保育園をクラブに変える。子ども向けDJが「はみ出した子」に本気でぶつかる理由

    好きな音楽の話ができない、答えを当てなければいけない。「お作法」に息苦しさを感じていたアボカズヒロさん。音楽を通して子どもに伝えたいのは「型にはまるな」というメッセージだ。

    東京を中心に関東近郊の保育園、幼稚園を回り、教室をダンスフロアに変えてしまう一人の男性がいる。DJのアボカズヒロさん。

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    保育園のホールで子どもたちの前に立ち、ターンテーブルのスイッチを入れる。

    子どもたちにとっては聞き慣れないエレクトロニックなサウンドが流れてくる。遊んでいた子どもの動きが一瞬ピタっと止まる。メロディが流れてくると、思い思いに踊り始めた。

    アボさんは一言も話さない。ただその目は、子どもの動きを常に追っている。

    ひとりひとりの異なる輝き

    いまどき、ダンスを習っている子どもは珍しくない。ダンス教室で教わった大人顔負けの踊りを披露する子どもを見て、大人は「◯◯ちゃんすごい!」と褒める。

    周りの子どもは、自分も褒められたいという気持ちから、同じように踊らなくてはいけないと思う。こうやって少しずつ、子どもは型にはまることを覚えていく。

    「僕はそれを壊したい」

    大人顔負けに踊れるのは、その子の努力の上に成り立っているのでそれはそれで素晴らしい。

    しかし、アボさんはDJをするとき、うまく踊れている子のほうにではなく、ビートを頼りに無心になって踊っている子の動きに音楽を合わせていく。

    大人が褒めることすべてが正しいわけではない。その裏側には大人の都合だって存在している。

    型にはまることではなく、物事の受け止め方や表現など思ったことをそのまま外に出す自由を、子どもたちに知ってほしい。

    「表現の形は、必ずしもダンスじゃなくてもいい。音から得たインスピレーションで空想に浸ったり、お絵描きという形で発露したりでもなんでも良いです。僕が目指すダンスフロアにはマジョリティは存在せず、マイノリティの集合体しかいない。そのマイノリティひとりひとりが異なった輝きを見せて、フロアを彩っていってほしい」

    コンピューターで音源を作った

    なぜ子どもDJとして活動するのか。音楽がアボさんにどんな影響を与えてきたのか、少し振り返ってみたい。

    幼いころから、人と関わることよりも自分の世界で過ごすのが好きだった。そんなアボさんの性格を案じ、両親は公立ではなく私立の小学校に入学させた。

    そこで出会ったのが、音楽を担当していた窪田先生だ。音楽の先生でありながら図書室のデータベースと貸出処理のバーコードシステムを自作してしまうほど機械に詳しい人だった。

    音楽室には、シンセサイザーにオープンリールのテープレコーダーといった、普通の学校にはないような機材が揃っていた。

    アボさんは窪田先生から、コンピューターで音楽を作ることを教わった。

    「テープレコーダーを使って自分で作った音源を聞いてもらったときに、とても褒めてもらったことをよく覚えています」

    自分の音楽を初めて人に認めてもらった瞬間だった。

    「じぐなしに育ててしまった」

    だが、楽しかった小学校生活もここまでだった。5、6年の担任と折り合いが悪く、名前を呼ばれて返事をすると「ひねくれた子は声もひねくれてるね」と言われた。

    中学にあがるとさらに大きな問題にぶつかった。それは「同調圧力」。例えば好きな音楽の話をするときに、同級生と話が合わなければ「マニアック」「キモい」と言われてしまう。

    無理やり友だちの意見に賛同するように努力した。その結果、精神に異変が起きてしまった。

    「僕は子どもの頃から、自分の席でじっとしているとか好きな時にトイレにいけないとかそういうシチュエーションに置かれると、みるみる熱が出たり具合が悪くなったりしてしまうんです」

