることも多く、議論が盛り上がってはしぼむことの繰り返しです。もしも、保育園の隣に住む高齢者が『子どもの声がうるさい』と言って包丁を振り回して集団殺傷事件でも起こしたなら、その時にようやく法律が動くのでしょうか」
「私たちもいつか高齢者になる。いずれ自分が通る道だから、高齢者批判を避けがちです。とはいえ、現実はすでに看過できる状況にありません。超高齢化社会のありかたとして、フラットな観点で高齢者を裁くということに、真正面から向き合う必要があるのではないでしょうか」