    学校を早退したり、休んだりする頻度が上がっていった。小児喘息が悪化し、ストレスを感じるたび発作が出てしまうこともあった。

    そんなアボさんを見て父親は「じぐなし(青森の方言で根性なしの事)に育ててしまった」と落胆していた。

    高校に入学すると"親方"に出会った。地元にある唯一のレコード屋「リミックレコーズ」の店員だった。店に行くたび親方はダンスミュージックや歌謡曲などさまざまな音楽を教えてくれた。

    海外にはブロックパーティーという文化があることも知った。地域の街角で行われているパーティーのことをそう呼ぶのだ。街を歩くと誰でも参加でき、そこで対話をし、知識を深めていく。そして豊かな音楽に触れることもできる。

    一方、日本はどうか?

    「日本って日常のパーティーに音楽があまりないよね、子どものころにやった誕生日会に音楽ってあった?」

    DJの世界にさえ、それに近い息苦しさがある。学生時代にDJ活動を通して強く感じたことだった。

    「閉じられた世界で、新しい発見はない」


    「お作法みたいなのがしっかりしたハウスの世界に10代からいたんです。明け方に1曲目から定番の曲を流すと、10歳も20歳も年上の人たちから『わかってるね~』って言われてました」

    決められた答えに合わせるように音楽を流すことの繰り返しに新しい発見はあるのかーー。悩みぬき、たどりついた先が子どもだった。

    まだどんな型にもはまっていない子どもたちに、音楽を届けたい。

    関東近郊の幼稚園や保育園に片っ端から電話をかけた。「レコードでいろいろな音楽をかけさせてほしい」と「DJ」という言葉を使わずにお願いしたが、まともに取り合ってはもらえなかった。

    電話をかけはじめて1ヶ月ほど経ったころ「レコードがいまだに存在しているなんて懐かしい」とある幼稚園の園長が興味を示し、子どもたちの前でプレイすることを快諾してくれた。

    「会場」にいる子どもはみんな同じではない。なかには自閉傾向のある子もいる。繊細な世界で生きていて、多くの情報を感知しやすい。異質なものや歪さを強く感じる子どもには、感じたことをそのまま外に出させてあげたい。

    アボさんは常に「はみ出している子」を意識していると話す。はみ出しているというのは、習ったダンスの振り付けではなく気持ちだけで踊っているような状態を指すそうだ。

    「まるで幼いころの自分をみているような気持ちになります。『君はこのグルーヴにも乗れるかな?』とこちらも本気になってしまうんですよね」

    そういう子どもほど、身体全体で音を受け止めその子にしかできない踊りをみせてくれる。こちらが本気になればなるほど輝いていく。

    音楽を自由自在に操り、その子の魅力を引き出すことができるのもまた、DJならではの良さでもある。

    どんな子どもでも思う存分、気持ちを爆発させられる環境をつくりたい。どんどん子どもの世界にのめり込んでいった。

    「教育をしたいわけじゃない」

    「音楽教育をしたいわけじゃない、啓蒙でもない。なにかっていうと『体験』なの」

    例えば、アンパンマンなら子どもはすでに知っている。だがアンパンマンマーチを子どもの前でかけたとしても、新しい体験にはならない。だからシカゴ・アシッドハウスを流したあとにモンゴル民謡を重ねてかけたりもする。

    「僕のDJを体験して、少しでも彼らの考え方やものごとの見え方が変われればと思う」

    保育園でのDJの活動をはじめてから「子どもたちの行動にメリハリがつくようになった」という感想を保育士からよく聞くようになった。

    「僕の活動とどう関係しているのかはわかりませんが、きっと思い切り楽しむ時間とそうでない時間を分けて考えられるようになったってことではないでしょうか」

    最後に彼はこう語った。

    「僕が音楽に救われたように、もがいている子どもたちが自分を肯定できる世界を見つけるきっかけになりたい。そのためにこの活動は続けていく」